3.魔術学院にてーセファの研究室
転移陣で渡った先は、一見しただけだと建物を移動したなんてわからないほど、同じ様式の造りだった。灰色の石造り、ところどころにある石像は魔獣だったり女神だったりと様々で、よくよく見れば必ずどこかに魔石が埋め込まれていた。その見事な造形は、いまにも動き出しそうで、つい遠巻きに見つつも避けてしまう。
「君にひとつお願いがある」
ゆったりと歩くセファをひたすら追いかけていると、セファが口を開いた。魔術学院側の転移陣の間から出るさい、しつこいくらいに確認していた私の外套へ再度目をやる。大丈夫よ。と、伝えたくて、より深く顔を隠すように頭巾部分を引っ張って頷く。
「この魔術学院で特別講師という立場をもらってる僕だけれど、じつは、学院での周囲からの人望はない」
なぜ? と当たり前のように言い返しそうになって、口をつぐむ。どこで誰が影から聞いているか分からないので、口を開かないようにと言われたばかりだった。
けれど、納得いかない。魔術学院の講師の中でも宮廷魔術師であるセファは、請われてこの学院の特別講師という立場になったはずだ。そのセファを、軽んじる人間がいる? それって、なんだか変な話だ。
「学院卒ではあるけど、実際通ってたことはないポッと出の平民だからね。というわけで、貴族の作法がわからない僕の研究室では、誰がどんな口を利いていても、怒らないで欲しいんだけど」
聞いているだけで嫌な予感がしている。ここは魔術学院。年頃になった全ての貴族とまれに魔力を持って生まれた小数の平民が通う学び舎だ。多分ほぼ唯一の例外が私だけれど、そんな私でも、セファの言っていることは不安しかなかった。
セファの研究室所属になったのは、確か、三人の学生だと聞いた。
二人は平民の兄妹。
一人は確か、下級貴族だったかしら。
「……研究室に所属している生徒に、横柄な態度を許していないわよね? セファ先生?」
思わず小声でささやいていた。
セファは誤魔化すような曖昧な表情を浮かべて、先を促すだけだった。
憧れの魔術学院は、想像よりも静かな場所だった。
まだ人がまばらなせいだろう、とセファはいう。もう少し経つと賑やかになるというけれど、基本的に魔術学院の朝は遅く、多くは夜が活動時間なのだそうだ。朝一番にやってきて、講義をこなし、午後には姿を消す特別講師というのは、さぞかし異例なのだろう。
とはいえ、中庭には朝の鍛錬として数人が軽い運動をしているのが見えたので、朝に活動する人間が全く皆無というわけでもなさそうだった。
セファの研究室は、魔術学院の奥まった隅の方、静かなところにあった。
「あてがった人たちの思惑はどうあれ、僕はこの環境、割と気に入ってるんだけど」
嫌がらせかもしれないけどねと言いながら鍵を開けて、中に入れてくれる。講義室と研究室は続き部屋でもあるらしく、出入口は講義室の後方だった。
入ってすぐの壁には丸椅子が積んであり、黒板にむかって広机が四つほど並んでいる。左右の壁は扉付きの棚が並んでいて、棚の中には、本はもちろん数々の実験器具が入っていた。
講義室前方、黒板の横から研究室に続いていて、研究室は講義室の半分ほどの広さだ。扉を開け放し、セファは執務机のようなところで引き出しや棚を探っている。
……そういえばセファって何を専門に教える人なのかしら、と今更ながら首をひねる。そもそも私、セファの魔力特性も知らないわ。魔法使いみたいに、いろいろできると知っているけれど。あぁ、正確には、まだ魔法使いではないらしい。あれって何か資格がいるのかしら。
例えば代表的な火、水、風、地、については、さりげなく扱っていたように思う。あとは、光もだろうか。結界系は扱えないと言っていたけれど、セファなら防御結界を用いる必要もなさそうだ。強い、と思う。セファの全力を見たことがないので、はっきりとしたことは言えないけれど。
私は頭巾をかぶったまま、両手で押さえながら研究室内を眺める。セファは一度廊下に出て、簡素な箱を確認した。手紙入れになっているらしい。そうしてまた研究室へと戻って、書類をまとめはじめる。おそらく、もう間も無く出るだろう。セファの用意を待つ間、黒板の前に置いてあった椅子に腰掛けて待つ。
「さて、戻ろうかローズ様」
書類の整理が終わったらしいセファが顔を上げた。私は頷いて立ち上がる。セファの先を歩いて、自分で扉を開けてみようと手を伸ばしたところへ、人の声が聞こえて手を引っ込めた。
「お前らにも今日は休みって鳥が来たんだろう」
「鍵がかかってたら諦めましょう。ね。それでいいでしょう、メアリ」
「でも、手紙箱、からになってる。朝、一度来てる」
三人の男女の声がして、思わずセファを振り返った。顔がちょっと引きつったセファが、広机の間を大股でやって来て私を背後へとかばう。そうした時には、研究室の扉が開け放たれた。
「うわ、開いてるじゃん」
「ってことはセファ先生がいますね?」
「いる。…………しらないひとも、いる」
最後の訥々とした口調は女の子だった。残る二人は男の子で、三人とも私と同じく黒の学院外套を着ている。入り口で扉を開けた体勢のまま二人の男の子は目を丸くし、女の子は鋭く睨みつけてきた。
「やっぱセファ先生いるんじゃん。用事で来れないって言ってたのに」
長めの濃い茶髪の少年が、そう言って部屋に入ってくる。まぁまぁ、となだめるのは、続いて入ってきた金髪の少年だ。最後に入ってきた私よりも薄い金髪の女の子は、何も言わない。ただ、私を睨んでいる。
「おはよう、みんな。……連絡は届いてる様子なのに、なんできたの」
セファが困った声をしていた。やはりというか、おそらくというか、彼らはセファの研究室に入ったという三人なのだろう。平民の兄妹と、下級貴族。情報との齟齬はない。
「すみません、セファ先生。どうしても今日会いに行きたいって、メアリがいうので。メアリが行くなら自分が行かないわけには」
謝りつつも、その話し方や表情、仕草は全く悪びれていなかった。なぜだか私がムッとなりながらも、我慢、我慢、と唱えながら聞き流す。
「で、さすがにメアリとミシェルの二人だけで辺鄙な場所を歩かせるわけにもいかないので、自分が付き添いです」
……辺鄙な研究室、って、言い方、気になるんだけど。
私が違和感に眉を潜めかけていると、茶髪の少年は「それに」と続ける。
「メアリもミシェルも目立つので、共同研究の話をするならセファ先生の研究室が一番なんです。突然休みになると困ります。ずっといなくていいんです最後に施錠しにきてくださいよ終わったら鳥飛ばしますから」
困っている、と言っているからには困っているのだろう。でも、それにしたってセファに失礼じゃないかしら。ぐぬぬぬぬぬと爆発しそうなのを、セファが後ろ手にどうどうと抑えてくる。背中に目でもあるの。なんとなくその手に怒りを鎮めてもらっていると、セファがため息をついた。
「……前にも言ったけれどね」
セファの声は、なんだか少し冷たい。
「君たちは優秀だけれど、望む研究をするには力不足だと言っただろう。魔力量や魔力特性値の高さはともかく、その扱い方を基礎から見直して底上げをしなさいと言っている。これは、入学当時から見てきた講師の意見を取り入れての評価だよ。僕はまだ君たちと関わって日が浅いけれど、この判断は妥当だと思っている。
研究室での討論は、そのあとだ。まずは個々の鍛錬と研鑽を重ねなさい」
一息に言って、さぁ、そこをどくんだ、と腕を組んだ。
「今日は知らせたとおり休みだよ。僕は工房に戻るから、そこを退いて」
セファの動きにあわせて、私も移動する。置いていかれないようにしていたら、目の前を進んでいたはずのセファが立ち止まり、私は背中で鼻を打つ。
「せんせい」
女の子の声、メアリとかいう少女の声が、セファを挟んですぐにそばから聞こえて、あれ、と思う。それも、位置が若干低いところから。え、とメアリの姿を探すと、セファが一歩下がった。腕がわずかに上がって、そこに隠れていた金の髪が見える。
セファの胸に、メアリが抱きついていた。
「っ」
私よりもずいぶん小柄で、華奢で、色素の薄い少女は、セファの胸に縋り付くようにしてすっぽりとおさまっている。私が慌てる必要はどこにもないのに、思わずセファの背中から飛び退いた。
「メアリ……」
予想外にも、セファは焦ることなく深いため息とともに彼女の名前を呼んでいた。両手はあげていて、触れないようにしつつもその声は冷静だ。
「そんなことをしても、君たちが望む魔物についての研究はまだ許可できない。僕は君たちが怪我することも、命を落とす可能性があることも、絶対に許可しない」
「だからって」
「今度、準備ができたら、学院敷地内の森の、ちょーっと奥に行くだけです!」
「ちょっと何がいるか分からなくて、結界装置で封じられてる奥の方に行くだけです。もしかしたら、ものすごーく強い魔獣がいるかもしれないって噂を、確認しに行きたいんだって! 見に行くだけ!」
いいから離れて、とセファが下がるのに、メアリも二人の少年も、さらに距離を詰めてくる。
ミシェルと呼ばれていた金髪の少年が、さらに主張とともにセファを押してきて、セファが一歩二歩と下がる。
迫ってくるセファの大きな背中に、私は思わず広机と広机の間へと慌ててそれた。もう何がなんだか分からなくて、私の気持ちは「若い子怖い!!」だ。多分、二つくらいしか変わらない歳だろうけれど、求めるものに対しての情熱が全然違う。
「研鑽も、瞑想も、してる。でも、先生と、みんなと話す場所も、もっと必要なの」
尚もメアリに押されて黒板側へと下がっていくセファをおろおろおと見送ると、少年二人がこちらをじっと見ていることに気が付く。ぴ。と毛が逆立った気がした。
「ところで、この子誰です、先生」
「女子? 女子に見える。なんで顔隠してんの?」
気安く手を伸ばされる経験など、皆無と言っていい。前から迫る茶髪のジャンと金髪のミシェルに。狼狽した姿を見せないように普段通りの立ち姿を保つけれど、足はすくんで動かなかった。とうとう顔を隠していた外套を掴まれ、顔が晒される。
ジャンの琥珀の瞳が見開かれる。聞いた話では確か下級貴族だけれど、目があった瞬間に、もしや、と考えが過ぎる。
突如その姿が消えた。
「え?! ジャン???」
ミシェルが戸惑いの声を上げる。私も取り乱して飛びのきたかったけれど、人の目があるこの場でそうすることを、何より私が許さない。
「たいっっっっっへんご無礼を致しましました!!!! 父は下級貴族の下級官吏ではありますが、侯爵家は騎士フェルバート様に文官として仕える身。御身へはたらいた無礼の贖いについて、今ここで私はどうなっても構いませんので、何卒、父にだけは……!!!」
「待って、待ちなさい。怒っていないから落ち着きなさい」
直前によぎった考えが的中したようだった。
私の視線の先、床に這いつくばって平伏す茶髪少年ジャンの姿がそこにあった。