27.フェルバートとの外出ーローズの憤慨
セファのどんなところが好きかなんて聞かれても、うまく答える自信なんてなかった。
出会ったときの印象なんて、突然変なことを言うし、かと言えばそれは嘘だとか、関わるつもりなんてないなどと、情けない声で突き放されたのをいまだって忘れてない。
見て分かる通りの、生意気な年下の男の子だった。実際は、二ヶ月も変わらない同い年だったけれど。
優しくしてくれた。魔術を教えてくれた。でも、それだけじゃないわ。
ただのローズでいいと、言ってくれた。でも、たぶん、それだけが理由じゃないのよ。
出会ってからたったの一ヶ月と少し。それでも、一緒の時間を過ごすうち、降り積もっていったものがある。小さな優しさや真剣な横顔、僅かな笑みに温かな手のひら。なんだか、そんなものが少しずつ少しずつ、私の胸を満たしていったのだ。
いつ、セファに、伝えるのか。
なにを?
この、浅ましい想いを? セファに?
「セファには、言わない。言えないわ」
臆病な自分を笑って、フェルバートに向かって首を振る。
「いずれ長寿の魔法使いになるなら、すぐに目の前から消えて無くなる私の気持ちなんて、伝えてどうするの。あぁいえ、まだ、そうと決まったわけじゃないし、諦めたつもりもないけど。でも、普通に生きたって変わらないわ。そうでしょう?」
世界は救う。フェルバートの言う通りだ。それはわかっている。そのために今までこうして育てられたと言うのなら、その役目からは逃げたくない。でも、なにか、他に方法がないか足掻くくらいいいはずだ。
足掻くけれど、これから悠久に身を置く人の負担にはなりたくない。
「それに私、同じ顔をしたもっと印象深くて素晴らしい人と、張り合う自信ないもの」
「……はい?」
「だって、セファは、異界渡りの巫女のことがずっと大事でしょう? 新しい世界をくれた人よ。私にとってのセファみたいなものだわ。なら、大切に思うのは当然だって分かるもの。
セファは優しいから、私にたくさん気を配ってくれるし、弟子としてちょっと特別にしてくれるけど。セファの本当の特別は、きっとずっと……」
「……ローズ嬢」
「なあに?」
「さすがに、少し、セファが哀れです」
哀れ。
フェルバートでもそう思うの。そうよね。と、私は真剣な顔で頷く。
「そうね。もう会えない人を想い続けるのは、切ないわね」
「いえ、そうでなく」
否定されて、瞬く。首を傾げて見せるのに、フェルバートはなぜ私がそんな顔をするのか、理解に苦しんでいる様子だ。
「……本気で言ってるんですよね? ……あれだけ周囲全方位へ無自覚に見せつけておいて当の本人には何一つ響いてないのか……。気の毒に」
独り言を始めたフェルバートに、手を叩いて注意を向けさせた。
ため息まじりにこちらを見るので、お前にそんな顔をされる筋合いわないわよ、と睨み返す。
「まだ聞きたいことがあるわ。異界渡の巫女のことだけど」
フェルバートの表情が改まった。彼にとっても、異界渡りの巫女というのは、たぶん、代わりのいない何者かなのだろう。
「彼女、結局何がしたかったの」
手紙を残してくれたこと、私への思いを綴ってくれたこと。あれらに罪はないけれど、今のこの状況を考えると、どうも力足らずに思えてならなかった。
「……巫女はただ、ただひたすらに、あなたの生存を望んでいました」
フェルバートは語る。異界渡の巫女が、そのためにイシルイリルとの婚姻を回避したこと。一時的な措置と分かっていながら、集落の魔力酔いを軽減するための装置をセファと作成し、各所に設置した。砦の騎士たちと治療にあたり、恩を売ったのだそうだ。
「本来は、魔女となる儀式によって魔力酔いを癒すことができたそうです。今、異民族の土地を襲っている魔力酔いは、魔力に耐性の低い者のうち老人や病人がまず倒れる。次に子どもに影響が出始めると異民族全体の悪感情が膨れ上がる。結果、槍玉にあげられるようにしてあなたが儀式に臨むこともあり得た」
「……見てきたように言うのね」
「さて」
言葉を選ぶように、フェルバートが石壁に背を預け、宙を見つめた。
「あいつは、とにかく秘密が多かった。それでも、こぼさずにはいられなかったものがあったのだと思います。その秘密の共有相手に、俺が選ばれましました」
秘密の共有相手。時々、二人で話す姿を見たと言っていたのは誰だったかしら。
「荒唐無稽な未来の話を頻繁にしていました。その未来にならないためにどうすべきか、意見を求められたり、策を練るので穴がありそうなら反論するよう求めたり」
「避けたい未来の、話……? さっきのも?」
「そうです。あぁ、セファを辺境から遠ざけるにはどうすれば、などとも言っていましたね。どこでもいいなら自分で王都辺りまで連れて行けば、あとは勝手に魔術塔の蔵書に吸い寄せられるだろうと適当に返したら、本当にその通りにしました」
あまり、賢いやり方だったとは思えませんが、とにかく必死で。ローズ嬢の今後に大きく影響があるかどうか未知数だったので、言われるまま協力しましたが。
平坦な声と表情で、フェルバートが言う。本当に興味がなかったのか、今そう言うそぶりで言葉にしているだけなのか、どちらだろう。
「あなたに関してあいつが望むことを、うまくやったとはいえません。要領も悪かったし、場当たり的に凌ぐことも多かった。ただ、世界に対しては白銀の魔法使い候補を見出したという比類なき成果を生みましたね」
宮廷魔術師になったセファを見て、想定外だと頭を抱えていましたよ。あなたが今後セファを自由に使えるようにしなくてはと筋道を考えていました。結局、何もかも中途半端にいなくなってしまいましたが。などと続けて、フェルバートは小さく笑った。遠くを見ながら、きっと異界渡の巫女を思い出している。
「フェルバート」
気づけば声をかけていた。
「もう行って。あなたではこの結界をどうしようもできないでしょう。私は、少し気になることがあるから、ここを調べるわ」
「危険です」
「結界に阻まれているのだから、お前がいてもいなくても同じよ」
「ローズ嬢」
引き止める言葉を無視して、さよなら。と突き放す。フェルバートがいなくなる前に、私は背後を振り返った。
そこにあるのは、一つの扉だ。重たそうな木の扉は、固く閉ざされているように見えるけれど。
手を伸ばして、扉を押す。こんなふうに自分の手で開く扉は重たかったけれど、後ろにフェルバートがいることを思い、なんてことない風を装った。
なんとか押し開いた扉の隙間に、身を滑り込ませるようにして入る。手を離した途端扉は重く締まり、私は背を預けて大きく息をついた。
「みんな、勝手だわ」
本音を溢す。フェルバートに向かって罵ることはしたくなかったけれど、一度姿を遠ざけてしまえば無意識に口からこぼれ落ちた。
「勝手よ。知らないわよ。好きにすればいいでしょう。挙句に、何もかもが手遅れの状況で知らせてきて。……私にどうしろというの」
もう! と苛立ち紛れの声はうわんうわんと部屋に反響した。
「私の気持ちは! どうでもいいのでしょ! それなら、ずっと私のために頑張っていただなんて!! 恩着せがましく言ってこないで!!!」
何度でもいう。私は、王太子妃教育のための毎日を辛いと思ったことなんてなかったのだ。今振り返れば寂しかったことはあったと思う。ただ毎日毎日与えられる課題をこなすのに必死で、多くのものをとりこぼしてきたことも認めよう。でもそれを辛いとか逃げたいなどと思ったことはなかった。
世界を救うためのいずれ失われる道具として育てられていたことも、聞いてみればなんのことはない。今までの違和感が説明されて、いっそのこと腑に落ちなかったことを解決してもらった気分なのだ。だって、そうでもなければいろいろ説明がつかなすぎるのだから。
周囲の人間がそういう目で見ていた。味方がいなかった。それだって、なんてことはない。王太子妃として宮中を舞台に百戦錬磨の老爺たちと化かし合いをしようと日々励んでいたことを思えば、なんら変わりはない。侍女も、侍従も、教師たちも、両親でさえも親身に寄り添ってくれたことなんてなかった。孤立無援の一人ぼっちだなんて今更だ。
守らなければならない妹や義弟が無邪気に笑いかけてくれていたから、今までこうして立っていられた。世話をしてくれる侍女の手が優しくて労りに満ちていたから、お前たちにできないことをやるために、と奮起した。
「お母様も、アンセルム殿下も、どうして、そんな私のために人生の多くを無駄にしたのよ」
王妃の視線を思えば、きっと、私は二人に感謝すべきなのかも知れない。私のために、自分を犠牲にして手立てを探し続けてくれたのねと喜びその手を取ってその献身に報いるべきなのかも知れない。
でも。
「いつ! だれが! 頼んだのよ!!!」
もう一度力一杯吠えると、同じようにうわんうわんと反響した。




