出会い:メアリの場合2/2
本日二回目の更新です。一回目がまだの方はそちらからお読みください。
特別講師セファの講義室に行く途中、何人かの女生徒とすれ違う。数人ずつ、一様に青ざめているように見えるのは気のせいだろうか。
「なんだろう」
「……さあ」
二人が同時に振り返った。私はなんともないことを伝えるように首を振って見せる。ひとまずは、特別講師セファのところ行けば、すれ違う女生徒たちについてもわかるだろう。
「ここだ」
ジャンに示され、ミシェルが扉を開く。席のほとんどは埋まっていて、机は使わず椅子だけで話を聞いてる人も多い。
何が変といえば、見るからに学生じゃない人間が多く見受けられることだろうか。あれ、あそこにいるの、炎系魔力特性担当のおじいちゃん講師では。朝一の講義は空きにしている講師が多いので、暇なのだろうか。少なくない人数の講師が椅子を埋めていた。
もちろん、学生たちも多い。けれど、浮ついた雰囲気はなく、食い入るようにして黒板を見ている。もう終わる頃合いとは思えないほどの空気感だ。
壇上で黒板に書き付けをしていた特別講師セファが振り返る。一瞬、眩しくて目を細めた。
「以上が、王国結界内と外の植生の違い、それらを糧にする魔獣の種類とその習性。
中でも騎獣として飼い慣らすことのできる種については、飼料に王宮結界外で採取した薬草を混ぜ込むことで、一時的に能力の向上が見られているため……あぁ、終わりの時間だ。毎日午前中は隣の研究室にいるので、声をかけてもらえれば質疑応答を受け付ける。今日はこれで」
素っ気ない動作で、特別講師セファは教台に出ていた道具を片付け始めた。第一回の授業なんて、最初は雑談で終わることが多いのに、どうも本格的な講義を行ったらしい。
集まった聴講者たちは、椅子を講義室の一番後ろ側へと片付けながら、ぼそぼそと会話する。
「……待て待て待て、さっききたばかりなんだ、結界の外の植生だって? 講義できるほど精通していると言うことか?」
「内容については黒の魔法使いが保証しているらしい。セファ先生は彼の弟子だ。あの男、わざわざ講義の初めに宣言してさっさといなくなった」
「……セファ先生に喧嘩を売るなら黒の魔法使いが買うってか……」
ざわめく室内の会話を拾いながら、私はぼうっと壇上の特別講師セファを見ていた。ほとんど同い年に見える、若い青年。ひょろ長い上背と想像以上の整った顔に、目が離せない。手にしている冗談のような大杖をこん、と床に一つ打ち付けると、黒板に書かれた内容が全て書き消えた。
魔力の余波が彼を基点に広がる。あぁ、なるほど。魔力に耐性が低い何人かの女生徒は、これに当てられ逃げるようにして退散したのだ。
室内でまた、どよめきが起きる。特別講師セファは無表情だったけれど、その眼鏡の奥の薄茶の瞳は、戸惑っているように見えた。
自分がどれだけのことをしているのか、わかっていないのだ。その馬鹿みたいに大きい大杖に、冗談のような魔力量を叩き込み、信じられないほど他愛ないことをやって見せる、弱冠十八歳の宮廷魔術師、特別講師セファ。
若く、美しい魔術師の登場に、他分野の講師たちが様子を見にくるのも道理だった。
彼は、なかなか出ていかない室内の人々を前に、途方に暮れている。自分がどれだけ注目されて、もっと話を聞きたいと様子を窺われていることも、気づいてない。
世間知らずの魔術師セファは、椅子の背にかけていた白い外套を手に取り着込んで、頭巾を深く被る。肩に垂れていた銀髪も。丁寧に外套の中へとしまっていた。
……隠してるの。銀髪を。
異端の髪。悪魔呼ぶだとか魔物を呼ぶだとか、様々な噂の種となるその髪を、そんなふうにして隠すの。気づけば、ミシェルとジャンのそばを離れ、人混みをかき分けて壇上の特別講師セファへ向かって歩いていた。
「セファ先生」
呼びかけに、セファ先生がゆっくりと振り返る。表情は読み取れない。ただ、こちらが何を言い出すのか、見定めているようだった。
この人は、怖くないな、と思う。怖くない。この人は絶対に、私が何をしても傷つけないと確信が持てた。それどころか、なんて綺麗なんだろう。きらきらと虹色に輝いていて、なんだか眩しく見える。
「君は?」
静かな声に、胸が弾む。私だけに向けられた言葉だ。
「メアリ」
短く名乗って、手を伸ばす。白い外套を握っても、セファ先生は振り払ったりしなかった。
「セファ先生、研究室に、いれて……ください」
前置きも何もなく、要求を突きつける。背の高いセファ先生のそばに立つと、自分の身長がいかに足りないか思い知らされた。ほとんど真上を見るようにして、セファ先生の表情の変化を見落とさないようにする。
「メアリ!?」
ミシェルとジャンが追いついた。独断で決めたことだったのに、ジャンの対応は早い。
「初めまして、セファ先生。ジャンジャック・オウガスタです。こっちはメアリとミシェル。俺たち三人で、共同研究のため所属する研究室を探しています。どこもいっぱいで、ーーーセファ先生は、研究室に生徒を受け入れる予定はありますか? 俺たち三人を、入れてはくれませんか?」
セファ先生の視線が、私からジャンへと移る。虚を突かれたように瞬きを繰り返して、やがて、セファ先生が口を開いた。
「講義は予定通り週に一回。研究室の利用は、僕が研究室にいる午前中。それでもいいなら」
「……午前中だけ?」
「午後は用事があるんだ。大事な」
「卒業に必要な研究単位をいただけるなら、問題ないです。研究の進度によっては長時間の利用を求めることがあるかと思いますが、都度相談させてください」
わかった、とセファ先生がうなずく。瞬く間に決まった研究室入りに、ミシェルだけが置いてけぼりを喰らった顔をしていた。
教室内の他の聴講者たちも、呆然と成り行きを見守っている。研究室に所属していない卒業間近の生徒は私たちだけのはずなので、後に続く者がいないのは幸いだったかも知れない。
「ところで、研究題材は?」
聞く前に決めてしまったのは、セファ先生のうっかりだろうか。それとも、どんな内容でも対応できるという自信からだろうか。そういう私だって、セファ先生の専門を知らないまま勢いに任せて言ってしまった。
こういう説明は、ジャンが負ってくれる。
「俺たち、王国内部に現れる魔獣と、王国結界の外に現れる魔獣の違いを研究したいんです」
魔獣について、直接その生態を調べようとする魔術師は少ない。基本的に、魔獣と直接戦うのは騎士や魔狩りの仕事だからだ。魔術師のやることは、いかに魔獣を王国内に入れないか、街に近づけさせないか、入り込んだ魔物を見つけ、その行動を阻むかだ。
魔術師の力では、ほとんどの場合仕留めきれない。大規模討伐でも、魔術師の役割は後方支援だ。回復薬の作成、増強剤の調合。騎士や魔狩りが呪われれば、神官と協力して分析と解呪にあたる。
一部の例外を除いて、一般的な魔術師は、魔獣について直接調べようとは思わない。
その一部の例外というのが、魔術学院で講師を務める、黒の王国出身の黒の魔法使いその人だった。
その弟子で、王国結界の外のことにもどうやら詳しいセファ先生なら、私たちの研究題材も受け入れてくれるのではないか。そういう打算もあった。
「ふうん」
とくにひるむ様子もなく、セファ先生が頷く。
「君たちが本気なら、僕は構わない。ただし、僕の師匠みたいなやり方はしないから、それを期待しているならやめたほうがいい」
釘を刺されたけれど、黒の魔法使いのやり方を知らないので、何も言わない。私たちはわかりましたと頷いた。話がまとまると、セファ先生は私を見下ろして、小さく笑う。
「これからどうぞよろしく。着任したばかりで不慣れな講師だけど、お手柔らかにね。ーーーそろそろ離れてくれると、助かる」
その表情に促されるようにして、白い外套を握っていた手を離す。目元が優しい笑みの形になって、じゃぁ、明日から、午前は好きにおいで。と、そう言った、その表情に、今まで感じたことのない感情が、わっと押し寄せる。それは強い、強い欲求だ。
退室を促すセファ先生の言葉に従って、一人また一人と講義室から人が去っていく。私たちも同じように退室した。明日、研究室を訪れる約束をして。
黒の魔法使いの魔物研究は、魔術学院では有名だけれど、特別講師なのでセファ先生同様、講義は週に一回。大規模討伐遠征に積極的に参加するので、研究室は持たない。その教えを受けたい人間は数多かったので、セファ先生にそれ求める人間がこれからぐっと増えるだろう。
その知識も、整った容姿も、銀髪も、人を寄せ付けるにせよ寄せ付けないにせよ、人目を引くには十分だった。
その中で、もっとも近い距離を許された。その他大勢よりも、一歩内側。研究室の所属学生といえば、セファ先生の傘下だ。
「……メアリ?」
ミシェルとジャン。三人で、黙々と歩く。セファ先生の研究室は、魔術学院でも奥の奥で、人の寄り付かない一角だった。ここまで一人では来れないな、と思っているところへ、ミシェルに呼び止められた。
気づけば後ろにいたミシェルを、ジャンと一緒に振り返る。
「……どういう、つもり?」
兄が身をかがめて、私の顔を覗き込んでくる。ジャンも同じだ。私は女子の中でも身長が低いから、少しうつむけば顔を見られずにすむのに、ミシェルもジャンも許してくれない。
「……セファ先生、かっこよかった?」
私の顔を覗き込んだミシェルが絶句している横で、ジャンがにやーっと笑う。私は少しの躊躇の後、力一杯頷いた。
「素敵だった。それに、絶対優しい」
ときめきが胸をいっぱいにする。あの人の特別になりたい。あの優しい顔で、柔らかな目で、私にだけ、特別な言葉を口にして欲しい。
あの若さであれだけの力を持っていて、辺境にどとまっていたのは、銀髪のせいだろう。きっと、心を許す相手なんていない。それなら、私がそれになりたい。
「何度か会って、私のこと、知ってもらう。そしたら」
ミシェルを見る。まだ遠い場所に視線をやったまま帰ってきていなかったので、ジャンに向かって宣言した。ぐっと拳を握る。
「セファ先生に好きって、言う」
「待て待て待て!」
ジャンが私の肩を掴んだ。ちょっと痛くて、なに? と眉を顰める。
「なんだそれ!?」
「結婚、してもらう」
「おかしいだろ!!?」
首を傾げる。何かおかしいだろうか。いつの間にか自失から戻ってきたミシェルも、ジャンの剣幕に首を傾げていた。
「もう成人も間近に控えていますし、これはと思う人がいれば当然では? メアリは特に、杖持ちになるため高等教育へ進んだ分、在学期間が伸びている。魔術学院特別講師のような理解ある伴侶を捕まえるのは、間違っていませんよね?」
「魔術学院で、気になる相手がいて話を進めたいと思ったら、普通は家長とか次期家長を通すものだ! 今回なら、お前らの親とセファ先生の実家にやりとりを任せて、返事をもらうのが理想……だけど……」
ジャンの声が、どんどん萎んでいく。お気づきになったようで何よりだった。何せ私たちは平民で、魔術学院へ入ったことを期に、親はいないも同然となった。そして、セファ先生も平民だ。ただの魔術師だったら、それなりの家の後ろ盾があったかもしれない。でも、一足飛びで宮廷魔術師となったセファ先生は、逆に誰かの後ろ盾になれるほどの発言力を持っている。
強いて言うなら師匠だと言う黒の魔法使いが後ろ盾かもしれないけど。
「告白を人任せなんて、絶対ダメ……!」
私がそう言えば、ジャンはあぁあと頭を抱えてしまう。反対に、一転して冷静な態度のミシェルは、私を上から下まで眺めて残念そうにため息をついた。
「色仕掛けに乗ってくれるような人ではないでしょうけど、その女性的魅力に欠けた容姿ではそもそも無理そうだね」
身内じゃなかったら消し炭にしている。ひとまず、力一杯足を踏んづけた。
三日続けて研究室で雑談と相談と研究を進めてから、四日目。珍しく午後も研究室にいる、というセファ先生の予定を聞いて、私は昼食後、一人でセファ先生の研究室に乗り込んだ。
思いの丈をぶつけ、ものの見事に玉砕する。
……と言うより、告白の意図を理解してもらっていない気がする。聞き間違いのないほど真っ直ぐに伝えたつもりだったけれど。
まだまだ、これから。なんなら、想いを知ってもらってからが始まりなのだ。押して押して押して押して、押し倒して、それでもダメだったら、それはその時考える。
首尾と今後の決意を報告すると、ミシェルはなるほどとうなずいて、ジャンはまじかよ平民常識が違う、と頭を抱えていた。失礼な。
「……まだそこまで本気じゃないなら、セファ先生はやめといたほうがいいと思うけどなぁ……」
ジャンの見立てなど、知ったことではなかった。あんなに、優しくて寂しくて眩しい人、他にいない。期間は卒業単位を取るまでだ。時間はまだまだたくさんある。
「ぜったい、視界に入ってみせる」
いく末なんて知らないけれど。まだまだ、私の恋は、始まったばかりだ。
セファの午後が空いていた日といえば、ローズが新しい衣裳を作っていた日のことです。