再度の襲撃2
俺は完全に閉めきっている玄関の引き戸が壊させないように押さえていた。
どうやらあの靄は、ここを完全に閉めきっていれば中には入れないようで、先程から鋭い体当たりを繰り返していた。
このまま攻撃され続ければ、破壊されるのは時間の問題だった。
「それじゃ三人とも、作戦通りに頼む」
俺は少し離れたところでこちらを見ていた三人に声をかける。
「本当に大丈夫なんだよね?」
香織が心配してくれるが、この策を遂行する以外に思い浮かばなかったんだから仕方ない。かなり運頼りな気もするが、やらないで全滅するよりかは微かな可能性にすがってみたい。
「心配すんな。絶対に成功する。だから早く行くんだ!! ぐっ……早くしないと作戦遂行の前に失敗しちまう!!」
そう言わないと香織は行ってくれないと思った。香織の優しくて心配症な性格は知ってる。それを俺も愛しく思う。でも、今だけは少しくらい俺を信じてもらいたかったな……。
香織は案の定、不安そうな表情をしながらも逸香達と共に行ってくれた。
あの靄がタイミング良く突進してくれたのが、緊張感が出て良かったのかもしれない。
この靄に人間の言語を知覚する能力があった場合、もしくは音以外の索敵方法があった場合、かなり分の悪い賭けになるが、そこは無いと願うしかない。
「そろそろかな……」
先程から度重なる突進を受けたせいか、扉も限界に近そうだった。だが、思った以上にもってくれたお陰で充分な時間は稼げた。
「こちとらあまり時間は使えないんだ。一発で成功してくれよ……」
再び突進が来た。
だが、押さえていたこともあり、扉が壊れることは無かった。
よし、これで数秒の余裕が出来た!!
俺はすぐさま廊下を駆け、先程の広間に向かった。
広間へ行く最中、玄関の方から扉が壊れるような音が聞こえてきたが、俺はそれに構わず目的の部屋まで突っ走った。
襖が崩壊したその部屋に入ると同時に、なにかがこちらに迫ってくる気配を感じ取った。
だが、俺はそれに構うことなく網戸の元まで行き、勢いよく開けた。
それと同時だった。
壊された入口に、例の靄は存在していた。
「さっさと諦めてくれたら楽だったのに……」
そんなことをぼやきながら、俺は手に持った懐中電灯の明かりを点け、外に出た。
外は暗く、部屋から漏れる光と月の淡い光だけがそいつを照らす。
先程よりも明らかに見えにくくなっていたが、注視すれば見えない程では無い。
さて、後は予定通り注意を惹きつけていれば……。
そう思っていると、急に靄が凝縮され始めた。
なにか攻撃がくると身構えるが、一向に攻撃を仕掛けてこない。
そして、目の前にいる靄は、ものの数秒たらずで、赤い双眸を爛々と輝かせる人型の状態になった。
「靄人間……って訳じゃないよな? お前はいったいなんなんだよ……」
『人間……』
答えを期待しての言葉では無かった。むしろ、独り言で告げたつもりだった。
しかし、それは口を開いた。
先程まで無かったはずの大きな口が言葉を紡ぐその光景を見て、俺は冷や汗が止まらなくなった。
訳がわからなかった。
子どもの声にも聞こえ、そう思うと老人のようにも思える。女か男かも断定出来ない。いや、違う。これは複数の人が同時に同じ言葉を投げかけてくる感覚に近い。
『我の邪魔をせぬというのなら、お主だけは生かしておいてやる』
「……あなたが書物にあったモヤビトで間違い無いんですかね? 日本語喋れるんでしたら会話で解決してもらえると助かるんですが……」
『否、我は代行者、裁きを下す者。食ろうた人間の知識を得たが、お主の情報はここ二日のものしか存在せぬ。我の邪魔をしてばかりで気にくわんが、元よりお主に興味は無い。即刻立ち去れ』
「そりゃ帰してくれるっていうんなら願ったり叶ったりですけど、あなたがなにをしたいかで答えを出したいと思います」
『我の目的は一つ、我の娯楽を汚したあの娘二人に報いを受けさせる』
……やっぱり二人を狙ってたのか。
「だったら提案は受けない。俺はお前から二人を守って皆で東京に帰る!! お前の思い通りには絶対にさせない!!」
直後、モヤビトの代行者から強烈な怒りの感情を肌で感じ取った。
『図に乗るなよ、人間如きが!!!』
目の前で靄が広がり、俺を包み込むように襲ってきた。
だが、その動きは直後に轟いた銃声によって静止した。
『あっちに件の娘がいるのか……ん? どこへ行った?』
代行者の様子から察するに、どうやら銃声に気を取られて見失った俺を探しているように見えた。
喋りかけてくるという想定外な出来事があったせいで少し予定は狂ったが……まぁ、問題は無いだろう。俺から意識を一瞬でもそらすことが出来たなら、それで充分だ。
隠れることに徹した俺を見つけることが出来なかった様子の代行者は、暫くすると、銃声のした方へと向かっていった。
代行者が完全に見えなくなったのを確認し、俺は庭園の片隅にあった大きな岩影から姿を晒した。
「見つからなかったのは俺に興味が無かったから本腰を入れて探さなかったからか、それとも銃声に気を取られすぎて本気で見失ったからなのか……わかんないけど、とりあえず急いで合流するか……」
俺は既に五十分になろうとしている時計を確認してから、三人との合流地点に向かって走った。
※ ※ ※
俺が向かった先には、既に三人の影があった。
「お兄さん!!」
「梓君、無事だったんだね!!」
あらた君と香織の二人が嬉しそうに駆け寄ってくれるが、俺は二人に向かって人差し指を立てた。
「静かに!! まだ逃げ切れた訳じゃないんだから大声厳禁。あいつが仕掛けに気付く前に急いで神社に向かうぞ!!」
二人に聞こえる程度の小声で嗜める。
あんな急ごしらえの穴だらけな策なんて、もっていいとこ数分程度。その前になんとしても神社につかなくてはならなかった。
俺が三人に提案した策はこうだ。
まず、あの靄に玄関の扉を壊させ、その間に三人には玄関から一番近い別室に隠れてもらい、壊れた扉から入ってきた靄を俺がひきつけている間に、静かに玄関の方から出てもらう。
そして、一人離れた俺はというと、あえて音を立てながら走り、靄をあの部屋に誘導する手筈になっていた。
もちろん、俺がこの囮をした理由は、自己犠牲の精神という理由だけでは無い。
身体能力の低い香織やあらた君を使うのは論外だが、逸香にも充分可能な策だ。土地勘のある彼女なら、例えはぐれたとしてもすぐに合流できただろう。
だが、彼女にはやってもらわないといけないことがあった。
俺が外に出た後、香織とあらた君の二人には安全そうなところに隠れてもらって、逸香がそこから少し離れた場所で期を見て発砲する。
発砲後は速やかに銃を捨ててその場から音をあまり立てずに移動し、二人と合流。
俺は靄が釣れたのを確認してから、三人との合流地点に向かう予定だった。
相手が蛇のように熱探知するような化け物だった場合、こんなにうまくはいかなかっただろう。ただ、お陰でわかったこともある。
あの代行者とかいう靄は、視覚機能が無い。要するに、あの赤い双眸はハッタリ以外の何ものでもない。
じゃなかったら、こっちを見ている状態で俺が隠れ通せる訳が無いからな。
あいつにとって、俺は優先順位が低いんだろうが、それは殺れる時に殺らない言い訳にはならない。
「うっ……」
「お兄さん、大丈夫ですか!?」
走っているせいで胸の辺りが痛み、俺は思わず顔をしかめてしまう。足もふらつくように止まり、立つだけでやっとだった。そんな俺を心配してか、あらた君と香織が駆け寄ってくる。
思った以上に重い攻撃をもらってしまった。
「待ってて、すぐに治療を……」
「そんな時間はっつ……」
「動いちゃ駄目! 傷が悪化しかねないよ!!」
急いで行かなくちゃいけないのに、よりにもよって俺が足を引っ張るなんて……。
自分の脆弱さに苛ついていると、不意に嫌な予感を覚えた。それは先程も感じたあの代行者と名乗った靄のからみついてくるような殺気。
声を出そうとした時は既に手遅れだった。
振り返ると同時に、その靄は俺を治療してくれようとしていた香織目掛けて襲いかかろうとしていた。
また前みたいに体で庇う?
いや、体がうまく言うことを聞いてくれない以上、下手したら動いてくれないかもしれない。
だが、唯一すぐに動かせるものがあった。
俺は咄嗟の判断で、香織の腰に右腕を回して、彼女を靄の攻撃対象から外した。
この時の俺は、瞬間的に香織を助けることが出来て嬉しかったんだと思う。
香織が危険だと思った瞬間、彼女をどうやって守るかしか考えていなかったのかもしれない。
いや、言い訳はやめよう。
俺は単に、間違いを犯してしまった。
靄の攻撃は一点特化の強力な攻撃、それで俺は香織をその攻撃から守った。
だが、彼女しか守れなかった。
香織の隣にいた彼を……
香織がいなくなったことで攻撃対象になってしまったあらた君を、俺は守ることが出来なかった。
※ ※ ※
「……ぇ……」
恐怖よりも先に出たのは驚きの言葉だった。いきなりすぎて何がなんだかわからなかった僕の体を、気持ち悪い感触が襲う。
「あらた!!」
「あらた君!!」
逸香お姉さんとお兄さんが、僕を見て今にも泣きそうな顔で叫んでる。
そこで初めて理解した。
あぁ……僕はもう死ぬんだなって……。
鉄火市の今日の熊本弁講座〜!!
このコーナーは、鉄火市があとがきになに書くかな〜って迷った結果、本作の舞台となっている熊本の方言を簡単に解説していこうと思い設けられた誰得コーナーである。
第22回の方言は「ぎゃんいって、ぎゃんいって、ぎゃんいけばよか」について。
この方言は、こう行って、こう行って、こういったらいいという意味で使われ、要するに道案内で使われる方言ですね。
私は以前、道案内で山梨出身の友人が迷っていたので、携帯のマップ機能を見ながら、これを使って更に困惑させた過去があります。
それではまた次回!! お会いしましょう!!