21.フェルバートとの外出ー常闇のアーキフェネブ《前編》
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その若者は、騎士見習いだった。
ひょんなことから気まぐれな王女の目に止まり、取り立てられ、あれやこれやと御用聞きをこなすうちに人助けを繰り返すこととなり、瞬く間に人気者となっていった。
《王女様、もしや、こうなることを見越してあれこれ頼んでいたので?》
《なんのことかしら? あたくし、あなたを好きに使っていただけでしてよ》
高飛車な物言いで王女は騎士の恩義を跳ね飛ばし、恋した隣国の王子のもとへと嫁いで行った。
騎士の身分はそのままに、慕ってくれる人々に囲まれ、騎士は悪者を倒し森の善き魔女に知恵を借り、魔物を退治し人々の信頼を集めていく。
ある夜、一人の少女と出会った。その少女とは夜にしか会えずとも繰り返し共に過ごす時間は楽しく、二人はやがて惹かれ合う。
そこへ、闇の森に魔女が現れたとの一報が王城へ飛び込んできた。騎士は王命により、魔女退治を命じられる。
《行ってはダメ。あなたが魔女を退治しに行くなど、間違っている》
出立の前の晩、少女は騎士の胸に飛び込んで引き止めた。騎士はその少女の肩を抱きしめ、けれどそっと突き放す。
《あなたを愛している。王のため民のため世界のためにも、魔女は退治しなければならない。だが、何よりもあなたのために行かせてくれ》
少女は騎士の想いに応え、二人は口づけを交わす。月だけが、重なる影を見守っていた。
私は降りていく幕を見つめながら、真っ赤に染まる頬に両手を当てて、必死に熱が下がるよう念じた。
で、出会って間もない、お互いの名前しか知らないような二人が、く、く、口付けだなんて!!
隣のフェルバートのことさえも見れなかった。ざわつく心臓をどうにか抑えながら、前半の物語を思い返す。王女のお使いをこなすたび、何かしら問題に行き合って手伝いを買って出る騎士は、王女付きの騎士としては職務怠慢かも知れない。けれど、そのお人好しなところと、忠義を果たし民の力になろうとする姿勢は好感が持てた。
町の娘たちから散々好意を寄せられながらも全く気付かないのは、もう少し察しが良くてもいいと思う。王女様だって、実は騎士のことを憎からず思っていたのかも知れないわ。それでも、そういう騎士だったからこそ、夜の少女との逢瀬を重ね惹かれ合う様子が際立ったのかもしれない。
「ローズ嬢、休憩時間です。一度席を離れますか?」
フェルバートが用意してくれた席は、上方から舞台を見下ろせる個室席だった。休憩の間、入り口ホールで飲み物が用意されているそうだ。閑所に立ち寄る機会でもあるらしく、私はエマを伴って席を外すことにした。
用を済ませた後フェルバートと合流する。飲み物の種類がいくつか選べるというので、お品書きを見るために移動した。先に戻ってフェルバートに運んできてもらう、ということもできたけれど、劇場内の各所を見て回りたくて付いていくことにする。
やってきた入り口ホールは人でごった返しており、ほとんど抱えられるようにして人混みをかき分ける。先に座れる場所を確保して、さすがに注文はフェルバートに頼んだ。これ以上あの人の波を泳ぐ気力はなく、はぐれずについてきたエマは本当にすごい。
椅子に座っていると、入り口ホールにいる人々が見渡せて、その多様な人々の姿が興味深かった。
「エマ、仮面をつけてる人がいるわ」
「貴族の中には、素顔を隠して観劇を楽しまれる方もいるようですね。席は分かれているとはいえ、平民と同じものを楽しむだなんてと、反発のある方々は少なくないですから」
飲む場所も貴族は席について、平民は立ったままだとか何か背や腰を預けて、と明確に分かれていた。全く同じとは行かないのはわかるけれど、もう少し待遇の差が縮まってもいいのではと考えてしまう。
人々をのんびり眺めながら、エマと気取らない会話を交わす。
「トトリがいれば、いろいろ教えてくれたのかしらね」
「知り合いがいるとめんどうだから、行かなくていいのは助かるなどと言っていましたけど」
「そうなの?」
意外だわ、と目を丸くする。あんなに人当たりのいいトトリでも、会うと面倒な相手がいるのだろうか。
「昔馴染みと話が盛り上がって、側仕えとしての仕事が疎かになることを危惧していたようです。」
そっちね、と笑った。確かに、トトリがいろいろな人に声をかけられるたび足を止める姿というのは想像がついた。
「お嬢さん、お一人ですか?」
不意に声をかけられて、そちらを向く。フェルバートが座るはずの席に、見知らぬ男性が腰掛けていた。仮面をつけていて、顔がわからないので貴族名鑑もたぐれない。相手が無礼なのは間違い無いので、遠慮なく冷たい眼差しを向ける。
「あなたは?」
私ではなく、エマが一歩進んで問いかけた。「使用人風情に用はない」と片手で追い払うようにするのを見て、私の視線がさらに冷たくなる。その態度に一瞬怯んだ様子で男性は口籠もるが、すぐに気を取り直して仮面を示した。わかるでしょう? とニヤニヤと笑って見せる。
「大した劇ではありませんでしたね、これでは後半もたかが知れているでしょう。どうです? 私と抜けませんか? なに、後半の部が終わる頃に戻ってくれば誰にもばれません」
夜の部ならともかく、昼の部でまさかこんな風に声をかけられるとは思わなかった。まさに白昼堂々で、呆れてしまう。軽蔑に値する行いだけれど、こちらは非力なエマと二人。相手が貴族であることは身なりから明白で、どう切り抜けていいかがわからない。腕を掴まれ強引に連れ出されれば、力では叶わない。笑みを見せることもなくただ見つめていると、男性と私の間に腕が割って入った。
ほっとして顔を上げる。
「フェル」
言いかけて、慌てて止める。フェルバートとは似ても似つかぬ、輝く金髪の持ち主だった。また、見知らぬ青年だ。しかも仮面をつけている。意匠が飛び抜けて珍妙で、鳥のような嘴のある恐ろしく高価そうな仮面だった。
「あ、あなたは」
「君、彼女は僕の先約なんだ、その席を譲ってくれないか」
「し、失礼します」
ハキハキした快活な物言いで、有無を言わせない迫力があった。最初の男性はその青年の正体を知っているのか、取り乱した様子で立ち去ってしまう。
呆気にとられてその姿を見送り、今度はこの青年が誰なのか悩む羽目になった。今日は人が入れ替わり立ち替わり現れて、目まぐるしい。
小さくため息をつかれた。
「こんなところに一人とは、感心しませんね。連れはいないのですか?」
青年はそう言って、私の向かいの席に座る。その口調は思いがけず親しげで、知り合いにこんな人いたかしらと頭の中では目まぐるしく記憶を遡っていた。相手が誰か分からなければ、対応する態度も判断しかねるのだ。
「何を固まっているんです? ……もしや、僕がわからない?」
恐る恐るうなずいた。なんだ、と青年は笑って立ち上がる。私の方まで来たかと思えば、そっと仮面を外した。
珍しい紫の瞳が現れる。その眼差し一つで懐かしさが一瞬でこみ上げ、いまだ正体がわからないのにと戸惑う。
「僕ですよ、姉上。お久しぶりです」
目を見開く。驚いている間に手を取られ、甲に口づけを受けた。慌てふためいていることを押し隠して、淡く笑って見せる。そんなことはお見通しとでも言うように、彼はくつくつと笑った。
ようやく何もかも分かって、ほっと肩の力を抜く。握られた手を頼って、私も椅子から立ち上がり、その場で略式の礼をした。
第二王子ディオル。かつて姉上と呼び親しんでくれた幼い少年が、今やこの国の皇太子だった。
「ご無沙汰しております、ディオル殿下。全くわからなかったわ」
「この一年で随分背が伸びたんだ。姉上の身長もとっくに抜かしましたよ。ああもう元気そうで本当によかった」
気を抜いた瞬間抱きしめられて、苦笑する。記憶に残るディオルは、まだ十四歳で随分小柄な少年だった。王太子妃教育のために城を訪れると必ずと言っていいほど案内を買って出て、部屋までの道すがら最近のアンセルムのことや母親のこと、自分のことを話してくれた。
彼も、リコリス同様に寂しい少年時代だったと思う。王も王妃も兄も忙しく、取れる時間が確実にある私を、将来の義姉として殊の外慕ってくれていた。
教師の目を盗んでは、親しく接してくれていたように思う。
「ずっと会おうと手を尽くしたのになぜか辿り着けなくて、どこに閉じ込められているのかと心配していましたよ」
「まさか」
ずっと伸び伸び過ごしていた。なぜ、王太子であるディオルが私と会えなかったのだろう。アンセルムを失脚させた張本人だからというには自由にさせてもらいすぎているし、ディオルが望めば王が禁じない限り叶わないことなどなさそうなのに。
仮面を付け直すディオルを不思議に思いながら、本当に大きくなったわね、と思う。背丈だけでなく、体にも厚みがある。剣が得意だったから、ずっと鍛えていたのかも知れない。
体が離されたのを合図に、近況を問いかけた。
「魔術学院は、今年卒業?」
「ええ。結局、魔術師として杖を得ました。その傍らで騎士課の選択授業と王太子教育を受けていたので、毎日大変でしたけれど」
この国では、王になるには杖が必須だった。そして、結界系の素質も。王の代替わりごとに、王国結界が張り替えられるので当然だった。当代の王の息子は二人ともその素質があったため王太子交代劇はあっさりとしたものだったが、これでディオルに素質がなければどうなっていたのだろう。
「まだ、王族の秘密だとかそういう話はこれからなんです。そこで、姉上たちの事情も教えてもらう予定なんですけど」
こんなところで話す内容では無いので、それ以上はと首を振る。ディオルは不服げだ。「僕はまだ、納得いっていません」などと、口を尖らせている。こういう子どもじみたところは変わらない。
「王族に迎え入れる女性として誰がふさわしいのかなど、明らかなのです。話を聞いた上でも決意が揺らがなければ、僕はあなたを」
「フェルバート様!」
エマが帰ってきたフェルバートを呼んだ。ハッとしたように、ディオルが口を閉ざし、私は安堵の息を漏らす。目の前のディオルの向こう側、フェルバートに視線で訴えかけた。
「ローズ嬢、お待たせいたしました。……こちらは」
「フェルバート、こちらはディオル殿下よ。お忍びでいらしてるそうなの……よね?」
思わず問いかけたのは、周囲がディオルをディオルと認識しているような気がするからだ。よくよく見れば周囲はポッカリと空間ができているし、最初の男性もすぐに分かった様子で退散していった。
「この劇場にはよく足を運ぶんだ。この仮面と一緒に。だから、常連の皆様方はこの仮面が僕だと知っている」
悪戯っぽく笑う様子は、それが別になんでも無いことだと示していた。確かに、宝石が散りばめられた嘴の仮面が二つとあるとも思えない。それは文字通り、『王太子の仮面』なのだろう。
「……それは、意味があるのですか」
フェルバートが、私と全く同じ感想を述べてくれる。もちろん、と青年は笑う。
ディオルの視線がフェルバートへ向いている隙に、受け取って飲み物で喉を潤す。喉がカラカラに乾いていたのは、渇きだけでなく緊張のせいもあってだろう。
「この仮面を被った存在が、僕であろうとなかろうと、僕と思われる人間がこの劇場にいた。という事実が残ることそのものが、重要なことがあります」
「……あまり、アンセルム殿下を困らせないようになさってください。あの方は国王補佐としてこれからもあなたを支えるでしょうから」
「もちろん。行きすぎないよう、自分である程度は見定めますよ」
くつくつと笑う様子は、どうにも信用できない。ディオルの視線が私に戻り、にっこりとした。
「いろいろ便利なので、真似していいですよ。姉上」
なぜかしら。爽やかな笑みがとてつもなく黒い影を孕んでいる気がするのは。こんなに悪い顔をする子ではなかったはずなのに。
なんだか遠い目をしていると、カランカランと手持ちベルの音が響いた。間も無く後編が始まる知らせだ。
「会えてよかったです。また、観劇の際はご一緒させてください。『常闇のアーキフェネブ』昔から大好きなお話を元にした劇なんです。姉上にも話して聞かせようとしたことがあるんですが」
ふと、ディオルが過去を振り返る目をした。
「あなたに話してはいけない物語だと、止められました。もう、許可が下りたんですね。後半も楽しんでください」
そう言い残して立ち去ったディオルを見送って、私たちは自分たちの個室へと戻った。
次回「22.フェルバートとの外出ー常闇のアーキフェネブ《後編》」
よろしくお願いします。