一樹先輩
神社か……、あっ。
私は気になってつい自転車を止めていた。
私の左側にそびえ立つ、いつもなら素通りする小高い丘。あらためて下から上まで見上げた。
鬱蒼とした木々に覆われていて、ちょっと低めの山にも見える。あっ、あれって。
古びた石階段を見つけた。たぶん丘の頂上にいくためにつくられたものだろう。ここを登っていけば、昨日おばあちゃんが言っていた神社につくのかな。けっこう登らなきゃいけない感じ。おばあちゃん大丈夫かな……。まあでも、休憩しながら頂上を目指せばいいのか。でもそれだと結構な時間がかかるだろうし。
ふと石階段周辺の薄暗い感じが気になった。生い茂る木々に明るい朝日を遮られているせいなのだろう。
神社の帰りに暗くなってたら危ないかも。う~ん、今日は放課後に文化祭準備もあるし……。
やっぱり別の日に変えてもらおうかな、神社に行くの。
ドン。
「きゃっ!?」
自転車の後輪に軽い衝撃。慌ててハンドルを持つ手に力を入れ、ふらつきを押えた。
もう誰ッ!? もしかしてお姉ちゃん!?
私は後ろを振り返った。
「あっ…………」
「よっ! 志保ちゃん」
自転車にまたがった一樹先輩がそこにはいた。片手を軽く上げ笑いながら挨拶してくる。
「あっ、えっと、おはよう。か、一樹……、先輩」
「あははっ、『一樹』でいいよ」
一樹先輩が苦笑しながら、いつもの言葉を口にした。
私は……、いつものように答える。
「私より年上で先輩だから……」
「志保ちゃんは真面目だなあ~、そんなの気にしなくて良いのに。小学生のときは『一樹』って呼んでただろ?」
そう言って楽しそうに笑う。
いやいや、小学生のころの自分を引き合いに出されると困る。あの頃の、幼くて無邪気でただ純粋に、年上のお兄ちゃんとして慕っていたころとはもう違う。
返答の遅い私に、一樹先輩が自転車を軽く漕いでやって来た。うっ、ち、近い。
「でっ、志保ちゃんは朝からこんなところで何してんの?」
「あっ、えっと……」
どう説明したものか、いや別に迷うことはない。
私は一樹先輩に、昨日おばあちゃんが話してくれた神社について説明する。
「へぇ~……、この丘の頂上にそんなのあったんだな、知らなかった」
「うん、私も昨日初めて知ったの」
「そっか~、まあでもあれだな。来週の日曜日に取り壊すっていうのは寂しいな」
「あっ、うん。私もそう思う」
だって、おばあちゃんにとって大切な思い出の場所だと思うから。
「なあ志保ちゃん」
「ん? なに?」
「今日、俺が文化祭の準備代わりにやろうか? 今年はさ、俺ただ楽しむ側だから特に忙しくないし」
一樹先輩のすごくありがたい申し出。それなら、おばあちゃんと一緒に神社へ行く時間は遅くならない。でも……、気が引けるから――、
「ううん、大丈夫だよ」
私はそう口にしていた。
「えっ? でもそれじゃあ遅くなるだろ」
「おばあちゃんには、ちゃんと言っているから」
「う~ん、でもなあ……」
迷ってる一樹先輩。私は嫌味にならないように、からかう様な軽い口調を意識して断る理由を告げた。
「だって一樹先輩、お忙しいでしょ? うちのお姉ちゃんに受験勉強を教えるのに」
それを聞いた一樹先輩は目を丸くした後、楽しそうに笑った。
「あははははっ、確かに! 昨日も苦労したからなぁ~」
「お姉ちゃん言ってたよ~、問題が解るまで……、へ、部屋から出してくれないって」
「加奈のやつそんなこと言ってたの? なんか俺が悪い奴みたいじゃん」
そう言って楽し気く笑う一樹先輩。私が『部屋』という言葉に喉を詰まらせたことを気にも留めていない様子だった。うん、別にそれでいい。それは普通のこと、だって一樹先輩とお姉ちゃんは、仲の良い、同い年の幼馴染なのだから。なにもおかしくない。頭では解っているのだけど。納得していない裏側の自分がいる。
「勉強の邪魔しちゃ悪いから」
あっ……。
つい口にした言葉は、少しきつい言い方になっていった。
どうしよう。
でも一樹先輩は、
「志保ちゃんは真面目だなあ~、そんなの気にしなくて良いのに」
と、楽し気に笑った。
『そんなの気にしなくて良い』か。それでも私のなかには――、気にしてしまう幼い自分がいて。
そんな自分を自覚してしまうことが、苦しい。
「そういやさ、加奈はどうしたんだ?」
「へっ!? お、お姉ちゃん!?」
突然お姉ちゃんのことを聞かれ動揺してしまった。一樹先輩が不思議そうに口を開く。
「ん? おう。一緒に家出なかったのか?」
「えっ!? あ~……、う、うん。たぶんまだ家にいる」
「そうなのか? じゃあ今日も遅刻するかしないか、ギリギリなとこだな」
「ちゃんと起こしたんだけどね。あと1時間だけ~、っていうから……。もうほっときました」
「くくくっ、相変わらずだな~、加奈のやつ。あと志保ちゃんもひどいなあ~」
一樹先輩が意地悪く笑う。むっ、なんだか不本意。
「私はひどくないですぅ。悪いのはお姉ちゃんです」
「あははっ、だな。うし、じゃあ俺らもそろそろ学校行くか。遅刻の仲間入りしちゃまずいだろ?」
一樹先輩が楽し気に言って笑う。とても無邪気に。もう見慣れている表情なのに、また変に意識してしまう。今はそんなの必要ない。いや、これからもずっと。
「そうだね」
私も楽し気に言って笑い返す。とても無邪気に。
自転車のペダルに力を入れて、私はこぎ出した。
そして、同じスピードで私の横を走る一樹先輩。
ざわつく胸の内を抑え込みながら、私は一樹先輩と一緒に学校へ向かった。