出会い:メアリの場合1/2
三章に出てくる女の子の話です。
「そう言えば、皆様のお耳にぜひ入れたいお話がありましてよ」
食堂の今日のおすすめは、鶏手羽元と夏野菜のトマト煮込みだった。フォークで突くだけで骨からほろりとほぐれる鶏を、野菜と一緒に口に含めば、トマトの甘みと酸味に夏の暑さに減退気味だった食欲が戻ってくる。
「聞きまして? 新しい特別講師着任が、正式に決まったのですって」
「まぁ、相変わらず、なんでもご存知ですのね」
「いいえ、私ではなく、宮廷魔術師の兄が詳しいのですわ。掲示板に張り出されるのは、まだ先になるそうなのですが」
この腹の立つ甘ったるい喋り方の声の主は、侯爵家の末娘だっただろうか。謙遜しつつも家の力を誇示する言い方に、うわぁと思いながら昼食を進めた。上位貴族であるご令嬢方の声がするのは、二階の窓際席だ。あそこの席での会話が、一階のテラス席の一角に丸聞こえであると知ったのは偶然だった。周囲を見ると下位貴族の情報通と見える数人が、素知らぬ顔で食事をしている。彼らの仲間だと思われるのは具合が悪い気がするけれど、有用なこともあるし、知っていて違う席へ移り別の誰かがここに座って情報を得ると思うと、惜しい気がする。
なので、この席はいつだって私専用だった。
我が国の魔術学院。魔力を持つ少しの平民と、由緒ある貴族の全てが入学し、魔力の扱いを等しく覚え、才あるものは魔術師に、なかったものは別の進路へと将来を決める学び舎だった。
女生徒は才能があってもなくても、親の意向によっては進学することなく初等教育を終えてすぐに嫁いでいく。これについては、今見直すべきだと声を上げる女性活動家と、その活動を後押しする異世界からの来訪者リリカによって、近い将来変わるかもしれなかったけれど。
才能があって高等教育へと進み、杖持ちになることを決めている私には関係ないことだ。
「メアリ、またここにいたのかい」
声をかけられて、顔を上げる。濃い金の髪に、若葉の瞳。私とほとんど同じ色彩を持ち、顔だちもほぼ一致する双子の兄。私と違うのは、見るからに優しげな顔つきであると言うところと身長がずっと高いと言うことくらいだろうか。
目が合うと嬉しそうに駆け寄って、隣の席に座った。手にしていた紙袋から出てきた食事を見るに、探してくれていたのだろうか。
「ここにいるってわかってたし、いなかったらすぐに諦めてたから気にしなくていいよ。約束もしてなかったし。それにしても、…………あぁ、またここで盗み聞きかい? 情報収集に精がでるねぇ」
流石に最後の方は小声だったけれど、誰が聞いているかわからないというのに、なんてことを言うのか。しーっと人差し指を立てると、ごめんごめんと彼は笑う。
「ミシェル、用事、なに」
訥々と問えば、いやいや、とミシェルは笑う。
「どうも、魔術師志望で研究室に所属してない生徒、僕とメアリとジャンだけみたいだよ。どうする? 僕ら平民を研究室に入れてくれる講師なんて、そうそういないみたいだね」
春からこちら、卒業に必要な単位を全て集めたと言うのに、魔術師になるのに必須となる研究室に所属しての研究単位だけが足りていなかった。いくつかの研究室に所属できないか聞きに行っても、平民だと知るや否や、いい返事はもらえない。平民出身が魔術師を目指すだなんて、と貴族主義の講師からは説教をくらうほどだ。研究内容を聞くこともなく門前払いというのは、魔力研鑽を強く推奨する我が国の魔術学院として、いかがなものだろう。
「黒の王国なら、もう少し柔軟に対応してくれたかもしれないけどねぇ。黒の魔法使い様は研究室を持たないと公言しているし」
食事を進めながら、ミシェルは言っても仕方のないことを言う。あちらはあちらで、家ごとの得意分野で派閥が厳しく分かれていると聞くし、結界系以外の魔術師が出世するには厳しい環境だろう。平民の私たちは今よりもずっと苦労するに決まっている。
そんなことより、と二階の会話へ耳をすませた。話のタネを持ってきた女生徒への賛美が、ようやく終わったところだ。
「それで、新しい特別講師、誰だと思いまして? 先日辺境からやってきたばかりの宮廷魔術師のことはご存知?」
「まぁ、本当に?」
「まさか」
「セファ様のことですか? 討伐遠征の主力の?」
「あぁん、もう、早速答えを口にするなんて。そうですわよ。噂の白銀の魔術師が、この学院にやってくるそうです」
うっとりととろけさせた声に、何事かと眉をひそめる。白銀……、白銀の魔術師……? 宮廷魔術師セファ。討伐遠征の主力と言うのなら、相当な実力者のはずだ。なぜ、私の知らない名前なのだろう?
「あぁ、魔術師セファがこの学院に来るんだね。へぇ。あの人、特別講師とか興味なさそうに思えたけど。ていうか、年齢だって僕らとたいして変わらなくない?」
まともな授業になるのかな、と呟く兄を見つめる。私の視線を受けて、あれ、と首を傾げた。
「知らない? 白銀の魔術師、若き天才。宮廷魔術師着任早々、一部の魔術師に盛大に喧嘩を売ったって言う、銀髪のアルブム・アウルム」
銀髪、と聞いてあぁ、と思い当たった。目立つ白い外套に、銀の髪。赤い髪飾りを授与したのち、腕試しと称する場で訓練棟を半壊させた怪物。七日間挑まれ続けて魔力切れを起こした様子もなく、その時の魔術行使から、おそらく基本の魔力特性はもちろん、他にも希少な魔力特性をいくつも持っているのではないかと噂されている。
他に目立つのは、その若さと整った顔立ちだ。魔術師としての手数と強さは、研鑽のほどに大きく左右される。にも関わらず、十代後半という若さで、複数の魔力特性を持ち、底の知れぬ魔力量を誇る魔術師セファ。魔術塔にこもっていてくれさえすれば、関わることなどなかっただろうに。
そして、今二階の窓際席でうっとりと話している少女たち。彼女たちの目当ては、魔術師セファのその容姿だろう。確かに、遠目に見てもあの銀の長い髪とあの顔立ちはこの世のものとは思えないほどの美しさだった。それが同じ教室で、講義を受ける? どんな講義内容であっても、一目見たさに女生徒が殺到することが今からでも察せられた。中には、あわよくば目に留まりたいと思う者も出てくるだろう。宮廷魔術師を迎えたい家は下位にも上位にも数多い。
「けれど、大規模討伐遠征が目前と噂されている今の時期、どうして……?」
女生徒の一人が訝しむ。あぁ、それについては、と自慢げな話の中心人物が、嫌に声を低くした。
「リコリス様の方が、ようくご存知なのでは?」
そんな、と柔らかな謙遜の声が上がった。今まで一度も発言していない声だ。
「辺境へ追放されたあの方が見出し、王都へ舞い戻った後は立場の不安定なあのお方のため、宮廷魔術師になったセファが後ろ盾を引き受けた、というのは、とても有名でしょう? 聞いた話では今、魔術塔に出入りされているとか」
「まぁ、初耳ですわ。魔術塔に出入りするだなんて。くちさがない者の、ただの噂では?」
リコリスの声は凛として、揺らぐところがなかった。
「それに、魔術師セファ様といえば、銀髪のお方でしょう? まともな教育を受けている貴族であれば、好んで近づいたり致しません。それに、侯爵家の者との婚約のお話も進んでいるというお話は皆様もご存知の通りでしょう」
席を立つ音がした。その場のピリリとした緊張が、ここまで伝わって来るようだった。
「ローズ様について、私が知ることは少ないのですわ。ご期待に添えず、申し訳ありません。失礼いたします」
同じ教室で学ぶこともあったリコリスが、こんな風に話を区切って席を立つのは珍しい。いつも穏やかに笑って、その場の状況を読み、けして目立つことなく場をとり持たせる能力に長けた人物だったはず。彼女たちの物言いに、腹に据えかねるものがあったのだろうか。
「ローズ・フォルアリスと、白銀の魔術師ねぇ……」
食事を終えたミシェルが、紙屑を丸めながら呟く。知っているの? と視線を向けると、いいや、と首を振られる。
「どちらも面識はないね。魔術師セファは遠目に見たことがあるだけだし、ローズ・フォルアリスって話には聞くけど実在も疑われる魔術学院七不思議……」
私自身もあまり詳しくはない。興味がないことや自分に関係のないことはすぐに忘れてしまうし、他人に関わることは苦手だ。双子のミシェルが代わりのように人と関わってくれて、私のはその影に隠れていればよかったので。
「魔術学院七不思議……?」
「知れば知るほど謎が深まる、興味深いお方だよ。第一王子アンセルム殿下の元婚約者だったにもかかわらず、その魔力量の少なさから魔術学院に通わなかったって」
「……貴族なのに?」
「貴族なのに」
変だよねぇ、というミシェルに、確かに、変。と相槌を打つ。
「平民ならまだしも、どんなに魔力が少なくても、貴族はみんな魔術学院に通って魔術の扱い方を学ぶってのが国の方針でしょ? 覚醒が遅い人もいるし。でも、そのローズ・フォルアリスは、魔術学院に在籍した形跡がかけらもない。兄が二人と妹が一人、兄妹はそれぞれ優秀な成績を残しているというのにね」
この時のローズ・フォルアリスという不思議な貴族のお姫様の話は、それこそ他愛ない世間話の一つに過ぎなかった。
特別講師として招かれたと言う魔術師セファの初回講義内容は、辺境周辺の植生についてという、これといった物珍しさのない講義だった。貼り出された掲示板のお知らせを横目に、すぐに声をかけられ振り返る。
「メアリ」
「何を見ている?」
ミシェルと、友人のジャンだった。なんでもない、と首を振って走り寄ろうとしたけれど、ミシェルとジャンがこちらにくる方が早かった。
「特別講師? 週一の上朝一の授業じゃないか。うわ、講義室も最果てだ。誰が行くんだよ……。第一回って今日か……もう終わる頃かな……」
「魔術師セファ? もう授業始まってるんだね。ジャン、都合がつくなら、一度でいいから見に行ってみませんか? ちょっと興味があります」
えぇー。と、あからさまに嫌そうな声を上げて、ジャンが顔をしかめる。下位貴族の子息らしい服装を少し着崩して、茶色い髪も長め。悪ぶっているけれど、実際は平民である私やミシェルにも分け隔てなく接し、尚且つ貴族に混じっての不慣れな学院生活で面倒を見てくれる、お人好しだ。
「なら、今からすぐだな。ちょっと覗けば気が済むんだろ? 今日行ってみて気になったら第二回の時は頭からくればいい」
いくぞ、と早速先導するジャンは頼もしい。ミシェルと二人顔を見合わせて、小さく笑った。