指切り
高校3年生の男子と、中学3年生の女子が一緒に仲良く自転車通学する光景は、はたから見ればどう映るのだろう。
友達関係? それとも――、友達以上の関係?
頭の片隅でそんなくだらないことを考えている自分はどうかと思う。
でも、私と一樹先輩に関していえば、そんなのはもう分かりきっていることで。
「よっ! 一樹」
「おっす」
「おっ、加奈の妹ちゃんじゃん、おはよう!」
「おっ、おはようございます……」
「おうおう一樹、女子と通学とか熱いね~」
「うっせえよ、ばーか」
「へへっ、じゃあ俺先行くわ」
「おう」
そう言って、一樹先輩の友達が去っていく。
「あっ! 一樹先輩おはようございます!」
「お~、おはよう」
「あっ、加奈先輩の妹ちゃん? え~と……、志保ちゃんだよね! おはよ~」
「おっ、おはようございます……」
「じゃあ、私先行きますね! 2人のお邪魔かと」
「あははっ、そりゃどうも」
そう言って、一樹先輩の、部活の後輩女子が去っていく。
一樹先輩と一緒に学校へ向かっている間、こんなやりとりをいくつか交わしていた。別に初めての事ではないし、一樹先輩と一緒にいるとこういうのはよくある。よくあることなのだけど……、今だに慣れない自分がいる。
ふと頭によぎる、さきほどの会話の一部。
『加奈』『加奈先輩』の――
妹。
一樹先輩と一緒にいる私にはいつも『お姉ちゃんの妹』としての肩書きがある。それはもちろん、一樹先輩の中にもあって……。小学生の頃はそんなこと気にも留めていなかったのに。なのに今はそれが少し重苦しくて。
でもそれで良いと、私は心に決めたの。だからきっとこれからも続いていく。
『妹みたいな存在』という、友達以上ではある関係。
「ふぅ~……」
「ん? あっ、ごめん志保ちゃん。朝から気を使わせちゃって」
「へっ!?」
し、しまった……。なんで私、ため息なんかついてるの。
「あっ、ううん! そ、そんなことない。だ、大丈夫だから。ご、ごめん……」
「あははは、謝らなくて良いのに。志保ちゃんは真面目だなぁ~」
一樹先輩はそう言って私に優しく笑ってくれる。
私はどう返事をすればいいか迷ってしまって、声を出せずにいた。そのまま、真っ直ぐに伸びる田舎道を進んでいく。ふいに訪れる落ち着いた時間。さっきまで周囲からざわざわと聞こえていた、同じ学校へ向かう生徒の話声や息遣いなどの音がまばらになっていた。のんびり自転車を漕いでいたせいなのか、周囲には私と一樹先輩、それから数人の学生だけ。
ど、どうしよう。なにかしゃべらないと。そ、そうだ。
「ね、ねぇ。一樹先輩」
「ん?」
「えっと……、じゅ、受験勉強のほうは順調?」
「えっ?」
一樹先輩は目を点にする。あっ、しまった、もっと楽しい話題を振れば良かった。でも咄嗟にこれしか思いつかなかったから……。
私はなんとか続ける。
「あ、あのね、うちのお姉ちゃんがさ、お、お世話になってるから。すごく迷惑になってない? お姉ちゃん、勉強が苦手だし」
すると、一樹先輩は苦笑する。
「あはははっ、そうだなぁ~、苦労はしているかな」
「あっ、う、うん」
「でも俺は……、楽しいよ」
そしてふわっとした笑みを浮かべる。
あっ――。
いつも目にしている表情なのに、なんだか違うように見えた。私に向けるものとは違う、同じなのに同じじゃないその笑み。
私はただ、小さく呟く。
「そう、なんだ……」
「まあ、でも大変だけどな。解んない! 解んない! ってほんとすぐ騒ぐし」
「へ、へぇ~……」
「かと思えば急に静かになるしさ。んでよく見たら、うとうとして寝てんだよ」
えっ……、お、お姉ちゃん、な、何してるの……?
「まあ、そうなるとさ……、起こすに起こせなくて……。あははっ……、それでじっと待ってる俺はバカだよなぁ」
一樹先輩が少し照れくさそうに呟いた。
ぞわっと、お腹の底から嫌な熱い感情が湧き出てくる。それは、お姉ちゃんが勉強をさぼって寝ているから、と思いたい。だけど……、この煮えるような感情は――、きっと違う。
「あっ、ごめん、志保ちゃん」
「えっ!? な、なに!?」
一樹先輩に謝られてビックリしてしまった。な、なんで急に?
すると、一樹先輩は申し訳なさそうに顔をしかめる。
「加奈との受験勉強の様子を聞いてても、つまらないよな。あはは、ごめん」
「あっ、ううん! わ、私が聞いたからそんなことないよっ! こ、こっちこそごめんね……」
また、静かになる。
何かしゃべろうにも気が焦るばかりで、ただ自転車のペダルを漕ぐばかりだった。少し錆びた自転車のチェーンから鈍い音が響き、鼓膜を嫌に揺さぶる。
しばらく進むと、パッと開けた道に出た。視界が急に広がり、ちょっと気分が軽くなった気がした。視線を周囲に向ける。あたりには田んぼが広がっており、朝日に照らされて金色に輝いている稲穂がたくさん実っていた。そよ風になでられて、さわさわとこすれる優しい音色に、なんだか気持ちが癒される。そして大海原のようにキラキラと揺らめく稲穂の光景がとても……、きれい。
「きれいだ」
「へっ!?」
突然聞こえた、『きれいだ』という言葉。思わず変に反応してしまった。
「ん? どした、志保ちゃん?」
そう言って不思議そうに見つめてくる。私は慌てて口を動かす。
「ううん! な、なんでもない! その、き、きれいだよねっ! え~っと……、そ、そう! 田んぼの風景だよね!? あの実った稲穂とか!!」
「お、おう……!? そ、そうそう」
私の鬼気迫る雰囲気に、一樹先輩はなんだか押され気味だった。で、でもなんとかごまかせたと思う……。そ、そもそも一樹先輩がいけない。いきなり『きれいだ』って言うから。
動揺している私をよそに、一樹先輩は気さくに話しかけてくる。
「この風景を見るとさ、秋が来たって感じるよなぁ~」
「あっ、う、うん……。そうだね……」
「……、田舎の学生の特権! なんてね?」
「あ……、そうだね…………、うん…………」
「…………、ぁ~、んんっ!」
私が小さく返答した後、急に一樹先輩が喉の調子を整えだした。えっと~……、ど、どうしたんだろ?
すると、一樹先輩がイタズラな笑みを浮かべ口を開いた。
「いや~、今年も稲がたくさん実りおったのぅ~、豊作じゃのぅ~」
私は思わず目を丸くする。だって一樹先輩が急に、なんとも渋い感じで、しみじみと話し出すから。まるで農家のおじさんみたい。いや、おじいちゃんのほうがしっくりくるかも。そう思ったらつい口から、笑い声がもれた。
「ふふっ」
「おやおやぁ~、どうしたのじゃ? 志保ばあさんや?」
あっ、私もおばあさんになっちゃった。って、一樹先輩は一体何してるやら。でも、一樹先輩のおどけた様子を見て、私もちょっとのってあげることにした。
「いえいえ、なんでもありませんよ、一樹おじいさん」
「お~、そうかえ、志保ばあさん。では儂は、芝刈りにでも行ってこようかの~」
「あらあら、ふふっ、そうですか。じゃあ……、私は川へ洗濯に行ってきますよ」
「大きな桃に気をつけなされ」
「ぷふっ! あはははっ! もうっ! そこバラしちゃダメだし!」
「んん~? 何のことじゃ? あっ、桃を割る時は中にいる赤子に気をつけなされ」
「も、もう! すごいネタバレしてるしっ! あははははっ!」
私がみっともなく笑っていると、一樹先輩が嬉しそうに目を細める。
「良かった」
「あはははっ……! えっ? なに?」
「あっ、いや~、なんでもないよ」
一樹先輩はなぜか照れくさそうに頬をかいた。でもすぐにいつもの優しい笑みを浮かべる。
「そういやさ志保ちゃん、文化祭の準備は順調?」
「え? 文化祭の準備? あっ、うん。明日香部長の段取りのおかげで全然問題なし」
「そりゃ良かった。てか明日香のやつ、まだ部活やってんだな。俺はもう退部して大学の受験勉強を頑張ってるのに」
「あ~、うん……。なんかね、明日香部長いわく『可愛い後輩たちの晴れ姿をまじかで見届けるまでは、退部しないわよ』だって……」
「なんだその理由? ん? あっそっか、そういうことか」
一樹先輩が何やら気付いた。あっ、まっ、まずい。
「わ、私は着ないからっ!!」
「ん? そうなのか?」
「そ、そう。絶対に着ない……、明日香部長にもそう言ってるし……」
すると、一樹先輩が困った子を見るような目で見つめてくる。
「いや~、でもそれじゃダメだろ? だってさ、志保ちゃんとこの美術部の出し物はさ――」
そこまで言った後、一樹先輩はニヤリと嫌味な笑みを浮かべた。
「メイド喫茶なんだから」
「うっ!? うぅ~……」
私は恥ずかしくて、声にならない声で思わず唸る。そう、私がいる美術部は、文化祭の出し物でメイド喫茶をやるのだ。ほんと、なんでうちの美術部は、文化祭でメイド喫茶何てするんだろう。明日香部長が言うには『高い画材の資金調達のため。あなたたちのことを思ってよ』とか言ってたけど……、絶対嘘。部長、可愛いものが好きだからなぁ~……、きっとメイド服を着ている女子を見たいだけ……。私は絶対着ないけどっ……。もちろん恥ずかしいから!
「文化祭はさ、必ず志保ちゃんとこにも遊びに行くから」
一樹先輩が楽しそうに言う。それは全然かまわない。
「楽しみだなぁ~、メイド姿の志保ちゃん」
「いや着ないから!?」
「あははっ、ごめんごめん。でも残念だなぁ」
なにが残念なのか理解できない。まったく……、あっ。
ふと視線の先に、学校の校門が見えた。生徒がまばらに門をくぐっている。もうすぐで学校に着いてしまう。もう少し、一樹先輩と話していたかったな……。
すると、一樹先輩がそっと声をかけてきた。
「なあ、志保ちゃん」
「あっ、うん、なに?」
「えっとさ……、一緒にまわらないか?」
「えっ? まわる?」
私は『まわる』の意味がわからなくて少し首を傾げた。すると一樹先輩がふわりと笑う。
「文化祭、一緒にまわらない?」
その言葉に私の全身がざわつく。
「無理かな? あっ、もう誰かと約束してる? それなら断ってくれても――」
「あっ、ううん! だ、大丈夫!」
すると一樹先輩は嬉しそうに微笑む。その表情を見てハッとする。お、思わずOKしちゃったけど、こ、これってもしかして2人だけ!? ど、どうしよう。
でもそんな心配は必要なかった。
「じゃあ、加奈と一緒に楽しもうな」
「えっ?」
お、お姉ちゃんと?
「あっ、そうそう。志保ちゃんと、俺と、加奈の3人でさ、文化祭まわる予定」
そう言って一樹先輩は嬉しそうに笑う。
そっか……、お姉ちゃんと一緒か。うん、むしろそのほうがありがたい。私と一樹先輩が2人きりになるより。
そんなことを思っていると、一樹先輩が少し照れながら話し出す。
「俺、今年が最後の文化祭なるからさ……、来年は、俺も、加奈も、ここにいないだろうし。中々3人、集まることも難しいのかなって思うとさ。2人と一緒にまわりたいんだよ」
少し寂し気な目をした一樹先輩にハッとする。来年はきっと、大学に通うため1人暮らしを始める。それはお姉ちゃんも一緒で。でも、2人はそれぞれ違う大学に進む。離れ離れになる2人。
一樹先輩、それでいいの。だってお姉ちゃんのこと――、
好きなのに。
心音がトクンと跳ねたのが自分でも分かった。でも必死に耐える。
そして、ある事を思いつく。
私が断れば、一樹先輩とお姉ちゃんを2人きりにしてあげられる。
「やめとこうかな……」
「えっ? どした急に?」
不思議そうに目を丸くする一樹先輩。言い訳はどうしようか。もちろん、最初に浮かんだ理由なんて言えない。
「いや、その、私、文化祭の手伝いで時間とられるから、悪いかなって」
「全日程、手伝う訳じゃないだろ? 志保ちゃんが自由に動ける日に合すよ」
「あでも、ほら! 一樹先輩は、友達とか、後輩さんとかと、まわらなくていいの?」
「そいつらとは、別日にまわるから大丈夫」
「あ、あうぅ~……、で、でも……」
言い訳が思い浮かばず、苦心していると、もう学校の門が迫っていた。そのまま2人で門をくぐってしまう。すると、一樹先輩が「ちょっと待って」と声かけてきた。
私はブレーキをきゅっと握る。
「なあ志保ちゃん」
「あっ、うん」
「やっぱ嫌?」
すごく寂し気に、なんだか瞳をゆらめかせる一樹先輩。いやちょっと待って!? そんなか弱い捨て犬みたいな雰囲気をだされると困るから!
「そ、そんなことない! あっ――」
し、しまった!? そう思うも、もはや時すでに遅し。
一樹先輩が嬉しそうな顔をする。ああ、もう後には引けない。引けないのだけど、ほんとにそれで良いの? 一樹先輩……。
「…………、うしっ! じゃあ約束な、志保ちゃん!」
すると、一樹先輩が声をはった。右手の小指を差し出してきながら。
私は思わず目を見張る。
ちょ、ちょっとそれは……。
「どした?」
「いやその……、な、なに、それ?」
私は目線で一樹先輩の小指を示す。
すると一樹先輩は苦笑する。
「ほら、小学生のころはよくしていただろう?」
無邪気に笑う一樹先輩。でも私は笑えない。
いっ、いやいや!? だって私もう、中学3年生だよっ!? 指切りをするなんて恥ずかしすぎる! しかも相手は……うぅ。な、なんで、一樹先輩は恥ずかしく思わないの!?
『妹みたいな存在』
あっ。
ふとよぎる思い。そっか、そうだよね……。私何を慌てて……、バカみた――、
「……、えい」
「ひっ!?」
一樹先輩が私の隙をついて、なかば強引に私の右手を掴んだ。そして小指同士がからみ合う。一気に体の熱さが増していく。一樹先輩が大げさに、絡まっている指を上下に動かす。擦れ合う小指同士の肌の感触が生々しい。
「文化祭、一緒にま~わるっ、指切った! っと」
そう言って一樹先輩は私から小指を離した。
「あっ、あの、えっ、えっと……」
「約束な! じゃあまたな、志保ちゃん」
そう言って楽し気に笑い、校舎に行ってしまった。体がすごく熱い。そして私の小指に残る、一樹先輩の小指の感触。そんなに強く握られていなかったのに、強く残っている。わ、私は一体なにしてんの。こんな校門付近で。か、一樹先輩と、ゆ、指切りなんて――、
「朝から見せつけてくれますねぇ~」
「へっ!?」
後ろから女子の声。私のとてもよく知る声だ。慌てて振り返ると、友達の千紗ちゃんがいた。とても嫌味な笑みを向けてくる。私は慌てて口を開いた。
「え、えっと、み、見てた?」
「ん~、なにを?」
「い、いや、あの……」
「んん~?」
千紗ちゃんだが嫌味な笑みを濃くし、小首を傾げる。右側に結んだ短めのサイドテールが小悪魔の尻尾みたいに揺れる。
「そ、その顔は、う、嘘でしょ」
「う~ん、なんのことやら。よし! わかった! 私は何も見ていない! 約束するよっ!」
そう力強く言って、右手の小指を出してきた。完全に指切りの形だった。
「や、やっぱり見てたんじゃないー!?!?」
怒る私から、そそくさと自転車を漕いで逃げる千紗ちゃん。小悪魔な彼女を追いかけて、私は自分の学年がある、中学の校舎へ向かった。