第五幕 運命の遭遇
「それじゃ、まず行動、だよな」
俺は桶で顔を洗い、適当に街の中へ歩き回ることにした。
とりあえず、昼になったらまた秘密基地に戻ってきてもいいだろう。
ビニールラップとかないから、適当に他のヤツに見つけられて食べられないように布で隠しておこうかな。他の子供たちもきっとミラさんの所に行くかもしれないけど、念には念を入れてだ。
「よし!」
寛樹は両頬を一度叩き、昨日行った大通りへと走り出した。
◇ ◇ ◇
「とは、言ったものの…………どこも雇ってもらえないなぁ」
他の大人の人たちは、最初に尋ねた青果店のおばさんに「ごめんねぇ、うちはもういっぱいでぇ」と断られ、また別の店で精肉店のおじさんからは、「悪いが、うちは無理だ」と帰され、また別のレストランの店長からには「悪いな、人は足りてる」と、みんな跳ね返されてしまった。
後他にも数店、似たように拒否された。
俺は秘密基地に戻り、ハンモックの上で寝転がっていた。
「なんでだぁ? シンデレラ様に子供なら働ける機会はあるって聞いたんだぞ」
もしかして、何か理由があるとか?
ちょっと待て。正社員ではなかったとしても、俺には作家としての想像力があるじゃないか。
一応、冷静に考えてみよう。
「……考えてみよう」
まず、子供であろうと年齢は関係なく働ける。
それはこの踊生の国で定められていることだってミラさんから聞いた。
じゃあ、法律で定められているとはいえ、学校に通っている子供だって仕事にはつくだろう。
その子供たちが他国で働くことが多いから、そういう子供たちがいないという可能性は別に悩まなくてもわかる。
けど幼い子供ばかりスラム街に溢れている……それは、いったいなぜだ?
「……うーん、なんでなんだ?」
だってスラム街の子供はわざわざ盗みを働く必要性はない。
だって、子供でも働けるってこの国が法律で定めているから。
腹を空かせた子供はミラさんのところに集まっていた。
……? 他の子供たちは盗んでいる様子はないけど、どうしてミラさんの家に集まる必要性があったんだ? むしろ、喜んで店に迎えている、とミラさんと話している時に聞いたのに……何が違うんだ?
「もしかして……俺の、髪?」
この国で黒髪の人種、いや、種族は大通りを見ただけで推察するならあまり多くないのはわかった。
だって、基本的に金髪や銀髪、茶髪や赤毛とか、そういう海外の人でもいそうな感じの人がたくさんいた。でも、その中で、黒髪の人物だけはいなかった。
ん? でも、ミラさんの家に集まった子供たちは、あの女の子以外は銀髪とか、茶髪とか赤毛だったよな……んん? なんだなんだ? 謎が深まって来たな。
「…………ううん、とりあえず悩んでても仕方ないよな」
俺はハンモックから起き上がって、隠しておいたパンに噛り付いた。
まだ一応明日か明後日くらいまではパンがいくつかあるから、また街の方へ行こう。
「それじゃ、行くか」
俺はハンモックから降りて、スラム街から大通りへと向かった。
「――――――離して!!」
「ダメだ、逃がしゃしねえ!」
――――――ん、なんだ?
そこには白いローブを被った俺と同い年くらいの少女が、スラムの男性に腕を掴まれてる。
なんだなんだ、トラブルか?
「どうしたんですか?」
「あ、なんだ坊主! 文句あっか!?」
「いえ、貴方が悪いとかじゃなくて、どうして貴方がその女の子の腕を掴んでるのか気になっただけですよ、何があったか教えてもらってもいいですか?」
「コイツ、俺にぶつかって来たんだよ! そのせいでパンが落ちちまった!!」
「ああ、そういう……じゃあ、俺のパンあげますよ。それで許してあげてください」
女の子と男の人の下には地面に落ちたパンが転がっていた。
食べ物への恨みは恐ろしいって言うからな、後でもう一回食べるように持ってきておいてよかった。
俺は男性に明日分のパンを差し出した。
一応、朝昼晩、三食セットだ。
「っけ、しかたねえ、それでちゃらにしてやらぁ……運がよかったな、クソガキ」
少女は怯えるように胸に手を当てて、彼が去っていくの見届けた。
俺は彼女に優しく声をかける。
「大丈夫ですか?」
「は、はい……助けてくださってありがとうございます」
「いえ、お気になさらず。それじゃ、俺これから仕事場を探しに行くので失礼します」
前に一歩踏み出そうとすると、服の裾を掴まれる。
ん? どうしたんだろう。
「…………一度、お礼をさせてください。私の家、近いので」
「そ、そうなんですか……いいんですか?」
「はい」
「わかりました……それじゃ、貴方のお名前は?」
「――――――ハイネ、ハイネとお呼びください」
白いローブを被った少女はそう呟く。
俺はこの時、知る由もなかった。
玖世寛樹という人生では、どこまでもいっても主役なんて言えないような、脇役にしかありえない結末を迎えた。そんな自分が、ほんの少しの優しさで、世界は案外変わるんだなって。
そう、気づかされたのは、いつだって君だったんだ。
君と言う、たった一人しかいない君だけだったんだ。
◇ ◇ ◇
とりあえず、俺はハイネを俺の秘密基地に連れてきた。
ミラさんに連れて行くべきかもしれないとは思ったが、彼女の見た目はどうも小奇麗だったから、もしかしたらスラム街の子供、とは思えなかったのもある。
俺は、彼女と一緒に草の上で座りながら木のコップにオレンジジュースを注いで渡した。
「君、どうしてあんな場所に?」
「……散歩をしていたんです」
彼女は手渡したコップの水面をじっと覗く。
「散歩、か」
「ええ趣味、なんです」
その一言から長い沈黙がやってくる。
多少の無言の空間は死ぬ前に会社で仕事をしている時、何度もあった。
だから、苦手とされることが多い空気だとわかっているが、俺はその時そうとは思わなかった。
たぶん、彼女が答えたくない、というのが読み取ることができたからだ。
「……じゃあ、君は家には帰れる?」
「まるで、私を迷子のように言うんですね」
「いや、だってここの辺りは気が荒い奴が何人もいるから、君のことが心配なんだ」
「大丈夫です、もしもの時は男の人の場合なら股間を蹴り上げればいいと聞いたので」
「……俺にも、したりする?」
「助けてくれた恩人に仇を返す真似はしません」
彼女はようやくジュースを口にした。
少しそれにホッとした俺は彼女に続けてジュースを飲む。
よかった、誰にそんなこと教わったんだろうとか、色々言いたいことはあるけどまともな子ではありそうだ。
「大人みたいな言い回しをするんですね。貴方」
「っぶ!!」
「汚いです」
「ご、ごめん! そ、そういうつもりじゃなかったんだ。びっくりして」
「やっぱり、大人っぽい気がします。言い回しが」
俺は慌てて口元を手で拭う。
後で、桶に入った水で手を洗っておこう。
彼女の視線は不審そうに俺を見るので、慌てて弁明した。
「別に、そんなことないと思うけど」
「それにしてはあの大人に対しての接し方は私から見てもそう思えましたよ」
「ほ、ほら、ここスラム街だ、でしょ? 多少のやり取りは分かっている、と言うか……そんな、感じ、かな。なーんて」
「そうですか」
「あ、あはは……」
俺は彼女に問いかけられ、慌てて子供らしい口調をする。
頭を掻きながら俺が苦笑すると彼女はローブを下ろした。
フードから現れた髪は雪原の雪を思わせる真っ白な髪。瞳も、外人でも、おそらくアルビノの人物でさえもそんな目を持たないと感じさせる純白の瞳をしている。
俺は思わず、見惚れてしまった。
「どうかしましたか?」
「い、いや、なんでもないよ。じろじろ見てごめんね」
俺はハイネに謝罪しつつ、誤魔化すためにジュースを飲む。
うん、紙パックに入っていたとはいえあともう少しで飲み切らないと腐るかな、冷蔵庫なんてないんだし色々やりくりしていかないと。
俺は彼女が目を閉じてジュースを飲むのをじっと見る。
……こんな可憐な少女が、どうしてあんな所にいたんだろう。
散歩、とは言っていたけど……服からして、レースが入ったオシャレな服を着ている。
スラム街の人間ではないのは明白だが……もしかして、貴族の娘だったりするのだろうか。
「ご迷惑をおかけしたので、今度私の家に来てください。また今度きますので」
「え? いいのか?」
「もちろん、恩には恩でお返ししたいので」
「そっか、ありがとう」
「いえ。ジュース、美味しかったです」
彼女はそう言うと、俺に飲み終わったカップを渡してフードを被り直すと街の向かう道の方へと去っていった。
……異世界とはいえ、人助けという物は気分がいいものだな。
俺は残りのジュースを飲んで、また街へと仕事を探しに街へと向かった。
「……はぁ」
「大丈夫かい、坊や。遅くまで残ったってことは、アタシに話したいことがあるんだろう?」
溜息を零す俺にミラさんは落ち着いた表情で俺に声をかける。
俺はミラさんの家にまたパンを貰いに来ていた。
他の子供たちはもう帰った後なので、今はゆっくりミラさんと話ができる。
彼女は俺の目の前にあるテーブルにそっとリンゴジュースを置いてくれた。
「ありがとうございます」
「……それで、自分で働く場所は見つかったかい?」
ミラさんは俺の向かい側の席に座るのと同時に俺はカップのジュースを口に運ぶ。
心配そうにちらっと俺の顔を見ながら声をかけてくれた。
コトリ、と静かにカップをテーブルに俺は置いてから、彼女からの質問の答えを口にした。
「いえ……どこも見つかりませんでした。門前払いばかりです」
「門前払い? どうしてだい?」
「その、みんな人材は足りてるって……俺の外見や何かが悪いことがあるんでしょうか。この国には黒髪の人は見かけないので」
俺は自分の髪先を軽く触れる。
この国のほとんどの人には、黒髪の人はいなかった。
だからか、というか奇異の目で見てくるのを感じて、街中を歩くのは以後ごちが悪かった。
「……この踊生の国でも黒髪は魔女と同じ髪色だから、敬遠されがちなのさ」
「黒髪の、魔女?」
……童話で、そんな存在なんていないな。
聞いたこともない。
俺が覚えがある魔女と言えば白雪姫の継母、ヘーゼルとグレーテルの人食い魔女、眠れる森の美女の賢女とかが有名だとは思うけど魔女が主人公にした作品なんて俺がいた地球でもそんなに多くは聞かない。中世とかの小説とか、絵本や童話とかに魔女を主人公にしたものなんて当時から現在でも魔女狩りがあるくらいなんだからそんなには多くはないはず。
……まあ、常見鍵とかいう小説家の小説を読んでて魔女物に興味を持ったことがあったから調べたけど……アヒム・リヒターってドイツ人の小説家が魔女を主人公にした小説を書いていたんだっけ。あの人、中世の生まれの人だっけ? 現代だったかなぁ、忘れた。
だとしても、やっぱり魔女が主人公の物語は俺はそれくらいしか知らない気がする。
思い切って、俺はミラさんに意見をする。
「……少なくとも、俺がいた地球では黒髪の魔女なんて、限定的な表現で知られているような有名な作品とかはなかったかと思います」
「そうなのかい?」
「はい……この世界のあちこちに、俺の知る童話や民謡があるとは思うんですが、その魔女に関してはどうも」
「……やっぱり、違う世界だと語られる話も違うってことなんだろうね」
「ちなみに、その魔女の名前って?」
「ああ……アーテル・クロウ。黒鴉の魔女とは彼女のことさ」
「……悪役の魔女みたいな名前ですね」
カラス、か。
カラスの主人公の物語なら多少はあったな。
カラスと水差し、とか学校の時に習ったことあったし。
俺は頭を冷静にさせるためにリンゴジュースを一口飲む。
「まあ、その魔女は今も生きていて若い姿のままだ、とか、老いぼれた老婆の姿をしているとか色々あるね」
「そうなんですか?」
「ああ」
「……俺の問題はわかりました。でも、ミラさんにはもう一つ聞きたいことがあります」
「何を聞きたいんだい」
「……どうして、この踊生の国のスラム街の子供たちは、どうして赤毛や茶髪の子が多いんですか?」
「気づいちまったんだね」
ミラさんは重苦しそうな声で呟いた。
「……灰被姫至上主義、というのがこの踊生の国にはあるんだ」
「灰被姫至上主義?」
「ああ、灰被姫様に昔厚く崇拝する住民たちがいてね、金髪、または白髪でなくては灰被姫様のいるこの国の住民ではないという思想を持った輩共がいたんだ」
だから、この国の住民は白い髪色か金髪の人しかいなかったのか。
他の動物の耳が生えている人たちとかは、きっと別の国の住民、ということになるって意味だな。
「だけど、他国ならまだしも母国である住民たちが灰被姫様と違う髪を持った相手を許さない住民たちが年を追うごとに増えていっているから、スラム街に赤毛や銀髪、茶髪といった子供たちが多いのは……」
「この国の住民として認められず、捨てられたから……ってことですね」
「そういうことさ。たくさんの悲恋も愛憎も、この国にはある。でも、誰よりも貧しい苦しさを知っている灰被姫様の人生とよく似た街になってしまったなと、強く思うよ」
ミラさんはカップに入れられたジュースの水面を眺める。
その瞳には悲痛も、歓喜も、色々と複雑に入れ混じったエメラレルドグリーンの色をしていた。
「……ミラさんは、この国は嫌いですか?」
「そんなことはないさ。灰被姫様の恩上で子供たちは働けることはできるんだから、親たちは会えることは難しくても、愛する子供は生きていられているんだからね」
「……そう、ですね」
「でもアンタが嫌じゃなければいつでもここで働いても問題ないよ」
「え!? いいんですか?」
「もちろんだよ」
思わず声を荒げる俺にミラさんはニッコリと穏やかな微笑みを浮かべる。
天使のようにすら思えるミラさんの好意が詰まったリンゴジュースを飲み干してから、俺ははっきりと彼女に向かって口にした。
「……いえ、そのようなご迷惑をかけるわけにはいきません」
「どうしてだい?」
「自分で、できる範囲のことはしたいんです。地球では親には迷惑をかけていたこともあるので……少しは、自立したいんです」
動けなかった自分じゃなく、自分を嫌だと思わなくたっていい自分に。
嫌いになりそうになる自分じゃなく、大丈夫だと誇れる自分に。
そうなるために俺は決意したと、必要以上の言葉を避けミラさんの瞳を見つめた。
ふ、っとミラさんは俺に向かって微笑んだ。
「そうかい……なら、うるさく言わないさ。坊やのしたいようにしな」
「……ありがとうございます」
俺は礼をして、扉の方へと向かって行く。
ミラさんの方へと振り返り、俺のできる精一杯の笑顔で彼女に感謝を言った。
「それじゃ、ミラさん。ありがとうございました」
「いつでもここにおいで、子どもたちと一緒にいつでも待ってるからさ」
「……はい」
俺はミラさんの家から出て、秘密基地へと一人戻っていた。
「変な担架、切っちゃったなぁ」
俺はミラさんと別れてから、適当にスラム街の道を歩いていた。
はっきり言えば、あれは俺なりのプライドって奴だ。
恩返しをするなら、ミラさんの家で色々すれば問題なかったんだろうけど……他の子供たちの面倒を見ているのに、どうしてもあの場所に俺は邪魔に思えてしまったから。
「いたっ」
「うわ、す、すみません! 大丈夫ですか!?」
「危ないじゃないか! ちゃんと前は見てないと危ないんだから――――!?」
そこには黒いローブを被った黒髪の女性が立っている。
――もちろん、恩には恩でお返ししたいので。
なぜか、ふと俺の頭の中にハイネの顔が浮かんだ。
真っ白で、純白そうな色を含んだ彼女の顔が、ふと頭に過ぎていくのを感じた疑問に黒い女は愉快そうに微笑んだ。
「――――君、異世界の住人だろう?」
ドクリ、と心臓の音が鳴った。
俺は、後戻りのできない道を選んでしまったかもしれないと、この時悟った。