29.ささやかな願い
お気に入り登録、拍手、返信不要の拍手コメント、ありがとうございます。嬉しいです。
多分、他にも気になっている方がいそうな点だけ、現時点で「赤い髪」は、私がポンコツやらかしてなければ作中たった一人です。よろしくお願いします。
『……魔法使いのことも、きいたわ』
羽のように軽い腕の中の友人が、おもむろに切り出す。その問いかけに、僕は動揺を抑えきれなかった。ごまかすように視線を落とせば、透き通った青がこちらを真っ直ぐに見つめてくる。
「誰から……、いや、いいけど。……うん。そうか」
「セファったら、本当に魔法使いになるのね」
「まぁ、好きに研究するための、おまけだよ」
「世界のための、魔法使いに、なるのよね」
本当に、魔法使いの何もかもを知ったらしい。自分で説明はできなかったし、誰かに指図して教えるのも難しく、けれど知らない誰かからどんなふうに教えられたのか、わからないのも落ち着かなかった。ローズに知って欲しかったのか隠していたかったのか、自分でも判断がつかない。
魔術を教えていく上で、隠し続けることなんてできるわけもないのに。
そんな、中途半端な気持ちで優しくしていた報いなのかもしれなかった。
笑みを浮かべて、なんてことない風に言葉を選ぶ。知られたことで、ローズとの距離が変わることは避けたかった。
「うん。師匠や大師匠みたいな例外はいるけど、本来はあまり人前に姿を現さなくていいんだって。青も緑も引きこもって研究してるって噂だし、これまでを思うと、とても、僕の望む環境に近いと思う」
「食事を忘れないようにしないとね」
「たしかに。空腹で動けなくなったら、悲惨だなぁ」
「悲惨だわ。それに、魔法使いが格好悪いもの。仕方がないから、私が食事を届けてあげるわ」
つんと腕の中で呟く言葉に、それはいいなぁ。と、心から思った。食事時になればローズが現れて、僕はそのために研究の目処をつけて、向かい合って食事をする。
「セファが自分で用意した方が美味しいと思うけど。研究や実験で忙しくしているなら、食事の用意に手を取られるわけにもいかないわよね。私にできることなんて、人に作ってもらったものを運ぶくらいだけど、でも、それくらいは」
「僕が」
学院や王城の食堂まで、食事を受け取りに行くローズを想像する。いやいやと内心で首を振った。そんな雑事をする人じゃない。だって、ローズは根っからの貴族のご令嬢だし、そんなことのために一人で歩かせるわけにはいかない。いや、エマやトトリがそばについているかも知れないけれど、非力なあの二人がなんの足しになるのか。フェルバートはもう、彼女のそばにいつでもいるわけじゃないのだ。
「僕が、自分で作るよ」
ローズがやりたいことを頭から否定のするような言葉だったけれど、誤解をして欲しくなくてさらに続ける。
「君の分も用意する。一緒に食事をするなら、自分の分を忘れることはないだろ」
腕の中のローズが笑う。嬉しそうに、幸せそうに笑ってくれるのに、どうしてどこか泣きそうな顔に見えるのだろう。頬から額が僕の肩に押し付けられる。
「どうしても、というのなら」
僕の胸元を掴むことなく、白くて細い指が硬く握られていた。小さく震えるそれとは対照的に、いつもの調子でちょっと顎を上げたローズが傲慢に言い放つ。
「用意させてあげるわよ。友人として」
「師匠として、弟子の世話をするのは当然だからね」
いくつもの違和感を見て見ぬふりをして、僕もいつもの調子で応えた。あれこれと目につく端から指摘して問い質したかったけれど、こんなに疲弊している彼女を追い詰める必要はどこにもない。
だからいつもの会話ができるように、それにしても。と、続けた。
「友人として、用意させてあげる。って、一体どういう理屈だい」
「なによ。そっちだって、師匠の世話が弟子の特権ではないの」
「師匠の世話? ……君が?」
瞬く。一拍後にはこらえきれずにくつくつと笑った。
「君、僕の世話なんてできるのかい」
笑っていると、ローズの眉が寄っていく。弱い力で胸の真ん中を叩かれて、それが一層笑いを冗長させた。せっかく堪えようと思っているのに。
常になく笑い続ける僕を、クライドが気味が悪そうに眺めている。ローズに対しては、友人としていつもと違う自分でいる自覚があった。
僕が肩を震わせ続けていることにとうとう諦めたのか、それとも疲れが限界にきたのか、ローズは僕の肩あたりに体を預けて、目を閉じつつも話し続けた。
「実験や、研究を書類にまとめる手伝いなら少しは役に立てるわ。セファの弟子として、何か身につけた方がいいことがあるなら覚えるし」
「いいよ。食事は僕が作るし、掃除も魔術ですませる。洗濯だって洗濯場に送ればいいだけだから、君は好きに魔術の研鑽をしてくれればいい」
「でも」
「君は、弟子である前に大切な友人だろう。一緒に美味しいものを食べて、楽しい話をする。魔術を教える師弟関係は、そのついで。違うかい?」
「ちがわないわ……でも」
続く言葉を、いつだったかも聞いた気がする。
「あなたの役に立ちたい」
他の誰でもない、あなたの力になりたいのだと。目を伏せた白い顔の彼女は告げた。
「ずいぶん長く眠っていますね」
魔術塔の工房。調合室から談話室へと戻ってきた僕の顔を見るなり、長椅子でに寛ぐクライドがそう告げた。傍らに本を何冊も積み上げ帳面に書き付けする姿は自由すぎて呆れる。調合室の寝房に横たえた途端、気絶するように眠りに落ちたローズだったけれど、術式阻害を結界装置に組み込んでいるせいだとは言わない方がいいのだろう。
「よっぽど疲れたんだろう」
フェルバートは何をしているんだろう。連絡しても、以前同様迎えにくる様子がまったくない。しかも今回は、ローズ様が呼ぶことがあれば行く。と、はっきり断ってきた。まるで、ローズ様がフェルバートに会うことを望んでいないと言うように。
……もしかすると、今日話をしたことで、何か行き違いがあったのだろうか。
考え込んでいると、クライドの視線を感じた。何かと顔を上げれば、いいえ、と曖昧に返事をにごされる。
この得体の知れない文官は明らかに何かを隠している様子だけれど、何も教えてくれたりはしなかった。
そもそも今日のことだって、フェルバートと観劇に出かけたローズのことを極力考えないよう工房で魔術書を読んでいたのに、前触れもなく現れて連れ出されたのだった。
後ろめたいことがいくつかあったのも確かで、そのうち最も他愛ない事を持ち出して脅迫してきたクライドは、どうでもいい話をしながら僕を言葉巧みに魔術塔から連れ出した。
そうしてたどり着いた先は魔術学院敷地内の森の結界で、以前、ミシェルやジャンジャックが興味を示していた場所だった。その道中にもジルギットが王都に現れた知らせの鳥は来ており、近くにいるなら急行せよと言う指示が出ていたにもかかわらず、クライドはこちらを優先させた。
戸惑っているうちに声が聞こえて、青の衣裳をあちこち汚し疲れ果てた顔のローズが現れたのだった。
クライドが寛ぐ長椅子の向かいに腰を下ろして、軽薄な印象の強い、灰色の目を見つめる。何か知っていて、目的があって、僕やローズを良いように動かしているように思える得体の知れなさがあった。けれど、今回の件については指示に従ってよかった思うので、敵味方の判断がつかない。
ローズに今まで力を貸してきていて、彼女自身も信頼しているようだから味方と思っていいはずだけれど、心から信用できないのはその言動のせいだろうか。
「魔術師セファは、いつ、白銀の魔法使いになるんです」
おもむろに問われて、咄嗟に警戒する。そんなことを聞くのは明らかに無遠慮で、自然と表情も声も冷え込んだ。
「急だね。聞いてどうするの」
「ローズ姫との今後を、どうお考えで?」
冷たい返事にも怯む様子はなく、さらに続けて問われた内容に、絶句する。顔に出すほどではないけれど、取り繕えるほど場数は踏んでいなかった。ローズだったら、もっとうまくやっただろうけれど。
「……幼い頃から、ローズを見てきたんだっけ。保護者のつもりかい」
「一時はそばを離れましたが、ええそう思っていただいていいですよ。今、そばにいられる昔馴染みは私だけですから」
昔馴染みと言われると、何も言い返せなかった。けれど、以前のローズの生活について知っていることを思い返す。果たしてローズの『昔馴染み』が、どれだけ味方だと判断できるだろうか。
「今は兄として、ローズ姫の行末を見守りたいと思っています。本心から」
不要な語句をわざわざ付け足すから怪しいのだ、と目をすがめる。信用に至りませんか、とクライドが苦笑した。
「今は、って?」
「あの事件の前、五歳のローズ姫に将来求婚することがあり得るだろうと、当時若輩ながら思っていたことがあります」
「……は」
二の句が告げず、固まる僕を横にして、クライドは何でもないことのように続ける。
「しがないワルワド伯爵家の三男と、型破りなフォルア伯爵家の長女。彼女の次兄と学友だった私は、休暇の際訪れた屋敷で彼女に出会いました。優秀な家柄と両親と兄妹に対し、魔術師になれるだけの素質がないと判断された彼女の手を取るなら自分だろうと、ほんの一時思い、彼女の力になるよう手を尽くすことを誓って、それが形を変えても今に続いている。と言うだけのことです」
「……王家に重用される文官が、今に至るまで婚約もせずにいる理由かい?」
「ワルワド伯爵家は、実質国王自らの手による取り潰しです。いずれ私の手に戻すとはおっしゃいますし、おそらく相手も王か王妃が見繕うでしょう。嫁いでくる娘は相当な訳ありでしょうね。可哀想なことです」
自らおどけて肩を竦める仕草は、まるで芝居がかっていて何を信じていいか分からない。
関わるようになってからクライド・フェロウの噂はあれこれ耳に挟んだけれど、数々の貴婦人の屋敷を渡り歩いているのは本当のようなのだ。
「……赤の魔術師が、魔法使いになった顛末を知っているかい」
「ええ、まあ。有名ですから」
問えば、クライドは訝しげに眉を潜めた。そして、まさか、と目を見開く。
「百年以上もの長い間、世界に七人と定められているはずの魔法使いは二人きり。新たな魔法使いも見つからず、魔女カフィネの大罪も忘れ去られようとしていた頃のことだよ。赤の魔術師が見出されたけれど、彼女は強く抵抗した。その時、彼女はすでに結婚していたからだ」
それも、黒の王国の当時の先王と。複雑な事情から若くして退位した王は、王宮魔術師として長く支えていた赤の魔術師を望んだ。赤の魔術師は強引な先王のやり方に最初は怒っていたけれど、やがては許し、愛すようになったという。
子宝にも恵まれ、いつか分かたれる時まで共にあることを望んでいた矢先の、魔法使いへの打診だった。
赤の魔術師は熟考の末、条件をつけた上で魔法使いになることを受け入れた。
「……同じことをするつもりですか」
「そういう選択肢も、あるというだけだよ」
「赤の魔法使い」については、拙作「金の鳥籠」が出典ですが、正史ととってもパラレルととっても構わないかなという感覚で書いております。ふわっとした感じで、よろしくお願いします。
(あの終わり方がよかったのに! という方もいるかな……、と)