お呼ばれ1
わかってた。そう、わかってはいたんだ。
香織が俺なんかと一夜を共にしたいなんて思うはずが無いってわかってはいたはずなんだ。それでもあんな上目遣いで言われたりしたら期待もしちゃう訳で……。
「梓くんはなんか嫌いなもんとかあっと?」
「あ、いえ、好き嫌いとかは特には……」
「偉かねぇ、うちん香織は小さか時からあれは嫌い、あれは美味しくないって好き嫌いばっかやったとにねぇ」
「お母さん!! 梓君に変なこと言わないで!!」
野菜マシマシの肉野菜炒めを持ってきた香織の母親に対して、別室にある台所から声を飛ばす香織。そんな東京にいた頃には見れなかった彼女の新しい一面につい俺も笑みを浮かべてしまう。
事の発端は、香織が家に来ないかと提案したことから始まった。
実は大学時代も香織とはほとんどキャンパス内かバイト先でしか喋ったことが無い。俺が一足先に卒業した後も、実習とかが忙しくてほとんど電話越しでしか話していなかった。
そんな俺にとって、香織からの提案は思わず舞い上がってしまいそうになるほど嬉しいものだった。
だが、香織との同衾なんてそんなうまい話はなかった。
彼女は両親と共に暮らしていたのだ。いわゆる実家暮らしというやつで、その話を始めに聞いた時は落胆したものの、それでも寝床の存在はありがたい。むしろ彼女の優しさが骨身に染みて嬉しかった。
だが、再び一つの問題点が浮き彫りとなった。
それは俺が男であるという点だった。
元々友人が来るということだけは話していたらしく、香織の母親も客間を用意してくれてはいたのだ。だが、肝心なのは香織が友人としか伝えていなかったことだ。
香織の両親は、今日来るのは遠山梓という名前の女性だと思っていたらしく、特に親父さんの方が大反対していた。
大事な祭の前にどこの馬の骨ともわからんやつば入れられっかと怒鳴られてしまった。でも、その意見には俺も同感で、普通そうなるわな、としか思わなかった。
だが、話はここで終わらなかった。
なんと俺の荷物を逸香宅から一緒に持ってきてくれていた逸香が、自分も泊まって俺が手を出さないように監視するとか言い始めたのだ。いくらなんでもその程度で許す訳がないと思っていたのだが、あの厳しそうな親父さんまでもが、逸香ちゃんが監視するなら安心だなとかのたまい始めた。
そんなこんなで、隣で一升瓶を飲みほしそうな勢いで酒を飲んでいる逸香が同伴なら、俺は今日明日とここに泊まっていいことになった。
「そんで? 梓くんは何の仕事ばしとっとね?」
優しそうな笑みを浮かべてこちらに話しかけてくる香織の母親に、俺は動かしていた箸を止めて向き直る。
「警察官です。まだまだ新人の域は出ませんが、市民を守る為に日々精進しております」
「ほぇ〜、お巡りさんってことは公務員ね? 将来安泰ばいね」
俺の解答に、香織の母親は感心したような声を上げた。
よし。せっかく香織の両親に会えたんだ。ここでなんとしても好感度を上げとかないとな。
香織の母親も初めは俺を見て不安そうにしていたが、武道で磨き上げた礼儀作法を最大限に活用し、好青年の印象を与え続けた結果、すぐにその顔は笑顔に変わった。当然、東京土産もちゃんと渡しておいた。もちろん老舗の少しお高い和菓子だ。
だが、難関はやはりなんと言ってもこの親父さんだろう。
さっきから鋭い視線をこちらに向けてきて気まずいったらありゃしない。テレビも付けずに座布団で胡座をかき、こちらに時折、殺気のこもった視線を向けてくる。だが、この人にも気に入られれば障害は全て無くなり、後は勇気を出せばいいだけになるのだ。受けてくれるかはまた別の話になるがな。
「お……お父さんは何をなされておられるのですか?」
「君にお父さんと呼ばれる筋合いはない」
「す……すいません」
怒りのはらんだ低い声で言われ、俺は震えながら謝罪の言葉を口にした。
……うん、この人の信用とかは一日二日じゃ無理だ。だいたいまだ香織に告白すらしていない俺が調子乗りすぎたんだ。まずは香織との仲を進展させて、ここに来る機会を増やしてそっから頑張ろう。
俺は心の内でそう決意し、大皿に並んだ野菜の漬け物を取り、口に運んだ。
「あっ、美味しい」
その漬け物は白く小さい漬け物で、微かに赤い果肉のようなものがついていて、酸味が効いてて素直に美味しいとそう思えた。
「あら、良かったわぁ、それなんの野菜かわかんね?」
「えっ、と……大根な訳無いし……人参もなんか違うし……」
俺が本気で悩んでいると、香織の親父さんが先程の漬け物が大量に入った皿を差し出してきた。
これはもっと食えということなのだろうか?
俺は再びいくつか取り、一つずつ口に運んだ。元々そんなに漬け物とかを食べたことがない俺にはこれがなんの野菜なのかさっぱりわからなかった。むしろ味よりも白と赤で考えた方がいいな。酸味の中に広がる甘み、しゃきしゃきとしている食感……なんだこれ?
「降参か?」
ニヤリとこちらに笑みを向ける親父さんに、俺は負けじと考えを巡らせる。この反応はあれだ。おそらく俺が絶対に知っているであろう野菜で、それが頭に浮かばない俺の反応を見て楽しんでるんだろう。
おそらく俺が今まで頭に浮かんだ野菜は全て違うんだろう。むしろ、絶対にあり得ないと俺が思ってしまう野菜であり、尚且つ、熊本の名産と考えた方がいい。
ならば答えはーー
「トマト……とかですか?」
熊本で検索した際に八代名産の塩トマトという糖度が高いトマトがあると書いてあった。白も若干緑色に近い白だったし、なにかしらの科学反応でまだ成熟しきっていないトマトの皮が白っぽくなったのかもしれない。
俺は静寂に包まれた部屋で全員の反応を待つ。
するとーー
「……ぷふっ、あははははははは!!!」
隣の逸香が噴き出すように笑い始め、それに倣うように香織の両親も笑い始めてしまった。
「やっぱり間違ってたか……いくらなんでもトマトはないか……それで結局なんの野菜を使ってるんですか?」
「それはねぇ……」
未だに笑い続けている彼らに困惑していると、後ろ手になにかを持った香織が台所に通じる引き戸を開けて、食卓にやって来た。
「じゃーん!! 答えはこれでした!!」
勿体ぶるようにニヤニヤしていた香織が見せてきたのは、俺の頭に一度も過ることがなかった野菜だった。
「嘘……これ……スイカなのか?」
俺は香織が見せてきたスイカと自分の皿に乗った漬け物を交互に見てそう呟く。
「そっ、スイカの漬け物。びっくりした?」
香織が驚いている俺を楽しむように見てくるが、俺はそっちよりもスイカの漬物に目を奪われてしまった。
「スイカを漬物にするなんて初めて知りました……」
「東京にはスイカんつけもんはなかとね?」
「なかね。少なくとも私は見たことなかよ」
香織がスイカを畳の上に置き、俺の向かいの席に座った。そして、親父さんに対してそう答えると、俺に同意を求めるように「ねっ?」と聞いてきた。
俺は彼女に向かって頷く。というのも、ちょうどスイカの漬物を口に入れたタイミングだったから喋れなかったのだ。
それにしても、これがスイカだとは教えられた今でも信じられない。そう思っていると、いきなり香織がニヤリと笑みを見せた。
「実はこれ、正確にはスイカの漬物じゃなくてスイカの皮の漬物なんだよ?」
「嘘っ!!」
香織の教えてくれた真実に思わず目を丸くしてしまう。またもや香織は俺の反応を見てニヤニヤしていた。どうやら彼女は俺の反応を見て楽しんでいるようだ。
「……でも確かに、赤い方……果肉が全然ないやつとかもある。スイカの皮とか捨てるしか無いと思ってた……」
「ほらほら、遠慮せずにいっぱい食べてね」
俺の反応が楽しかったのか、香織の母親が他のおかずまで勧めてきた。正直、もうお腹一杯だから入らないんだけど……。
「香織はね〜、せっかく遠いところからわざわざ来てくれた梓くんに美味しかもんば食べてもらおうと何時間も前から仕込んどったとよ?」
「ちょっお母さん!?」
香織が母親に赤くなった顔を見せた。俺のため、その言葉がなんだか心地良くて、俺は香織の母親に真剣な眼差しを向け、答えた。
「いただきます」
今ならなんだか満漢全席ですらたいらげられそうな気分になり、俺は片っ端から香織の手料理を味わった。
※ ※ ※
(まさか香織の手料理を食べれるとはなぁ……流石にしばらくは何もお腹に入れたくないけど……)
俺は洗面所で歯を磨きながらそんなことを思っていた。
何かできることはないかと夕飯の皿を洗うのを手伝い、終わったのがついさっき、時刻はまだ十九時を超えたあたりだった。
(正直、香織の手料理を食えただけでもここに来た甲斐があるってもんだな……)
そう思ったタイミングだった。
「あれ? 梓君?」
風呂場と廊下を隔てる扉が開けられ、中から寝間着とおぼしき格好をしている香織が現れた。何故か服を着ていることにほっとしている自分がいる。
この家は廊下に洗面台があり、その廊下の奥に風呂場があった。
俺は夕食前に入れさせてもらったんだが、中々に広いお風呂で、すごく落ち着ける空間だった。
首にタオルを巻き、濡れ髪状態の彼女は、風呂上がり独特の色香を放っており、俺は彼女が洗面台に来るまで歯ブラシを持つ手が止まってしまっていた。
「そぎゃん見られると恥ずかしかとよ……」
香織は照れたようにはにかみ、頬を指でかいた。それを見た俺は慌ててうがいをし、洗面台を明け渡した。
「ごめんごめん、ドライヤーでしょ? すぐに片付けるよ」
「そぎゃん急がんでもよかとに……」
ボソリと呟かれた彼女の言葉は俺の耳に届くことはなかった。彼女は洗面台の近くに置いてあったドライヤーを使い、髪を乾かし始めた。
ドライヤーの風に乗ってお花の香りが鼻腔をくすぐる。そのせいでなんだかいけない気分になって、俺は慌てて彼女に背中を向けた。
「じゃっ、俺は部屋に戻るから! おやすみ!!」
背中越しにそう伝え、俺は旅行用の歯磨きセットを持って貸し与えられた部屋へと戻った。
二階に繋がる階段を上り、俺は階段のすぐ傍にある部屋に入った。
八畳程の畳が敷き詰められたその部屋には一組の布団が敷かれており、何故かそこには逸香が寝ていた。
慌てたせいで部屋を間違えたのかと思ったが、部屋の中には俺のトランクケースと見知らぬリュックがあった。最初に入った時はなかったから、おそらく一度帰った逸香が持ってきたリュックだと推測した。
(いやなんでここにそれ持ってきてんだ? てかなんで逸香がここで寝てんだよ! お前は香織の部屋でって話だっただろうが!!)
そんなことを言いたくても寝ている者には無意味なだけ。俺は一つ溜め息をついてから、歯磨きセットを手荷物用のバッグに入れ、代わりに昼間読んでいた電子書籍を手に持ち、部屋にあった座布団を外の窓に面した障子の近くに持っていき、それに座って電子書籍を読み始めた。
逸香が開けたのか、窓と障子は開けられており、夏だというのに涼しい夜風が風鈴の鈴を鳴らす。
心地良い音色が室内に響き渡る。
「……ここは本当に自然が多い場所なんだな……」
外の景色が目に入り、ひとりでにそう呟いてしまう。
東京にいた頃は喧騒でよく目を冷ましていたが、ここは電車の音も車の音も聞こえない。まぁ、蝉の合唱はこちらの方が鮮明に聞こえてしまうが、これも風物詩だと思えば悪いものじゃない。
俺はスマホの音楽アプリを起動して、予め入れておいた音楽を流し、両耳にワイヤレスのイヤホンをさそうとした。
しかし、その行動は閉めていた引き戸がノックされたことで、中断される。
「私だけど……ちょっとお邪魔してもいいかな?」
引き戸の奥から声が聞こえて、俺は驚きで目を見開く。
「ぇ……別に構わないけど……」
そう答えると、引き戸が開かれ、ポニーテール状態の香織が部屋に入ってきた。
「せっかくだからお酒を片手に梓君と喋ろうと思って……ってなんでいっちゃんがここで寝てるの!!?」
「それは俺が聞きたい」
布団を蹴って無防備な格好で寝ている逸香を指差しながら、こちらに驚いた表情を向けてくる香織。正直俺が起こしても良かったんだが、色々と騒がれても面倒だったので放置した。
流石の香織も俺が何かをしたと疑っている様子もなく、持っていたビールの六缶セットを畳の上に置いて、しゃがんで逸香の肩を揺すり始めた。
「いっちゃん起きて。いっちゃんが寝るとこは私の部屋でしょ」
「かおちゃんはあたしがまもりゅけん心配せんでよかよー」
近付いて上から覗き込んで見れば、目を閉じてよだれをたらしながら幸せそうな表情で寝てらっしゃる。どうやら寝言のようだ。
「……もう、こんなとこで寝てたら別の意味で心配だよぅ……」
「えっ、心配って何が?」
ボソリと聞こえた香織の呟きについ反応してしまうと、香織は真っ赤になった顔で慌てて首と手を横に振ってきた。
「ちっ、違うよ!? 別にそんなつもりじゃなくてね!! えっと……そう!! 梓君がいっちゃんを襲うかもしれないでしょ!?」
最後の言葉がグサリと来てしまい、俺は彼女に項垂れて見せた。
「……香織はまだ俺が逸香を襲うと思ってる訳?」
半分冗談のつもりで告げたのだが、香織はしんみりとした様子で口を開いた。
「えっと、別に今更梓君を疑ってる訳じゃないんだよ? だって……ほら、梓君もいっちゃんもお酒入ってるでしょ? お酒で理性を失って一夜の過ちだってあるかもしれんし……そうなったらきっと責任感の強い梓君は……」
(あっ、これ、冗談とかじゃなくてまじで心配されてるやつだ……)
しんみりとした空気が辺りに漂うと同時に暫しの沈黙が訪れる。
正直、俺はお前以外の女に手を出すつもりはないとかっこいいセリフが吐けたなら、きっと彼女も少しは安心してくれるのだろう。だが、生憎俺はそんな漫画の主人公染みたセリフを吐く度胸はない。というか、そんな度胸があればとっくに告白してるし、彼氏彼女を超えた関係になれていたかもしれない。
まぁ、今の俺と香織の関係は友人、良くて親友といったところだろう。そんな間柄でそんなことを言えば、関係を断たれる可能性だってあり得る。
警察官となって最初に学んだ教訓は、自分の一方的な愛を相手が受け入れるとは限らないということだ。いくら親しいと感じていても、相手がこちらに対して恋愛の感情を取得しているとは限らない。
だから、人に好きと告げるのは怖いのだ。
「……非番だけど、一応警察官として市民に対して性的暴行は加えるつもりはないよ。酔っぱらっていることをいいことに彼女で童貞捨てようなんて思っちゃないから安心して」
「……本当?」
我ながら格好悪いセリフだなと心の内で自虐する。
そんな俺に対し、香織は何故か涙目になりながら上目遣いでこちらを見てきた。
そこまで不安そうに聞いてくるほど俺って信用無いんかね?
「香織相手にも無理矢理迫るつもりはないから安心していいぞ?」
俺は自分の信用の無さに落ち込んでいるのを隠しつつ、彼女に向かってそう告げた。すると、香織は目元を指で拭ってこちらに笑みを向けてきた。
「良かった。梓君が梓君のままで居てくれて」
不意打ちの笑顔で顔が紅潮していくのを感じる。俺はそれを誤魔化すように彼女から目を逸らし、頬を指でかいた。
「ま……まぁ、それはそれとして逸香は連れ帰ってね」
「あはっ、了解」
彼女は俺に向かってそう言うと、再び逸香を揺すり始めた。
正直、自分の言葉を実行できるか不安になってくるから、その笑みはこちらに向けないでほしいな。
鉄火市の今日の熊本弁講座〜!!
ここまで読んでいただきありがとうございます。
このコーナーは、鉄火市があとがきになに書くかな〜って迷った結果、本作の舞台となっている熊本の方言を簡単に解説していこうと思い設けられた誰得コーナーである。
第3回の方言は「そぎゃん」についてです。
この方言は、そんなという意味で使われております。今回香織が使ってましたが、熊本県民もよく使う方の方言だと思います。
使い方は、そぎゃんこと言ったってしょうがないじゃないか。みたいな?
ちなみに、本作で登場したすいかの皮の漬物は熊本県民なら一般常識と言ってもいいくらい有名で、子どもも大人も美味しく味わえると思います。
実際には、食べた後のものを使ったり、食べる前に赤身を削ったものを使ったりと家によって様々ではありますが、私は先に削る派です。
何故なら赤身が多くて好きだからw
熊本に来たなら是非食べてみてください。
それではまた次回!! お会いしましょう!!