第一三幕 ミラさんの元へ質問を
今日はミラさんの報告も兼ねて、師匠が作ってくれたどこでもありそうなドアで俺は自分の前の家のところの空間へと繋いだドアに手をかける。
「師匠、ちょっとミラさんのところに顔出しに行ってきます」
「ん、いっておいでぇー」
魔女は手を振らず、グラスに酒を飲みながら顎でオービスを送り出す。
カラン、と氷の音が室内に響く。
「……ミラ、ねぇ。今も元気だったんだ。あの子」
一人、魔女は酒を豪快に飲み始めた。
◇ ◇ ◇
「こんにちは、ミラさん」
「ああ、坊や。久しぶりだね」
俺は扉を閉じると、ミラさんは一人でいた。
他の子どもたちはもう帰った後だとわかっている時間帯を狙ったのだ、当然と言えば当然か。
「……元気そうだね、どこかの仕事に付けたんだね」
「それなんですが、いいでしょうかミラさん」
「なんだい?」
俺は椅子に座り、ミラさんに真剣な面持ちで告げた。
「……俺は、オービス・クロウという名前を授かりました」
「!! まさか、」
彼女は目を見開く。驚愕に満ちた表情の意図なんて明白だ。
「はい……俺は今、黒鴉の魔女アーテル・クロウの屋敷に住んでいます」
「なんだって!?」
大声を上げるミラにオービスは冷静に言った。
「……あの女とは契約を交わしてしまったのかい?」
「彼女の屋敷に住まわせる、という話が契約ならそういう意味になると思います」
「……はぁ、不利になる契約はもちかけられていないかい?」
「その辺りは問題ないかと」
「……そうかい」
ミラさんが溜息を吐く理由はわかる。自分でもこんな風になると思っていなかったとはいえ俺を助けてくれた彼女には……どうしても、話しておきたかった。
「……あの魔女に何もされてないかい?」
「家事ばかりですよ、ぼろぼろの屋敷で生活するって大変なんだって身にしみて感じてます」
「蜘蛛や虫、鼠を殺してはいけないと言われていたりしないかい?」
「はい、俺の先輩にあたるから、何もするなって」
「はあ……あの人は、本当に昔から変わらないね」
……あの人? ミラさんと師匠は知り合いなのだろうか。
「……今後の話はしたのかい?」
「はい、ブラットカラット学園に入学するか、それともノーマンスメイデンカレッジの女子学校の従者として働くか……それともノルマンスソーンカレッジの生徒になるか、の三択で」
「……まぁ、行くなら将来的にその三つに絞られるだろうね」
「やっぱり、ミラさんもそう思いますか?」
元々女子学校の生徒の従者になるとか、難しいことだと感じてはいた。
それなら、ブラットカラットという学園に通う方が賢明だと、ミラさんと話す前から感じていたことだ。
「ああ、ノーマンスメイデンカレッジならあまり男の使用人を連れていく生徒は多くないから期待は薄いと思っていい」
「そうなんですか……」
「ああ、ノルマンスソーンカレッジならあそこも王族だけが通える学校ってわけじゃない。通おうと思えば行けるさ。男子校は坊やは嫌かい?」
「いえ、そういうわけでは……ただ、行くとしても事前にこの世界のことは知るべき、ですよね」
「……まずは、そうなるね」
スラム街の子供だったことを学識がないと言える言い訳にできるかもしれない。
が、生きるためにも知識を得ることは大切だというのは大人になってから気づいたことでもある。だから、できる限り学習は早いうちに叩き込んでおきたいのだ。
例え、俺がこの世界で作家になれなかったとしても。
ミラは俺を安心させるためか柔らかい笑みを見せながら、俺の質問に答えてくれる。
「けど、そこまで難しく考えなくてもいいさ。踊生の国ではアシェンプテル家の従者になるのは悪くない、というだけの話をしただけに過ぎないしね……ブラットカラット学園に関しては、あくまで従者を目指す者の学校さ。オービスはどうなんだい?」
「……今の所、どの学校に通うかどうかも決めていません。一般的な学校は、今あげたところ以外、あまりないのでしょうか」
「学校は、基本的にどこでもあるが、ユニーク魔法を扱える者はリムピドロサの学校に通うことが義務付けられているね。ユニーク魔法は必ず、ホロウガーランドの住人の中でも選ばれた素質ある人材が持つとされているよ」
……ん? 師匠が言うには、全員持ってるって話だったけど違うのか?
「あの、すべての人間が持っているんじゃないんですか?」
「ああ、自覚できずに死ぬ者が多い、とはアーテルは言わなかったのかな」
「……どういうことですか?」
「ユニーク魔法は、昔話ではホロウガーランドの全ての人間が用いる原初の魔法、自分自身の人生、内面自分自身の性質や、本人が持つ強い願いを持って現したのがユニーク魔法とされていたらしいけれど、彼女は神話時代を生きた長命の魔女だったからね……今の常識には疎いんだろうさ」
「師匠……」
俺は頭を抱えた。
師匠は神話時代まで生きた長命の魔女ってことは相当なバ……お年寄りってことか。
本人には絶対に口にしちゃだめだな、後でどんなお仕置きが待ってるか。
その日、アーテルはくしゃみをしながら、「アタシの悪口言ってるなぁ? あのバカ弟子め」と笑っているのはオービスは知らないのであった。
「今はユニーク魔法を使えるのは一部の人間だけに留まっているのさ、どの住人も魔法を使えることには何ら変わらないしね」
「ちなみ……ユニークスキルは、今の状況的に勝手に話したらダメですか?」
「ユニークスキルは、異世界の人間がホロウガーランドに来て持つ魔法だね。異世界人のユニークスキルはユニーク魔法と違って成長することがあるらしいが、噂話程度の話だから、正確には私にはわからないけど」
「……そうですか」
「ただリムピドロサに行くことを目標とするのなら、ユニークスキルのことは隠すべきだよ」
「どうして、ですか?」
「ユニークスキルを持つ者は、ホロウガーランドの中でも特例と認識されてる。将来的に色んな仕事でも優遇されるのと同時に、嫉妬の対象にもなる。黒髪の魔女、アーテルのようにね」
「……そう、ですか」
俺は自分の髪にそっと触れる。
俺の髪は師匠と同じ黒。このホロウガーランドで嫌悪の目で向けられる色。
普通の店で働くには、あまりにも自分は伝手がない。
ミラさんと唯一、転移した話をできた俺の理解者だ。
だからこそ、転移者である自分の居場所を明確に安心できる場所を得る方法を探る。
これはその最初の一歩だ。
「ありがとうございました、ミラさん」
「そうかい、まだ坊やは若いんだ。すぐに決めなくても問題はないだろうさ」
「ですが指標を決めなくては、駄目なんです」
「……どうしてだい?」
「……俺は転生、する前は成人はもう過ぎていました。大人になってから、学習するべきだったことを怠って後悔したからこそ、今この時期を有意義に使いたいんです」
「……そうかい、目標を決められたらいいね」
「はい」
オービスは悩みを打ち明けて少し胸の内を吐露できて安堵感が湧いてくる。
まだ、今の自分はどうするか。そこの指標は事細かに定まっていない。
だからこそ、今世ではできる限りのことをしたい。
「ありがとうございました、ミラさん。また今度、ここに来てもいいですか?」
「ああ、いつでも待っているよ」
「……はい」
オービスは扉を開けて、師匠から預かっていた小箱をポケットから取り出す。
「……起動」
オービスは小さく呟くと、緑の魔法陣が彼を包む。
光は瞬き、クロウ邸への玄関前に立っていた。
「ただいま戻りました」
「おぉ、お帰りぃ」
庭で紅茶を嗜んでいる師匠と使い魔である鼠が紅茶を飲んでいる点に突っ込みはいれない。
ファンタジー世界に必要以上の現実感を求めてはならないのだ。
ただでさえ魔法だのなんだのというものがある世界なのだから。
「で? ミラって人と話せた?」
「はい……師匠、できれば魔法の練習、付き合ってくれますか?」
「いいぜ、ただし音を上げたら二度と教えないからなー」
「わかってます」
寛樹、いいやオービス・クロウは今日は意識を改め、魔法を早く使えるよう特訓するのだった。