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【五章開始】あの人がいなくなった世界で  作者: 真城 朱音
三章.天機に触れた、宮廷魔術師
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15.研究室での女子会ー本音

お気に入り、評価ありがとうございます!


「……リリカ」


リコリスの重苦しい声が聞こえた。リリカの隣でため息と共に額を抑えている。


「今日はおしゃべりだけで、無理にそう言う突っ込んだ話はしないのではなかったの。今、さっき、そう言いましたわよね?」

「だっていきなり一生懸命話し出すから可愛くてつい!」

「だからって……。はぁ、まぁ、そう。相談って、そういう……」


 私は二人を見比べて、隣のメアリを振り返る。若葉の瞳はじっと私を見ていて、その視線に含まれる意味に、つい笑ってしまった。うまく、笑えただろうか。


「……私、そんな風に見える?」

「とってもね」


 私に釣られるようにして、メアリの口元が小さく笑う。

 その笑みを見て、椅子に体を預けた。


 机の上のたくさんのお菓子。メアリが淹れてくれる甘く香るお茶。向かい側の席には、縁の遠い妹と、救世の巫女。

 二人に対してどんな気持ちを抱いているかといえば、正直よくわからない。憎んでない、恐れてない。ただ、会いたくなかった。視界に入れたくなかった。過去にわからないことが多すぎて、何か理由があったのかもしれないと思っても、答えを得られない時間が長すぎた。


 よくわからないこと、考えても辛いこと、そういうものを、全部思考の隅に追いやってきた。


「メアリにも言われたわ。『セファ先生のこと、好きよね』って」


 見つめる瞳が笑みに彩られる。そうして向いに座る二つの双眸(そうぼう)へ視線を移した。


「そして、リリカも言ったわ。『セファ先生のこと、特別なの』って。ねえ、リコリス。あなたも、そう思う? 私、そんな風に見えた?」

「……隠すつもりがないのだと思っていましたわ」


 そっか、と笑う。

 ここで過ごす時間は、穏やかで、楽しくて、リコリスもリリカも怖くない。優しい性根をもった女の子だとわかった。

 そもそも、リリカには何もされていない。婚約破棄のきっかけがあの子だったけれど、あれはきっと、そういう脚本だった。誰かがそのように配置したのだ。

 リコリスといえば、動きの読めないフォルアリス家の人間で、私の本を一冊奪い去っていった、という出来事がある。『ローズ』に対しては意地悪だったかもしれないけれど、『ロゼ』として接する彼女はとてもいい子だ。今はそれでいい。


 こういうところが、フェルバートに鷹揚で鈍感だと言われてしまうのだろうか。

 だって、悪意のない人を責められないもの。

 理由もわからないで、今優しくしてくれる人間を攻撃したくない。


 ここでこうして、リコリスとリリカとおしゃべりできるのは今だけなのだと、繰り返し思う。一度外にでて学院外套を脱げば夢の時間はおしまい。

 長い長い、休暇だったのだと思う。王太子妃になるために頑張って、破綻して、一年半を失って、それらから現実に立ち返るための甘いひととき。

 今までからは想像もつかない十日間の旅路。義母との触れ合いと、セファの魔術講義。欲しかったものそのものではないけれど、憧れていたものに触れた日々。


 フェルバート、トトリ、エマ、メアリ、ジャンジャック、ミシェル。優しくしてくれる人がこんなにできた。クライドを加えてもいいし、ロゼとしてならリリカとリコリスだって加わるだろう。

 屋敷にいても、お城にいても、一人だったことなどないのに一人ぼっちだったあの頃と比べたら、なんて賑やかなんだろう。


 幸せってこういうものかしら、と温かい気持ちで思う。

 メアリに何を話したかったのかといえば、人に聞いてもらうことで自分の気持ちの整理をしたかったからだ。

 こんなことになるとは思っていなかったけれど、結果として良い方に傾いた。


「私、セファが特別なの」


 静かな心で呟いた。初めて会った時にメアリにも言った、間違いない私の気持ちだ。


「最初の婚約者から、もういらない、って、言われたの。どんな道ゆきも共に歩くと決めていた人から。その人の隣に立つのに、相応しくあるべく人生の全てを使って生きてきたのに」


 全てが狂ったあの日を、あの驚きを、あの悲しみを、あの混乱を、いつか、乗り越えられるだろうか。いまだに、どうしてと叫ぶかつての私が心の中に住んでいる。きっと、あの人から直接告げてもらわなければ納得できない。けれど、そんな日はもう来ないだろう。


「あの人のための全てだと思っていたの。一緒に同じ方向を見て、手を取り合って、同じくあの人を支える人たちと一緒に。全体の歯車の一つとして」


 一枚の絵がある。王国の未来予想図が。それを描く人は私ではない、私の役目は、誰かが描いたその絵の通りに国を整えることになるはずだった。それを役割とすべく育てられた。


「でも、途中で何かが変わって、私はいらなくなった。王と、民と、世界のためなら、どんなことでもすると思っていたのに。そのどんなことでもするという決意の中に『切り捨てられる』というのは入っていなかった」

「……当たり前ですわ」


 リコリスが、思わず。と言った風に呟いた。怒ってくれている様子に、ありがとう、と笑う。


「新しく役目を与えられれば、今でもまだ、望まれた通り役目をこなして見せるわ。王と、民と、世界のために。そうであるべしと目的を持って育てられたのだから、それを果たせるのはいいの。だけど」


 本音を口にするには、少し勇気が必要だった。息を吸って、一息に言葉にする


「もう、急に必要がなくなったから、と切り捨てられたくない。配役を与えてくれる人たちを、もう、無垢に信じて心を預けられない」


 だから、フェルバートに向き合えない。よくしてくれる侯爵夫人にも、本当の意味でお義母様と慕えない。だって結局、ハミルトン侯爵家の利益のための婚姻だ。


「セファは魔術の師匠だけど、そもそもは、はじめての友人になってくれた人なの」


 単純な話だ。複雑な事情がない。利害関係もない。友人ってそういうのものだと、他でもないセファが教えてくれた。


「だから、安心できた。結婚するまでの一時の夢のような時間だとわかっていても。ただそばにいられることが嬉しくて、役に立ちたくて、できるようになったことを見てもらって、誉めてもらうと嬉しくて」


 でもね、と小さく笑って付け足した。


「セファには、忘れられない人がいるのよ」

「えっ」

「は?」

「うん?」


 静かに聞いてくれていたメアリ、リコリス、リリカの三人が机に手をつけて私を凝視する。これは、本当の本当の本当に、内緒よ。と念を押した。なんなら本当に、結界を出たら口外しない環状文言の誓約をかけてもいいくらいだ。


「悲しむあの人を慰めたのが、最初なの。はじめて会ったときのことよ。私を見ればきっと思い出すから、私、いつかはセファのそばを離れるべきなのよ。今の婚約者と結婚したら、きっと、会う機会は減るだろうし」


 でもね、と続ける。せっかく集まってくれて、ここまで話を聞いてくれたのだ。ここで、はぐらかしてはいけない。

 せっかくこれだけ心を晒したのなら、最後まで披露してから、手放すのだ。


「私、セファが好き」


 手放すために、一度、名前をつけないままあやふやにしてしまい込んでいた気持ちを、受け入れた。







 口にしてしまった言葉の重さに、ほう、と息を吐く。手が震えた。本当のことなのに、セファ本人に告げたわけでもないのに、ただ言葉にするだけでこんなにも勇気がいることなのだと初めて知った。

 むこうの部屋にいるセファの姿が見えないか、棚ごしに向こう側を見渡す。隙間からは誰の姿も見えなかった。


「ロゼ、婚約者がいたのね」


 リリカがポツリと呟く。リコリスも難しい表情で、行儀悪く机に両手で頬杖をついた。


「ロゼは、先生が好き。でも、決められた婚約者がいて、ロゼはその役割を全うしたい。セファ先生と恋の成就は望んでないし、思い人がいる先生の前から身を引きたい。そういうことですわよね」

「セファ先生に好きな人がいるっていうのを織り込むのは、なしなし。今はもう好きじゃないかもしれないでしょ? これから先のことだってわかんない。でもねぇ、ロゼ様に婚約者がいるなら、どうにかするのはそっちが先よね」

「いいのよ、二人とも。変な話をしてごめんなさい。一通り話してスッキリしたわ」


 言葉にして自分の気持ちを受け入れただけでも十分すぎる進歩だ。ここまで立て続けに他人から指摘されなければ、のらりくらりと見て見ぬふりを続けただろうから。


 この、女の子だけの閉鎖された空間だったからこそ、そんな気持ちになったのだろう。


「婚約も、彼が何を考えているか分からなくて」


 だからきっと、それも不安で、つい考えてしまうのね、と肩を竦めた。リリカおすすめの焼き菓子に手を伸ばす。果実の砂糖煮をすくって食べると不思議と甘さが引き立って美味しかった。焼き菓子そのものに少量の塩味(しおみ)がきいているのだ。


「婚約者とは、距離を保ちたいの。彼は優しいし、大切にしてくれるけれど」


 からっぽの茶器を眺めていれば、メアリがおかわりを差し出してくれた。うなずきながら茶器を差し出して、淹れてもらう。


「彼のために、私、何をしてあげたらいいかしら。望むこと、求められることにはなんでも応えるつもりなのだけど」

「ねぇロゼ。さっきから聞いてると、それは……」


 リリカがリコリスを横目で見ながら声を上げる。なあに? と、またたくと、黒い瞳が困ったように揺れていた。


「こういう風に生きなさいって、言われたら、その通りにするみたいに聞こえるよ」

「聞こえるも何も、そうだもの」


 そういう風に、生きてきた。それはこれからも変わらない。どんな風に立場がかわろうとも、そのために血税を用いて育てられた貴族の娘なのだから。


「望まれた通りの役割を果たすために、生活を保障され、優しくしてもらってきたのよ」

「別に、そうしてくれと頼んで生まれたわけではないのに?」


 リコリスが震える声と共に立ち上がった。両手をついて、私の方へと身を乗り出す


「あのね、ロゼ。駒になっている。ということですわよ、それ」

「貴族だったら、わかるでしょう?」


 伯爵令嬢のリコリスならわかると思ったのに、彼女は苦々しい顔をしていた。


「先ほどからおっしゃる、王と民と世界のため? わたくし、この文句大嫌いですのよ」

「……リコ怒ってる?」

「逆鱗に、触れちゃったねぇ」


 メアリとリリカがおやつを分け合う横で、私はリコリスに睨みつけられていた。


「そんな言葉で、姉は奪われたのですわ」


 ぼんやりとリコリスを見つめる。耳に入った言葉を理解するまでに間があって、瞬きを繰り返した。


「姉を、奪われた?」


 リコリスの姉? リコリス・フォルアリスの姉。それってつまりローズ・フォルアリス。私のことだ。

ローズ→セファの確定。

甘いお菓子、四人の女の子、秘密の共有。浮き立つ心に、軽くなる口。


次回「姉の話」


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