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【五章開始】あの人がいなくなった世界で  作者: 真城 朱音
三章.天機に触れた、宮廷魔術師
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4.魔術学院にてー弟子のためにと師は笑う

 


 なんだかよくわからないけれど、どうやらこの茶髪少年ジャンは、私を知っているらしい。なら、話は簡単だ。気安く伸ばされる手をかわすよりも、こういう(わきま)えた相手の方がずっとやりやすい。別に、恐れ敬われたいわけではないし、私の方こそ変化しているはずの序列を思い知るべきかもしれないけれど。

 後ろにいる金髪少年ミシェルを一瞥(いちべつ)すると、ジャンを見て戸惑っていたミシェルは、わかりやすく怯んでくれた。ふーん、と少しだけ見つめて、目の前で平伏すジャンへと視線を戻す。かがんだり膝をついたり、手を差し伸べて立ち上がらせることはしない。だって、目の前のこの少年はこの私に無礼を働いたし、私は怒っているのだ。


 とっさに怒ってない、とは言ったけれど、あれは嘘だわ。だって私、とってもとっても怒っていたもの。私に対する態度ではなく、セファに対する態度でだけれど。


「……顔を隠していたのだもの、わからなくて当然よね」

「は、いえ、本当に、そうとはいえ、多大な無礼を……」

「私、セファにあらかじめ、この研究室で誰がどんな口を利いても怒らないで欲しいって、言われているの」

「う……ん?」

「聞かなかったことにする、と言っているつもりだわ」


 ジャンがバッと顔をあげる。面を上げなさいと誰が言ったの、と本当に無作法な下位貴族に腹が立つけれど、目を閉じてやり過ごす。

 下級貴族、下級文官の子息など、『これ』呼ばわりで十分なのだけれど、今後の私の目的を考えれば、あまりぞんざいに高みから押さえつけるのは支障があった。いつも通りの振る舞いに、少しだけこれからのことを考えた言い回しをしなければ。

 それに、どんな風に言い聞かされて育ってきたとはいえ、今の私にその立場で振る舞う資格があるかどうかは疑問だ。結局肩書は、侯爵家の四男であるフェルバートの婚約者。それも、まだ国王から許可が下りていない。とくれば、やっぱり身分が宙に浮いている気がして落ち着かない。

 ほんとうに、つくづく微妙な立場だった。やりづらいと思うし、以前まではるか下の身分の人間に、どう関わっていいかもわからない。


 ……こんなふうに、自分の立場で振る舞い方を悩むことがあるなんて。


 ひとまず、これから私がすることは、作法に反した行いで、とてもじゃないけれどフェルバートやクライドには見せられない姿になる。


「私はローズ。宮廷魔術師であるセファから魔術を学んでいる、セファの弟子よ。師の研究室所属の学院生徒であるあなたたちとは、良い関係を築きたいと思っているわ。どうぞ、ローズと呼んでくれる?」

「……っ! ローズ、様! 俺、いえ、私はジャンジャック・オウガスタと申します! 俺のことは、どうとでもお呼びください!! ジャンでもジャックでも!!」

「そう。ジャンジャックというのね」


 感極まっているジャンジャックだけれど、私の発言を咎めるものは誰もいなかった。さすが、貴族の作法に疎いというセファの研究室。セファはもちろん、二人の平民も私が何をしたかわかっていないらしい。

 無作法を働いた相手を、なんの条件もなく許したのだ。他に示しがつかないし増長を許すべきではない、とフェルバートやクライドなら言うだろう。けれど私はそれを無条件で許し、さらには名前を呼ぶように言いつけた。これが普通の貴族の魔術師が講師をしている研究室であれば、ジャンジャックは研究室から去るように命じられているところだろう。

 そういう環境下の学院で学んでいたにしては、確かに迂闊すぎる振る舞いだったと言える。それほど、セファの研究室というのが気安い空気だったのだろうとも予想がついた。

 貴族としての機微や作法が伝わる相手がジャンジャックのみで、なおかつそのジャンジャックは下級貴族。私の行動を咎めるものがいない環境は、本気を出せばやりたい放題し過ぎるかもしれない。


 ……ちょっと、怖いわ。自由って怖い。


 自制心を強く持って、自分でやっていいことと悪いことを見極めなければ。


「……弟子ですか? セファ先生の?」

「いろいろ訳ありでね」


 私が立ち上がるジャンジャックの前で物思いにふけっていると、背後のミシェルがポツリとつぶやいた。それに応えたセファは、多くを語らない。セファの目配せに、私もうなずいた。私について、詳しく語らないつもりらしい。口を滑らせないようにしなければ、と口元をそっと両手で押さえる。


「……弟子……? なにそれ……」


 そこに、酷く愛らしい声が響く。セファにしがみついたままの、メアリだった。


「そんなの、聞いてない。セファ先生? この女の子、なに。弟子? 私、そんなのきいてない」


 セファの体にすっぽりとおさまったまま、メアリはこちらを見ていなかった。セファの鳩尾あたりに顔を埋めて、ぐりぐりと押し付けている。


「しらない。そういうの、いないって思ったから、セファ先生の研究室に入ったのに」


 ぎゅうぎゅうと人目も気にせず、セファに詰め寄る。小柄で華奢で、小さな鈴を震わせるような可愛らしい声のメアリが言う。


「なんで、最初に言ってくれなかったの」

「言ったら何か違ったのか?」


 セファは両手を上に上げたまま、首を振った。誰にでも気安い口調で話すセファは、そうやってくっついているメアリと話していると、一層親密に見える。


「杖持ちとして卒業するのに必要な研究単位が欲しい君たちが、僕の弟子がいるかどうかで研究室入りを諦めたの?」

「だって、銀髪のセファ先生に弟子がいるとか、思わない」


 だから、どうして、こうも失礼な物言いばかりするのか。もはや貴族の作法だとかそれ以前の、人としての問題だと思うのだけれど。これは私、本当に怒ってはいけない? いいのでは? だって、師匠であるセファを侮辱されているのよ。黙っていていいはずないわ。銀髪のセファって何よ。銀髪いいでしょう。素敵でしょう。綺麗なんだからいいじゃないの。

 セファの研究室の学生とせっかく顔見知りになったのだから、親しむ人を増やしたいならこの縁をいま生かさない手はないと思うのに、もう今後一切関わりを持たなくてもいいから今ここで怒鳴り散らしてやりたかった。


「感謝してるよ」


 セファの言葉に、ふつふつと湧き上がっていた怒りが、すーっと引いていく。

 メアリに触れることはなかったけれど、くっついたまま見上げてきたメアリの目を、セファは真摯に見つめ返していた。薄茶の瞳を真っ直ぐに向けて、優しい言葉を紡いでいる。


「……僕は、どうしても研究室を持ちたかった。自己保身のためだし、自分勝手な都合で少ない講義と研究室の開放時間を条件に入ってくれた君たちには、本当に感謝している」


 不思議だ。セファが、そんな風に全面的に感謝をしている相手だとわかると、どんな無作法も、許してもいいかと思えて来る。

 魔獣討伐任務から外れたかったセファは、研究室を持つことにした。結果として現在、午前は研究室を開放し特別講師としての雑務の傍ら学生の質疑応答を捌き、午後は私に魔術を教えてくれている。

 あれ、と思った。そのどちらに比重が偏っているかと言えば、三人と一人なら三人のほうへ振れていても不思議はないのに。

 顔をあげると、セファと目が合う。


「初めての弟子が、少し厄介でね。どうしても、討伐遠征の間そばを離れなくなかったんだ」

「……なによ、それ。私のせいだというの」


 むっとする。三人は研究単位が必要で、将来に関わるのだから、杖持ちになるあてもない私の面倒よりも、そちらを優先すればいいのだ。その方が、この国の未来の役に立つし、セファだって頼れる魔術師仲間ができていいだろうに。


 ふと気づく。この三人は、セファの研究室をでて杖持ちになれば、セファに連なる魔術師として白の外套を着るのだ。

 いいなぁ、と素直に思う。もらったばかりの黒の外套は、本当に嬉しくて気に入っていてずっと着ていたいと思うけれど、私がセファの隣を白い外套を着て立つ日は、永遠にこない。


「ローズ様?」


 視線が落ちているところへ声をかけられて、ハッとする。なんでもないわ。と咄嗟に口走って。きょとんとまたたくセファに、取り繕うようにして咳払いをした。


「厄介な弟子は、師匠の活躍の場を奪ってしまったようなので、申し訳なく思っているわよ」


 言葉とは裏腹につっけんどんに皮肉を言えば、くつくつとセファが笑う。なんだか今日のセファは余裕があって、いいようにあしらわれている気がするわ。

 本当にご機嫌ねと呆れながら見守る。ひとしきり楽しそうに笑って、はぁ……、と深いため息が最後に響いた。思わず瞬いて、ミシェルやジャンジャックと目を合わせる。

 ひっついたままのメアリでさえ、不思議そうにセファを見上げていた。


「……黒の魔法使い(師匠)と結界の外にいくのは、金輪際、もう二度と、ごめんだよ」


 ……黒の魔法使いってセファの師匠だったと思うんだけど、なんだか深い呪詛を聞いた気がするわ。


 あぁー。と納得している三人に、どうやらそれにまつわる黒の魔法使いの有名な逸話がありそうだと見当がつく。こんど誰かから教えてもらおう。 


 ふと、この三人を工房に招いてはどうだろうと思いつく。私を教えながら、全く違う調合を片手間にできるセファなのだから、二人増えても三人増えても対して変わらないような気がする。人数も多い方が、楽しいかもしれない、などと考えて、完全にセファの善意をあてにしている案だと思い直した。

 ロクでもないことを思いつくわね、この頭は、とこめかみを揉んでいると、突き刺さる視線を感じてそちらを見た。

 メアリが、こちらをじっと睨んでいる。相変わらずセファにひっついたままで、私、いつの間にこの子にここまで嫌われてしまったのかしらと困ってしまう。セファにいないと思っていた弟子がいた、と言うことは、彼女にどんな意味をもたらすのだろうか。一番弟子になりたかったのか。

 人望はないと言っていたセファだけれど、こんな風に抱きつかれて、なんとも思わないのかしら? 受け止めた様子からして、今日初めて抱きつかれたわけじゃないように思えるわ。

 常日頃からすごいと思っているセファのことを、体全部を使って好意を示している女の子がいるというのは不思議な気分だ。嬉しいような、苦しいような。そうでしょうすごいでしょうと分かち合えるものなら分かち合いたいのに。


「……セファに魔術を教わる者同士で、協力できたらと思うけれど」


 自分を敵視する年下の女の子への話し方なんて知らないわ、と一瞬思って、いいえ、多分メアリは妹と同じ歳だ。妹も、もうじき杖持ちとして魔術学院を卒業するのねと、つい思考が逸れて、変な気分になる。ついこの間入学したばかりだと思ったけれど、少し距離が近くなりつつあった妹の学院生活について、聞きたい話はまだまだたくさんあったのに。

 異界渡の巫女に憑依されていた時間が、今になって初めて恨めしい。憑依されないまま辺境に行ったところで、そんな余裕があったかどうかわからないけれど。


「私に怒っていて、何か言いたいことがあるなら聞くわ」


 果たしてこんな言い方で、相手が素直に口を開くだろうか。それくらいはなんとなく想像できるようになったけれど、かといってどう言い直せばいいのか、それがわかれば苦労はなかった。予想通り、メアリからの反応はない。

 見かねたセファが、メアリの肩にそっと触れた。


「メアリ。できれば、ローズ様と仲良くしてくれないか」

「……」


 セファに名前を呼ばれて、メアリは一度セファの方を見上げたけれど、すぐにまたセファのお腹へと顔を埋める。


「ローズ様は君より年上だけれど、訳あって魔術については何も知らないまま育った方なんだ。もう直ぐ卒業の君から、ローズ様が学ぶことも多いと思う」


 どうだろう、と伺うセファにも、とうとう反応しなかった。私はセファと目が合うとそっと肩を竦めて見せる。相手にその気がないと言うのに、私がいくら心を寄せたところで仲良くなるのは難しい。


 ところでこの子、いつまでセファにくっついているつもりなのかしら。


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