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【五章開始】あの人がいなくなった世界で  作者: 真城 朱音
三章.天機に触れた、宮廷魔術師
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16.研究室での女子会ー姉の話と花のブローチ

評価、お気に入り登録、拍手、誤字訂正連絡などなど、ありがとうございます。

すみませんがルビつけはまた後ほど……。

→8/26 23:55頃完了しました。ルビをふったり、漢字を開いたり、誤謬を消したり。


「姉の話をしても、よろしくて?」


 そんな言葉で始まったのは、リコリスが『ローズ・フォルアリス』をどう思っているかだった。


「神界の御使(みつかい)もかくやというほどの美しく波打つ金の髪。禁域の泉の如く神秘を(たた)える青の瞳。そして精霊の祝福を受けたその容姿。肌は透き通り、薄紅色の唇からこぼれる声は穏やかで優しく、音の一粒一粒を聞き逃すことなどあり得ない涼やかさで耳朶(じだ)を打つ。

 それでいて真面目で求められたことに忠実に応え、王太子の婚約者という重圧の中課題をこなす。その上で両親や兄たちが忙しいからと、わたくしのこまごまとした暮らしの面倒まで一手に引き受けていた、我が姉の話を!!!」


 あれ、と思って、静止の言葉をかけようとしたけれど、すでに遅すぎた。








「ですから! 姉は素晴らしい方なのです!!」


 言葉を挟む暇も、息をつく暇もなく怒涛(どとう)の勢いで熱く語ったリコリスは、そんな言葉でようやく締めくくった。

 茫然(ぼうぜん)と聞いているしかなかった私と、いつも通りの無表情のメアリ、リリカがどうどうと抑えていて、うんうん。と笑っている。


「十五分スピーチありがとう。リコちゃん。ローズ様がどれだけ公明正大で賢くて美しく、慈愛に満ちた方なのかよくわかったよ。ありがとう」

「まだまだ語れましてよ」

「また今度でいいかな!」


 そうですか。と、リコリスが引き下がったので、私はほっと息をつく。居たたまれなさが酷くて、正体を隠していることに良心がますます痛む。


「リコちゃん、シスコンだよねぇ」

「言葉の意味はよくわかりませんが、褒められているような気がしませんね。撤回を要求いたします」

「お姉さんと仲良しよねって言ったのよ」


 リリカの優しい声に、リコリスが言葉を詰まらせた。少しの沈黙の後に、ため息をつく。

 隣り合って座る彼女たちは、あのねリリカ。というリコリスの呼びかけをきっかけに、向かい合って膝を突き合わせた。


「それも、適当ではないでしょう。わたくし、姉にひどいことをしましたから。姉からは嫌われているはずです」

「ひどいこと? リコが?」

「そうですわよ」


 メアリが首を傾げる。リコリスはツンと返しつつも認めた。


「姉の大事なものを()ったのです。姉が抵抗しないとわかっていて、取り上げました。あれが姉の手にあるという事実そのものに、わたくし自身が耐えられなかったので」


 あの絵本のことだ。後にも先にも、彼女にされたひどいことといえばあれしか思い浮かばない。だというのに、当の本人が思い詰めた表情で振り返っていた。

 あの時と今とで、彼女に抱く思いが違いすぎて混乱してしまう。目の前で心情を吐露するリコリスの表情は暗いのだ。


「姉から、嫌われていればいいとさえ思います。一番嫌なのは、姉が、大切なものさえ手放したことを忘れ、……言いなりになることですから」

「……言いなりって、誰の?」


 リリカの問いに、リコリスは人差し指を唇の前に立てるだけだった。この外界から言葉を遮断した結界の中でさえ、口にすることが(はばか)られる、と。


「姉の人生は、奪われ続けました。そしてこれからも。わたくしは、それをどうにかしたい。兄は、次兄は言うのです。お前に姉などいなかった。と、そんなはずないですのに」


 妹の声が震える。駆け寄りたくなるのをこらえた。目の前で、リリカがリコリスの手を握る。


「わたくしが生まれたばかりの頃、両親は忙しく、兄たちは魔術学院に通っていました。何もわからない子どもで、ただ寂しかったわたくしは、姉のそばに居場所を求めました。姉は、寂しいわたくしを机の下に匿ってくれた」


 まさか覚えているとは思わなくて、瞬いた。本当に、リコリスがまだ幼かった頃の話だ。私も忘れていたような、回数も多くない出来事。


 両親は忙しく、兄たちも学院に行っていて、屋敷には使用人と私とリコリスしかいない時期が長かった。王太子妃教育を受ける私の部屋にリコリスがやってきては、家庭教師に摘み出され、使用人に連れ出される日々があった。

 奇跡的な偶然で、私しかいない私室に彼女がやってきたことがある。扉の影から覗きこむ幼い彼女に、私は途方にくれた。これから勉強が始まるのに、どうしようかしら。また、あの悲しい目を向けられてしまうのかしら。と。でも、その小さな手を伸ばされたら心が決まるのは早かった。

 その手を引いて、机の下に導く。寝室から毛布と枕を持ち込んで、「静かにできる?」と問いかけた。

 真剣な顔でうなずく幼い妹の頭を撫でて、足元に妹を隠したまま、その日の座学をこなしたのだ。

 一日机に向かって勉強する日だけの特別だったけれど、足元で遊ぶ妹は可愛くて、教師の目を盗んでは、時折眠り込んでいる妹の寝顔を見た。


「姉の状況を一番知っていて、姉を家族から遠ざけ続けたのは次兄です。城に勤め中枢に一番近い場所にいる、家族の中で最も姉の事情を知っているのがあの人だと確信があるのに、わたくしでは真実に手が届かない」

「リコちゃんは、それ以上何もしないで」


 リリカの硬い声が響いた。 


「お兄さんと争うことなんてないよ。ローズ様のことは、わたしがなんとかする」


 私のことを、なにを、どうするというのだろう。二人の思いを知った今なら、正体を告げる方が正しいのだろうか。真意もわからず告げるのは時期尚早?


「ローズ様について、私が知っていることは少ないし、言えることもないの。『ローズ・フォルアリス』は、この王国の最高機密。彼女を確保するために、上層部は手段を選ばない。今まで、リコちゃんは妹だからお目こぼしされてたんだと思う。でも、もう時期が悪すぎる。これ以上真実に近づくのは危険だよ」

「リリカ? なにを言っていますの。あなた、そんなこと今まで一言も……。お姉様のなにを知っているの」

「リコ、リリカがそう言ってるってことは、そう」


 身を乗り出すリコリスを、メアリが制す。でも、と言いつのろうとするリコリスは、私の方を見て言葉を飲み込んだ。


「ごめんなさい、ロゼ。事情を知らないあなたには、戸惑うことばかりですわね。あなたのために集まったのに、わたくし自分の話ばかりで」

「ローズ・フォルアリスは家族から(うと)まれていると思っていたから、驚いたわ」


 首を振って、正直な感想を告げる。リコリスは笑みを歪めた。


「そういう印象操作を受けていることは知っています。辺境から戻ってきたローズ・フォルアリスに、なんの接触もしようとしないフォルア伯爵家。身元引き受けをどこにするかと協議する上にも名乗り出ず、ハミルトン侯爵家がローズ姫を引き受けた。兄が、わたくしたちの手段の全てを握り潰したのです」

「ローズが帰る家は、まだ、あったのね」


 なんだか不思議な気持ちだ。他人事のような気持ちで、よかったね、と思う。たぶん、力なくうずくまっている心の中のローズに向かって。セファと友人になる前の、どうして、と叫んだまま動けなくなっている私のかけらに。


「ロゼは、お姉様の味方になってくださる?」


 味方になるもなにも、と苦笑する。私が私の味方でなくてどうするの、と。思ったけれど、そういえば、私は私のために行動したことがなかったことに気づいた。

 いえ、何かあるはずよ、と考えるけれど、すぐには思いつかない。


「リコは、王と民と世界のために行動する、ローズ様が嫌い?」

「嫌いですわ」


 即答だった。きっと睨むようにして、紫紺の瞳が強い感情に潤む。


「選択の先に姉の幸せがあるならいいですが、あの人、自分のことなんて二の次なのだもの。第一王子殿下を断罪した時くらい自己保身に走ってくださればいいけれど、あれっきりどんな状況になっても動きが見えないですし」


 不満げにあれこれ口にして長くなりそうなのを区切るように、わかった、とうなずく。


「伝えておくわ。約束する」


 驚いたように、リコリスが瞬いた。そんな顔をするとあどけなく見えて、幼い頃の面影が垣間見えて懐かしい。

 不安な顔をさせてはダメね。

 手が届くのなら、頭を撫でるのに、と机を挟んだ距離をほんの少しだけ恨む。あなたの姉ですものね、と今更のように思った。






「ロゼ、ローズ様と接触できるの?」


 リリカが静かに問いかけてきた。たぶんね、と曖昧にごまかす。下手に嘘をつくと、辻褄が合わなくなりそうだったので、言葉少なに答えた。


「なら、ローズ様に伝えて。絶対に、王都から出て行かないって」


 思いもよらない申し出に、瞬く。


「誰に、なにを言われても。ローズ様を大切に思う人みんなが悲しい結末にしかならない、って」


 そんなことを、異界渡の巫女も書き記していた気がする。私はわかった、とだけうなずいた。お願いね、と囁くリリカの声は切実で、本当に大切な重要なことなのだと感じ取れた。

 だから、思わず口にする。


「リリカはなにを知ってるの?」

「それはもちろん。世界の危機と、救世の巫女としての役目だよ」


 異世界からの来訪者として神殿に身を寄せているリリカだけれど、世界的魔力の減少から世界を救う、『救世の巫女』としての役割を賜ったと公表されることが決まったそうだ。

 巫女として覚醒できしだい、救世の儀を執り行い、世界を救うのだと。


「行き詰まった挙句の苦し紛れの宣言で、私への圧力だけどね」

「圧力……?」

「ううん、気にしないで。負けないから」


 リリカが言葉すくなに呟いて、大丈夫、と笑った。


「世界が救われた時、みんなが笑顔でいられるようにしないと」


 だからね、とリリカが言葉を重ねた。


「ローズ様に、くれぐれもよろしくね」


 リコリスが不安げにリリカを見ている。そのリリカも思い詰めた表情をしていて、メアリと二人、顔を見合わせた。

 二人に元気を出してほしい。少し考えて、私は両手を合わせた。


「具現術式、展開。ーーー精霊王の大前に白さく」


 小さな声で、意識を集中させる。三人の視線が向いたのがわかったけれど、瞬く間に意識の外に出ていった。


「ロゼ? なに、光と、風が……。花?」


 明滅する光と、渦巻く風。続いて宙から現れた花を見て、三人がぽかんと口を開けるのが見えた。


「元気を、出して欲しくて」


 花をふらした。見当違いなことをしてしまったかしら、とやってしまってから気がつく。セファにしてもらったことをそのまましたつもりだったけれど、もしかしてこれって普通じゃなかった?


 セファほど大きな花ではなく、量も少ないけれど。三人が三人とも降ってきた花を手に私に笑いかける。


「綺麗ね」


 そう言って花をしばし眺めた後、メアリがお茶を沸かすのに使っていた実験器具を手元に引き寄せた。小ぶりの鍋を火にかけて、その中に魔術陣が書かれた紙や学院外套の下から取り出した謎の塊と薬液、そして、私が出した小さな花をこんもり入れる。私を含めた他の三人が見守る中、無言でそれらを薬匙でかき混ぜはじめた。


「メアリ? 何してるの?」

「今日の記念に」


 私の問いに、メアリは短く答えて手を動かす。

 鍋からぽん、と音がして、小さな星が散った。瞬く私に、メアリが鍋の中のものを差し出してくる。


「……これは?」

「ブローチ? なにこれー。どういう原理?」


 私が戸惑いながら受け取ると、リリカが席を離れてメアリの手元を覗き込む。メアリの手によってさらに鍋から取り出されたのは、私の手の中にあるものと同じ三つのブローチだった。

 私が出した小さな白い花が、金色ののブローチになっている。

 あらさすがねぇ、とリコリスが感心したように声をあげた。


「メアリの魔力特性は、そういうのが得意よね。金属飾りとか」

「錬金術?」

「まだ、そんな、専門家には及ばないけど。こういうの作るの、好き」


 リリカに答えるメアリは誇らしげで、ブローチをリリカに手渡す。二つ受け取ったリリカは、自分の席に戻ってリコリスに渡した。


「今日の、記念」

「なんかいいね、こういうの。故郷でもこういうのあったよ。みんなで遊んだ日の記念に、お揃いの物を買うの。嬉しい。ありがとう、ロゼ。メアリ」

「……私、正体を隠して、嘘をついてるのに」


 手のひらのブローチを見つめたまま、呟く。


「でも、一緒にお菓子食べて、おしゃべりして、楽しかったから」


 いいんだよ、とリリカが笑った。


「はい! じゃあ私、守護の付与かける」


 ブローチを回収して小鍋に入れる。やっぱり学院外套からあれこれと取り出して、ぽんと音がするまでかき混ぜた。


「ちょっとお待ちになって!」


 もう、とリコリスがブローチが入ったままの小鍋の前に立って、自分の学院外套の内側から革袋を取り出す。じゃらりと音をさせて、その中から何かを選び取った。小さなかけらが小鍋に入る。

 三度(みたび)、ぽんと小鍋が音を鳴らして、星を散らす。普段からセファのとなりで調合をしている私は、三人の手際の良さと迷いのなさに素直に憧れた。


「魔石を組み込みました。小さなものなので、大した陣は書き込めませんが」


 橄欖(かんらん)の魔石をつけたものをメアリへ、黒曜の魔石をリリカへ、青玉の魔石を自分へと配り、残る一つを、私に手渡した。


「容姿がわからないロゼには、これを」


 月長の魔石がついたブローチを渡されて、息を飲む。


「白銀の魔術師の弟子ですから」


 金の花のブローチについた、月光のような柔らかい光を放つ魔石に魅入った。ありがとう。と、口にしたささやきは届いただろうか。


「私、みんなみたいな調合なんてできないわ。してもらうばかりで」

「なにを言うのです。花を出したのはロゼですわよ」

「ロゼが出さなかったら、ブローチ、作ってない」

「魔力付与もできませんね」

「わたくしの魔石こそ、付け足しに過ぎませんのよ」


 四人の合作だわ、とリリカが笑った。いいのかしら、とつられて笑う。



 嬉しすぎて、こみ上げてくるものを止めるのに必死で、ありがとう。と、繰り返し囁くのが精一杯だった。


次回「フェルバートとの外出ー手紙の送り主と(仮)」


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