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海底に沈む鐘

作者: 初桜沙莉

 ブーッ。

 僕の眠りは、枕元に置かれたスマホのバイブ音で断ち切られた。何だよ、と思いながら画面を見る。『6:30』と、夏休みの目覚めには早すぎる時間。通知欄には、SNSのアイコンと、『水街 祈』の送信者名。

 目をこすりながら、ロック画面を解除して、通知を確認する。緑のSNSアイコンに表示された、1という赤丸。アイコンをタップしてメッセージを確認する。個人チャットで送られていたそのメッセージは、次のようなものだった。


 『今日の10時に市立美術館集合ね。チケットも送っといたから。じゃあね。


────久しぶり、シリシリ。』


 もう一眠りしよう。僕は画面を閉じてそのままうつ伏せになって眠る。エアコンの冷房は切れていた。


 ***


 それからおよそ3時間とか4時間後ぐらい。僕は噴水の前にあるベンチに腰掛けていた。石膏でできた可愛くもない羽の生えたキューピットが、放尿するかのように水を垂れ流している。デザインはともかく、噴水から放たれるマイナスイオンが心地よいのは確かだ。ぼーっと宙の一点を見つめていると、「おまたせ」という女の子の声が聞こえた。

 そこにいたのは、ジーパンに、ボタンラインにライトブルーが施された白シャツ、明るめの茶色のサンダルを履いた女の子だった。風がさぁーっと吹き、長い髪をふわりと舞い上がらせる。


 「待った?」

 「10分程な」

 「正直かよっ!そこはほら、いまきたとこだよーとかいうのがマナーじゃん?」

 「しらんがな……」


 彼女の名前は水街祈(みずまち・いのり)。よりによって夏休み最後の日曜日に僕をいきなり美術館に誘った張本人だ。


 ***


 「でも本当に来てくれると思わなかった」

 「ご丁寧にチケットまで同封……?しておいてよくいうよ……」

 「あはは、律儀だねー。そういうとこポイント高いよ」

 「褒められた気がしないね」


 僕と水街さんは美術館に入る。サウナのような外の暑さとは打って変わり、ひんやりとした涼しい館内だ。入場ゲートでスマホに表示された入場チケットを見せ、展示エリアに移動する。


 「あっ、シリだ」


 水街さんはそういうと、前方を指差す。そこには土粘土で出来たと思しき『尻』が、両足をクロスして立っていた。イタリアで有名な陶芸家の作品らしい。


 「シリシリはこのシリどう思う?」

 「見事な曲線美とだけ言っとくよ」

 「むー」


 僕のそっけない答えに、水街さんは少々不満げだ。


 「ノリ良くないなー」

 「じゃあこのシリエロいなーと言えば良かったかな?」

 「うわ、キモっ」

 「真面目に凹むから止めろ」

 「あはっ、めんごめんご〜〜」

 「お前なぁ」

 

 頭に右手を当て、てぺぺろっ、というテイで謝る水街さん。誠意のカケラも感じられない。


 その後も水街さんといろんな作品をみた。

 オニヤンマから着想を得たという『20面複眼メガネ』。

 考える人風に佇むブロンズ像に、タブレットを持たせた『考えない人』。

まぶたを手で覆い隠し、泣いているかに見える女性の背中で、シャツのロゴが笑っている油絵、『本性』。

 美術館なんて楽しくないだろ、と思っていたが、これがなかなか味があるというか、作品ひとつひとつが考えさせられるデザインをしていて面白かった。

 美術館の展示エリアはとても静かだった。そして、水街さんも、静かに展示物を眺めていた。お互いに無言だけど、気まずいという感じではなかった。二人で並んで歩き、展示スペースを見て回る。その歩幅が大して変わらないことに気づいたのは、後々のことだった。

 そして、最後の展示物のところまできた。なんで最後なのかと分かるかというと、これが今回の展示エリア最大の目玉となる作品だからだ。

 作品名『鐘』。油絵だ。

 深い藍色の中に、白い建物がある。その中にはすこしくすんだ金色の鐘があり、それを、白い少女が鳴らそうとしている。少女の顔は表情がわかりづらい。

 

 「これ、どういう場面なのかな」


 ぽつり、と水街さんが言う。


 「夜に少女が鐘をついてる……のかな」


 どういう場面、と言われて答えに困る僕は、自分でも平凡だと思う回答をした。でも、水街さんは別の感想を抱いたようだ。


 「これ、夜じゃなくて、深海とかじゃないかな」

 「深海?」

 「海の底で眠る海底都市。そこで一人残された女の子が、今日も鐘をついている」

 「なんか、ロマンチックなような、哀しいような……」


 そこで会話は一旦途切れる。

 海の底に眠る海底都市と言われて、沖縄の海中遺跡を思い出す。水の中にある海中ピラミッドは、ダイバーに見つけられなければ、今も海の底で静かに眠っていたのだろうか。あるいは、アトランティス。失われた大陸。その存在は、太平洋にあると言われながらも、未だにその存在は、科学的には証明されていない。

 海の底。それは静かで、それは世界から取り残された────。

 そこで、ふと僕は別のことを思いだした。


 「そういえば、水街さんって水の街だよね。町内のマチじゃなくて、街路樹のマチ」

 「街路樹って……私は木じゃないよー。あはは、でも、確かに水の街だね。私の苗字」


 みずまち。

 ミズマチ、と読んで最初に変換する苗字は、『水町』。『水街』という苗字は珍しいほうだ。

 でも、そのおかけで、なかなか他人の名前を覚えられない僕は、水街さんのことだけは覚えられた気がしている。


 「じゃあこの女の子って水街さんだったりするのかな?」

 「んー?なんで?」

 「いや、確か水街さんって下の名前って『祈』だったじゃん」

 「あーなるほど……なるほど……ね」


 そこで水街さんは何事かを得心したかのような表情を見せた。それは、僕が今まで見たことない彼女の(すがた)だった。

 そして、その後、僕と水街さんは、この絵を15分ほど、ずっと見ていた。


 ***


 展示エリアを回り、出口に出る。気がつくと時計はてっぺんを指していた。どうやら、回るのに2時間ほど使ったらしい。市立図書館だから、割とスペース小さいはずなんだけどな。

 

 「なんか食べる?」

 「そうだねー」


 僕と水街さんは、カフェエリアで昼食を取ることにした。僕はチーズバーガーのセット。水街さんはホットドッグだ。


 「あーんっ」

 「あっ、それ僕のポティトゥ!」

 「いーじゃんよう」

 「自腹で買ったんですけどー」

 「けち!けち!しりしりのケチ!」


 ぷくー、とほっぺたを膨らませて抗議する水街さん。このひとわがままなんだよなー……。

 僕はそこでふと思いつく。


 「じゃあ水街さんもそのホットドッグちょっと僕にくださいよう。等価交換って言うでしょー」

 「え、やだ」

 「即答ゥゥッ?!」


 くそっ、「間接キスに気付いて慌ててくれると思ったのに」「心の声でてますよー」「うわわわっ?!」やられた。


 水街さんはニヤニヤして僕をからかったあと、ホットドッグをちぎって僕に寄越してきた。食べかけの方を。


 「ほら、等価交換だよ」

 「え、でも」

 「いらないのぉ〜?いらないのぉ〜?」

 「いりまぁぁあす!!!」

 「ふふふっ」


 ああ、このひとには僕勝てないよ……。

 ちなみに、ホットドッグの食べかけはパンの部分だけ。フランクフルトのほうは寄越してくれなかったのだ。でも食べたよ僕ぅ……。ケチャップとマスタードの味がするぅ……。


 ***


 そして謎の敗北感を味わったあと、僕と水街さんはカフェエリアを出て、お土産エリアを見る。


 「あ、さっきのシリだ!」

 「ほんとだ……でも小さいね」

 「プチしり〜♪プチしり〜♪」

 「これ買う?……あ、2万するわ……」

 「しょぼーん……」


 結局、この2万するプチしり像は買えなかった。代わりに、僕と水街さんは、プチしり像のさらに小さいものがついたストラップペンをお揃いで買った。値段は300円。やすい。


 「いいねこのプチしり!」

 「どんだけあの尻像推しなんだこの美術館……」

 「シリシリの同類だね!」

 「違うし語弊があるよねそれ」

 「んー?」

 「そのほっぺたつまみますよ水街さん」


 軽く冗談で言ったつもりだった。


 むにっ。むにっ。


 「ふぁっ?!」


 水街さんが僕の左手をとって自分のほっぺたをつねらせた。


 「何してんの?!」

 「ふえ、ほっへへたふままへてる」

 「いやそれはわかるけど」


 水街さんのほっぺたはなんというか、ソフトというか、肌触りがいいというか、なんかミクロの肌毛の感覚が気持ちいいというか……。


 ふにふにふにふに……。


 「ははなはいの?」

 「あっごめんっっ……!」


 なんとなく流されてフニフニしていた左手を慌てて引っ込める。


 「やーいへんたいー」

 「ううう……ごかいだぁ……」

 「ふふっ」


 そういって水街さんは微笑み、ふっと顔を僕に近づける。僕がハッとしたのも束の間、すぐに2、3歩、ステップを取るように後ずさる。サァーーッ、と木の葉が揺れる音が耳を通り抜けていく。


 「今日は、楽しかったよ。……またね」


 そういって、水街さんは振り返り、僕から遠ざかるように歩いていく。僕は、そこにふと、不安めいたものを感じてしまう。


 「ねぇ……!」


 水街さんが歩みを止める。


 「どうして、今日僕を、誘ったの?」


 水街さんはそのまま、背中で答える。


 「塩尻(しおじり)くんだからだよ」


 水街さんは、そこで初めて、僕を名前で呼んだ。胸の鼓動が、どくん、と波打つ。


 「ね、ねぇ……っ、また、会えるよね?」


 水街さんは、僕の質問に答えなかった。代わりに、もう一度だけ振り向いて、笑顔で手を振った。そして、JRの美術館駅がある方向へと、歩いていった。その背中はどんどん小さくなり、やがて蜃気楼の向こうに消えていった。

 僕は、一歩も動かないまま、取り残された。ふと、下を見ると、セミが地面をよろよろと、這っていた。




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