第四幕 異世界講座
「……坊や、部屋の中で話そうか。それは他の誰かに聞かれたら困るからね」
「わかりました」
ミラさんは扉を開けて俺を招く。
俺は無言で頷き中へ入っていく。
さっきまでの子供たちの賑やかさがないリビングは、あまりにも静かだ。
「長話になるだろうから、飲みたいものを言いな」
「じゃあ……ホットミルクで」
「いいよ、アンタはテーブルで待ってな」
ミラさんはそういうと、すぐにキッチンに行った。
その間、俺はイスに座って数分待つ。
ホットミルクを作ること自体、そこまで時間はかからないのを知っているので、とりあえず頭の中で手短にどの質問を言うか考えることにした。
まず、もう一度この世界の名前から聞くことからだ。
年代を先に聞けば一発だったろうけど、町の大通りっぽいところで犬猫の耳や尻尾を付けている人が堂々と歩いているんだ、ハロウィーンの格好しているだけというなら季節が絶対違っているのでそれもない……つまり、この世界は地球の確率はほぼゼロに等しいのだ。
「それで……アンタはその、ちきゅう、とかと言っていたね」
ミラさんはもうできたのか、ホットミルクを俺のいる方に置く。
たどたどしく、その名前を呼ぶミラさんは意外という感覚は抱かなかった。
彼女たちは自分の母国とまったく同じ言語を喋っていたからだ、もしかしたら転生者、転移者の特権だったとしてもそうでなかったとしても、この体の本来の持ち主の子供が学習した知識範囲だから理解できることなのか……なんてことも調べなくてはわからないことなのは間違いないが。
そうだと思うのも、彼女の言葉を待つことが賢明な判断だろうな。
「……やっぱり違うんでしょうか」
ミラさんは少しの間を置いてから頷いた。
「この世界の名前はちきゅうなんて名前じゃない、ホロウガーランド、とあたしたちは呼んでいる」
「ホロウ、ガーランド」
虚ろの冠……もしくは上辺の花輪といったところか。
なんとまあ、皮肉めいた名前の世界なことか。
「そうだよ、どこの住人でもこの世界の名前を知らない奴なんていないさ……アンタみたいな子供のことは人によっていろんな呼ばれ方をするが、他の奴に教えない方が身のためだね」
「それは、なぜです?」
「……悪い大人に利用されやすいからさ」
じっと、少し睨むと言うより射貫くとも思える視線に俺は問う。
「それは、俺みたいな子供はこの世界の国にとって余計な情報を持っていると殺される、みたいなことでしょうか」
「…………よくわかったね」
ミラさんは驚いたように目を見開く。
「……世界にそんな名前を付ける神様なり英雄なりがいるなら、多少頭も働く転生者いますよ」
「アンタ、元の世界ではいい年のじいさんだったりしたのかい?」
「いえ、社会人って言葉がこの世界にもあるならそれでも若い方の分類です」
「アンタの世界での、いや、アンタの国での成人はいつだい?」
「二十歳です」
「……ということは、アンタの年齢もそのくらいか、もう少し上ってことでいいのかい」
「ミラさんが話の分かる人でよかったです」
俺は一口ホットミルクを飲む。
だんだん寒くなってきたのにちょうどいい温度で体が温まる。
「で、どこまで知りたいんだい」
「この世界の国のことや一般常識、貨幣の値段、一人で生き抜く方法とかも教えてくださると助かります」
「それは、本当に長い話になるけどいいのかい」
「わかったうえで最後までいたので」
「……はぁ、わかったよ」
そうして、この日の晩までミラさんによる異世界講座が開かれたのであった。
「じゃあ、まずあたしたちが暮らしているのは踊生の国の端にあるスラム街だ」
「ようせいの国……ですか?」
「ああ、そうだよ。踊って生きる国、それがこの国の名前さ」
ようせいのくにと言う単語を聞いて、最初に頭に過ったのはイギリスのアイルランドだ。
このホロウガーランドでは踊って生きると書くようだけど、地球の作家が妖精の国と聞いて連想しない者は少なくないだろう……ま、地球では作家の夢は諦めたんだからこの世界で別になろうってつもりはないけど。どういう世界なのかも全く知らないんだし。
「…………なんだか言葉だけ聞くと、なんとなくイギリスっぽいな」
「イギリス? アンタの母国の名前なのかい? リスの名前でもないんだろう?」
う、うわぁ。異世界とはいえ、自分がいた地球での海外の国をそんな風に言われたことなんて一度もなかったから、ものすっごい違和感しかない。
というか、俺も日本のことを日の本……ああ、いい例えが出てこないな。
でも、絶対母国の人からすれば怒られる話かもしれないと思ったので、俺は慌ててミラさんに訂正を入れる。
「い、いえ。俺がいた国は日本と言います」
「にほん……? 不思議な名前だね、あまり聞き慣れない言葉だ」
「こっちの国の名前はどっちかというと二つ名的な感じの名前なんですね」
「? 単純な名前だろう? だってこの国はカラーウィッチの一人である灰被姫であるシンデレラ様が作ってくださったんだから、国の名前を寄せるのは当然さ」
「………………シンデレラ?」
ミラさんはとても誇らしげに笑った。
シンデレラって、あれだよな。
継母とその連れ後の姉妹からいじめられながらも、舞踏会に行くために魔女に魔法をかけてもらって王子様と最終的に結ばれるっていう……シンデレラ症候群とか、そういう病気の名前にも出てきたりしたリする、っていうのがよく知られているグリム童話の話ではあるけど。
って、いや待てカラーウィッチだと? カラー……は色? でもシンデレラは別に魔女なんかじゃないのにウィッチって……どういうことだ。
俺は悩み込む前にとりあえずミラさんに質問することにした。
「あの、カラーウィッチって何ですか?」
「このホロウガーランドで名の知れた世界の歴史を塗り替えた偉大な女性たちをカラーウィッチと呼ぶのさ。男の場合はカラーウィザードと言うね」
「へぇ……あれ、どうしてウィッチやウィザードって分けられているんですか?」
「女か男かで分けるためだね、まあ、ウィッチは魔女、ウィザードは魔術師って意味があったりするが……坊やの世界では違ったりするかい?」
「いえ、その点は俺の世界でも同じです……じゃあ、カラーは?」
「カラーは偉人に付けられる称号のような物さ。首飾り、いや現代になるにつれて、教訓の首輪として覚えておくために付けられているんだ」
「ああ、そういう……」
確かに、カラーって首輪とか飾りとか襟とかの意味もあったよな。でも色の方のカラーと首輪とか襟とかのカラーのスペルは違ったはずだったっけ。
貴明の家に買ってる犬の首輪とか、カラーって言ったりするらしいことで知ったんだったなぁ。
「…………じゃあ、踊生の国の常識や習慣って何かあるんですか?」
「そうだね、踊生の国では女性が靴を男性の前に落としてしまうと、相手に好意があると思われる。それはこの国では有名な話さ」
シンデレラの話では確かに靴を落としたシンデレラを探すために王子様は少女や女性たちにガラスの靴を履かせて、その過程でシンデレラを見つけて結ばれたはずだから……つまり、そういうことなのか?
「じゃあ、踊生の国ではあまり靴を落としたりするのはあまりできないってことですか」
「故意に落とす時だけだよ、シンデレラ様の話をロマンチックに感じた若い女たちが始めるようになったんだ、自然と女たちのしていたことがこの国の習慣になったんだ」
「そうなんですか……」
やっぱり女性ってロマンチックに憧れるものなんだな。
……なんかそういう異文化の常識とか、知るのは意外と嫌じゃない。
と言っても、異世界での異文化知識だけど。
「じゃあ、他の国でもそういう特殊な風習や習慣が?」
「ああ、もちろん。まあアタシはこの国の住人だからあまりそこまで詳しくは知らないけどね」
他の国にも、ってことは俺が地球で知る童話に関連する話で何かそうなっていたりするのかな。
……気になるけど、とりあえず一番気になっていることを今聞くべきだよな。
「じゃあ、この世界でのお金ってなんていうんですか? 単位とか、教えてほしいです」
「単位はシギルだね。先進国や治安のいい国や都市だと基本的に紙幣だけど、スラム街や貧民街でなら10シギルが銅貨一枚、100シギルが大銅貨一枚、1000シギルが銀貨一枚、10000シギルが金貨一枚、100000シギルが白金貨一枚になるよ」
「……シギル、かぁ」
俺は思わず頭を押さえる。
異世界だから、お金の単位も日本や海外の物と違うのは予想してたけどなんとなく俺が読んだファンタジー作品にもありそうな、金貨や銅貨といった類が出てきてくれたのはありがたかった。
そして俺はミラさんに質問し続けるために、頭に浮かんでくる疑問を聞きまくるのであった。
ミラさんから、この国での常識を聞いている時に、ふと俺に向かって強くこう言った。
「坊や、この国では絶対に盗みはしちゃいけないよ」
ミラさんは、俺に視線を逸らせまいと俺を強く見つめる。
「……スラム街の子供としては、最終手段はそうなってしまう物だと思いますよ」
「それでもだよ、アタシの目が黒いうちは絶対にさせないからね」
俺は落ち着いて、自分にとっての現実的な意見を彼女に投げた。
盗むのはいけないと、それは社畜だった自分にとっては当たり前の常識だ。
しかし金を稼げる方法がないなら、その道に走ってしまう可能性がゼロだと決めつけられないのも事実……それに俺は、この世界の常識も知らないのだ。
だからこそ、俺はミラさんに聞いているわけなんだから。
おそらく転生したと仮定したとして、この世界での常識が既存作品のような展開を予想するのなら既に俺の頭に記憶が蘇ってくるパターンがあったっていいはずなのにそれもない。
「……少し、考えさせてもらってもいいですか」
俺はミラさんに軽く一度手を上げてから、口に手を当てて考えることにした。
情報を整理しよう。
俺は親友の結婚式に知らない刃物男に刺されて死亡した。
そして、目が覚めれば年齢が4、5歳の子供だった。しかも手作りの秘密基地的な家で眠っている状態から目覚めて、異世界にいることに町の人々を見て気づいた……ということになる。
俺は一度息を吐いてから、ミラさんに一つ尋ねる。
「どうして、俺の話を本当だと思って聞いてくれるんですか」
「…………アンタみたいな子供たちと何度か出会ったことがあるだけさ」
「会った? 転生者と言う意味ですか」
「そこは坊やの好きに取ってもらったほうがアタシとしてはありがたいね」
つまり、遠回しに今は答えたくないと。
聞き出すためには時間と信頼が必要ってことか。
…………ミラさんって、意外と頑固なのかもな。
「……じゃあ、さっき集まっていた子供たちは、みんな仕事はついているんですか」
「まあね、でもどうしてもお金を稼げない子はよくアタシの家に来るよ」
「俺としては、金を稼げる方法があるならこれからどうすればいいかという指標があるとかなり助かるんですが」
「まあ、基本的に飲食店や青果店に働ける場所はいくらでもあるだろうさ。この国では、子供を幼少期から働かせることは違反じゃないしね」
「……ブラック企業か何かですか?」
ああ、結局異世界でも俺は社畜人生を謳歌しなくちゃいけないんだろうか。
それはそれで悲しいなと心の中でほろりと涙を流した。
どの世界でも、働かなくては生きていけないのだと強く思うと俺はがっくりと肩を下ろすのだった。
「ああでも、金を稼ぎたいなら踊生の国ならアシェンプテル家の使用人や従者になる方法もあるよ」
「アシェンプテル家……?」
アシェンプテルってドイツ語でシンデレラって意味がある言葉だよな。
まあ確かに、グリム兄弟とかシャルル・ペローでもよく知られているけど実は古い作品だったんだよな、シンデレラって。
って、そんなことはどうでもいいか。
「あの、こんな俺にも名家の屋敷で働くことができるんですか?」
「シンデレラ様が決めたこの国の法律では、子供は幼少期からでも働いて金を稼ぐのは許されているんだ。だから問題はないよ」
「いや、問題はないって……」
な、なんか頭が痛くなってきた。
この世界でのシンデレラ……様って、子供に優しいんだな。
やっぱり本編的に母親や姉妹からイジメられていたからとかなのかな。
「それに、使用人と言うか従者としての知識を勉強したいなら従者や使用人として認定されたら、無償でブラットカラット学園に通えるんだ」
「ブラットカラット?」
なんだか宝石の名前みたいだし、伝統重視そうな学校名だなと思う。
いや、待て。学校に通うお金が無償。無償……無償!?
「ミ、ミラさん……学校に通うのにお金を払わなくてもいいんですか!?」
「ああ、シンデレラ様の意向でね。踊生の国の王家であるアシェンプテル家や爵位を持つ貴族の従者や使用人は基本的に学校で勉強をするのは基本的に主である者が払うことになっているんだ」
「そ、そうなんですか……」
「まあ、と言っても踊生の国の場合なだけだから、他の国ではたぶん違ってくると思うよ」
「あ、ああ、そうですよね……あはは」
つ、つまり学校の勉強をする資金は主に認定されない限りはもらえないけど、認定してもらえたら学校へのお金は免除……話がうますぎないか? でも、シンデレラは継母や姉妹から使用人のように身の回りのことをしていたから、ってところから来ているのだろうか。
……王家のところで働くのも、悪くはない選択、ということか。
「……ありがとうございました」
「いいのかい?」
「ええ、今日はもうそろそろ寝ないと体がもたないと思うので」
俺はカップを置いて席から立ち上がる。
「また聞きたいことがあったら、いつでも来な。待ってるよ」
「はい、その時はスラム街のみんなと一緒にアップルパイを食べに来ますね」
ミラさんに一礼してから、ミラさんに残りのアップルパイとパン、紙パックのリンゴジュースを貰ってミラさんの家を後にした。
俺は秘密基地に戻り、ハンモックに座って晩御飯を取ることにした。
一口、パンに噛り付く。
「…………ん、出来立ての方がやっぱりいいな」
パンを半分くらい食べ終えて、リンゴジュースを飲んで後で歯磨きをどうすればいいかはとりあえず食べ終わってからにすることにした。
食事をしながら頭を整理することにした。
まず、ホロウガーランドはいくつもの大陸に分かれている。
一つが、多くのカラーウィッチで知られているアーテルムンドゥス。
そしてフトゥールムアルブス。
……おそらく、ラテン語でアーテルムンドゥス大陸は黒の世界。
そして、フトゥールムアルブスは未来の白。
まるで、悪役と主人公を別々に分けたとも取れるような、大陸のその対比に苦笑を禁じえなかった。
「……よし」
ミラさんの家に地図がなかったから細かいものは教えてもらえなかった。
とりあえず、今はアーテルムンドゥス大陸でのカラーウィッチたちの国の名前を主に思い出していこう。
迷子令嬢であるアリスの国、夢言の国。
女語部であるシェヘラザードの国、祈愛の国。
美婦であるベルの国、謳日の国。
白雪姫であるスノウホワイトの国、色宝の国。
人魚姫であるハゥフルの国、波歌の国。
影嬢であるヴィルヘルミナの国、夜見の国。
灰被姫であるシンデレラの国、踊生の国……か。
「うわぁ、なんか色々な想像をしちゃうような国の名前だよなみんな…………うーん、俺の知識としてはモチーフ、もしくはインスパイアされていると思うのを一つずつあげてくか」
迷子令嬢のアリスは、間違いなくイギリスのルイス・キャロルの不思議の国のアリスだ。
女語部のシェヘラザードは千夜一夜物語の語り部である人物のシェヘラザード。
美婦のベルはフランスのヴィルヌーヴ夫人派とボーモン夫人派に別れている美女と野獣のベル。
白雪姫のスノウホワイトは、グリム兄弟で知られているグリム童話の白雪姫。
人魚姫のハゥフルはハンス・クリスチャン・アンデルセンのアンデルセン童話の人魚姫。
影嬢のヴィルヘルミナは……ちょっとすぐには浮かんでこないが、後々でわかるかもしれない。
灰被姫のシンデレラはさっきあげた白雪姫と同じくグリム童話に出てくるシンデレラ。
……ってところだな。
うん、影姫のヴィルヘルミナに関しては本当にどれかわからん。
昔読んだ童話か絵本にヴィルヘルミナって名前の登場人物をどこかで見たことがあるような気がするが……なんの作品だったか思い出せないな。
「……アシェンプテル家に行くのは、ちょっと息苦しい気がするな」
アルバイトをしていたこともある俺からすれば、どっちかと楽なのは飲食店の方だ。
王家なんて絶対にお世話人的なことをさせられるに決まってる。
「アシェンプテル家で働くっていうのはなしだな、なし」
うんうん、と頷いて俺は気が付けばもう食べ終わった晩食の後、歯磨きできる何かがないかと秘密基地で探していたら、特に見つからなかったため桶でうがいだけ済ませた。
何もすることもないため、すぐに俺はハンモックに寝そべって就寝した。
俺の異世界でのはじめての夜は、少し落ち着けない夜だった。