34.食堂に向かって
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雲行きが怪しい外を眺めながら、王城執務棟の廊下を歩く。
伴っているのはジャンジャックのみだ。
今回、エマは置いてきた。元貴族令嬢のエマは、王城に連れるのは少し身分が低すぎたのだ。エマは『ローズ・フォルアリス』の侍女である、と黄金劇場で目撃され情報が回っていると考えるべきなので、ローズが行方知れずという話が広まりつつある現状、『白銀の魔術師セファの弟子ロゼ』が連れて歩くわけにはいかなかった。
そこで白羽の矢が立ったのが、フェルバート付きの下級文官を父に持つという、ジャンジャックだ。城に出仕している父を持ち、卒業間近の杖持ち見込み男子学生で、セファの研究室所属なら、担当魔術師の弟子を連れていても不自然ではない。
その弟子がなぜ騎士フェルバートの元を尋ねることがあったかという疑問が浮上するけれど、それは指摘される時までに何かしらの理由を考えておくとして。
ジャンジャックの父親については、フェルバートつきの下級文官と言いつつフェルバートと他の方々の間を飛び回って仲介、調整、お使いなどの雑務に追われているらしく、彼の業務を手伝ってくれているわけではないらしい。もちろん書類の受け渡しを担っているだけでも、相当量の仕事をこなしてくれているものと思われる。
かつて歩き慣れた王城を、身の上を偽って歩くのは不思議な感じがした。ジャンジャックに先導を任せている者として、ジャンジャックが礼を弁える相手には同じように振る舞うのがどうにも慣れず、まごついて視線を集めてしまう。
顔は隠しているし、人前にはほとんど出ていなかったので背格好や歩き方で正体がバレるはずはないと思うけれど、つい緊張してしまう。何をそんなに見つめることがあるのかしら。ジャンジャックがセファの弟子だと紹介してくれて、遅ればせながら魔術学院の研究生として寮に入る予定だと伝えると、どこか貴族の家の所属かセファに庇護される平民だと解釈されるようで、興味から逸れるけれど。
「小娘一人にどうしてそんなに警戒するのよ」
「ロゼ様、立ち居振る舞いが綺麗すぎるんすよ」
「こんなの普通よ。立ち振る舞いの合格点なんて、ギリギリの及第点だったんだから」
そんな馬鹿な、とぼやくジャンジャックにはわからないのだ。貴族令嬢の戦場は社交で、国政や外交に関わる必要のあった王妃がどれだけの振る舞いを求められるか。
かつての日々と、ここが王城であることを思い出すと、自然と背筋が伸びた。ジャンジャックの後ろから、行きましょう。と、小声でせっつく。
魔術学院での授業の様子や進路のこと、他愛無いことを話しながら移動陣を使って魔術学院へと戻る。敷地内で建物は近いのだけれど外から入るには手続きが煩雑で時間がかかるのに対し、移動陣そばの受付で身分を証明する方が手軽なのだった。
もうじき学院の食堂というところまできて、私の緊張が伝わったのか、ジャンジャックが口を開いた。
「それはそうと、怒ってはないんじゃないんすかね。セファ先生、どっちかっていうとへこんでいたような」
「何に怒ったのかよくわかってないのが問題よね。かと言って蒸し返してもまた怒られそうだし」
ジャンジャックの言葉はどこまで当てにすべきかわからないので、話半分に聞きつつ、むぅ、と考えを巡らせる。
「リリカは、しおらしく反省しているわって言えば良い。と、言っていたけれど。でも私、そもそも許してもらわなくちゃいけないようなことしてないと思うのだけれど」
「お、おぉ……」
「セファが怒ったのよ。なにか気に入らなくて勝手に。私の自覚がない所で。それって、私が謝ることかしら? 気に入らないところがあったならまず指摘して、改善案を提示すべきでは? 対話もなく気に入らないと不満を突然ぶつけてくるってどうなの?」
「……………ロゼ様の言い分は、よくわかった。うん。ええと、まず食堂にいきましょうか。セファ先生の授業も終わって、みんな揃ってますんで」
ね、と付け加えられて、同意が得られない不満は残ったもののうなずく。ここでジャンジャックにぶちまけて説き伏せられたとして、それに意味はないのだ。考え方ややり方が対立しているのは、私とセファなのだから。
「あー、ただ、その。昨夜、寮にきたロゼ様がセファ先生の弟子ってのは寮生に知れ渡ったので、やっぱりっつーか、あの、今日の授業でも噂が広まってまして」
「噂」
「はぁ。あの、白銀の魔法使い候補である、白銀の魔術師セファに弟子がいる。って。赤の魔法使いも黒の魔法使いも、長く弟子をとらず、とった弟子が立て続けに魔法使いとその候補になっているので、ロゼ様もその、可能性がある才能をお持ちなのではないか、と」
思わず顔を顰める。ふたつ名付きの魔術師たる逸材と思われるのは、ひどい買い被りだった。
「私にそんな才能がないことは、ジャンジャックたちもよくわかっているでしょう」
「白銀の魔術師の弟子ですから、たかが研究室所属生がそんなこと言ってもやっかみにしか受け取ってもらえないっすよ」
……そういうものかしら。厄介な。
ため息が出た。真実を知った後の周囲の落胆と不満を受け止めることを考えると、今から憂鬱だ。あらかじめ知らせることができたらいいのだけれど、これから訪れる食堂では、もうすでに多くの生徒が待ち構えているのだろう。
「……怒っているセファは、私に何かあったら助けてくれるかしら」
「そりゃもちろん。日頃の様子を考えるに、助けないわけないと思いますけど」
嫌がらせはともかく、何かしらの洗礼は覚悟したほうがいいのだろう。与えられた護符で対処できるものだと良いけれど。
備えておくといえばできることは結界だけれど。あれは探知されなくなってしまうし、なぜこちらが姿を隠すようなことをしなければならないのか。
見えてきた食堂の扉を睨みながら、ジャンジャックの後を追う。敵陣の只中に飛び込むのなら、必要なのは立ち振る舞いと笑顔の武装だけれど、外見をここまで隠していると効果が薄い。それなら、やはり実力で文句を言わせぬようにするのが一番だけれど、あいにくと私にそんな実力がない。
やられても、無様な真似は見せないようにしなければ。せめて、地に伏すような真似はしたくない。逃げ出すことも、悲鳴をあげることさえ。
セファの弟子だというのであれば。
気遣うジャンジャックの視線にうなずいて、食堂の扉を開いてもらう。どのようにかして、ジャンジャックがセファの弟子を伴ってやってくると噂になっていたようだった。数多の視線が注がれて、気圧されぬよう姿勢を保つ。
ジャンジャックはしばし食堂を見回して、セファやメアリ、ミシェル、リコリス、リリカのいる一角を見つける。特別、座る場所に指定はない様子だった。教師と共に食堂で昼食を取るのも、ざっと見たかぎりそこかしこで見られるので珍しくなさそうだ。ただ、やはり教師と一緒であるなら扉からみて奥の方に固まるらしい。奥から順に席を埋めて行って、扉側になるにつれ席を空けて少人数や個人の生徒が思い思いに座っているようだった。
後から聞いたところによると、食事をしながらでも講義の続きや魔術談義を繰り広げる教師が多く、それに加わりたい学生が集まっていき、興味のない学生は席を譲って扉側へと下がるといった光景なのだった。
「ロゼ様、あっちに」
ジャンジャック促してきて、それに応えて足を踏み出す。ジャンジャックの姿とその指し示す先、進む方向までわかって襲撃者は確信に至ったのだろう。視界の端で、火球が形作るのが見えた。ジャンジャックの目が見開かれる。迫ってくる火球を前に、私はただ微動だにできなかった。
そして、なぜかしら。こんな時なのに意識がセファの方にあったのだ。セファはいつものように白の外套を着ていて、大杖も手元にあった。けれど、こちらを一瞥もしない。メアリがセファの袖を掴むところまで見て、ようやく眼前に迫る火球へと意識が戻った。
こんなのはもう、身構えることしかできない。
ぱん、と音が響いた。




