如月逸香という女性
先程まで健やかな寝息を立ていたはずのあらた君がもう起きてきたことにも驚くが、それよりも驚かされたのは彼の告げた言葉だった。
「……今、鍵を開けれるって言った?」
「はい、お義父さんが自分に万が一のことがあっても大丈夫なようにってダイヤルキーの数字が書かれたメモの置き場と番号を教えてもらっています。番号はうろ覚えだし、試したことはありませんが、まず間違いなくそれかと……」
義理とはいえ、あらた君も村長の息子だ。
村長が大事な金庫のパスワードの在り処を教えていてもおかしくはないが……
「どこから聞いていたのかは知らないが、これは最低限訊いておくべきだろう。あらた君、君は村の外に出てても……」
「僕もこの村に残ります!!!」
彼にも逸香と香織におこなったのと同様の質問をしようとした。いや、より正確に言うならば、村の外に出ていた方がいいという選択肢を魅力的にした状態で提示しようとした。
しかし、あらた君は俺が全てを訊く前に、俺の言葉を遮ってまで自分の意見を真正面からぶつけてきた。
その瞳は決意に溢れており、俺は息を飲んで再度訊こうとした。しかし、またしても彼は、俺より先に口を開いた。
「僕にも協力させてほしいんです!! 危険なのもわかってます。お兄さんが僕のことを気遣って逃がそうとしてくれているのも本当に嬉しいです。……でも、僕は自分一人だけで生きたくないんです!! ずっと皆が戻ってくるのを待つなんて嫌なんです!!! 僕がいたって邪魔なだけかもしれません。いなくなった方がマシなのかもしれません。でもでも、僕だって皆の役に立ちたい!! もう守られるだけは嫌なんです!!!
あらた君は全てを告げ終えたのか、こちらを見てきた。
目を逸らすことなく、最低限のまばたきしかしない彼の様子を見て、俺はすぐに答えを出すことが出来なかった。
俺の中の良心が、彼の覚悟を受け入れるべきだと言う。
だが、俺の中の冷静な俺が、彼を村の外まで逃した方がいいと言う。
感情で決めていい案件じゃない。
判断を一つ間違えれば、この中の誰かが死ぬかもしれない。
彼の力は必要だ。彼がいれば、この事件を解決する方法に辿り着けるかもしれない。逆に、彼の手を拒めば、彼が協力的に動かなくなる可能性もある。
俺は目を閉じ、熟考する。
その間、俺の耳には呼吸の息遣いと、つばを飲み込む音だけが聞こえてくる。
そして、俺は答えを決めた。
決めた今でもそれが正しいのかどうかわからない。
それでも俺は立ち上がり、あらた君の元まで歩いていき、彼の目を正面から見据えた。
緊張や怯えの様子が彼から見て取れ、俺はそんな彼に告げた。
「どんなことがあっても絶対に俺の指示には従ってもらう。それが出来ないんだったら無理矢理にでも君を村の外に連れて行く。…………約束できるか?」
「はい!!」
彼の真剣な眼差しに喜びの色が浮かぶ。だが、俺は素直にこの展開を喜べなかった。
これで本当に良かったのだろうか?
俺は彼の覚悟を都合よく利用しているだけじゃないんだろうか?
自分に都合よく解釈して、彼をここに残るよう誘導していたんじゃないだろうか?
その真意は俺自身にもわからない。
だが、そんなことを悠長に考えている場合では無かった。
「そういう訳で、あらた君も連れていく。各自、長袖の衣類と手袋を着用、そして各々の準備が終え次第、すぐに深山宅へ伺う。出発時刻は二十一時四十分を目安にしよう。異論は? ……無いならすぐに始めよう!!」
※ ※ ※
「……あたしはどうしたらいいとやろうか……」
あたしの口から漏れたその言葉に返事をくれる者はいない。
何故なら仏壇に飾られた両親の写真が喋るはずが無いのだから……
いつもなにかと嫌なことがあったら、そん度にこうして二人に報告してきた。
かおちゃんが東京に行った時も、次代の巫女がかおちゃんに決まった時も、決まってここに来た。
そして、そん度に、師匠があたしば慰めてくれた。
……でも、もうその師匠はいない。
あの優しかった師匠はもう何処にもおらん。
『俺がずっと傍に居ってやるけん。寂しくなったらいつでも呼べよ』
寂しくて泣いていた時、あたしの頭を撫でながらそう言ってくれた師匠は、あたしのせいで死んだ。
「あたしが一瞬でもあんなことばしようとしたけん……」
あたしに優しく厳しく舞ば教えてくれた美香さんが死んだ。
いつもお節介ばかけてくる隣のおばさんが死んだ。
両親を亡くして一人になったあたしば支えてくれたかおちゃんの両親を始めとした村の皆が死んだ。
全員、あたしが殺したようなもの。
本当はあたしに生きる資格なんて無か。
「ここでなにしてんだ?」
急に後ろから声をかけられて、あたしは振り向いた。
そこには左手に父ちゃんが使ってたと思われる刀ば持った梓が立っとった。
「って、仏壇の前でやることなんて決まってるか……」
右手で頭をかいた梓はそう言うと、あたしの右側に正座してきた。
なんのつもりなのか?
普通にそう思った。
梓はあたしらに長袖の服ば着るよう言っとったとに、未だに半袖のままだった。
そして、再び刀に目が映る。
「刀ば壊したと?」
そう聞いたら、梓は理解出来てないのかこちらに向かって首を傾げてきた。
「……壊してないと思うけど……」
「でも父ちゃんが使っとったやつは鍔がちゃんとついとったよ?」
「あぁ、なるほどね。これは白鞘って言うんだよ。鍔は着いてないけどれっきとした刀だよ。香織が持ってきたからここので間違い無いと思うんだが?」
そう言われて見れば、確かに鞘とか色んなところが十数年前より違うように感じた。でも、うちに刀はそれしか無かったはず……。
「それにしても、お前偉いな」
「……は?」
何故かいきなり褒めてきて、あたしは訝しむように彼を見た。でも、梓は本気で感心しているように見えた。
「だって親父さんの刀をきちんと手入れしていたんだろ? 白鞘は普通のより錆びにくいようにできてるんだけど、適度な手入れは必須だ。そんで、この刀は見れば見るほど丁寧に手入れされていて、錆一つ見つからない。ずっと見ていたくなるような刃の紋様には塵一つついてない。相当大事にしていた証拠だ。まぁ、こんな良い刀を使っていると申し訳なくなってくるけどな」
「あたしは……」
あたしは手入れをしていない。そう答えようとして、あたしの脳裏に一つの憶測が過る。
この家にいつでも出入り出来て、そのうえ刀の手入れが出来る人物など一人しか思い浮かばなかった。
まさか……いや、それ以外考えられんかった。
「どうした? 急に泣いたりなんかして、なんか俺、変なこと言ったか?」
その言葉で自分の目から流れとった涙の存在に気付いて、慌てて拭った。
「な……なんでもなか!! そんなことより用件はなんね!!」
「……別に言いたくないならいいけどさ。ちなみに俺は、貴方の娘さんと仲間を助ける為にもう一度自分にこの刀を貸してくださいって、逸香の親父さんに言いにきたんだよ」
そこまで告げると、梓は目を閉じて、仏壇に向かって手を合わせ始めた。
その横顔は真剣そのもので、それを見ていると、自分の中にある心臓が大きな鼓動を鳴らしているのを感じ取った。
……ほんと、なんでよりにもよって、梓なのかな……。
「それじゃ、俺も準備してくるから、逸香も早くしとけよ」
すくりと立ち上がった梓は、あたしに背ば向けてこの部屋から去ろうとした。そんな彼の背中に向かって、あたしはずっと手元に置いていた服を投げた。
彼の反応は想定以上に早かった。
梓は振り返ると同時にあたしの投げた服を受け取った。
「これって……」
「そぎゃん薄かシャツ一枚で何ば守るんね。これば着ときなっせ!!」
「……でも……」
あたしの方ば見とる梓の顔は、明らかに驚いとった。
それもそんはずばい。梓に渡したとは、師匠が毎日のように着とった法被、その中でも一番大切にしとった市松模様の法被なのだから。
「これって矢車さんの形見なんじゃ……」
そんとおりだった。
でも、梓になら……あたしが認めた彼にだったら、この大切な法被を託してもいいと思えた。
「……そうばい。それはあたしが師匠から貰った大切な大切な宝物……だけん、事件ば終わらせるまで貸しとってやるけん、終わったらちゃんと返しにこなんけんね。返しんこんかったら、絶対許さんけん」
「……わかった。ちゃんと返す。だからお前も死ぬんじゃないぞ」
真剣な眼差しがあたしを射抜く。
その表情がとても頼もしく見えて、あたしは自然と笑みを向けることができた。
梓が去っていくと、あたしは我慢しとった涙が目から頬を伝うのを感じた。
どうにもならない。
彼はあたしの大切な親友の好きな人、そして、彼の目もあたしを見ていない。
彼は優しかけん、あたしば助けてくれた。
ただ……それだけ。
……それだけのはずなのに、あたしはなんでこんなに辛か思いばしとっとやろか。
最初からわかっとったはずなのに、なんで……。
「……あたしは酷か女ばい……」
あたしは最初からその土俵には上がれていない。
上がろうと思うには、明らかに遅すぎた。
だから、あたしは諦めよう。……でも……
「彼ん無事ば祈るくらいやったら……かおちゃんも許してくれるよね?」
鉄火市の今日の熊本弁講座〜!!
このコーナーは、鉄火市があとがきになに書くかな〜って迷った結果、本作の舞台となっている熊本の方言を簡単に解説していこうと思い設けられた誰得コーナーである。
第19回の方言は「なおす」について。
この方言は、しまうという意味で用いられており、九州だけでなく多くの地域で使われている方言です。
何故このなおすを今回採用したのかといいますと、実は以前こんな経験があったからなんです。
数年前、私が静岡に行った際、長野出身の友人相手に「携帯なおした方がいいぞ」と注意したことがありまして、私自身は方言を使ってるつもりはまったく無かったんですが、どうやら相手には上手く伝わってなかったみたいで、お互い険悪な空気になった訳ですよ。
そしたら、福岡出身の父を持つ山梨出身の友人が私の意図を察してくれたらしく、長野の友人に対し、「しまえって言ってるんだよ」と言ってくれたお陰でなんとか事なきを得ました。
彼女がいなければどうなっていた事か……言葉の壁って本当に怖いですよね。
それではまた次回!! お会いしましょう!!




