31.魔術学院寮
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エマの叱責を受けながら、用意されていた室内着に着替える。きちんと胴着もつけてもらって、背中を締め上げる力がいつもより強かったのは絶対含むところがあってだ。
むぅ、と眉を寄せて振り返りエマを見上げるけれど、その何倍も冷たい眼差しと微笑みで返されて、視線を逸らす。ちゃんと隠していたもの、と思ったけれど、先ほど背中に触れたセファの手を思い出して何故だか顔に熱が集まった。
別に直に肌へ触れられたわけではないのに、大きな手が熱かった。やっぱり無防備だったのかしらとうっすら理解して、今更ながら頭を抱えたくなる。どうして起き抜けは判断力が鈍るのだろう。以前もそうだ。自室ではそんなことはないのに、セファの工房で休むと何かしらやらかしてしまう。
工房では補助術式が働いてないため、だなんてこと知る由もない私は、重なる失態にうなだれた。
意味もなく裾に触れ、その手触りが外出着とは異なることに、立場が変わったことをなんとなく肌で感じる。
「今まではハミルトン侯爵家で外出着に着替えてからセファに会いにきていたけど、これからどうしようかしらね」
決めるのは侍女の仕事ではない、と言ったことを忘れず、エマは私の独り言を黙って聞いていた。
談話室に戻ると、セファとトトリ、クライドが雑談を止めて迎え入れてくれた。セファの手招きに応じて、二人掛けの長椅子に収まる。トトリはその背後に控えて、クライドは向かいの一人掛けの一つに。私が座った席の前には軽食が用意され、エマがお茶を入れに身を翻した。
「……さっきの話の続きだけど、侍女のエマが身を挺してまで君を守る必要はない、って話。だからといって護衛もいないだろう? フェルバートは護衛役から君の婚約者になって職務が変わり、四六時中そばにいられなくなったし。ハミルトン侯爵家で君の護衛を新しく雇う予定は?」
セファの問いに、私は一度クライドを見る。まだ確認はできていないけれど、私の今の状況を一番把握している人だろう。変な確信がある。
しかし、クライドはにこやかに笑って私に続きを促した。意地が悪いわと内心で罵りながら、セファへと向き直る。
「何から話せばいいかしら。今後の方針だけれど、ひとまず私、姿を隠すのがいいと思うのよね」
私を使いたい王族や救世の関係者が、魔女にならずに戻ってきた私を持て余すのもよくわかるし、何も知らない貴族が、セファという破格の後ろ盾を連れて戻ってきた追放令嬢に興味を抱くのもわかる。要するに、私は二重の意味で注目の的なのだ。それがようやく分かった。
つくづく、今後の指針を決めるのに欠かせない重大事項を伏せてくれていたものだと思う。恨み言を言っても仕方ないけれど。
対立勢力同士の牽制合戦もそろそろ治まって、私へ間諜をはなち周辺を洗い、情報戦へと切り替わっている頃合いだろう。
「今までも、ハミルトン侯爵家と魔術塔を行き来することで私の所在は不確かだったと思うの。フォルア伯爵夫人である母でさえ、私と接触できなかったように」
正攻法で訪ねた時、多くの場合私は不在だっただろう。庭に出ることもあまりなかったし、そもそも姿を見て私だとわかる人が少ない。
「そこでさらに、今日の騒ぎを使うわ。世間的に、ローズ・フォルアリスには黄金劇場での観劇を最後に行方知れずになってもらいましょう」
「は……?」
要するに、注目してくる半分の目をごまかす。王室救世関係者にはどうせ居場所は筒抜けなので、母を含むそれ以外の目をごまかしたい。
セファだけが何か言いたそうな顔をしているけれど、そのまま続けた。
「なので、研究生のロゼとして魔術学院寮に移るわ」
「……フェルバートの指示で?」
「あの提案に乗るのがちょうどよかったということよ。言い出したのは向こうなのだから、手配はフェルバートに任せることにするわ。
魔術学院と寮なら、部外者の侵入はまず不可能だし、魔術塔にも出入りができる。護衛を絶えず引き連れる必要性も薄まるでしょう」
ね? と問えば、クライドは「まぁ、妥当でしょうね」と肩を竦める。あとでその他色々追求するつもりなので、笑っていられるのも今のうちだと笑顔を返した。
一方で、浮かない顔なのはセファだ。多分、フェルバートの元を離れることが気になるのだろう。
「今日の外出で、フェルバートに聞きたかったこと全部聞き出して結論が出たわ。一度は受けた婚約だけれど、お断りしたの。だから私、なんにせよハミルトン侯爵家にはいられないのよ」
セファとエマが固まっている。トトリはなんだか表情が輝いて、クライドは悪い笑みを浮かべていた。いつかのような暗く荒んだ顔をしていないので、ひとまず続ける。
「身元引き受け人はハミルトン侯爵のまま変わらないはずだけれど、今後援助がいただけるかどうかはこれからの話し合い次第ね。一定額上限を決めて、手切金をいただければ良いけれど、そのまま放り出された時はまた考えないと。
午前中はしばらくその対策と対応に追われるから、セファの工房には今まで通り午後に行くわ。お昼前に学院の研究室に行くから、待っていてくれる? 食堂で食事というのもしてみたいし……」
言添えてからハッとする。もしかして、夢にまで見た友人と食堂で食事をしながらの楽しい会話が、正真正銘叶う機会ではないだろうか。
「ローズ様、ちょっと待ってくれ。フェルバートとの婚約を断ったって……?」
「そのままの意味よ。私が断っただけだから、正式な破棄というわけではないけれど。話し合いはこれからだし……」
考えを巡らせながら呟いて、あぁ、でも、と自嘲気味に笑う。
「そもそも、正式に婚約を結んでさえいなかったのかしら」
そういうことにして、私をそばに置いていたに過ぎないのかもしれない。なにせ道具として存在を許されていたのだ。死んだことにすればよかったのにと王妃には言ったけれど、まさにそうだったのでは。
でなければ、魔術学院入学を免れた理由がない。魔力を持つ貴族平民問わず全ての民を入学させ、その力の扱い方、意義を教え込む学院だ。フォルア伯爵家長女として貴族登録があるのに入学がないなんて、事務処理上、一般官吏が疑問に思われないわけがない。
「フェルバートに何を言われたんだ」
まさに直球で、小さく微笑むにとどめた。隣に座ってじっと見つめてくるセファの顔は真剣で、大丈夫。と、心配を払拭させるべく笑顔で首を振った。
「ハミルトン家とフェルバート自身に、私を婚約者とする利点があっただけ。それに気づいた私が問い詰めて、フェルバートが白状して、私がそれを受け入れられなかった。それだけのことよ。はっきり言ったわ。あなたなんかいらないわ。って」
「ローズ様」
多少辻褄が合うよう言い換えたけれど、大筋はこんなものだろう。セファが心配の色を濃くして名前を呼んでくれる。
「平気よ。大丈夫」
「そんなわけないだろう。前だって君、一人で……。ローズ様の口から言えないというならフェルバートに直接聞いて」
「大丈夫よ。平気だと言っているでしょう。それに、セファにはなんの関係も無いことだし」
言い終えた途端、周囲の空気が凍った気がした。
不思議に思って周囲を見回す。
「……? なに?」
エマがぷるぷると首を振って、トトリが顔を背けて肩を震わしている。向かい側に座るクライドは、体を椅子へと預け足を組んだ。
セファが、今までにみたことのない顔で笑っている。
「セファ?」
つられて笑いながら、首を傾げる。セファの笑顔は今日も綺麗だった。
でもなぜかしら。背筋がひんやりするのは。
「そうだね」
涼やかな声だった。
「君の今後の方針はよく分かった。なら、そのフェルバートに鳥を飛ばしなよ。鳥でもなんでも、学院に入寮の申請さえすれば即時許可が出る。部屋の用意ができるまでは来客用の部屋に滞在ができるから、今夜はそこで休むといい」
なんだか突き放すような物言いに、私は瞬きを繰り返す。
「セファ……? どうしたの?」
「別になにも」
取り付く島がない。他の面々を見ても、肩を竦めたり首を振ったりするばかりで、解決の糸口が見当たらない。
ええと、と呟く。
「怒っているの?」
笑顔のセファが、口を開いた。
「結局どうして怒ったのか分からないままよ!!!」
「うーわ、セファ先生可哀想……」
「そりゃ、ロー……、じゃない、ロゼ様が男心を分かってないっていうか……」
「師弟関係っていうよりも、大事な友人って言ったんでしょ? そりゃセファ先生だって、そんな相手に関係ないなんて言われたら怒るよ」
「……ロゼ、今から二人で工房行って、先生襲う?」
「ちょっと誰か、メアリを黙らせてくださる?」
机を挟んだ正面で、ミシェル、ジャンジャック、リリカが呆れたみたいな顔で苦言を呈し、隣に座ったメアリが私の頭を撫でてくれ、その反対隣にリコリスが腰を下ろす。初めて足を踏み入れた魔術学院寮の共用食堂で、学院外套の頭巾で顔を隠した私は机に突っ伏し嘆いていた。
「だってセファに何をどう言えというの。私、婚約者と関係が破綻するの二回目なのよ。どんな顔で何を話せというの……!」
「そもそも好きな人に、婚約者の話なんてしたくないよねぇ。未練があると思われたくないし手短に済ませたいし」
「ロゼ、悪くないよ。大丈夫」
慰めてくれるメアリに抱きつく。色素の薄い金の髪が頬をくすぐった。嬉しそうな声を上げて、メアリがぎゅうぎゅうと私に腕を回してくる。
「……苛立たせたり危ないことを叱られたことは今までたくさんあったけど、あんな目で見られたのは初めてよ」
「どちらかと言えば、ロゼ様にとってそれだけの立場でしかいられない自分に腹を立てたとかじゃねえんですかね」
「あー、男としてそういう、頼りにされない自分に的な」
ジャンジャックとミシェルがなにか小声で話しているけれど、聞き返すどころではない。
メアリにしがみついたまま、意見を交わす男の子たちを情けない顔で見た。
「き、嫌われてしまったかしら……」
「ないんじゃないかなぁ。あの様子からして、そう簡単には……」
「ないない。あぁもうロゼ様、そんな顔しないでください。なんかこう、いや、なんでもないですけど」
根拠のないこととよくわからないことを、二人が口にする。下手な慰めはやめて。と、メアリの肩に顔を埋めた。
「でも、入寮が即時できるって知ってたってことは、わざわざ調べてくれてたってことよね」
リリカが呟く。メアリから顔を上げてそちらを見た。相変わらず気やすい笑顔が可愛い救世の巫女だ。
肩より長い黒髪は一部分だけ結い上げて、あとは背中に流していた。それが、首を傾げる動きに合わせて揺れる。
「大丈夫ですわよ。明日の午後会うんでしょ? さっさと仲直りして、解決しましょう」
「午前中の婚約者との話し合い次第よ」
その場の空気が微妙になる。
「婚約者と会って話す内容次第で、ロゼ様に放置されるセファ先生……」
「あっ、ちょっと面白そう。ロゼ様、午後これなくなったら鳥飛ばして。セファ先生が受け取るところが見たい」
男の子たちがなんだかんだと面白がっているのがわかって歯がみする。あなたたち……っ! と拳を握るけれど、ここで振りかざす権力も肩書きもない。
どうどう、とリコリスに窘められるけれど、発散不足で再び机に突っ伏した。引き続き頭を撫でてくれるメアリの手が優しい。
「なら、ひとまず距離を置くと割り切って、向こうが落ち着くのを待ちましょう。その間にロゼは何が悪かったか考えて、今後改善すること」
「リコの言う通りよ、ロゼ。大丈夫。男の子っていうのは、ちょっとしおらしくして可愛く見つめながら、反省してるわって言えばころっと許してくれるから。謝れば済むってもんじゃないのよって怒り出す女の子とは違うわ」
「リリカ……?」
「えっ、今なんて?」
「異世界の女子学生の常識が怖い」
リコリスとミシェルとジャンジャックの視線に、リリカはうふふと返すだけだ。見た目と違って、意外と強かな女の子なのかもしれない。私も呆気にとられて彼女を見つめていると、メアリが私の頬を優しくつついた。
「リリカとリコは、今日寮の来客室に泊まるの?」
「そうよ。ロゼがくるーって、招集かけてくれたから、夕方だったけど世話係突き飛ばしてきちゃったわ」
「わたくしは上のお兄様にきちんと話を通しました。ええ、お母様やお父様がどれだけ鳥を飛ばしてきても、学院寮に入ってしまえばこちらのものです」
「じゃぁ、ロゼ、今日は私の部屋に泊まってね」
何故そうなるのか全くわからないけれど、至近距離で可愛く小首を傾げられたら一も二もなく頷いていた。
「来客室は、部屋の場所がそれぞれ近いから。突然来られたら、顔を隠すの間に合わないかもしれないわ」
そっと耳打ちされた言葉に、ありがとう、とさらにメアリを抱きしめた。
抱きしめたメアリがおなじように腕を回してくれて、うふふ、と嬉しそうに笑った。
「これから、よろしくね。卒業まで数ヶ月、毎日がとっても楽しみだわ」
卒業式は春だ。秋と冬、二つの季節を同じ場所で過ごせるかと思うと、どきどきする。
「ありがとう。よろしくね」
優しい顔をするメアリに、微笑みを返した。
気になることはたくさんある。あるけれど。
セファの冷たい視線を思い出して気が重くなる。どうしてあんなに怒ったのかしら。と、だんだん腹が立ってきたけれど、メアリの体温に心を強く持った。
もう、誰にも、振り回されないようにしなくては。
三章「天機に触れた、宮廷魔術師」前編・完結です。
全然思ってたところまでたどり着かなくてびっくりしてます。あれー? 全く、天機に触れないぞー?
9月10月見事にスケジュールが狂ってしまったので、後編は11月頃に開始予定(一日開始は無理かもしれない)です。家のイベントごとも多いので、年末に向けてまた更新が不安定になるかと思いますがご了承ください。
書き溜め中は、短編や設定資料、人物紹介Vol.3を公開できたらなぁと思っております。よろしくお願いします。




