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モヤビト  作者: 鉄火市
10/31

香織の想い


 この舞を舞うことが決まったのは、三年前の夏に里帰りした日の晩だった。


 突然、村長を始めとした村のおじいちゃんやおばあちゃん達が、次の舞で巫女をやってくれと懇願してきたあの日のことは、今でも覚えている。

 勿論、大学もあったから卒業までは待ってもらえたけど、卒業後はお父さんにこっちへ絶対に帰ってこいと言い含められた。

 学費の大半や仕送りまでしてもらっている以上、私に拒否権なんてものは無い。

 医者になら、祭が終わった後にでもなれる。

 でも、巫女の舞は今回を逃せば一生出来なくなってしまう。


 そう思ったから、私は、深山村に帰ることにした。


 でも、私の想定は一瞬で覆された。

 舞の練習を始めたその日に、私は先代の巫女である美香さんから、巫女の役割というものを教えられた。

 巫女の役割とは、祭事の際、神に捧げる舞を完璧に披露すること。そして、その後の十年間を村で巫女として暮らすことだった。

 それを聞いた瞬間、私は絶望して美香さんに問い詰めた。


『村の外に住んじゃ駄目なんですか?』


 美香さんは首を横に振った。

 例えどんな理由があろうと、村の外に一歩でも出ることは叶わない。それが絶対の掟だと、教えられた。

 中学卒業と同時に村を出た私は知らなかった。村にそんな掟があることを。

 一瞬、頭が真っ白になって、くらっときて手を床についてしまった。

 十八で巫女として舞った美香さんとは違う。

 私が舞う時には既に二十五歳。十年後に東京に戻ったら既に三十五歳。……そんな歳まで梓君が待ってくれるはずがない。

 私以上に良い人を見つけて、その人と結婚して幸せな生活を送っているに決まっている。

 巫女をすることよりも、医者としての道を目指すことよりも、私は彼の傍に居たい。

 彼と結婚して、幸せな家庭を築きたい。


『……だったら巫女なんてなりたくありません』


 逡巡した私がその結論を出した瞬間、美香さんは私の頬を引っ叩いた。目の前が明滅するほどの痛みに顔を上げれば、美香さんは泣いていた。


『私だって本当はあなたよりも適任な子を知ってる! でも、この二年間、何度も巫女を彼女にしてほしいって頼んでも爺さん達は口を揃えて駄目だって言った。この村で一番の美人があなただからって理由で、これまでの頑張りを否定された子だっているのよ!! あなたがどんなに嫌だと言っても未来は変わらない。あなたがやるべきことは一つ、全身全霊で舞って、あの子を納得させなさい!!』


 なんと理不尽なんだと素直に思った。

 でも、美香さんの気持ちがわからない訳じゃない。美香さんや他の候補者からしてみれば、私程身勝手な人はいないと思う。

 決定は覆ることはない。

 だから私は、その上で一つの結論を導き出した。


 自分が東京に行くのが無理なら、彼をこっちに呼べばいい。


 彼に手紙を送る際の緊張は言葉では言い表せない。でも、この機会を逃せば彼をこんな辺鄙な村に呼ぶ理由は無くなるだろうし、もう一生会えなくなるかもしれない。

 その考えは、私の背中を押してくれた。

 もしも彼が来てくれなかったら、彼にとって私はその程度の人間に過ぎず、この村に住んでもらうなんて到底有り得ない話になる。

 その時は諦めるしかなかった。


 手紙が届かない日は、色んな妄想が頭を働かせて、何度枕を涙で濡らしたことか。

 来る日も来る日もポストの中身を確認する日々。そして、来るという電話が家の電話にかかってきたその日は、久しぶりの彼の声に思わず涙が出て、絶対観に行くからと電話口で言われた時には抑えていた彼への気持ちが溢れてきて、その場で思わず好きだと打ち明けそうになってしまった。


 その日から、いつも以上に舞の練習にのめり込んだ。

 失敗してはならないという掟とか関係なく、梓君に私の頑張りを見てもらいたかったから。

 失敗する訳にはいかない。

 これが私の覚悟。

 ここを逃せば彼とは会えなくなるかもしれない。会えたとしても、互いに別の人を隣に連れて再会するかもしれない。


 それだけはどうしても嫌だ!!


 これが最期になるというのなら、せめて、この十年間の思いだけは彼に伝えたい。ずっと彼だけを見て、募り続けたこの思いだけはどうか、彼に伝えさせてほしい。

 でも、私にそれを成すための勇気は無い。


 だから神様……ほんのひと握りの……いえ、一欠片でいいから、どうか私に、勇気をください。


 ※ ※ ※


 いったいどれほどの時間が流れたことだろう。

 その幻想的な舞は見る者の目を奪い、その魅惑的な歌声は聴く者の心を奪う。彼女の舞を邪魔する不快音は無く、彼女の歌声は笛の音色に乗って木々をざわめかせる。


 願わくば彼女の舞をずっと見ていたい。


 俺は心の内で、そう思うことしか出来なかった。

 しかし、突然、舞は終わった。


 ガシャンと大きな音が辺りに響く。

 綺麗な音色を奏でていた佐川さんの表情は驚きに変わり、笛の音が止まる。

 それもそのはずだろう。

 香織が突然なにかに滑り、支えを失った彼女はそのまま顔から床板に転倒したのだから。

 気付いた時には勝手に身体が動いていた。舞台とレジャーシートの敷かれた場所には仕切りが存在しない。せいぜい十センチ程の段差くらいだろう。その程度では俺を阻むことはできなかった。


「香織!! 大丈夫か!!」


 香織の元に駆け寄り、呼び掛けるものの、彼女は蹲ったまま痛みに顔を歪めるだけで返事はしてくれない。どうやら咄嗟に腕で顔だけは守っていたようで、彼女は肋骨辺りを抑えていた。

 香織が苦しそうに片目を開けてこちらを見た。


「……大丈夫、だから……ちょっと滑った、だけだから……」


 彼女の様子を見れば医者でない俺にも一目で大丈夫ではないとわかる。俺は悔しさで歯を強く噛み締め、先程香織が転倒した辺りを確認した。


 そこには透明に近い液体を踏み抜かれた跡が広がっていた。


 まず間違いなく香織はそれを踏んで滑ったのだろう。

 それは要するに、この転倒は故意に起こされたものである証拠に他ならない。


 腸が煮えくり返ってしまいそうだ。

 医者になりたいという夢を断念してまで一年以上も練習していた舞を邪魔するなんて……到底許せるはずが無い。


(いや、犯人探しは後だ。まずは香織を病院に運ばないと!!)


 そう思った時、ふと違和感を抱いた。

 俺以外誰も駆け寄ってこないのだ。

 先程まで笛を吹いていた佐川さんの方を見れば、彼女は目の前で起きた出来事に信じられないといった様子で呆けていた。だが、レジャーシートに座っている村人達の大半が香織の心配よりも祭はどうなるんだとか、舞の中断にざわついている様子だった。

 ただでさえ、香織が転ばされて苛立ちが治まらないというのに、そんな彼らの反応を見ると感情が爆発しそうになった。

 俺が彼らに向かって怒鳴ろうとした瞬間、急に左腕を引っ張られるような感覚を覚え、振り返った。そこには気丈にも笑みを俺に向ける香織の姿があった。


「私は大丈夫だから……美香さん、ここを拭いておいてもらえませんか?」

「バカ言うな!! 外傷は無くても体の内側で怪我してる可能性だってあるかもしれないだろ!! もしかしたら肋骨にひびが入っている可能性だって無くは無いんだぞ!! まずはちゃんと病院に行ってちゃんと観てもらって、大丈夫ならまた舞えば……」

「それじゃ意味無いの!!」


 香織は声を荒げて、俺の言葉を無理矢理終わらせた。


「梓君が私の心配をしてくれているのは嬉しい。でも、私は舞わないと……」


 香織が痛みに顔を歪めながら立ち上がろうと足を力に入れた瞬間、レジャーシートの方から声が上がった。


「おい、なんだよあれ……」


 その声を聞いた瞬間、俺は無意識にその言葉を告げた男の指が指し示す場所に視線を向けた。

 男の指の先には夜闇に輝く灯篭があった。だが、彼の指差したものが灯篭でないことくらい見る者には自明の理だったことだろう。

 何故なら灯篭の周りに先程まではなかったはずの黒い靄のようなものが発生していたからだ。

 一瞬、灯篭の火が何かに燃え移って発生した火事かと思ったが、すぐにその考えは否定されることとなる。何故ならその靄が、指差していた男に襲いかかったのだ。


 煙のように襲いかかるのではなく、獲物に食らいつく蛇のように襲いかかる謎の靄。指差していた男はその場から動くことすら出来ず、されるがままに襲われた。

 その男のもの以外にも複数の悲鳴が響く。

 俺の目に映ったのは最前列にいたその男だけだったが、もしかすると同様の現象が他でも起こったのかもしれない。


「クソっ! なんだよこれ! うグッ……くる、し……タス……け、て……」


 男の身体に纏わりつく靄、それを払いのけようと男は必死に抵抗するも、それは無意味に終わった。やがて、靄が顔を覆うと、男は動かなくなり、その場に倒れ伏した。


「ひっ……」


 怯えるように息を飲んだ香織が俺の服にしがみつく。

 彼女が怯えるのも無理はないと言えた。正直俺だって目の前で起こっている異常事態に頭がうまく回らない。助けを呼ばなくてはならないはずなのに、俺は未知の恐怖で足が竦んで動けなかった。


「いや! まだ動かなくなったってだけで助かるかもしれないだろ!! 確認すらしてないのに、なに勝手に死んだって諦めてんだよ!! 佐川さん! すぐに救急車を!」


 彼の命を勝手に諦めてしまった自分を声に出して叱咤したのは、怯えて動けなかった自分を無理矢理にでも突き動かすべきだと理性が訴えかけてきたからだった。

 自分の浅慮に辟易している時間なんて無い。この状況で自分に出来ることは少ないかもしれないが、それでも俺は警察官になったんだ。

 こんなところで黙って諦観していたなんて部長に知られたら絶対殴られるに決まってる。


「私はちゃんと確認した。確かに確認したわ。五時半に見た時は確かに何も……」

「佐川美香さん!!」

「えっ、なに!?」


 佐川さんはまるで今までの出来事を見ていなかったかのような反応を向けてくるが、再び名前を呼ぶと、こちらにようやく気付いてくれたのか真っ青になった顔を向けてきた。


「緊急事態です。急いで救急車と警察を電話で呼んでください」

「えっ、でも……いえ、わかったわ」


 困惑していた佐川さんは俺に向かってしっかり頷くと、神社の中に走って向かった。


(あとは救急車が来るまでの間にできるだけのことをする)


 そう思った瞬間、俺の服にしがみついていた香織が真っ青になった顔で、震えながら俺の後ろを指差していた。


「ぁ……あれ……あれ……」


 要領を得ない彼女の声で俺は後ろを振り返る。だが、すぐに彼女の言わんとしていることがわかった。

 先程の靄に襲われた男が立っていたのだ。

 しかし、靄が消えた訳ではない為、服で隠されていないところには先程の靄が纏わりついていた。

 男の無事に心から安堵する声や、何が起こったかわからないで困惑しているかのような声が人混みから聞こえてきた。

 だが、それはすぐに、全てが悲鳴に変わった。


 なぜなら、靄に覆われていた男が付近にいた男をいきなり襲い始めたからだ。



 鉄火市の今日の熊本弁講座〜!!


 ここまで読んでいただき、ありがとうございます。

 このコーナーは、鉄火市があとがきになに書くかな〜って迷った結果、本作の舞台となっている熊本の方言を簡単に解説していこうと思い設けられた誰得コーナーである。


 第9回の方言は「たい・ばい」について。

 この方言は、〜だ、とかの意味で使われます。

 語尾での使用が目立ち、また、九州の中でも熊本や福岡でよく使われている方言ってイメージが強いかと思います。

 ちなみに、私の父は両親に電話をする際、おったいと使うので、最初はどこかになにかがいるって意味で使われているのかとも思いましたが、実は俺だという意味で使っていたらしいです。


 それではまた次回!! お会いしましょう!!


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