38.伝説の巫女たる資格
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あなたはこの花を、どうやって生み出したのか。
魔術師ゴダードによる問いかけに、ええと。と、視線をそらす。どうやって、と言われても。
「花を降らせることそのものは、以前セファにしてもらったことの真似事だわ。ただ祈って、思い浮かべた花を降らす心象を具現しただけ」
「しただけ、と言って終わらせるだけのことではないのだと、自覚がないな」
「どうして? セファだって、この程度のこと簡単にやって見せていたわ。杖の一振りよ」
「花を生み出す。それだけなら簡単だ」
ゴダードはそう言って、なにも持っていない手の平を一瞬だけ隠すようにして翻す。瞬く間に、その手に大輪の花がのっていた。
「ほら、ゴダード先生にだってできるじゃ」
「だがこれは、作り物だ。魔術生成痕が残り、専門家が精査すればわかる」
作り物。そんな違いがあるだなんて、知らなかった。
だって、セファが山のように降らした花だって、本物と同じように加工するのだとトトリも笑っていた。
「魔術師セファと私は植物が専門で、その組成については熟知している。その上で、先人によりきちんと組まれた術式を杖で編み心象に乗せて具現することで、本物と全く同じ組成のものを生み出すことができる。
けれど、ロゼ嬢。あなたは術式を編んでいないのでは? 恐ろしく高い魔力特性値と強固な心象に任せた、我々がすることとは似て非なる離れ業、曲芸をしていると見える。でなければ、同じようなまがい物が具現するはずなのだ」
セファの研究室で出会ってから、今ここに到るまで。ずっと観察していたものの、とてもそれだけの高度な技術を持っているとは思えない。と、ゴダードは言う。
「では、君が生み出したこれは何か」
大きな体に対し小さく見える褐色の瞳が、じっと私に注がれた。
何か、なんて言われても、私に分かるはずがない。セファと同じことをやっているつもりになっていた私は、指摘された事実に愕然としていた。
「これはおそらく、実際にどこかに自生するものを、転移魔術で出現させたものだ。この花の名を星月佳。これを調べると、非常に濃い魔力環境で育ったものということがわかる。大気中の魔力減少が問題視される今にだ。では、局地的に濃度が上がっていると言う精霊の民の居住地で? 森が浅すぎる。人が暮らせるほどの環境で、この花はこんな数値を出して咲かない。
そもそも、近年の調査で群生地に赴いた際、当時すでに花は咲いていなかった。時が満ちるのを待つようにして、多くが蕾のまま、長い眠りに落ちたかのように静かだった」
手のひらにちょうど乗るほどの大きな、多弁の白い花。星月佳。
本当に本当に特別な花なのだ。多くの魔法植物同様、月光の元開花し、小さな光の粒が周囲に漂う。幻想的な景色の中で、花が歌うのだと、想像もできない光景をゴダードは語る。
「では、君はどこからこの花を食堂中に降らせるほどの量持ち出したのか」
何もかもがわからない。理解の外の話だった。現実はここにあるのに、順を追って考えれば考えるほど、この花がここにあること自体が間違いのような気がしてくる。
ゴダードの目が、好奇心に輝いた。
「私は、魔界からだと考える」
「ま、かい?」
「そう、すなわち異界を渡る術を持つもの! 異界渡の巫女としての素質である!!」
口を開けて固まってしまった。
だって、そんな、まさか。そんな風にその言葉を投げかけられることがあるだなんて、夢にも。
「異界渡の巫女って、つまり、ロゼは異世界へ行けるということ?」
私が茫然としている最中に出されたリリカの問いかけに、ゴダードは首を横に振った。
「異界は異界である。ここ人界とは異なる界。神界、精霊界、魔界、人界、四つの層界は下位層と故郷層へしか出入りできず、人界に下位層はないとされているため、人は界を渡ることはできないが、その不可能を可能にするのが、異界渡の巫女」
と、言われている。そう最後に付け足されることで、どうも信憑性が危ういものであることが理解できた。かろうじて。
「そう主張するだけの根拠があるの? ……私はそんな巫女だとかいうものでは無いけれど」
「それだけのことをしてのける結界系魔力特性値の高さがその証左だと思わないか。転移魔導士としての代表格は間違いなく赤の魔法使いだが、結界の展開は魔法使いの中でも並と聞く。層界を越えるには何よりも心象の強さがモノを言うと考えられている。層界を越えた物質転移など、現存するどの魔法使いにもできないのでは?」
「とんでもないことを言わないで欲しいのだけど」
ひとまずゴダード先生は落ち着くべきだった。結論ありきの飛躍した論は正確な思考に欠け、過ちを起こしやすい。話半分に聞きつつほとんど本気にしていなかった私は、身を乗り出すリリカに目を丸くした。
「ゴダード先生、まだ聞きたいことが。その異界渡の巫女とは何です? どう言った謂れが? 神殿と、何か関係があるのですか?」
「関連書がことごとく失われている。たまたま焚書を免れたのは、全く無関係の本に直書きされた手書きの文章のみ。そこから、存在を考察し、空白を埋め、仮説を立てたのだ」
「それってほとんど先生の妄想というのでは」
「だが、ことごとくが失われている、という事実はある」
ゴダードが示した本の記述を見て、リリカがなるほど、と呟きながら思案する。その様子を見て、ジャンジャックと私は顔を見合わせた。
「……リリカ様、何か気になることでもあるんすか?」
「こっちの世界の結界王国群で、『巫女』と呼ばれる人間って、いないんだよね。神殿に勤める人たちは男女問わず、みんな『神官』なの。でもね、私はこの世界に来る時、『三人の巫女』のうちの一人として、世界を救ってほしい、って言われたの」
リリカが、私とジャンジャックを振り返る。
「救世の巫女は、三人いるはずなんだよ」
「……神殿は、なんて」
「否定されたわ。召喚の混乱で、夢でも見たんだろう、って。救世は私一人で行うものだそうよ。聖剣を生み出して、扱う人を選び、与えること。その聖剣を持ってして、世界を救う。それができるのは、救世の巫女ただ一人」
ふうん、とジャンジャックも思案顔になる。私は二人を見比べた。知っていることを踏まえて考えたところでボロが出そうで、二人を黙って見守る。
「そういえば、神殿ってリリカ様のこと、『異世界からの来訪者』って言っておいて、実際は大掛かりな儀式で呼び出してるんだよな……」
「おぉ、気になってきたか。ほら、他にも色々あるだろう」
「ゴダード先生嬉しそうっすね……」
わかってきたなお前たち、というように、ゴダードは満面の笑みで頷く。
「唯一、世界を救う手段として救世の巫女を呼ぶことができる神殿は、我が青の王国に属するという形をとりつつも、王国結界の外で独自に神殿結界を設置し、独自の決まりごとに従うよう結界王国群に強いている。我が国を管理する青の魔法使いも神殿には浅からぬ縁があるらしく、あらゆる便宜をはかってもらっているだとか」
ほとんど表には出てこない方だがな、と最後は鼻を鳴らした。
「三人の巫女……」
私のつぶやきに、リリカがうなずく。
「神殿に呼び出され、異世界からやって来る私の他に、あと二人。その一人が異界渡の巫女だというのなら、私、彼女を見つけなくちゃって思ってたの。ロゼがそうなのかしら? 何か知ってる? ロゼが本当に異界渡の巫女で、何か世界を救うすべを知ってるなら、一緒に神殿に行きましょう」
リリカの言葉を、どこか意識の遠い場所で聞く。
私がなんとなくわかったのは、ひとつだけだ。
魔女も、救世のための巫女の一人なのだということ。
魔女が聖剣に討たれて、世界を救う。
三人の巫女のうちの一人が身を捧げて、巫女の聖剣で貫かれることで救世が行われる。本来の儀式が何かまかり間違って魔女を討つ、というような筋書きにすり替わって伝わっていたとしたら?
他の方法なんて、ないのかもしれない。
「ロゼが、異界渡の巫女なの? その資格を、持っていると、ゴダード先生はおっしゃいましたよね?」
リリカの漆黒の瞳がくるくると私とゴダードの間を行き交う。目があって、私は声もなく首を振った。
「ロゼ様?」
「なんでもないわ」
姿勢を保って、肩の力を抜いて、笑ってみせる。
「異界渡の巫女かどうか、私にはわからないことだけれど」
異界渡の巫女は、別にいた。それを私と、フェルバートと、トトリと、セファだけが知っている。だから、巫女が三人いるというのなら、私は救世の巫女でも、異界渡の巫女でもない、魔女の方だろう。
そして、異界渡の巫女がもういないことも知っている。
異界渡の巫女は、リリカと接触するべきだったのだ。
彼女はどこのだれで、どうして私に乗り移ったのだろう。
多くを知っているわけではなく、後手に回ることも多かったとフェルバートも言っていた。きっと、異界渡の巫女も手探りで、し損ねたことがたくさんあったのだ。その後を引き継ぐべきだった私は、結局満足にこなせていない。
残された資料や計画書にも、明確な指針はなかった。何もしなくていいと、ただそれだけ。
「世界を救うなんて大役がもし私にもあるのなら、応えなくてはね」
世界は救う。
王妃はきっと、その時を待っているのだろう。何か手段を講じなければきっと、私は聖剣に貫かれることで世界を救うことになる。
けれど、今になって猶予が欲しかった。
でも、まだ、もう少し。
もう少しだけ、今のままで。
私、世界を救う前に、どうしても見たいものができたの。
「リリカ様もロゼ嬢も、今からでも魔術師セファの研究室から私の元に来ないか? その層界を越える力、ぜひ解明し陣に落とし込み、世のため人のため、そして更なる我が研究の糧に……!」
あぁ、この人は結局、自分の研究に有用だからこうして言い募ってくるのだ。納得した私は外套の奥に隠れた顔に笑みを浮かべた。さぁ、なんと断ろうかしら。
「ろ、ロゼ様」
私の様子を何か察したのか、ジャンジャックが恐れ慄いた声を上げたけれど、返事はしない。さて、と口を開いたところで、講義室の後方、廊下に続く扉が慌ただしく開く音がして、複数人の足音が駆け込むようにしてやってきた。
「ゴダード先生」
「魔術師ゴダード、失礼します」
「ま、まじゅ、魔術師セファの弟子が、こちらにいると伺って」
「うわ本当にいる」
順番に、挨拶とともに礼儀正しく入ってきた見知らぬ三人に瞬いたのもつかの間、後から後から生徒が押し寄せてきた。
「いた! 弟子だ!! えっ女子?」
「女子だ」
「うわ華奢だ。骨格細くない?」
「やだ骨格だとか服の上から見てなんか言う男子キモい」
「早口でひどいこと言わないで!」
「弟子ー! 助けてー!! 君の師匠!! あの先生、課題の出し方がえげつなさすぎる!」
「攻略法を! 白銀の魔術師に取り入る術が必要です!! なにとぞお知恵をお授けください!!」
押し寄せてきた学院の生徒たちを、私は椅子に座ったままきょとんと眺めていた。瞬く間にすがるように掴まれぐらぐらと揺さぶられる。初めての視界に戸惑いよりも感動が先だった。
……以前なら、無礼者! って怒鳴っていたかもしれないわ。
視界の端でジャンジャックが顔面蒼白になって慌てているけれど、きっと下級貴族という立場では口出しできない相手なのだろう。ええと、こう言う時ってどうしたら。がくがくと揺れる視界に、ちょっと目が回り始めているわ。
今までなら、こんなことになる前に近づく人間は遠ざけられていたものね。
「無礼ですわよ!」
「このお方をどなたと心得るのです!!」
そうそう、例えば、こんな風に。
肩を掴んでいた手が、鋭い音とともに叩き落とされた。瞬きながら、助けてくれようとしている二人の女学生を見る。
ええと。知らない子たちだと思う。なのになんだか気になる言い回しをしている。
「まともな教育をお受けになったなら、このお方が現れた寮の食堂、そして先ほどいらした学院の食堂。それぞれの立ち振る舞いを見て一目で、どんな立場のお方かお分かりになるでしょうに!」
「まったく。家柄を振りかざすばかりで中身の伴わぬ、なんと浅学の滲む嘆かわしい方達でしょうね」
「薔薇姫様、こちらへ。魔術師ゴダードの研究室は簡素でいけませんわ」
「えぇ、えぇ、お話を聞くにしても、まずはあなた様にふさわしい場を整えねばなりません」
見る間に片付けられていく広机の方へ招かれる。ジャンジャックとリリカも私についてきて、三人並んで広机の前に座った。どこから取り出したのか、無骨な木の広机には白い布が敷かれ、お茶の用意が整えられていく。
「ええと」
「ご安心くださいませ、あなた様に相応しい場を、今すぐ整えてご覧に入れますわ」
お前たち、なんなのかしら? などと、ロゼの立場で口にしていいか迷っていると、不敵な笑みで力強く手を握られた。何を言っても伝わらなさそうな気配に、すぐさま切り替えて柔らかな声を出す。
「ええ、お願いね」
こういう手合いの方が、関わりやすいと思うのは逃げかしらね。
「いい機会です、このお方がどう言った方なのか、最初に申し上げておきましょう」
「離れなさい、控えて。これを聞けば、どういった立場の方に狼藉を働いたのか、今なら悔いる機会を差し上げましょう」
頭巾の下、笑顔のまま固まる。
ええと、そういう話については、ちょっと待ってほしいのだけど。
花を降らせたことからわかること。異界渡の巫女と救世の巫女と魔女について。
次回「特別講師と周囲の事情」火曜日更新予定