23.フェルバートとの外出ージルギット討伐
様子を見ながら少しペースを落として執筆してます。よろしくお願いします。
「虎の魔物。どうして都市結界内に」
「逃げましょう。エマ、ついてきなさい。お前もこい」
騎士見習いとエマにも声をかけて、フェルバートは個室を出た。行きあった騎士に「こちらは使えません」と声をかけられる。
「入口ホールへの階段は壊されていて使えません。舞台側の通用路へ」
「それでは降りた先が舞台脇になる。ジルギットの対処法について詳しいものはいるのか」
先ほど見た限りでは、魔術結界と騎士による防戦が主だった。じりじりと防衛線は舞台側へと下がって行っていたように思う。当然だ、魔物と戦ったことのある者など、大規模討伐遠征に参加する騎士と魔術師、王国結界境界に暮らす辺境出身者くらいなのだ。最も強固と言える王都の都市結界の内側で、死ぬまで魔物に会うことのない人間だっているというのに。
「討伐遠征でもなかなかお目にかかることのない大物だぞ、それもこんな場所に都合よく討伐経験者などいるものか」
行きあった騎士の悪態に、私とエマは顔を見合わせる。ジルギット、ジルギット。いつだったかの王太子妃教育で、その生態は知っている。より詳しい特性については、セファの工房にあった魔物図鑑で先日読んだところだ。
私は目を閉じて、記憶を呼び起こす。
「ええと、確か『虎の魔物、ジルギット。森の奥に縄張りを持ち、群れを作らず一頭で行動する。咆哮は風の刃をまとい、獲物を狩る際は身を低くし飛びかかる。聴覚が鋭く視覚が弱いため、魔力で獲物を察知する。光や音での撹乱で足止めをしての討伐が有効』だわ」
目を開けば、フェルバートと騎士見習い、そして名も知らぬ騎士が私を凝視していた。思わずエマに寄り添う。
「ローズ嬢、その知識は、どこで」
「セファの工房の魔物図鑑で読んだの。挿絵付きだったしジルギットで間違いないわ。黒の魔法使いがセファに贈ったそうよ」
「あの人はまたなんでそういう大事な書を個人間でやり取りするんだ」
「セファは、各所に写本を回すと言っていたけど」
歯噛みするように低く唸るフェルバートに言添える。助かりますと呟いて、騎士は身を翻した。
「フェルバート?」
「討伐します」
「討伐って……。今の情報だけで? 魔物と戦ったことなんてあるの」
「ご存知の通り、ありませんよ。けれど、魔術師は戦えません。魔獣や魔物討伐は、騎士と魔狩りの仕事です」
言いながらも先へ行こうとするフェルバートを引き止める。
「お前、私の護衛騎士でしょう」
「もう違います」
役目があります、とフェルバートが言葉を重ねて、私が掴んだ手をそっと外した。
「あなたと婚約した今の俺は、騎士団において騎士たちの上役です。有事の際は指揮を取らねばなりません」
「魔獣討伐部隊と、魔狩りの到着を待てないの」
「それまで誰かがあの場を保たせなければ」
行きます。と私から離れて、フェルバートは行ってしまった。
ジルギットの咆哮とともに、劇場全体が揺れる。軋む壁を眺めて、私はエマと騎士見習いを振り返った。
「ここもいつ危険になるかわからないわ。結界の内側にいきましょう」
「どうして魔物が」
「なんで、都市結界はどうなってる」
「結界内で魔物が発生するなんて聞いたことがないわよ!」
「そうだ、ありえない」
「ならなんでだ」
「呼び込んだ奴がいるんじゃないのか」
多くの平民が舞台側へと身を寄せ合っており、その誰もが疑心と混乱の中にいた。
「姫様、こっちに」
エマの手を頼りに舞台下手側に身を寄せる。客席の方を見ると、入り口ホール側が破壊されているのが見えた。この様子だと、外観も何かしら被害を受けているかもしれない。
……よくも黄金劇場を。
き、っとジルギットを睨みつける。茶と黒の縞模様の毛並みを持つ巨大な虎は凶暴化しており、結界に阻まれながらもこちら側に牙を剥いていた。
「フェルバートが来たんですね」
「ディオル様」
声をかけられて、顔をあげる。金髪を少し乱したディオルは、嬉しそうに笑った。
「なら、なんとなるかもしれない。姉上、行ってまいります。舞台上手側に神官がいるので、もし怪我をしているなら癒してもらってください」
「怪我は、ないわ」
「よかった」
笑って、答えないままディオルは剣に手を添えて魔物の方へ行ってしまう。
一瞬のことで、王太子が前に出るだなんてと引き留めそびれてしまった。呆気に取られていると、騎士見習いも一歩踏み出す。「自分も行きます」と一言告げて、聞き返す間も無く背中が遠ざかってしまう。
剣戟の音と、魔物の咆哮がひびく。その度に黄金劇場全体が揺れた。あちらこちらで術式起動の詠唱が聞こえ、戦う騎士たちを魔力豊富な上位貴族たちが補佐していく。
ジルギットの皮膚は強靭で、なかなか決定的な一撃が与えられない。手負いの魔物はいっそう我を失い、なりふり構わず前足を振り回し暴れ出す。
「フェルバート」
思わず名前を呼んだ。別の騎士と入れ替わり立ち替わり攻撃に参加している姿が見える。結界術師の盾の内側から飛び出し、前足の爪を剣で受け流す。
「ストゥネフ、スイダルグ」
時折魔術で攻撃を加えていたけれど、フェルバートの魔力特性は風だ。決定打には至らない。
こんな時、なんの力もない自分が恨めしかった。
騎士の剣を受け続けるジルギットが、幾度目かの咆哮を響かせた時、劇場が一際大きく揺れた。
「姫さまっ」
舞台の真上から、吊るされていた照明が落ちてくる。落下地点から離れた位置にいたとはいえ、エマに腕を引かれたことで落下物に気づいた私の背に、冷や汗が伝う。
上を見上げれば、幾つもの影がゆらゆらと揺れていた。照明をはじめとした、演劇用の機材が吊り下がっているのだ。
「袖に隠れていましょう。舞台上はいろんな仕掛けがあって危険です。舞台の下には仕掛け部屋がありますから、何かの拍子に底が抜けでもしたら」
でも。と、私は袖と舞台、客席をの上をそれぞれ見やる。どこも天井が高く、照明が下がっているのは同じだ。隠れる場所があればいいが、そんなものも見当たらない。
安全な場所を探しているその時、わっという歓声が聞こえた。はっとそちらを見やると、入口ホール側から装備を整えた騎士たちがやってくる。討伐部隊だ! どこからか聞こえてきた声に、安堵がこみ上げる。部隊の連携によって瞬く間に押さえ込まれていくジルギットの姿を実際に見て、もう安心なのだと胸を撫で下ろした。
「もし。あの、そちらにいるのはエマ様ですか?」
涼やかな声をかけられて、エマと私がそちらを向く。舞台の裏という奇妙な場所から女性が顔を出していた。
「そうだけれど……。あなたは」
「魔術学院在学中、お目にかかったことを覚えいらっしゃいませんか。そのぅ、学年は違いましたが、選択授業で」
「申し訳ありませんが」
私に寄り添って立つエマの返事は冷たい。フェルバートも騎士見習いもそばにいないので、張り詰めているのだ。
「そうですか。重ね重ね失礼ですが、魔力特性が氷だったと記憶しております。いま、上手側の袖にて、負傷された方々を神官が見ており、手を貸していただけないかと思いまして」
非常事態に感情が抜け落ちているのか、ひどく淡々とした物言いだった。私はエマと顔を見合わせる。
「申し訳ありませんが」
「エマ」
考えるまもなく断るエマに、思わず声を掛ける。エマは私がそう言い出すとわかっていたように、厳しい顔で首を振った。
「姫様。だめです」
「でも、怪我人が」
「いるからと言って、もし姫様に何かあったら」
「考えすぎよ」
護符もあるし、なんだかんだいっても、私自身が狙われたことはないのだ。それに、ジルギットはもう討伐される所で、フェルバートだって後処理や引き継ぎ、報告が終わればすぐに戻ってくる。なら、エマが治療に手を貸すために下手から上手に移動するなど大したことではないし、離れなければ大丈夫。
大丈夫よ。と、繰り返しながら女性を見やる。彼女は王宮女官で、伯爵令嬢であることもわかっている。王妃様付きになって長く、優秀な魔術師だ。
「行きましょう」
「ありがとうございます。こちらです」
私は女性に頷いて見せて、まだ躊躇するエマを促す。女性は先導するため振り返りつつ、出てきた通路を戻っていった。
上手と下手を繋ぐ一本道が、舞台の真裏を通っていた。通路は狭く、人がなんとかすれ違えるかどうか。天井もそんなに高くなかった。あまり通り慣れないために、物珍しくてまじまじと見てしまう。
客席から向かって右側に消えた役者が、すぐに左側から出てきた謎がとけた。劇場や舞台には、こういった客席から見えない仕掛けがたくさんあるのだろう。
ふと、女性が立ち止まって懐から何かを出した。折り畳んだ布のようなものがその手から離れ、ふわりと床に広がる。
「どうしても、許せないものはおあり?」
淡々とした声が問いかける。瞬きした間に、腕を引かれた。
姫様、とエマが悲鳴を上げる。
「どうして辺境から戻ってきてしまったのかしら。本当ならあなた、そのまま辺境で魔女になって神殿の地下に閉じ込められているはずなのに」
足元が光る。転移陣だと気づいた時には、女性の手から逃れる術はなかった。女性が陣に魔力を叩き込む。エマが見ている目の前で、移動陣は作動してしまった。
「神殿の地下に閉じ込められて、救世の巫女の覚醒を怯えながら待つはずなのに」
間違っているわ、と、歪む視界の中で女性の声が響く。
「間違いは、正されなければね」