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【五章開始】あの人がいなくなった世界で  作者: 真城 朱音
三章.天機に触れた、宮廷魔術師
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9.あるべき場所の確認

評価、お気に入り登録ありがとうございます!! 誤字脱字のご指摘も感謝です。助かります。




 夕暮れ時、魔術塔の廊下。セファの工房をでて、先をいくフェルバートの後を足早に追いかける。

 異界渡(いかいわたり)巫女(みこ)から体を取り戻して、そろそろ一ヶ月が経つだろうか。だんだんと日暮れも早くなり、もう外は暗くなり始めている。

 フェルバートの後ろ姿は遠くて、なかなか追いつけなかった。


 侯爵家を出る? 魔術学院の寮で暮らす? そんなこと、考えたこともなかったわ。


 何のために。疑問が尽きない。フェルバートも侯爵も夫人も忙しく、今後その忙しさが増すという。世界的に魔力が不足しつつあるという今、フェルバートとハミルトン侯爵は軍部関係でやることが山積みだった。それは、二人の帰宅時間がものがたっている。さらに侯爵夫人は魔術師だ。魔術学院を高等課程まで修了し、研究単位取得の上で卒業。少しの間杖持ち文官として城に出仕経験がある。

 人手が不足している今、子育てが終わった世代の出仕経験者に声がかかっていると、侯爵夫人から聞かされた。


 一時的のこととはいえ、身分も立場も宙に浮いていた私を哀れんで、後ろ盾になってくれたハミルトン侯爵家。けれど、その私のせいで王家から圧力をかけられているとしたら?

 そうとしか思えなかった。ハミルトン侯爵家とセファの工房を行き来することで所在を不確かにし、護衛騎士フェルバートか宮廷魔術師セファのどちらかが常にそばにいる状態だった私は、常に守られていたと言える。それが難しくなったということなのだ。侯爵家にそんなことができる相手など、限られている。

 元々、王家とは対立派閥を担っているとはいえ、侯爵の負担はどれほどのものなのだろう。


 馬車の前でようやくフェルバートと目を合わす。青い瞳は、私と目が合うと、わずかに見開かれた。私は今、どんな顔をしていたのだろう。手を差し伸べてきた。その手は、馬車に乗る私のためだ。侯爵家へ帰る、私のための。


 この手に報いなければならないのに、私、何をしているのかしらね。


「フェルバートは、この後も仕事なの」

「そうですね。……王国結界の外と中が今、どうなっているか。近いうちにローズ嬢にもお伝えしなければいけませんね」


 なにかしら、それ。怖いわ。いいえ、知りたいとは思うけれど。知らなければ、とも、思うけれど。


「……ローズ嬢。約束を覚えていますか」


 出し抜けにそう切り出したフェルバートは、動かない私の左手を取って馬車へと導いた。


「約束?」


 握ってきたフェルバートの右手を握り返しながら、踏み台を上がり、馬車の中に収まる。フェルバートは一緒に乗り込んでこない。トトリとエマは馬車の後部に乗るらしい。箱の中は、私一人だ。


「一緒に観劇に行くと言いました」


 外から覗きこむフェルバートの表情は優しい。手は握ったままで、だというのに、とても距離が遠く感じるのはどうしてだろう。その距離を埋めるには、何をすればいいのか、見当もつかない。


「近いうち、必ず機会を作るので、待っていてください」


 左手が軽く持ち上げられて、甲に唇を落とされる。パッと朱の散る私の頰を見て、フェルバートは目を染めた。満足そうなのはなんなの、と軽く睨む。


「その、魔術学院の外套ですが」


 突然の指摘に、思わず身構える。それが何、と訝しめば、フェルバートの目も声もひどく真剣だった。


「あまり、人目に触れない方がいいでしょう。『ローズ・フォルアリス』は、本来持ってないもののはずなので。人目のある場所で着て歩くなら、頭から深く被って顔を隠してください」

「……ということは、侯爵家に戻る頃には脱いでいた方がいいってことね?」


 思いもよらない指摘に、瞬いた。念のためと思って確認すると、フェルバートは頷いたので、わかったわ、と返す。確かに、ただでさえ持ち物の少ない私のものとして、この外套は目立ちすぎる。セファの(しるし)もあるし、持ち主が私だと知れれば、変装に使えなくなってしまう。『宮廷魔術師セファの標の外套の誰か』になるためには、本当に必要な時だけ使うことにしよう。


「セファの標の、外套か……。俺の標も、贈れば身につけてくださいますか」


 フェルバートの右手が伸びて、私の頰に触れる。外套に視線を落としていたので、反応が遅れた。不意に跳ねた心臓を必死になだめすかしていると、あごに軽く力が込められたので、顔を上げた。扉は開いているけれど、ここは人目の遮られた馬車の中だ。トトリもエマも、私とフェルバートが何をしているかなんて見えない。

 暗くて、狭くて、近くて、心の中は恐慌状態と言ってもいいのに、フェルバートの前では狼狽(ろうばい)を表に出さず、澄まし顔を保つ私がそこにいる。フェルバートはそんな私をわかっていて、どこまで触れれば私が取り乱すのか、測っているようだった。


 試されている気がして、落ち着かない。


「耳飾り、首飾り。あぁ、指輪もいいですね」


 どこまで本気の言葉なのだろう。距離の近さに緊張するけれど、その言葉にときめくよりも、戸惑いが大きい。

 思えば婚約劇の最初から、この人の言葉を信じていなかった。ハミルトン侯爵の意向に沿って、体裁を整え後付けの経緯を事実にするためだけにあの求婚の芝居をしたのだと。

 それでもよかった。気にならなかった。そういうものだと思っていたからだ。望まれればそれに従うだけの私。自分自身の望みなど持たず、意に沿うことだけ、役に立つことだけを考える、貴族令嬢としての私。

 けれど、あの求婚がフェルバートの意思である可能性を考慮し始め、幼少の折から気にかけてもらっていた事実を知った。フェルバートは少なくとも、ハミルトン侯爵の意向のみを理由に行動したわけではなかった。


「フェルバート」

「はい」


 結局、ずっとこんなふうに呼んでしまう。それでも返事はすぐで、優しい声だった。


「私、お前に相応しくありたいわ」

「ローズ嬢は、あなたの思うまま、ありのままでいいんです。俺が並び立てるよう、相応しくなりますから」


 頬に触れていたフェルバートの手が、私の後頭部に回った。肩に抱き寄せられて、フェルバートの頬が頭に押し付けられる。一瞬だけだ。一瞬だけ、フェルバートの体温を感じて、その熱はすぐに遠ざかった。


「今日も遅くなります。屋敷でゆっくり休んでください」


 そんな言葉と共にフェルバートが戸を閉めようとする手を掴んだのは、ほとんど無意識だった。


「ちっとも話し足りないわ」


 驚いた表情のフェルバートにだんだん腹が立って、両手をその頬に伸ばす。痛くない加減はどのくらいだろうと考えながら、ぎゅっと摘んだ。少ししか伸びないのは、鍛えていて余分な蓄えがないからだ。


「もう! つまみにくいわ!」

「ローズ嬢、痛いです」

「鍛え方が足りないのよ!」

「……本当に、変わりましたよね」


 もうちょっと違う反応を期待したのに、その、人の成長をかみしめるみたいな表情と言い方はなんなの。


「私はね、お前に言いたいことも聞きたいことも、話したいことも聞いて欲しいことも、たくさん、たくさんたくさん、たっっっっくさんあるのよ」

「ほとんど伝えたいことじゃないですか。怖いなぁ」

「何が恐いのよ」

「そういう時のあなたは、突拍子もないことを言いますから」


 勢いが削がれて、眉を顰める。自分の言動を振り返ってもいまいち自覚が持てなかった。


「……そう?」

「そうですよ。心底驚くようなことばかりするんですから」

「そんなふうには見えなかったわよ。いつだって平気な顔をして」

「貴族として、騎士として、表情を作るのは基本ですから」

「では、私はそれを崩すことに注力するわ」

「やめてください。ところで、この指はいつになったら俺の頬から離れてくれるんです?」

「もうっ」


 話している間中むにむにと揉んでいた頬は、揉んだ数だけ柔らかくなるかと期待したけれどそんなこともなかった。つまんでいる手を開いて、両手の平でフェルバートの頬を挟む。尖った唇をしばし見つめて、変な顔よ、と吹き出した。


「こんなふうに言葉を交わすのだって、久しぶりだわ」

「……」

「観劇の日、できることなら丸一日、お前の時間をくれる? 朝も昼も夜も、たくさん、いろんな話をしましょう」

「あなたが、そう望まれるなら」

「引き止めて悪かったわね」


 青い瞳が揺れるのがわかって、悩めばいいわ、私と同じように。と心の中でなじりながら解放した。

 馬車の扉が閉まるのを見届けて、座席に体を預けた。


「悩むのは疲れるのよ」


 一人の車内だからこそ、目を閉じて弱音を溢す。


「王太子妃の立場での考え方なら、切り捨てるものも拾い上げるものも維持するものも分かりやすかったのだけれど」


 そもそも、寄り添う立場の意向がはっきり見えないからこんなにもやりづらいのだ。自分の方針と、求められる役割とのすり合わせができない。ただ笑って、話を聞いて、流れに身を任せて得られる未来がないというのなら、どんな手を打つか、自分で考えなければならない。

 やっと、そう思えるようになった。


「婚約者となるフェルバートの本音を聞き出して、どんな未来を得るために今どうするのか、はっきりさせなくてはね」


 国王陛下に婚約の許しを得るまでは、身の振り方を決めず様子を見ているだなんて悠長なことを言ってもいられない。トトリもエマも、かっこいいと言ったのは、偉そうに言い切る私だった。

 メアリの行動力に、感化されたかもしれない。


「かっこうよくならなくちゃ」


 馬車の中、ひとりごちる。前にも思った。最初にそう思ったのはどうしてだっただろう。

 脳裏に閃いた銀髪に、振り払うようにして首を振った。ため息が出て、つい思考が逸れる。フェルバートの前だと背筋を伸ばして、ふさわしい振る舞いをしようと思えるのに、セファの前だとそれが崩れてしまうのはなぜだろう。

 多分、一番はセファ自身が私をそのように扱わないからだ。貴族令嬢としてではなく、何もできない一人のローズとして接してくるから、調子が狂う。


「荒れ地で無様を晒しすぎたのよ」


 頭痛をこらえうようにして、額を抑えた。見つけてもらってすぐの身体検査しかり、荒れ地を抜けて森へ至るまでの移動しかり、動きやすい服のための着替えしかり。セファにはもう格好悪いところしか見せていない。友だちだからといって、許される範囲はとうに超えている。


「今更取り繕ったところで、セファの記憶を消せるわけもないかしら……」


 できれば約束通り、忘れてくれるといいのだけれど。


 窓の外を見る。遠ざかる魔術塔。ロの字型の建物の角にそれぞれ立つ塔の一つ、最上階部分をなんとなく眺めながら、どうか私の無様な姿を忘れてくれますように。と、祈った。




フェルバートを問い詰めたい。


次回「宝物と感情」

侯爵家を出てほしいと言われたローズが、側仕えとの会話の中で感じたこと。

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