鎮魂の舞
「どういうことだ?」
突然舞えないと言い始めた香織に対し、怒りの感情が無いと言えば嘘になる。だが、彼女の様子から察するに、臆したからとか失敗するかもという理由ではないようにおもえ、俺はその理由を簡潔に訊ねた。
「私は確かに美香さんから巫女の舞と鎮魂の舞は習ったよ。……でも、鎮魂の舞は一人じゃ舞えない舞、先代巫女と当代の巫女で舞わなくちゃいけない舞なの!!」
彼女の言葉を聞き、俺は舞台の方に目を向けた。
そこには男物のシャツと赤ちゃんサイズの服、そして、先代の巫女である佐川美香さんが着ていた白衣と緋袴があった。
……じゃあ、舞での解決は望めないってのか?
急に目の前がぐにゃりと歪んで、足元が覚束なくなるが、すぐに足に力を入れ直し、なんとか踏みとどまる。だが、解決の手段が思いつかない。
「伝承では、五百年前に女性が残した書物はさっきのあれ一冊だけだってあるんだけど、実際はもう一冊あって、弥吉さんって人の家にいつの間にか残されていたさっきの書物と、当時の領主だった深山さんの御先祖様に渡された一冊、それがここにあるの。その書物には舞のやり方や歌の文とかが書かれていて、万が一の為に舞えるよう仕込まれてる……けど、二人で舞わなきゃ意味が無いって……」
「…………二人? それってつまり、もう一人が必ずしも巫女である必要は無いってことか?」
「えっ……そりゃ、巫女じゃないと舞なんて……」
そこで彼女はようやく俺の言わんとしていることを理解したらしく、逸香の方に顔を向けた。
そちらを向けば、逸香は戸惑った様子で俺と香織を交互に見始めた。
「……もしかして……あたしに舞ってって思いよっと?」
「もしかしなくてもお前以外に適任者はいない。例え嫌って言っても舞ってもらう」
「だけどあたしは巫女服なんて持っとらんし……」
「そこに落ちてるだろ?」
逸香は俺の言葉で、指差した先にある佐川美香さんの巫女服を見た。
その表情には、まだ戸惑いがあるように見えた。
「いいか、逸香。お前が舞わなきゃ俺も香織も逸香も全員が死ぬ。脅しのようにも聞こえるが、これは事実だ。腹を決めろ」
「そうだよ!! それにいっちゃん言っとったじゃなかね。いつかお母さんに上手な舞ば見せるって。きっと天国でお父さんとお母さん、それに矢車のおじさんが見とるよ。頑張れってきっと応援しとらすよ!!」
逸香の内心はわからない。
俺にはテレパシーなんていう便利な能力は無いからな。
だが、その表情から読み取れる情報はいくつもある。
その見開いたまま瞬きをほとんどしない目は驚きを現し、額から流れる汗は刻一刻と迫るタイムリミットに焦っている様子を示す。
だが、それも全て俺の想像に過ぎない。
彼女の深層心理を読み解くことなど俺には不可能なのだから。
沈黙がここら一帯の空気を張り詰める。
そして、そんな空気を壊したのは、逸香のこの言葉だった。
「最後に舞ったとは二年前だけん失敗するかもしれんばい? それでも良かと?」
その決断は簡単じゃなかったはずだ。
一度はその舞台を諦め、恨みで汚そうとした。
そんな場所に舞手として上がるのに、どれほどの葛藤があっただろうか。
状況が状況なら、罪の意識で辞退したのかもしれない。
後悔が彼女の背中を引かせたかもしれない。
それでも彼女は、俺達の為に、決断してくれた。
「やらないよりましだ。それに俺は、香織と逸香を信じてるから、何も心配してないよ」
俺は彼女にそう告げてから、時間を確認した。
針は十時五十七分を指していた。
「……急いだ方が良さそうだ。俺は二人の邪魔にならないよう階段のところにいる。例え何が来たとしてもアリンコ一匹通さないから安心して舞ってくれ」
着替える必要があるというのなら、ここにいるのは宜しくないだろう。その為、階段に向かおうとしたその時だった。
「あんがとね。ここまで助けてもらって」
その言葉を背中越しにかけられ、俺は二人の方に顔を向けた。
どういたしましてと、いつもならそう言っていたのかもしれない。だが、今は相応しくないように思えて、俺は一度口をつぐんだ。
そして、改めてこう告げた。
「それはこっちのセリフだ。三人が居てくれたから、俺は今ここに立っている。最後の大仕事、次会う時は、全てが終わった時だ」
※ ※ ※
階段を降りていった梓の背中を見て、思う。
彼に会えて良かった。
梓がおらんかったらかおちゃんとも仲直り出来とらんかっただろうし、間違いなく罪の重さに耐えきれんで死んどったと思う……。
「……梓のせいって言ったの、謝らんとね……」
「ん? なにか言った?」
「なんでもなかよ。ちょっと着替えてくっね」
「てか、美香さんの服、サイズ合うの? 特に胸」
「心配なかよ。美香さんはいつもあればしとったど?」
美香さんに初めてあれを着けさせられた時は苦しいって思っちゃったけど、何度も着けていく内に習慣になっちゃったあれ。久しく着けとらんかったばってん、やり方は体が覚えとった。
あたしは美香さんの服の仲直りからさらしを取り、その場で脱いだ服を適当に置き、しっかりと胸に巻いた。
なんだか以前にした時よりも苦しかったけど、もしかして太ったとやろか?
「どうかしたと?」
「いや、ちょっと……羨ましいなぁって思っただけ……」
赤くなった頬を指でかきながら意味のわからないことを言ってくるかおちゃんに首を傾げてから、あたしは手早く他の服も着替えた。
この服を着て舞台に立つのがずっと昔からの夢だった。
この状況じゃなかったら感慨深いもんがあったかもしれん。
「どぎゃんことがあっても舞は辞めちゃいかんよ!!」
神門さんやあたしの服を舞台の外に出し終えたかおちゃんはあたしの横に来て、その言葉に黙って頷いた。
「あたしに合わせようとか考えたらいかん。ここまで努力してきた自分ば信じて舞え!! 日を跨ぐそん時まで、あたし達がやる事は一つ。ただ全力で舞い続けることだけばい!!」
鉄火市の今日の熊本弁講座〜!!
このコーナーは、鉄火市があとがきになに書くかな〜って迷った結果、本作の舞台となっている熊本の方言を簡単に解説していこうと思い設けられた誰得コーナーである。
第25回の方言は「んま」について。
この方言は馬という動物の読み方です。
馬は方言無しだとうまと呼ばれますが、熊本弁だとんまになるそうです。
語源は中国語の発音(ma)からだとかなんとか。
しりとりの数少ない"ん"から始まる単語なので覚えておくと案外便利かも(笑)
それではまた次回!! お会いしましょう!!