第一幕 幸せな結末だっだはずの物語
物語の主人公や脇役に憧れるのは、小さい頃なら誰だってあることだ。
主人公みたいに波乱万丈な毎日を、なんて願ってはいない。
けど、甘かったり苦かったりする恋愛とか青春とか送ってみたかったな、なんて後悔しながらサラリーマン生活を謳歌している玖世寛樹は、作家を目指すことを挫折した敗北者だと自負している。
そんな日々も疲れた休日のある日、幼馴染の親友の電話が来て自分の結婚式に来ないかと招待された。相手の方を教えてもらった時は戸惑ったが参加することにした当日、俺は待合室でイスに座りながら缶コーヒーを飲んでいた。
「…………まさか、先輩だとはなぁ」
高校生の頃の先輩である神白先輩。
明るくて優しくて、他のどの女の子よりも美人で、みんなから愛されている人。
そんな先輩と、親友の貴明の結婚式。
「……はは、」
中身が空っぽになった缶コーヒーを握り潰す。
乾いた笑いが漏れる口元を右手で隠した。
ぼそりと呟いているこの声をわざわざ聴こうとする奴はいないだろう。
俺はどっちかというと親友以外の友達をあまり作ってこなかった奴だ。
だから声をかける奴は物好きくらいだと認識している。
「あの……玖世さん、ですよね?」
「ん、君は……えーっと」
まさか本当に物好きがいたなんてな、と口には出さない。
後ろには、自分よりも年下そうな女の子がいた。
「……私のこと、覚えてませんか?」
正装のドレスを着た彼女は恥ずかしがり屋なのか、その頬を少し赤らめながら琥珀色の瞳で俺を見る。ああ、よく見れば先輩の妹さんだ。
学生の頃に前髪で目元を隠していたのと、化粧をしていたので誰なのかわからなかった。
そうだなぁ。先輩と妹さんは鮮明の一文字ずつを名前の最初に使ってるって昔先輩に聞いたことがあったから、
「明花ちゃん、で、合ってるかな?」
「はい」
嬉しそうに笑う彼女に、先輩の笑顔が重なる。
俺は普通に、明花ちゃんに聞いた。
「どうかしたのか? 君も、お姉さんの所にいたんじゃ」
「その、姉さんと知り合いの人たちで盛り上がってるから。邪魔したらダメかな、って」
「ああ、そういう」
「後、喉が渇いたから自販機で飲み物を選んでたら、玖世さんが独り言を言っていたから気になって……」
「うわぁ、恥ずかしいなぁ」
「そんなこと、ないです」
わざわざ俺みたいな奴に、なんて、この場では絶対に言えないが頭に手で掻いて笑顔で答える。
なけなしのコミュ力が光ったことに少しだけ嬉しくなった。
もじもじ、としながら彼女は俺に尋ねる。
「姉さんとは、話さないんですか?」
「……うーん。親友の奥さんになる人を、友だちでもないのに話しかけに行くのって結構勇気いるだろ?」
「それはそうかもしれませんが、お祝いの言葉を後でかけるのと先にかけるのは、違うかなって」
「うーん、そうだなぁ」
口元に当てて考える素振りを見せるも、彼女は真剣な顔で言った。
「……せっかくの結婚式なんです。後で後悔するより何かをしてから後悔する方が、いいんじゃないでしょうか」
その言葉を聞いて思わず俺は目を見開いてしまった。
悟られないように、顔をすぐに下に背けて無言で俺はイスから立ち上がる。
相手が相手だから、という理由でいつまでも縮こまっているのは親友のすることじゃないよな。
「……ありがと、勇気出たよ」
去り際に、彼女の肩にポンと手を一度置いてから待合室を出る。
先輩のいる控室の方まで向かうと、貴明と先輩の親族や友人の参列者が徐々に増え始めていたのを目にした。
控室の札を見つけ扉をノックをしてから、先輩の合図を待つ。
「どうぞ」
ドアを開けようとする前に手が震えていることに気付き、頭を掻いてからドアノブに触れる。
「あ、寛樹くん。やっと来てくれた」
開かれた先に見える純白のウェディングドレスを纏った先輩は惚れ直してしまいたくなるほど美しい微笑を俺に向けた。化粧されたその微笑は絵画のマリア様に負けないくらいに輝いて見えた。
けれど、そのクリーム色の長い髪はなぜかヴェールに隠されてはいなかった。
まだ、打ち合わせの途中だったりするのだろうか。
ドアを静かに閉めて、寛樹は先輩に笑い返す。
「挨拶ならしたじゃないですか」
彼女と視線を合わせないように、窓辺に映る空を見つめた。
やけに排気ガスを吸った薄汚い空はそれでも二人を祝福しようとしてるのか、快晴だ。
「したけど、もう少し話したかったから」
「先輩って実は寂しがり屋ですよね」
「寂しがり屋なシンデレラですよ……これから、本当のシンデレラになる私を見ててくれるんでしょう?」
「ええ、もちろんですよ。神白先輩」
口角を上げて笑顔をキープしていると、先輩は不満そうに漏らす。
「名前で呼んではくれないの? 私、これから貴明くんの苗字で名乗ることになるのに」
「……新婦にそんなことできるわけないじゃないですか、意地悪しないでください」
「ふふ、バレた?」
無邪気に笑う彼女の笑顔を、これからの幸せを俺は絶対に奪えない。
ああ、本当に、ひどい人だ。
まだドア近くに立っててすぐに戻れるようにしていて正解だった。
俺は違和感のないように、そそくさと退室しようとした。
「それじゃ、顔見に来ただけなんで。そろそろ席で待ってます」
「……寛樹くん、ちょっといい?」
俺はドアノブに手をかけると先輩はなぜか、待ったとでも言いたげに声をかけてくる。
「どう、しました?」
思わず、声が裏返った。
なんで、
「髪を梳いてほしいの。いい? まだ時間はあるでしょう?」
「……わかりました」
俺は先輩の近くにある櫛を使って髪を梳かし始める。
女性の、しかも先輩の髪を触るなんてなかったら少し緊張する。
いつも身なりを整えている人だからか髪の毛が手に絡んでこない。
やっぱり、常に自分を磨いている人は違うな。
「ねえ、もし、寛樹くんは運命の人に出会っていたらどうする?」
急にかけられた言葉に、俺は苦笑いする。
「なんですか、急に」
「私の場合は、貴明くんだったけど……ほら、未来の旦那さんの親友の人は、どんな人と恋したかなーって」
「……そうですね。自分で幸せにできるなら、その人と結婚したかったです」
髪を梳かす手を止めて、俺は本音を言う。
先輩は、不思議そうに聞く。
「誰かいたの?」
「ええ、とっても素敵な人です」
「その人と、また会ったりしないの?」
「……会えるけど、もうその人は違う人の物になりましたから」
悪い、貴明。
この行為だけは、許してくれ。これで、本当に最後にするから。
俺は梳かしている髪を持っている方の手でそっと口付ける。
二人の時だけ、名前で呼ぶのはずるいって思うことも、今日で最後にしよう。
妹さんに勇気をもらったんだ。先輩が好きだったって話、後で笑い話にするから、だから、今だけは。
「寛樹、くん?」
先輩は、手を止めた俺が不思議がっているのだろう。
気づかれないようにすぐに離して先輩に質問する。
「先輩の髪、綺麗だなと思って。シャンプー何使ってるんですか?」
「秘密、寛樹くんに奥さん出来たらその人に教えてあげる」
「できるかなー」
「ガンバって! 応援してる」
「あはは、ありがとうございます」
髪をある程度と梳かし終わると、女性スタッフが来たため任せて控室を後にした。
そうして、式が始まる前に俺は席に着いた。
ヴェールで顔が隠れた先輩が父親と手を組みながらバージンロードを歩いていき、貴明に引き渡される。賛美歌斉唱をし終え、誓いの言葉をお互いに確認している時だった。
式場の扉が大きな音を立てて開かれる。
「ハハハ!! この時を待ってたぜぇ? 鮮美!!」
ナイフと思われる刃物を持った黒服の男が、二人を襲おうと迫る。
俺はイスから立ち、慌てて刃物男を止めようと走った。
「ハハハハハハハハハ!!」
「先輩、危ない!!」
俺は男を突き飛ばそうと二人の前まで出る。
刃物野郎を突き飛ばして捕まえて、ハッピーエンド、のはずだった。
床に誰かに突き飛ばされ、視界が暗転する中絶望的な光景を目の当たりにする。
「……っ、先輩、なんで?」
彼女からバージンロードだけじゃなく俺の服にも血飛沫が舞った痕が目に映った。
刃物野郎がケタケタと気持ち悪い笑い声が耳に響いてくる。
親友の呼んだ参列者たちは阿鼻叫喚になって逃げ惑っている中、先輩の白いウェディングドレスから溢れた血溜りに俺は目が反らせなかった。
「玖世くん、だい、じょうぶ……?」
俺を庇って、刃物野郎から身を挺して守ってくれた初恋の人。
彼女は涙も流さず、息を切らせながら微笑む。
―――――どうして、笑ってるんだよ。笑うなよ。こんな時まで。
「おい貴明。自分の女も守れねえなんて、ダサいなぁ? ガハハハハハハ!!」
「鮮美さん!! ヒロ!!」
「おぉっと、行かせねえぞ!!」
「貴明!!」
貴明が先輩に近づこうとすると、刃物男にナイフを突きつけられる。
今日は、幸せな結婚式になるはずだったのにどうしてこうなった。
刃物野郎は親友に襲い掛かり、結婚式場のスタッフである職員とも取っ組み合いになる。
職員の一人が男を羽交い絞めにして慌てふためいてる女性スタッフに叫んだ。
「警察と救急車をっ、はやく!」
「わ、わかりました!」
「くそ、何しやがる!! 離しやがれっ!!」
女性はすぐに電話をかけ、事は収束するように見えた。
しかし、男の抵抗が強かったのか職員の拘束を抜けて貴明に襲い掛かる。
「貴明!!」
刃物野郎と貴明の間に割り込むと腹部から激痛が走った。
俺はそのまま倒れ込むと、泣いてる親友の顔が見えた。
「ヒロ!! ヒロ!!」
貴明が、俺を呼ぶ声がする。他の人でもみくちゃにされてる刃物男が高笑いする。
「お前は最後に殺してやろうと思ったんだけどなぁ、寛樹ぃ! いい気味だ、ハハハハハ!!」
「ヒロ、死ぬなよ! 救急車すぐ来るから、」
身体が、熱い。貴明の涙が少し冷たくて、なんだか、本当に死ぬような気がしてきた。
けど男の罵声にビビってるんじゃなく、あの人と俺への涙だったならいいなぁ。
「ヒロ!! 死ぬな、死ぬなよ!! お前まで……!!」
「泣くなよ、貴明」
「ふざけんな!! お前には、ちゃんと言ってないことがあるんだよ。本当は、こんなことになるだなんて、思ってなかったんだ……!!」
「悪いな、先輩を、守ってあげられなくて」
幸せな結末になるはずだった物語の一ページが、こんな血塗れの思い出にさせてしまうだなんて。
一番に先輩と貴明の門出を祝っていっぱい美味いもん食って、先輩に貴明の昔話して、先輩に惚れてたこといつか笑い話にするつもりだったのに、最低な一日になってしまった。
「ごめん、な。俺のせいで、」
「馬鹿野郎! お前は何にも悪くない! 死ぬなぁ……死ぬなよぉ! 祝ってくれんだろ? 助かる、絶対助かるからっ、」
「たか、あき、泣くな、って、」
ああ、俺の人生。こんな風に終わっちゃうんだなぁ。
自分にとってのハッピーエンドは必ずしも自分が幸福になることとは限らない。
そう選ぶのも、そう望むのも、選択肢を選んだ者だけが得られることだと気づいている。
ああ、けれど、けれどこんな結末なんて俺は願わなかったのに。
あの人と親友が笑って生きる物語を、俺は楽しみに読む読者になるはずだったのに。
ああ、残念だな。
視界は真っ黒になっていくのに、頭の中は真っ白に染まっていく。
――――――これが、死か。
ただ、貴明の咽び泣いた声だけが頭の中で反芻した。