36.積み重ねを認めること
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両脇に、セファとメアリ。メアリの向こう側にリコリス。向かい側の席には リリカとミシェル、ジャンジャックが並んでいて、賑やかにあれこれと話題が切り替わりながら食事が進んでいく。
食事とおしゃべりを同時になんて、一体どうやって? と不思議に思いながら、私は勧められるままひとつひとつ食べていた。リコリスさえもリリカやメアリの話に相槌や疑問を投げかけながら食事をしていくので、私の要領が悪いのだろう。
セファやミシェル、ジャンジャックの男子三人が食後のお茶とともに本格的な魔術についての質疑応答へと移り変わっていったので、私は必死に咀嚼しながらも気になる話を頭の隅にとどめていた。あとで誰かに聞くかセファの工房の書斎で調べてみ流るもりだ。
ふいに、リコリスが立ち上がった。食事の終わった食器類を手早くまとめて運んでいく。伯爵令嬢が食器を下げている姿に瞬いてたら、どうもここの食堂は自分で食事を取りに行き、食べ終えた空の食器を戻すようになっているのだった。
「残念ですけど、わたくしはここで失礼します。やることがあるので」
突然の言葉に戸惑ったけれど、他の人々は事情を知っているのかあっさりと返事をする。去っていく後ろ姿を見送って、リリカが物憂げにため息をついた。
「……何も言わないけど、お姉さんの行方を探してるみたいなんだよね。私も神殿のツテで情報を集めているけど、腹立たしいくらい何も引っ掛からなくて」
「えっ」
……あっ、それ、は。そうかー!
内心で盛大に頭を抱えた。ぽん、とセファが背中を叩いてきたけれど、どう解釈すべきだろうか。今のはボロを出すなという圧力と受け取ったのだけれど。
あれだけ私に対して数々の賛美の言葉を披露してくれた妹だ。魔物襲来の折より所在不明、などと行った噂が流れれば、行方を探ろうとすることなど予想すべきだった。
それでも、やっぱり不思議だ。接点などここ数年全くなかったはずなのに、どうして。
『姉がいなくなった』ただそれだけで、そんな風に手を尽くせるのだろうか。
「ハミルトン家の政略的一手ととるべきか、本当に事件か事故なのか、フォルア伯爵夫人のツテを使って探っているようなのだけれど、手がかりがないみたいで」
リリカの説明を聞きながら、頭の中はリコリスに正体を打ち明けるべきか否か悩み出す。世界を救って消えるにせよ生き残るにせよ、姉のことは気にせず立派に生きてくれればそれでいいのに。リコリスも、母も、何故だか私に執着しているらしい。
……今までろくに関わってこなかったのに。なぜかしら。
どうしてか、突然に王妃陛下の哀れみを含んだ目を思い出した。甲斐のないこと、との囁きが、耳に蘇る。
心臓が痛んだ気がして、あわてて過去の映像と音を振り払った。
だめだわ。一人では答えが出ない。私は頰に手を添えた。これは、クライドに相談してから決めなければ。あとで鳥を送ろう。魔術学院や寮に部外者がやってくることは難しいけれど、鳥のやり取りなら容易だ。おそらく鳥の魔術具の出来の悪さからお説教が始まるのだろうけれど、書簡でやり取りするよりもグッと手軽だ。
考え込んだまま、食事を進める。やっぱり、黙ったままではいられない。でも、どう伝えるべきかしら。トトリやエマにも相談したほうがいいかしら。
せっかくセファがとってくれたマグアルフの籠だったけれど、食べる手が途中で止まってしまった。ひとまず、メアリが差し出してくる焼き菓子や果物を口にして行く。
先に食事を終えたセファが、気遣わしそうにこちらを見ていることには、とうとう気がつかなかった。
食事を終えて、みんなでセファの研究室まで移動する。メアリたちは研究の続きで、リリカは暇つぶしだと笑った。セファはその監督をしつつ書類仕事をするそうだ。私は何をしようかしら。
研究生という立場で入寮したものの、とくに取り組む主題があるわけではない。年に三回、研鑽を重ねているかの試験があるけれど、それさえこなせば自由なのだった。この魔術学院は、魔術の研鑽さえ怠らなければ、外部からの干渉を受けないままいつまでもいられる場所なのだという。
リリカも行動範囲が神殿と時々呼ばれるお城だけでは息が詰まるから、と研究生として学院に籍を置いている。とはいえ、特にこれといった主題はないらしい。
研究室担当魔術師は神殿関係者で、救世の巫女であるリリカのやることには一切の口出しをしない方針であるらしかった。というより、神殿の世話係と同派閥でありつつも犬猿の仲で、リリカをかばうっているというよりは、学院寮に入ってこれないその世話係への嫌がらせらしい。
職務に対してそんな姿勢はいかがなものかしらと思うけれど、神官たちのそういう雰囲気は理解できる気がする。
「その代わり、その成果が認められなかったら即追い出されるんだから、厳しいよね。年ごとに審査は厳しくなるって言うし、見込みがない学生にはちょっと冷たいところがあるのよ」
研究室の隅で、のんびりとお茶を飲みながらリリカは言う。お茶を淹れてくれたメアリが、いそいそとセファにもお茶を渡しに行っていた。
分担するなら内向きの妻、というだけあって、メアリの入れてくれるお茶は美味しい。
「ロゼは、何かやりたいことはあるの? 身につけたい技術とか、もっと知りたい分野とか」
「やりたいこと……」
考えながら、メアリを見る。セファと何事か話している彼女は、表情は相変わらずだけれど、どことなく雰囲気が柔らかい。メアリの問いに、セファが答える、いつもの光景だった。
「……メアリみたいに、金属の、装身具を作ることって、私にもできるかしら」
「アクセサリーを作りたいの? 練習するなら付き合うよ。簡単なものから作ってみよっか」
多くを聴かないうちに、リリカは鍋やごとく、ランプなど、実験道具が一式入った箱を持ってくる。
「材料はとりあえずあっちの余った廃材で、魔石は今はいいとしてー。台座から作ってみよっか。初心者は何が良いかなぁ。コインのペンダントトップとか?」
時折、何のことかよくわからない単語が聞こえてくるけれど、考える横顔は真剣で、私は黙ってリリカのすることを見ていた。
「ジャンジャックが言ってたけど、ロゼはイメージ力……、ええと、心象が強固なんだっけ。補助式いらないかなぁ。でも、最初は陣を使って様子見した方がいいと思う。基本の陣はかける? まあいいや、なんでもとりあえず、やってみてから考えよう」
渡された紙に筆記具で、円と直線を組み合わせた要素を何も書き込まない基本の陣を書く。続いて、リリカの指示するまま魔力特性の象徴式を各所に配置した。
「ロゼの字、お手本みたいに綺麗ね……」
リリカが感心するのを見て、幼い頃リコリスやディオル殿下が教材にと書き損じの書類を持っていってしまったことを思い出した。
「教えてくれた人が、上手だったのよ」
「ロゼのそういうところ、私は嫌いじゃないけどねぇ」
唐突に、頭を撫でられた。キョトンとしていると、リリカが笑みを浮かべる。ちょっと、困ったように。
「自分の努力を、自分自身で認めてあげないと、いつまでも報われないよ」
どんな人に教わったとしても、そこまで書けるようになったのは、ロゼ自身の努力の結果でしょ。と、リリカは言う。すぐには受け止めきれなかった。リリカの言葉を何度か反芻して、でも、とうつむく。
「あのね、リリカ。私がそういったあらゆる教育を受けられたのは、みなが私に期待する役割があったから。彼らが求めることはできて当たり前で、身に付けて初めて次の段階に進める。そういうものだったのよ」
だから。続けて言い募ろうと顔を上げると、リリカに抱きしめられた。頭を撫でられながら、ため息も聞こえたけれど、ぎゅっと抱きしめてくる腕は優しかった。
私、間違っているのかしら。
みんな、言わないけれど。今までの私の全部、間違っていたのかしら。
「ロゼは、えらいのよ」
「……必要だっただけよ」
だめだめ、とリリカは笑う。
「今度から、『そうよ、私、がんばったんだから』って、言わなきゃダメ」
「でも」
「ほら、ロゼの字は、とっても綺麗ね」
用意された台詞をなぞるだけの会話が突然はじめられて、私は戸惑ってしまう。
「がんばった、のよ」
「うん」
「何度も、何度も、綺麗な字が書けるようになるまで。いつか、座る場所にふさわしい能力を身につけるまで」
これくらい、できて当たり前だとリリカは笑わない。当然だ、彼女は私がローズ・フォルアリスだなんて知らない。いずれ国母に至るものとして育てられたことなんて。
「うん。ロゼは、すごい!」
なのに、そんな言葉がどうしてこんなに嬉しいのかしら。
言葉が詰まって、うまく声が出せない。お礼を、言いたいのに。
「ロゼ」
背中に触れる手と聞き慣れない呼び名に肩が跳ねた。
「えっ、顔怖っ。ちが、いじめてないよ。ただちょっと、その」
リリカの声が焦っていて、不思議に思いながらリリカの腕の中でセファを振り仰ぐ。別にいつもの普通の顔だ。でも、リリカが怖がっているので、白の外套の袖を引いた。
「字をね、褒めてもらったの」
セファが瞬いて、机の上の、先程書き込んだ魔術陣へ視線を落とす。
こんなことを? と笑われるだろうか。体を縮めて、何か言いそうなセファの言葉を待つ。
「あぁ」
セファの長い指先が、私の魔術陣の線に沿って滑っていく。
「うん。ロゼは、綺麗な字と図形を書く」
褒められる、ような、ことじゃないわ。
言葉に詰まった。何も言えないでいると、セファがメアリたちの方を見る。様子を見にいくのだろうと思っていると、リリカが苦笑していた。
「にしても、セファ先生過保護すぎませんか」
「彼らの様子を見るついでに寄っただけだよ」
「ほんとにー? 仕事してたはずなのに、ロゼのことよく見てますよね」
「……ロゼは、あまり友人慣れしてないから、そんな風にくっつかれて戸惑ってるように見えたしね」
「ふふ、なんか、もういっそ保護者みたいだね。セコム?」
またよくわからない単語に、なんだいそれ、と眉を寄せるセファと一緒に首を傾げる。
リリカはふふふと楽しそうだ。
「丸一日一年中、安心と安全を保障する、スーパーボディーガードって感じ」
「言っている言葉の意味が何一つわからない……」
「大した話じゃないので、それでいいでーす」
付き合ってられないな、と肩をすくめているセファの元に、どこからか鳥がやってきた。セファの手に握り込まれると、セファは億劫そうに顔を顰めた。ちょっと行ってくる。と、教務机に戻って広げた書類を片付け始めた。
私は潤んでいた目元を擦って、ほっと息を吐いた。
「すぐ戻るから、続けてて。無闇に廊下へ出ないように。何かあったらすぐに鳥を飛ばして」
口早にそう言って、セファが行ってしまった。手を振って見送ったけれど、ため息が出てしまう。
「今だけよ」
隣のリリカに、小さく呟いた。え? と、リリカがこちらに振り向く。
「セファのそばにいられて、こんな風に気にかけて貰えるのは、今だけ。だって、セファは魔法使いになるのだもの」
リリカの表情が抜け落ちる。怒るべきか悲しむべきか悩んだようにどっちつかずの顔をして、失敗した。そんな顔をしていた。
「続けましょう。ここから、どうすればいいの?」
うまく笑えていたらいいのだけれど。リリカも困ったように笑って、ええとね、と説明を続けようとした時だった。
「魔術師セファよ! 失礼する!! 先程食堂にて転移魔術を披露したそなたの弟子という研究生は、ここにいらっしゃるか!」
野太い男性の声が講義室から研究室へと響き渡り、研究室全体を震わした。
人に言われないと気づかないことってありますね。
次回「魔術師ゴダードの研究室」