5.魔術学院にてーローズの噂
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諦めて、ジャンジャックとミシェルを伺うように視線を向けた。手前のジャンジャックと奥のミシェルは、戸惑ったように身構える。何をどう切り出すか困っていると、ジャンジャックがミシェルに突かれ、二人が前後を入れ替わった。
そうして、ミシェルは私の前に跪く。
「……ええとミシェル? なあに?」
「僕も、ローズ様とお呼びしても?」
ミシェルからおずおずと問われたので、ええどうぞ、と返した。頭の中のクライドがあっさり言うなと怒っているけれど気にしない。できれば、セファが接しているみたいに、気安い関係を築きたいのだ。
こんな風にわざわざ話しかけてきたということは、なにか聞きたいことでもあるのだろうか。なんだか好奇心に満ちた視線に、少しひるみながらも「聞きたいことでも?」と受けて立つ。
「ローズ様は、貴族なんですか?」
「そうよ」
「家名を伺っても」
「今ここでは、セファの弟子。という立場でいるから」
「……詮索無用ということですか」
「ええ、そういうことね」
微笑むだけにとどめた。
「では、ローズ様も豊富な魔力をお持ちなのでしょうか。魔力特性はどんなものを?」
ジャンジャックが目を剥いたけれど、多分、この平民には伝わらないだろう。私は一度目を閉じて、深呼吸をする。
魔力量や魔力特性について、親しくもない相手に、下位の者から聞くのは無作法に当たる。魔術学院では、平民向けにその手の一般常識を教える授業などないのだろうか。ミシェルはよく卒業まであと一歩のところまで五体満足でやって来れたものだと思う。慌てているジャンジャックの様子を見るに、そういうことを一手に引き受けてきたのだろう。ジャンジャックも不安な振る舞いが目立つけれど。
「たいしたものは、何も」
こんな風に言う人間は、魔術学院にはいないだろう。ミシェルがそんなはずは、と不思議そうな顔をする。花を降らせて見せてもいいけれど、本当にそれしかできない。きっとがっかりさせるだろう。結界については、あまりに使わないようにと言われているし。
困ってしまった。曖昧に笑ってみせると、セファが助け舟を出してくれる。
「ミシェル、さっきも言っただろう。ローズ様は魔術について多くを知らない。代わりに教えてやってくれないか。そう……鳥とか」
けど、その言葉の衝撃は絶大で、ジャンジャックもミシェルも私の方をまじまじとみて、メアリでさえもセファから顔を上げた。
「えっ鳥?」
「鳥もご存知でいらっしゃらない?」
「……なんで?」
ミシェル、ジャンジャック、メアリ、と口々に言われ、私は居心地悪く目をそらす。なんで、と言われても。ええと、王太子妃教育に忙しくて……だなんて、言えるはずもなかった。
衝撃から立ち直ったらしいジャンジャックがしばし考え込んで、「あぁ、でも、そうか……」と納得している。
「……ローズ様は今までずっと、ご自分で鳥を使う必要もなかったんですね」
地位も登るところまで登ると、俺らにとっての生活必需品も使わなくなるのか……。と、遠い目になっている。勝手に遠くに行かないで欲しい。なるほど、と一人で繰り返し納得している彼は、どういう立場で私を知ったのだろう。
父親がフェルバート付きの文官だと言っていたけれど、下級貴族の下級文官を使っているだなんて初耳だった。婚約者について知らないことは山ほどあるので、考えても仕方がないけれど。
それよりも、鳥だ。鳥、鳥、とみんな言うけれど、実際に生き物の鳥が連絡用に飛び交っている光景は見たことがない。多分、そういう名称というだけで、実際の鳥ではないのだろう。
「ええと、人と連絡を取るための……魔術具? なのよね」
「そうですよ」
推論をしながら問えば、ジャンジャックはそう答えて机を回り込んできた。こちらへ、と恭しく手を差し出して来る。自然にその手を取るのを、ミシェルとメアリがぽかんと見ていた。研究室へと二人で移動して、ジャンは席を用意してくれた。私が座ると、手早く調合器具の用意をしていく。棚から調合器具を次々と出してきたので、私はそれを使いやすように並べ直したり組み立てたりする。用意された薬液とガラス器具を見比べて、護符づくりと似ているのかしら、と首を傾げた。
「魔力を込めて魔石にすればいいの?」
「そのあたりはご存知ですか?」
「護符づくりを、一通りしたことがあるの」
「あぁ、なるほどね。鳥は基本的に往復の使い切りなので、まとめて作っておくといいですよ」」
そう言いながら、ジャンジャックは細長いガラス器具を片手で三本手にして、細長い器具を使って薬液を必要量入れる。そうして、三本まとめてふり始めた。一本ずつしかやったことのない私は、あまりにびっくりしてじっと見つめる。
瞬く間に固化して出来上がったのは、光を受けて濃緑や紫に輝く、黒い魔石だ。その手際の良さと、魔力の多さに思わず拍手をした。ガラス器具を差し出されたので、両手を揃えて魔石を受け止める。
「綺麗、素敵……」
手のひらの上の魔石を、角度を変えてコロコロと転がして眺めた。三つとも透明度が高くて、大きさも揃っていて、宝石の原石のようにごつごつと角ばっている。台座にはめる際に加工することはあるけれど、この鳥に関してはこのまま使うのが一般的らしい。
「……噂ってあてになんないなぁ」
ジャンジャックの独り言に、顔を上げる。いえ、なにも、とジャンジャックは首を振った。
「一本ずつでいいから、やってみますか? 護符と違ってちょっとコツがいるんです」
そう言って私に薬液入りの細長いガラス器具を渡した。受け取って、護符づくりの時と同じように魔力を込めながらくるくると振る。
その間に、ジャンジャックは講義室から中くらいの薬瓶を持ってきた。
「だいたいこれくらいの瓶にためておいて、手持ちが減ってきたら補充します。ちょっとその学院外套いいですか」
頷くと、ジャンジャックが私が座るすぐそばに立った。外套の襟元をめくった内側の、輪っか状になった部分を示す。
「学院生は基本的にこの輪っかに、鉄輪が連なった鎖や、金具付きの長い革帯を取り付けます。背中から反対側に渡して、外套を着た時に肩から脇、腰、それぞれ使いやすいところに皮袋とか魔道具を引っ掛けておく。授業に出るとき必ず着るものだから、忘れ物が少なくてすみますよ。外套の内側じゃなくて外側に渡して、装飾がわりに護符を見せつける人もいます」
そうなの、と感心していると、ジャンジャックがハッとしたように手を離す。
「失礼しました」
「別に、そんなことで怒らないわよ」
一歩下がって頭を下げるので、首を振って止める。いいから、と手にしていたガラス器具を示す。中の薬液は、くすんだ魔石に固化していた。
「うまくできなかったわ。ジャンジャックの三つ同時に作ったものの方が、ずっと綺麗よ。少し魔力の入り方が護符と違うみたい。コツを教えて」
「まかせてください」
隣の椅子をポンと叩く。ジャンジャックは顔を引き締めて、隣に座った。薬液を入れたガラス器具を手渡してくるので受け取ると、くすんだ魔石入りのガラス器具は取り上げられる。
……魔術師セファの弟子として、弟子らしくあれこれ自分の力でやってみようと思っていたはずなのに、結局あれこれ人に面倒みてもらっているわ。
つい手を貸してくれるというのならそれに甘えてしまうのは、今までの環境のせいね、と思わずため息が出る。ガラス器具の中の薬液をくるくると回しながら、自立しなくてはね、と自戒する。ジャンジャックの面倒見がいいのは、メアリとミシェルをみていればなんとなくわかる気がしたけれど。
「それにしても、さすがローズ様の学院外套は特別製ですね。少し触れただけでも違いがわかりました。素材を聞いても?」
しばらく続いた沈黙の中、降って湧いた世間話のように話を振られて、困ってしまう。素材? と思わず聞き返した。あれ、とジャンジャックが瞬きながら、早くも完成した魔石を中薬瓶の中に転がす。
続けて薬液を満たして、また回し始めた。ちなみに、彼はずっと三本同時だ。
「学院製じゃないですよね、その外套。ご実家のお抱え術具師が作った特別仕様とか?」
「ええと、ジャンジャックは、私のこと、どこまで……?」
さすがに聞かずにはいられなくて、問いかける。するとジャンジャックはハッと青ざめた。あぁ繊細な話題であるのはわかっているのだけれど、それは私の方なので、当事者じゃないジャンジャックはどうか縮こまらないで欲しい。ほら、三本とも小さく爆発してしまったじゃないの。魔力を一度に流し込みすぎよ。
やってしまった、と後片付けをしながら、ジャンジャックが私の問いに答える。
「俺が知ってるのは、貴族の末端までくる噂程度ですが……あの、ローズ様は、少しばかり有名になられましたので……」
口ぶりからして、少し前はそこまでではなかった、ということだ。嫌な予感がする。
「最初は、第一王子の元婚約者が、辺境で病に苦しむ異民族の集落を救った話だったでしょうか。国境の砦に詰める騎士団を率いて、貴族のご令嬢が人命救助。それをきっかけに、融和路線が確立して襲撃がなくなり、辺境に平穏が訪れた、と」
あぁ、ほらやっぱり。私のことじゃないのよ、それ。と心苦しくなる。異界渡の巫女のやることは何もかもが規格外で、それまでの私と全く違うから目立つのだ。
「そうして王都に戻られて、いやちょっとまてなんでそもそも第一王子の元婚約者が辺境に? 元って何? と、連鎖的にローズ様の身の上話が話題に上って……」
「結局一通り、ってことね」
なるほど、と苦笑する。
「あぁ、でも、必要以上に調べないとでてこない部分もあるので、みんながみんな知ってるわけではないですよ」
「まぁ、もう夜会に行くこともないだろうし、人々の前に出なければ忘れていくでしょう。好きに話せばいいわ。噂って、そういうものでしょう」
いちいちかまっていたら切りがない。火消しに回るのは私の仕事ではないし、目に余るような虚言が流布されれば、きっとフェルバートや侯爵家が手を打つでしょう。
「元婚約者、とか、未婚の高貴な姫君の行末、という見出しがみんな気になるのね。じき結婚するから、そうすれば興味が他に映るわ」
気にしないことにする。と言い切った。
「ご結婚。フェルバート様とされる、という噂が」
「合っているわよ。私、今ハミルトン侯爵家に保護してもらっているの。セファは辺境で出会った縁で、後ろ盾になってもらっていて。いままで知らなかったから、魔術について教えてもらうために弟子になったのよ」
そうだったんですね、とジャンジャックが納得する。なら、それは侯爵家が用意したものですか、と、再び外套に視線を落とされた。なんとなく詳しく訂正する気になれなくて、勘違いさせたままにする。この学院外套について話し出すと、嬉しくなって余計なことまで言ってしまいそうだ。
「軽くて、丈夫で、かといって悪目立ちしない。これを用意した人がどれだけローズ様のことを考えたか、よくわかります。術式の付与まで完璧ですね。頭巾の縁が透け感のある単になっていて、視界が遮られなくなってるのがすごいな……。あぁ、すみません俺、魔術具とか術式付与されている生活用品がすごく好きで」
丁寧に褒められて、なんだか気恥ずかしい。それに包まれて座っている私は、誰がこれを用意したか知っているのだもの。ますます、セファから贈ってもらった物だと言えなくなってしまった。
「ローズ様? どうかしました?」
手の中のガラス器具を見る。中の魔石はくすむどころか濁っていて、もう! と目を釣り上げた。ジャンジャックの用意した薬液入りのガラス器具を奪って、持っていた方を押し付ける。
「余計なことしか言わないから、ちっとも上達しないわ! コツを教えなさいと言っているのに!!」
すみません! とジャンジャックが声を張り上げた。
ちょっと理不尽に怒りすぎてしまったわ、と一瞬後に反省する。
今週もお疲れ様でした。
来週は祝日と夏季休業のため火水のみの更新となります。(ストックの進捗がよければ更新するかもしれませんが多分無理)
なにとぞよろしくお願いします。
次回「魔術学院にてーセファと男子学生」




