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【五章開始】あの人がいなくなった世界で  作者: 真城 朱音
三章.天機に触れた、宮廷魔術師
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19.フェルバートとの外出ー秘密と愛情


 掴まれた腕が痛い。王城の廊下をズンズンと進む中で、執務棟で働く人々が目を丸くして私たちを見送った。

 後ろ姿を見つめながら声をかけることもできず、腕を引かれるままついていく。廊下の突き当たり、椅子や本棚の置かれた一角までたどり着いてようやく足が止まった。

 たどり着いた場所の椅子に、見知った人影を見て眉を潜める。茶髪の幼なじみが優雅に一礼するのを見て、掴まれていた手がやっと離れた。


「すまぬ」

「いえ」


 何に対してかもわからないまま、無意識に首を振っていた。私には背中を見せたまま、軽く振り向いた横顔を見つめる。胸元で両手を握りしめ、心臓をただ抑えていた。

 青い瞳と目が合って、その目が少し迷った後、体ごと私へと向き直った。と思ったけれど、その視線は私の隣に並んだクライドへと向けられている。


「それで、お前は何がしたかったのだ」

「ドミニクの執務室をローズ姫が訪ねたと聞いて。いやはや助かりました。私では、事前の約束もなくあいつの執務室に押し入ることはできませんので」

「だからと言ってなぜ私が」

「アンセルム殿下におかれましては、お手を煩わせてしまい大変申し訳ありませんでした。心より感謝申し上げます」


 クライドに向かって、アンセルムが盛大にため息をついている。庭で会った時は親しげに見えなかったけれど、あれから何があったと言うのだろう。クライドはアンセルムにも何かしらの情報を流すようになったのだろうか。


「何を呆けているのだ、ローズ。予定があるのだろ、フェルがいるのは騎士棟だ。急ぐのなら早くいけ。あと、護衛を連れないか。侍女だけでは心もとなかろう」


 叱責じみた小言に、はい、と頭を下げる。まだ頭の中は混乱していて、疑問が尽きなかった。なんで? なぜアンセルムがここに?


「殿下、ローズ姫は今、非常に混乱されている様子です」

「それは見ればわかるが。私自身もなぜここでお前たちと顔を合わせているかわからんのだ」

「姫」


 また新たにすぐ脇から現れた別の人影に、ぴえっと内心飛び上がる。声の主に、あぁ、アンセルムがいるならこの人がいるのは当然かと気づいたけれど。エマが隣にいたので、もしかしたらドミニクの部屋から事態についていけなかったであろうエマを連れ出してくれたのはこの人かもしれない。


「ケヴィン」


 アンセルムの一の騎士。フェルバートのかつての同僚だ。褐色の髪を短く刈り上げ濃紺の騎士服を纏い、いつも飄々(ひょうひょう)として友人知人が多く人徳もある。どちらかと言えば頭が硬いと思われるアンセルムと私、アンセルムとフェルバート、それぞれの間を取り持ってくれる年長者だった。


「久しぶりだな。あー……、あなたはもう、アンセルム殿下の婚約者ではないし、親戚のよしみもあるので言わせていただくけどな」


 ケヴィンは公爵家の次男で、母方の親戚筋だ。とは言え、そうと知ったのはアンセルムの婚約者になって随分経ってからで、いつだったか母は親戚と折り合いがよくないためにほぼ断絶状態であると聞いた。


「ドミニクを兄だと思って気軽に連絡をとり、たった一人侍女を伴って訪ねるというのは、今後絶対にしないように」

「……あの、ひどい仰りようだわ」

「そこのクライドも権力者の犬だ。言ってることはあなたを思ってというふうに聞こえても、やってることは真反対のことがある。信用してはダメだ」

「あなたに言われても……」


 アンセルムの一の騎士の助言に、頬に手を添えて首をかしげる。クライドの信用のなさがいっそ気の毒だった。一緒いるとよくわかるけれど、トトリもエマも彼に対する態度がよくない。メアリも警戒していたし、挙げ句の果てにケヴィンまで。口と態度が悪いだけでその情報網は頼りになるのに、本当に損な性分だと思う。


「信用に足らないと言うのなら一人の騎士の印象として聞いてくれ。あぁ、人伝に聞いた評価であなたが誰かの対応を変えることがないのはよくわかっているが」


 何か思い出しては遠い目をするケヴィンに、そんな顔をさせるようなことしたかしら、と振り返る。少し利己的な人たちとの間を取り持ってもらった記憶はあるけれど、その後彼らが私の前に現れることはなかった。自分の情報網として伝手を増やそうとしていた時期だったけれど、頓挫(とんざ)してしまったことを思い出す。


「ドミニクは仕事はできるし王族の覚えもめでたいし、なんならアンセルム殿下の側近で片腕と言える存在ではあるが、とにかくあなたは近づかない方がいい」

「あの、だからそれ、情報が増えれば増えるほど説得力がなくなっていくわ」

「聞くだけきけ、聞けばあなたは無視しないだろ。あいつは優秀すぎて常に退屈しているんだ。とにかく人へ嫌がらせばかり考える。殿下とあなたのことは特別嫌いなはずだ。自分の仕事を積み上げてでも、嫌がらせ目的でのらりくらりと半日執務室に閉じ込められるところだったんだぞ。あの様子ではクライドがアンセルム殿下を頼ることまで織り込み済みだっただろう。

 あなたは何か目的があって会いに行ったのだろう。それは叶ったのか? 徒労に終わったのでは? 何を吹き込まれた。それらは真実か?」


 否定できずに口籠る、そして(くら)く冷たいドミニクの視線を思い出した。


「当たり前のことを言われただけよ」


 視線を落とした。身構えていた体から力を抜いて、お腹のあたりで手を重ねる。わずかに笑って見せた。


「私が王のため、民のため、世界のために身を捧げるは当たり前。貴族の娘として、道具として利用されるなんて今更だわ」


 うまくできているかしら。セファの工房にいる間に、忘れそうな振る舞いを見せてみる。ケヴィンの表情は変わらなかった。ということは、すべて知ってる側の人間だったのだろうか。


「ドミニク様から聞いてよくわからなかったのは、私のその役割を、他ならぬ母と殿下が望んでいなかったというところよ」


 笑みを浮かべたまま、ケヴィンを見上げる。その大きな上背は、その体躯で第一王子を守ってきたのだと思えた。この人とも、彼を支えていくのだと思い描いてた頃を思い出す。

 身長だけなら、やっぱりセファの方が大きいわね、と横道に逸れる思考を引き戻した。


「周囲の誰もが織り込み済みで、私の知らない役割があったということよね。母と殿下は、それをよしとしなかった。母のことはよくわからないし、私がすべきことで殿下が嫌がること、というのが思いつかないわ」


 犯罪じみたことをするだとか、誰かの愛人になるもしくは誰かを愛人にする、だとか、そういう倫理にもとることに嫌悪感を覚えるとは思う。私だって目的がどうあれ流石にそういうことは避けたいと思うし、それこそ抵抗するだろう。

 王太子妃教育の過程で私が当然と思っている価値観が、母やアンセルムからするとどうかしている可能性もあるけれど。


 黙ったままのケヴィンへ、さらに笑みを深めて見せる。


「あなたたちに聞いても、教えてもらえないこともよくわかったわ。私の知らない私の役目を、探しに行ってまいります」


 エマに視線を向けると、表情を引き締めて私のそばに立った。クライドとケヴィン、そしてアンセルムを見つめる。衣装の裾をとって深く深く一礼した。細心の注意を払った、最敬礼だ。 


「まだ、言われるままの役割をこなそうと考えているのだな」


 アンセルムに声をかけられ、瞬く。ゆっくりと顔をあげれば、ケヴィンがいた目の前の位置にアンセルムが立っていた。


「ローズ。望みはなんだ。何があなたをそうさせる。どうしてこれまでの人生で、そこまで身を捧げられる。何を言われて育ったんだ」


 そんなこと、アンセルムから初めて聞かれた。私の意味なんて、婚約者であったあなたは全部を知っているとばかり。この人は、王太子妃として隣に立つべく努力していた私を、どうしてこんなにもと不思議に見ていたというのだろうか。

 なんだか、それはとても寂しいことね。

 寄り添って立とうと思っていたのは私ばかりで、真実一人だったことを思い知らされる。


 無表情のままを保てていただろうか。



「あなた方には、教えて差し上げないわ」



 言い放って、踵を返す。そのまま立ち去ろうとする私を呼び止める声があった。


「姫」


 ケヴィンの声に振り返る。


「我らは何も言えない。けれど、あなたが真実に至るための道を作ることはできる」


 意味深な物言いだった。私が返事に困っている隙に、クライドが数歩でそばまでやってくる。近すぎるのでつい身をよじるようにして三人に向き直った。


「ローズ姫。これを」


 私の戸惑いなどお構いなしで、手をとられ何かが押し込まれた。片手に収まるほどの小さな皮袋だ。中でいくつもの魔石が擦れ、しゃらりと音がする。


「昨夜、魔術師セファから預かった。ただの鳥の魔石だけれど特別仕様だと。その姿では、セファの元で学び作った魔石を何一つ持っていないだろう」


 私の格好を見て、苦笑する。私が作った魔石なんてエマが持っているものに比べたら何も役に立たないし、フェルバートがいるのだから必要ないと思ってのことだけれど。魔術学院に通った貴族としてはありえないことらしい。


「そう。……ありがとう」


 中を確認する。一つ摘み出した魔石の色合いはどこか鳥のものに似ているけれど、あれよりも闇色に混ざる色彩が多い。これ、私に使えるのかしらとつい疑ってしまう。それでもふと、頬が緩んだ。


「セファに、お礼を言わなくちゃ」


 少しだけ魔石を見つめて、皮袋に戻す。再度膝を折って礼をして、今度こそ立ち去ろうと顔を上げた。一歩下がったクライドが、ちょっと笑って目をそらしている。アンセルムとケヴィンは目を丸くしていた。変な沈黙だわと思いつつも、その場を立ち去る。


 エマがついてくるのを確認して、あとはもう、振り返らなかった。



■□■□■□■□■□■□■□■



「それで、あなたがた。何をしたのかは存じませんが、それによってこの世界が救われなければどうするおつもりですか」

「もうそれを考えるのは、私の役目ではないからな」


 思わず口にした問いに、アンセルムが答える。その青い瞳は、去っていくローズの背中へと注がれていた。


「私は以前のまま、何も変わらず足掻いただけだ」


 アンセルムがやってきたことも、その想いも、ローズは何も知らずに行くのだろう。工房だけで見せてたあの表情を、こんな場所で自覚なく見せたということは、きっと、もうそういうことなのだ。


「あの子はこれからどうなりますか。すべてを知ったら、何が起こるでしょう」


 口から問いが溢れた。誓約文言の刻まれた喉に爪を立てる。その手を、アンセルムの一の騎士が止めた。難儀な男だな、お前もとアンセルムが肩を竦める。


「さぁ。じつは、心の方はあまり心配はしていないのだ。ローズはお人好しだけれど、賢いし、そうと決めたら早いからな。知れば知るだけ、決意は早く、案外想像もしない方向に飛び去ってしまうかも知れない」

「割り切って、一足飛びに消えてしまわないかが心配ですが」


 ケヴィンがそう言って、苦笑した。首元を拭われて、男にそんな介抱されたくありませんがと顔をしかめた。


「まずは魔女について知ってもらう。話はそこからなのだよ」


 アンセルムがそう、祈るようにささやいた。


今月もお疲れ様でした。


 いつも通り9月も延長していきます。平日更新のお約束はできませんが、とりあえずの目標としてフェルバートとの外出が終わるまでを目安に考えてます。

 三章は当分終わらないので、前編として一区切りに。次が中編になるのか後編になるかは10月に考えようかな。需要が迷子のおさらいも挟みます。あの子とかあの人とか登場人物がグッと増えたので長くなりそうですね。

あとはこちらも需要はない気がするのですが、セファの工房の間取りをどこかに出したいので、おさらいの挿絵として入れるか拍手に載せるか考えておきます。うまく清書できなかったらそっとなかったことにします。


今後とも楽しんでいただけますように。

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