第一八幕 ヨゼフィーヌの背に乗って
「ヨゼフィーヌ……?」
おそらく海の魔女はアンデルセンの人魚姫に出て来る魔女のことだろう。
しかし原作に海の魔女の従者でシードラゴンなんて話はない。
なら、この世界独自の話なのだろう……下手に悟られるわけにはいかないな。
『……この姿のままだと目立ちますね』
ドラゴンは姿を人魚に姿を変える。
子供の自分より、はっきり言って190センチほどはある背丈。
黒いストレートの長髪と青い瞳。ブルーのロングスカートと白のサンダル。師匠と同等以上のメロンを二つこさえた彼女は、オフショルダーの白い谷間が見える上着を纏ってこちらにニコリと微笑む。
どこか、幸薄そうな見た目の女性に姿を変貌させた彼女に、少し戸惑う。
「これでいいでしょうか?」
「え、えっと、はい……ヨゼフィーヌさんは、女性なんですね」
身長のことだけじゃなく、立派な物を持っていると思うが。
でも、それは彼女に直接言うのは無神経だろうな。だが、俺は一つ彼女に思う点がある。
オービスは社畜時代のポーカーフェイスでなんとか口角を上げ普通に答える。
ヨゼフィーヌさん、幸薄い雰囲気だから、なんだか人妻感をどうしても感じる……なんだこの感覚は。あ、そういえば知人が強引に読ませてきた人妻のエロ本がヨゼフィーヌさんと被るんだ。
すっごく描写がエッチな奴。タイトルは、なんだっけ……忘れたな。人妻の蕩けた顔の方が印象的で他をすっかり覚えていない……純情な俺には刺激が強すぎだったのを覚えている。
私て来た知人に「これ焼いていいか?」というと、「ダメに決まってんだろうが!! 俺のお宝だぞ!? 訴訟起こすからな!?」と全力で拒否されたっけな。
エロ本に訴訟が起こることがあるのだろうか、わからんが……その日の夜はやけに熱かったな。
夏だったから、うん、夏だったからと言うことにしよう。実際に夏だったし。
「一応メスです……図体ばかりでかくて困りものですが」
「? そんなことないと思いますけど……背が大きい人も小さい人も、差があるだけでどちらも違う魅力がある物だって思いますよ?」
「……!」
面食らった顔を浮かべるヨゼフィーヌにオービスは尋ねる。
「あの、変なことを言いましたか?」
「……っいえ、貴方は素敵な考えの人なんですね」
「? 色んな人がいるのが間違いだったら、世界は狭いどころか窮屈なだけでしょう? 正しいのと悪いのだけの世界なんて息が詰まるだけですよ……中間の選択肢だって、あってもいいじゃないですか」
「っ、ふふふ、あははははっ」
ヨゼフィーヌさんが急に腹を抱えて笑い出す。
そ、そんなに俺はお笑い芸人並みのギャグを繰り出した覚えがないが!?
「よ、ヨゼフィーヌさん!? へ、変なこと言ってしまいましたか!?」
「っ、気にしないでください。そうですね。あってもいいですよね……ふふっ」
ヨゼフィーヌはオービスの言葉に爆笑し、目じりから涙が出るのに指で拭う。
「貴方は、どこに住んでいたのですか? 未来の世界の、どの国に?」
「えっと、踊生の国です。シンデレラ、灰被姫様が作り上げた国のスラム街の子供です」
しかも、師匠の屋敷はどこの国かどうかもよくわかっていない。
……必要以上にこちら側から情報を出さないべきだ。
「聞いたことがありません……貴方は本当に未来から来てしまったのですね」
顎に手を当て思案する彼女の言葉には真実味がある。
師匠の本になんでこんなことができるのかわからないが、今は帰る方法を模索せねば。
「……しかも、灰被姫の国ですか」
「? どうしました?」
「いえ、貴重なお話を聞けました。感謝しますね」
「ヨゼフィーヌさん……その、俺はこれからどうすれば」
ヨゼフィーヌはオービスの唇に指を当て、からかいを含んだ声と少し赤らんだ頬で微笑む。
「愛称でもかまいませんよ、オービスくん」
「え? え、っと……ヨゼフィーヌ、さん? を、愛称でですよね? え、えっと……」
「……ふふ、無茶を言いましたね。ヨゼフィーヌで許してあげます、さぁ魔女様の元へ向かいましょう」
ヨゼフィーヌに手を掴まれて、海の方へと寄っていく。
オービスは自分の足とヨゼフィーヌの足を止めさせる。
だって、人間の俺が海の中に行くのに魔法もなしに向かうなんて無謀だ。
「も、もしかして海の魔女の所ですか!? 俺、溺死するんじゃ……!?」
「大丈夫ですよ、お客様なら……魔女様の恩恵は受けられます————失礼しますね」
「え? ……っ!?」
ヨゼフィーヌはオービスの額に口付ける。
彼女が俺から離れると綺麗な青色の光が自分の体を包む。夏のプールの水の中にでもいる感覚を覚えるオービスは驚きながら、この感覚が魔法によるものだと理解する。
おそらく、自分に何かしらの付加を与える魔法、のようなものだろう。
「私が一時的にお客様という紹介状の印をつけました。スラム街の子供ならまだ上手く字が書けないでしょう?」
「……え、っと……はい」
まだこの世界の字に関しては勉強していない学なしだからな。
正直に言ってありがたい。
「では、私の背に乗ってください」
「え? 背に乗る?」
「屈みますので、はい、どうぞ」
「え、えっと……はい」
俺は砂浜の上で自分に背を見せ、蹲るヨゼフィーヌの背に乗った。
「では、向かいましょう」
「え? このまま、泳いでいくんですか?」
「……いいえ」
ヨゼフィーヌはドラゴンの姿に戻っていくと、必然的に俺は彼女の翼が生えた背に乗っていた。
「え、う、うわっ、とと」
『大丈夫ですか? ————では、親愛なる魔女様の元へと参りましょう』
ヨゼフィーヌはそういうと、浅瀬のほうへと移動する。
しかし、なぜか入る前にヨゼフィーヌは止まった。
「? ヨゼフィーヌ?」
『オービスくん、息を大きく吸ったら、目を閉じて。私の声があるまでは目も口も明けてはダメですよ』
「わ、わかりました! ……すぅー」
『……では、行きましょう』
息を吸って目を瞑った俺にヨゼフィーヌは勢いよく海へ入る。
海水が頬を撫でる感覚がして、ヨゼフィーヌが声をかけてくれるまで何とか待つ。
『……いいですよ』
「……っ、ぷはぁ!!」
オービスは目と口を開くと、口から吐かれた息が泡となって海水の上へと上がっていく。
「……あ、れ? 俺喋れる!?」
『魔法をかけましたからね』
服も濡れている感覚がしないし、むしろ快適だ。
というか、さっき触れた感触がしたと認識した後、すぐに陸の時にいた感覚と同じだ。
なんというか、空気が風が自分の体を撫でているような、そんな不思議な感覚。
本当のファンタジー世界に触れてきた感覚に、驚きを隠せない。
いいや、この高揚感が隠せるはずがなかった。周囲はテレビで見た日本や海外のバラエティ番組で見たことがある海の色で珊瑚の大海原の海水は澄んでいるからか、自分の目にとてもきれいに映る。
水面が波打ったガラス張りの天井にさえ見えてくる。
あぁ、この技術が地球にあったら俺は速攻、体験したいと思えるほどには感動的だっ。
「すごい……これが魔法っ」
師匠が見せてくれた魔法は怖かったけど、こんなまるで冒険的な出来事に出会うなんて想像もしていなかったから、驚きの連続だ。海の中なのに喋れるって、なんか不思議だ。
感覚をわかりやすく言うなら、肺と横隔膜に酸素、空気が溜まっていて、二酸化炭素になった空気を自分の口から排出している、という感じに見える……口から泡が出て水面に浮かんでいくからな。
さっきあげたように確か人間が呼吸するのに肺と横隔膜が必須のはず。
……魔法は本当にすごい、人間の体の神秘を、魔法の神秘で問題なく課題を淘汰している。
俺は理系でなく文系だったから知人の知識範囲の話でしかないが、それでも現実的に考えたら絶対にありえない現象で自分は生かされている、ということだ。
「すごい、すごいすごい! ヨゼフィーヌ! 後でこの魔法を教えてくれっ」
『魔女様が許可したら、ですよ?』
「あぁ!! 約束だからな!?」
『……オービスくん、本来の口調はそちらなんですね?』
「え? あ、えっと……」
ま、まずい。興奮のあまり素で言ってしまった。
『ふふふ、じゃあ私の前はその口調でお願いしますね。それも条件に含めますので』
「……わ、わかったよ」
『ふふっ……そろそろ着きますよ』
シードラゴンの彼女は海を悠々と泳いでいく。
海底のダンジョンに等しい暗い世界へと、黒鴉の雛をシードラゴンは導いていく。