37.魔術師ゴダードの研究室
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どかどかと、講義室中をくまなく歩いているかのような足音が響きわたる。戸惑いに身動きできないでいると、続き間になっている研究室の入り口へ大きな人影が現れた。
そこでようやく我に返ったリリカが私を隠すように立ち上がって、奥で実験をしていたジャンジャックも駆け寄り私の前に立つ。
ジャンジャックとリリカは、二人掛かりで闖入者に苦情を申し立てた。
「ゴダード先生。セファ先生は不在です」
「ややっ、入れ違いか。しまったなぁ」
「先生! お元気なのは良いことですが、あまりにも騒々しすぎます!」
「おお、異世界からの来訪者たる神殿のリリカ様もいらっしゃったか! 御無礼お許しくだされ。そんなことよりもだ」
挨拶も謝罪もそこそこに、むんず、と大きな手が、リリカを押しのけて私にのばされた。二の腕をがっしりと掴まれて、抵抗もままならない。護符があるもの、と思ったにも関わらず、一切作動しなかった。
引きずり上げられるようにして、されるがままに立ち上がる。熊のような大男の振る舞いに、私は目を丸くした。
「どうして、護符は」
「魔術師セファの現時点での最上護符結界なら先ほど見たからな。あらかじめ対抗術式を用意すれば無効化など容易い」
「いやそんな逆算さっきの今でできます!?」
「聞いたことないですよそんなの!」
「そんなことよりも食堂に降らせた花について、詳しく話を聞こうではないか! 我が研究室に来るといい。その様子では自分が何をしたのかわかっていないな。無自覚とは嘆かわしい。資料を交え、自分が何をしたのか理解したまえ。そしてどうやってそれが可能になったのか、共に解明しようではないか!」
「ゴダード先生!?」
「あ、待ってだれかメアリを止めてください」
「メアリ待て椅子振り上げんな! 相手は魔術師! 学院教師!!」
「聞け、お前たち! 彼女は伝説の!! 異界渡の巫女たる器の持ち主だぞ!!」
混沌としてきた場を両断するほどの大きな声が朗々と響き渡り、しばらくはなんと言ったか、理解が追いつかなかった。
「異界渡の、巫女……?」
困惑に満ちたリリカの声に、私はようやくゴダードが何を言ったか理解して、血の気が引くと同時に大混乱に陥る。
その単語を、フェルバート、セファ、トトリ以外の口から初めて聞いた気がする。
「な、にを」
興味と警戒心が湧き上がった。それでも、リリカやジャンジャックの前で不用意な発言はできない。リリカはロゼには優しいけれど、ローズ・フォルアリスを貫く聖剣を、いつか作り上げる救世の巫女だから。
私は首を横に振って掴まれた腕を取り戻そうと身をよじった。
「私は、異界渡の巫女じゃ……」
「なに! 知らぬのも無理はない! 神殿の横暴により歴史の闇に葬り去られた存在である。せっかくだからその辺りの私の仮説も聞いていけ。おお、リリカ様。あなたを侮辱するつもりはないのだ。あなたと神殿長が粛清する以前の神殿の話ですぞ。ご存知の通り、あるいはそれ以上に根が深い話であると私は見ておる」
「ゴダード先生! 横暴です!!」
口を挟む隙もないほどゴダードは話し続け、私は抵抗も虚しくぐいぐいと連れて行かれる。リリカが私の反対の腕を掴む。そのまま一緒に引っ張られ、ジャンジャックは険しい顔でメアリとミシェルを振り返っていた。
「お前らは外に出るなよ。セファ先生に鳥を飛ばして、先生が戻ってくるのを待ってろ。ゴダード先生、俺とリリカ様も行きますよ。その人セファ先生の愛弟子なんですからね、あんたほんと覚悟しろよ」
「いいとも! 卒業後、杖持ちとして国に仕えると言うのなら、聞いて行きなさい。信じて仕えた後に知るより良い!」
「ま、まって、メアリ、ミシェル。鳥は良いわ。セファが戻ってきたら、ちょっとゴダード先生の部屋を尋ねに行ったと伝えて」
「ロゼ?」
「必要な用事で出かけたのだもの。セファの邪魔はしたくないし、それに、私の知らないことを教えてくれるようだわ。知らないことは、知りたいもの。ええと、少しいきなりで、強引だけれど、大丈夫よ。本当なら三日後のお茶の時間に、だとかそういったご招待を受けたかったけど。でもほら、リリカとジャンジャックも来てくれるんでしょう?」
おおごとにしたくなくてあれこれと言い募る。白銀の魔術師、魔法使い候補といえどセファはまだ若いし、学院講師としての立場だとかもあるはずだ。幸い、ゴダードに悪い企てがある様子もなく、なんだか気になることを言っている。お呼ばれに応じるくらいいいのではないかしらと思えた。
二人の返事を聞く暇もなく、ゴダードに連れられて部屋を出る。手を繋いで一緒についてきてくれるリリカとジャンジャックを振り返り見比べながら、でも二人は戻ってもいいのではと思った時、鋭い目で睨まれた。
「なんか甘いこと考えてんでしょう、ロゼ様」
険しい顔でジャンジャックが言うのを、この人いつの間に私の表情を読むようになったのかしらと瞬く。そんなにわかりやすく感情を表に出しているはずはないのだけれど。……私がそう思ってるだけかしら。
「事の経緯を双子から聞いたら、セファ先生がどんな勢いでやって来るかなんて考えたらわかるでしょう。あぁ、その顔。わかりませんか! あーもう!」
「ロゼって、ほんとに自分をないがしろにするから……。一見、リコリスくらい大事に育てられてちゃんとした教育を受けた、真っ当なご令嬢に見えるんだけど、なんでかな……」
「知ってる。知ってるからムカつく……。誰だよここまでのお人好しに育てておいて、こんな仕打ちして」
ぶつぶつと呟きながらジャンジャックが思いつめている様子が目に見えて、ついおろおろしてしまう。ゴダードは何やらワケありか、と歩きながら私たち三人を流し見て呵呵と笑った。
「なんだか知らんが、大いに悩め今の内だ!」
しばらく引きずられるようにしてついていき、やがて一室に招かれた。ゴダードの研究室もセファのものと同じようで、講義室の奥に研究室が続いている。講義室に並ぶ壁際の棚はセファのと比べるとだいぶと雑然としていたけれど、それでも知識の探求者の部屋なのだと思うとわくわくした。
講義室を横切って、そのまま研究室の方へと連れていかれる。
研究室にある教務机も、広机も、すべて物で埋まっている。ゴダードは仕事ができるだけの空間があるらしい教務机前に丸椅子を三つ並べ、自分は教務机の席についた。
「さぁ弟子殿、まずは名前を聞こうか。私は魔術師ゴダード。魔力を帯びた植物の研究をしている。王国結界内と結界外の薬草を中心とした植物、薬効について研究している魔術師セファとは研究が重なる部分が多く、懇意にさせてもらっている」
「まぁ、そうだったの」
「……いや聞いた事ないですけど」
セファに仲のいい魔術師がいたなんて初耳だったので驚いていると、ジャンジャックがいやいやと首をふった。ひとまず名乗られたのだから名乗り返さなくてはならないだろう、ようやく解放された腕をさすりつつ、姿勢を正して淑女の礼をした。学院外套を、衣裳の裾の代わりにする。顔を上げるとゴダードがじっとこちらを見ていたので、口元しか見えないとわかっていつつもにっこりとする。
「顔を隠したままで失礼いたします。私はロゼ。白銀の魔術師セファの弟子、です」
名乗る名前や肩書きの短さにしては、大仰な振る舞いだったかしらと名乗ってから思う。もう少し、今の立場にふさわしい振る舞いがあったかもしれなかった。
「なるほど、薔薇か」
呟きに、瞬いた。ゴダードが教務机脇の本棚から数冊本を取り出しつつ、苦笑している。
「食堂で降らせた花を見てから急ぎ君について軽く探ったが、昨夜寮に現れたことしか出てこなかった」
「はぁ、それは」
……そうでなくては困ってしまうわ。
何か他に言うべきか言葉を探していると、目の前の教務机にどさどさと分厚い本が積まれた。舞った埃に、リリカが眉を寄せながら咳払いをする。
「がしかし、たった一晩で二つ名がつく研究生、と言うのはなかなか珍しい」
「はい?」
「あぁー」
「え、ロゼに? どんな?」
予想外の発言に、私は戸惑いジャンジャックは思い当たる節があるのか遠い目をして、リリカが瞬きながら食いついた。ええと、二つ名? と首を傾げる私に、ゴダードは笑った。
「まだ決まりかねているようだったが、今の所『薔薇の君』と言われているな。『青薔薇の君』か『白銀の薔薇』かで揉めているようだ」
「……勘違いでは。私ではなく、別の方かと」
「いやいや、間違いなくあなただろうな。私もその由来までは知らぬが」
なんでそんな、黒の学院外套で顔を隠している私に、青だ白銀だと二つ名がつくわけがない。疑問符が頭上に飛び交う中で、ジャンジャックだけ遠い目をしていた。リリカの方を向けばやっぱり不思議そうな顔なので仲間だ。いっしょに首を傾げる。
学院外套の胸元、セファの標を見て白銀だと言うのはわかる気がするけれど。
「……何度も言ってるじゃないですか。ロゼ様、立ち居振る舞いが綺麗すぎるんすよ」
呻くようにジャンジャックが言った。振り向くと、こちらを見ないままにため息をつく姿がある。
「寮生の中でも、ちょっとした信奉者が一発で誕生してました。顔を隠しているのがまた、さる貴族の隠されていたご令嬢だとか、いろいろ言われて」
「まぁ。そんなことがあるの?」
「あるんですよ。どれだけ無自覚なんですか」
そんな風に言われても困ってしまう。なんだか今日のジャンジャックは小言が多いわねと内心むっと口を曲げたい気持ちだ。
「今も、昔も、あなたを慕う人間は多いんすよ。女子は特に。あなたの姿を夜会でたまに目にした年頃の娘から、話を聞いて想像を膨らませる小さな女の子まで。あなたは、多くの女子の憧れで、実在する理想のお姫様だった。昨日も今日も、顔を隠しておいて歩く姿だけで他を圧倒して魅了して、それで、立ち振る舞いはまだまだ全然だなんて、あなたが誰かからそんなふうに言われたら、俺でも切れます」
たがが外れたように、ジャンジャックが言い募る。
「ご自分でのおっしゃりようにだって、俺、怒ってますからね」
「ジャンジャック、あの。そんなふうに言ってくれて、ありがとう。でもね、私、今まで一度も人からそんな風に……」
「ロゼ」
リリカの声に振り返る。だめだめ、と彼女は笑った。さっき言ったばかりでしょう? と、優しい目をして。
「…………そうであれ、と育てられてきたのだもの」
リリカの視線を受けても、口にできるのはいつもの言葉だった。
けれど一度、きゅ。と、口を結ぶ。私、間違っていたなら。間違った場所で、言葉で、生き方で、本当に私を思う優しい人たちを寂しく思わせていたのなら、変わらなくてはとも思うのだ。
腰に手を当てて、ジャンジャックを見上げる。頭巾越しに怯む彼を見て、笑った。
「そんなこと、当然でしょう? 私を誰だと思っているの」
かくあれかし。
かつて約束された王太子妃だった者が無様に地に落ちてもなお、目指していた未来に辿り着けなかったことを嘆かずともいいのかしら。この身に受けた教育、身につけた振る舞い、それらを矜持として胸を張っていいのかしら。何もかもなくなって、それ以外何もない空っぽの身の上のだと感じた寂しい気持ちに、そんなことないよとリリカが言い添えてくれる。ジャンジャックが励ましてくれて、メアリが抱きしめてくれて、ミシェルは何も知らないまま笑いかけてくれて。
セファが、変わってもいいのだと背中を支えて、時には力強く押してくれる。
教師からは、まだ足りないと言われたわ。まだまだ、次はこちらをと。いずれ至る場所に座るには、まだ不足があると何年も何年も繰り返し繰り返し言われたわ。
でも、私、本当はこう言っても良かったのかしら。
『あら。あなたに、これだけのことができて?』
三人の会話を微笑ましそうに眺めていたゴダードに向き直る、失礼したわね。と、軽く膝を折った。
「いいや、若人よ言葉を尽くし研鑽せよ。ロゼ嬢は先ほど同様美しい身のこなしだが、肩の力が抜けたな。大輪の薔薇が綻んだようだ」
「……二つ名、選ぶことができるのならセファの弟子として『白銀の薔薇』をいただきたいところですが」
「学生たちの話題に登ったなら言いそえよう。私の研究室は所属人数が多いからな」
青薔薇とかつて直接呼ばれたことは記憶にない。張り詰めた緊張から、聞き流していたかもしれない。ただ、アンセルムと並び立つことで、そろいの金髪碧眼ともてはやされ、青を基調色とした衣裳を身につけることが多かった事実だけがある。
あの頃のローズ・フォルアリスには、もうなれない。だから、青薔薇はいただけない。
私の感謝の言葉を受けて、ゴダードはぶん、と手を振る。
「これから伺う問いに答えてもらえるなら、その程度お安い御用だ」
全く気取らない魔術師だった。貴族出身ではないのだろうか、などと他所ごとを考えていると、頬杖をついたゴダードの瞳にどきりとする。褐色の瞳は追求者の色を宿し、私をじっと見つめていた。
「さて、ロゼ嬢。その先ほど食堂で出していただいた花について、本題に入ろうではないか」
そうだった。セファが戻る前にと思っているなら、無駄話をしている暇はない。はっとしてゴダードの手元を見ると、積み上げられた書物横に、私が出したらしい花が置いてある。
私の視線に気づいたゴダードが、手のひらに乗るほどの花を持ち上げ、目の高さに掲げた。
「あなたが作り出したこの花。これは、王国結界外の魔力満ちる森、その奥にのみ自生する植物である。私の問いは、たった一つだ」
あなたはこの花を、どうやって生み出したのか。
逆算術式特化なので、常に後出しの戦法しか取れないものの、準備時間さえもらえればとても強い。という気さくな魔術師の登場です。
セファはもうちょっと彼と仲良くなれば、学院でも生きやすいのではないかと思うのですがちょっと引きこもりとパリピ並みに性格が合わないかもしれない。あと魔力量の違いから足並み揃えにくいのもある。
次回「伝説の巫女たる資格」 日曜日更新予定です。




