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モヤビト  作者: 鉄火市
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強敵


 こちらに向かって一歩ずつ確実に歩を進める矢車さんは、他の靄人間とは一線を画す強さだと遠目からでもわかった。

 先程まで止まることの無かった靄人間達ですら、その場に留まり、彼に道を譲っている。


 さり気なく逸香の横に立ち、彼女の表情を横目で確認した。

 その顔には明らかに動揺の色が浮かんでいた。


 一目で彼女に彼の相手は無理だとわかった。

 だが、俺でも彼の相手は難しいと言わざるを得ない。


 まず第一に、俺は半袖のシャツにジーパンという戦闘に適した服では無い。車はここにあるものの、こんな事態を想定して戦いやすい衣類を置いているなんてことはなく、ましてや獣の血の匂いが充満した車内に服を置きっぱなしにはしたくなかった為、衣類は全て香織の家にある。

 普通の靄人間ならこの衣服でも対応可能だったが、相手が矢車さんとなっては話は別だ。

 それだけではない。

 俺が持つ装備は真ん中からぽっきりいった木の棒のみ。

 日本刀があっても厳しい相手と判断した彼を相手に、こんなクソ装備でどうやって戦えばいいと言うのだ。

 そのうえ直接触れれば即ゲームオーバーときた。


 行けば、まず間違いなく彼らの仲間入りを果たしてしまうことだろう。


 ならば取れる策は一つ。


「梓、かおちゃんとあらたば連れて安全なところに逃げなっせ。こん人は……あたしが引き受ける!!」


 逸香が俺の前に手を出し、俺の考えていた逃げの策を提案してきた。

 確かに逸香は戦うことを想定してだろうが、長袖の服に長ズボン、おまけに革手袋という装備をしている。

 武器無しの近接戦闘においても、俺なんかよりよっぽど強い。


 まず間違いなく、彼女が残った方が良いと俺の冷静な思考が突きつけてくる。


「馬鹿言うな。命懸けの現場で民間人を置いて逃げるなんて真似、出来る訳無いだろ。やるなら俺があの人を引き受ける」


 彼女の右肩を後ろに引き、俺は彼女の前に立った。


 怖くないはずが無い。

 勝ち目があるなんざ思っちゃいない。

 それでも前に立って民間人を守るのが、警察官としての俺の矜持だ。


「絶対勝てるはずがなか!!」

「そんくらい俺にもわかってるさ。でも、今の身軽な格好なら、彼の攻撃を避けれるかもしれない。もちろん、彼が他の靄人間同様弱体化されてたらの話になるが……」


 あの時、神門(みかど)さんの動きは確かに他の靄人間と比べれば速かった。だが、それは人だった頃には遠く及ばない。

 刹那の一瞬で俺達の前に現れた俊敏な動きは、靄人間になった直後は見る影も無かった。

 だが、それがこの矢車さんにも適用されるのかと聞かれれば、俺はわからないと答えるしか無い。

 楽観視では無い。

 そうで無ければ俺が無惨に殺されるだけの話。


「それに、今は香織が刀を探してるんだろう? 刀さえあれば勝てる可能性が出てくる。今度は死のうってつもりは毛頭ないから心配すんな!!」

「………………わかった。他ん人達はあたしが引き受けるけん、梓は師匠を頼むばい。……でも、今度全てば投げ出して死のうとか考えたらうちころすけん。覚悟せにゃんよ」

「はは……そりゃ勘弁願いたいわ」


 逸香の顔を見ることなくそう告げて、俺は一歩、矢車さんに近付いた。


 互いに一歩ずつ近付いていくと、すぐに互いの攻撃が届く間合いになった。


 先手必殺ーー


 俺は半分の長さになってしまった棒を居合のように左腰に当て、瞬時に引き抜く動作をした。

 しかし、俺の持つ棒きれが矢車さんに当たることは無かった。


 腹部に受けた両手による掌底打ちが、俺の胃から消化しきれなかった食物を逆流させた。

 咳き込むその姿はとても隙だらけだったのだろう。

 足袋のつけられた彼の左足が俺の頭を容赦なく襲った。


 彼の下半身が衣類に包まれていなければ、今ので終わりだっただろう。

 脳が揺れる。だからといって立たない訳にはいかなかった。

 口の中に残っていた吐瀉物を再び地面に吐きかけ、俺は口元を乱暴に拭った。

 だが、俺はそこまで絶望していなかった。


 これならまだなんとか対応出来る。


 俺達を逃がす為、殿(しんがり)となって靄人間達と戦った矢車さんと比べれば、半分程のスピードに落ちていると思う。

 攻撃力に関しては今まで受けたことが無い為なんとも言えないが、少なくとももう一度もろに受ければ、今度は吐瀉物ではなく内蔵が口から出てしまいそうだ。

 おそらく棒の負担を減らす為に意識をそっちに割いたせいで付け入る隙を与えてしまったのだろう。

 防御の姿勢を取る暇さえ与えてくれなかった。

 靄人間になって多少弱体化しているはずなのに、まさかこれ程とは……。


 当たれば勝てる可能性があると欲張ったのが間違いだった。

 中途半端な攻撃はどうやら自分の首を絞めるだけらしい。ここはおとなしく避けに徹しておいた方が良さそうだ。


 ※ ※ ※


 この遠山梓って男は、不思議な男だ。

 かおちゃんのことが好きだけん手を貸してくれてるんだと最初は思っとったけど、こん男の一挙手一投足を見ていると、その判断に自信が無くなってくる。


 あたしん提案に乗っとけば、少なくとも三人は助かる。

 全ての元凶ば招いたあたしが責任を持ってせんといかん。例え相手がどんな人であろうと、あたしが頑張らんといかん。

 そんなあたしの覚悟ば無下にしてまで戦う理由が全然わからんかった。


 民間人ば置いて逃げたくない?

 そんな綺麗事の為にこん男は自分の命ば捨てっと?


 あたしの命なんて庇わんでよかとに……お前はかおちゃんだけば守っとけばよかとに……。


 でも、一番変なんはあたしたいね……。


 実力が違う。経験が違う。装備もボロボロ。

 絶対に勝てるはずがなか。


 それやのに……今も血を流して戦っとるあん男に、ほんの少し期待しとる自分がおる。


 このぐらいが読みやすいですか?

 今回の話は2千から5千以上の文字数で書いてますが、調整が難しいんです。

 読みにくいとかありましたらお気軽にどうぞ。


 鉄火市の今日の熊本弁講座〜!!


 このコーナーは、鉄火市があとがきになに書くかな〜って迷った結果、本作の舞台となっている熊本の方言を簡単に解説していこうと思い設けられた誰得コーナーである。


 第15回の方言は「うちころす」について。

 この方言は、殴るという意味で使われます。

 今回逸香が使っていたこの方言、実は使う状況を間違えてます。あまり使わない方言ですが、怒りにまかせて使う為、あのタイミングで言うことはまず無いと思います。

 あの状況で殴ると言いたいなら、うったくっぞと私なら言います。

 それでも逸香が梓に対し、あの方言を使った理由は、皆様のご想像にお任せします。


 それではまた次回!! お会いしましょう!!


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