22.宮廷魔術師と明かされない秘密(2)
「……セファは、フェルバートのこと、好きだよね」
「なんだい、急に」
ごめんね、とトトリが後ろめたそうだった。何を遠慮しているか知らないし、クライド・フェロウとの関係もわからないけど、と首をひねりながら、僕は答える。
「好きって言い方が正しいかは知らない。けど、フェルバートは、あの人と一緒に僕を外に連れ出してくれた人だ」
銀髪を隠して家に引きこもっていた。師匠である黒の魔法使いが家に滞在していて、不便はなかったから。
そんな僕を、無理やり手を引っ張って、連れ出した二人だ。好きという言い方が正しいかどうかは本当にわからない。
「ただ、感謝している。王都に来て、宮廷魔術師になって、魔術塔の工房をあたえられて、何一つ困らない環境ができた。魔術学院の教師や生徒とも関わるようになって、僕の世界は確実に広がったから」
恩はある。
感謝している。
あの人がこの世界からいなくなるって聞いて、受け入れられなくて、伯爵令嬢ローズ・フォルアリス様とは距離を置くことを決めた時も、それでも一度会ってほしいと、フェルバートが今のローズに会わせてくれた。宮廷魔術師としてローズの後ろ盾となってほしい、と。そう申し出たのもフェルバートだ。
でも、と僕は続ける。こんなことを口にする日が来ると思わなかったな、となんだかおかしい。
「それより前からの知り合いで、時々家まで会いに来てくれていたトトリにだって、感謝してるよ。何を言おうとしているか知らないけど」
君が話していいと思えたなら、聞かせてくれ。
「セファは待ってくれるところが優しいけど、言い出さないと絶対聞こうとしないところは、ちょっと厳しいよね」
トトリが少し落ち着いた様子で、小さく笑った。
「……つい、姫様にも言ってしまったけど。
私は、昔の姫様のそばにいながら、その環境に疑問を持たず、それどころかその維持に手を貸してきたであろう人間たちを、素直に全部信じられないと思ってる」
「クライド・フェロウが、その一員だと?」
つい思いついた名前を口にしたけれど、会話の流れを振り返ってみてハッとする。思わずトトリを凝視して、声が強くなった。
「フェルバートのことも?」
僕が指摘すると同時に、トトリがしおしおとしおれていく。あぁいや、と言い直しながら、首元に手をやる。気まずげな表情のまま、トトリがモゴモゴと答えた。
「ついでに言えば、エマのこともね。
私は貴族の考え方についてよく知らないから。結婚についてだって、姫様が語る貴族のご令嬢としての当たり前が理解できない。あの人達の幸せは、ひょっとしたら私が思うものとは全く違うものなのかもしれない。って」
だから、姫様のためだと言いながら決めたことが、本当にそうか判断できない。か、と僕は納得する。
確かに、ローズのためと言いながら魔術の知識を与えず、魔力の研鑽もさせず、王太子妃教育を一見すると無意味に思えることまで詰め込んでいた。あれは、『ローズのため』ではないだろう。あるとすれば、王家の利か伯爵家の利だ。
「ローズ様に、魔力を増やして欲しくない理由があった。と僕は思っている。ローズ様の魔力特性値を考えると、稀代の転移魔導師になれたのは確実なんだ。それなら、転移魔導師にさせたくなかった、とか」
それこそ、転移魔術だけなら赤の魔法使いを凌ぐほど、と思うのは、師匠という立場としての贔屓目だけじゃないだろう。けど、転移魔導師にさせたくない理由と言われると、何もわからない。転移魔導師の貴重さを考えれば、そんなもの存在しない。
「……魔法使いにしたくなかったのかな」
「セファ?」
ふと口をついて出た言葉に、ハッとする。もしそうなら、それは、およそ貴族的な考えからかけ離れている。ありえない。
「私の飛躍した疑念に、セファが付き合う必要はないし。うん、まぁいいや、セファが姫様のこと考えてる顔を見ていたら、安心してきた」
どういう意味だろう。問いかけを込めて見つめても、トトリは明るく笑ってみせるだけだ。お茶を飲みながら、何かお菓子持って来ればよかったよね、とぼやくトトリにつられて、お茶会室の方を見た。露台へ出るための大きな窓がついたお茶会室は、一方しか窓がない調合室に比べずっと明るい。
眩しくて目を細めながら、色々な考えに蓋をして、表情を緩めた。
「……ローズ様の目が覚めたら、みんなでお茶にしようか」
やったーと嬉しそうなトトリの表情を、これ以上は曇らせたくなくて。
僕は、先ほどのフェルバートの言葉について、トトリと話すことをやめた。
結局、夜半を過ぎてもローズは眠り続けた。エマとトトリが交替でついていて、今はトトリが起きている。エマは談話室の長椅子で仮眠を取っていた。なんとなくエマが眠る談話室にも、ローズが眠る寝室のすぐ隣になる調合室にも、どちらに居るのも落ち着かなくて、僕は書斎に置いてある一人がけの椅子でくつろぎながら、わずかな光源の中、手持ちの魔石を解析していた。
トトリはお茶会室だろう。煌々と明かりがついているのが見えた。さらにその奥の浴室や閑所を昼間のうちに魔力がなくとも使えるよう一通り整備したので、ローズが使うときに困らないよう確認しているかもしれない。
……閑所はともかく浴室を使うことはないと思うけれど。
フェルバートと話したことと、トトリと話したことが頭を巡って、眠れる気がしなかった。ローズもこんな風になにかで悩んでいるのだろうか。
解析が終わった順に皿へ転がした魔石が、カラカラと音を立てながら同じ皿においてある眼鏡に当たって止まる。数年前、魔力量が上がるにつれて魔力特性が視覚に干渉し、魔力制御が未熟で生活に支障がで始めた時に師匠が与えてくれた魔術具の一種だ。
付与されている術式が魔石解析の邪魔をするので、外していた。視力に問題はないし、今はもう自力で制御できるようになったけれど、なんとなく使い続けている。
『近い将来、ローズ嬢は世界を救う』
フェルバートの言葉が、頭で繰り返される。
「世界を救う、だって」
旅の間の、魔物から逃れるため無理を押して結界を張った後、寝込んだローズがうわごとのように言っていた。世界を救ってもいいかもね、と。
変な夢を見ているんだな、と聞き流していたあれが、もしそうではないなら?
魔力枯渇の件は王国がすでに手を打っていて、魔術具が開発中で、何も心配いらないと、他ならぬあの人が書き残してくれたんじゃないのか?
それとも。その『手を打った』うちに、ローズの辺境行きが含まれていたのか。
フェルバートが知っていることってなんだ。
疑いたくなかった人間への疑念に、胃のあたりがズシリと重くなる。何も知らないまま状況に取り残され、右往左往しているうちに、手を拱いて全てを失う。なんて考えては、第一王子に婚約破棄を言い渡された当時のローズと状況が似ているな、と思う。
何も知らない水面下で、重大事が起こりすぎている。目に見えることだけでは何もわからない。
「もういっそ、この工房にこのまま閉じ込めてしまおうか」
情報戦で圧倒的に不利というなら、もはや誰の手も届かない場所にこもって籠城するしかすべがない。
馬鹿なことを考えているし、師匠からは浅慮だと笑われるだろうな、とため息がでて椅子の背に頭を乗せる。机へと視線を向けた。
皿の上の、色とりどりの魔石。それぞれ薄い色に透き通っていて、少しいびつで、指先ほどの大きさしかない、軽くつまんで僕の魔力をほんの少し込めれば、簡単に砕け散りそうな、脆い光。全て、ローズの魔力で作った石だ。
結界系の魔力特性値が尋常じゃなくずば抜けている彼女だけれど、予想通り、他の魔力特性値は低かった。これは結界系の魔術師によく見られる傾向だった。
その傾向との乖離が、赤の魔法使いが魔法使いたる所以だった。かの魔導師は、結界系以外にも複数の高い魔力特性を持っているという。
「それを思えば、ローズ様はあそこまでじゃない。ローズ様にできることは、師匠の師匠にもできる……」
それなら、ローズが特別世界を救う理由はない。赤の魔法使いとして名を馳せ、転移陣を開発した転移魔導師による救世のほうが、筋が通る。
そもそも異世界からの訪問者リリカこそなんなんだ……。
わからないことばかりで、片膝を抱えた。結ばず背中に流したままの髪が顔にかかった。誰に聞き、どう調べれば身動きの仕方がわかるだろう。僕はいい、場当たりで切り抜けられるだけの力はある。けど、ローズはきっと違う。
初めて出会ったあの東屋で。
護衛騎士の腕にしがみつくようにしてやってきた、フォルア伯爵家のご令嬢。人の虚勢を簡単に見破って、哀れんで、銀髪にひるむことなく杖を持つ手を握り込んだ無知な娘。
出会ったその日の午後、フェルバートの怒声とともに飛び出され、その娘がお茶会を前に姿を消したと聞いた時は、ただ夢中で赤の魔法使いが開発中の携行移動陣を持ち出した。
転移魔導師は国に管理される。単純に危険だからだ。利用されたり、悪事を働いたりといったことがないよう、結界系魔術師はその数を把握され、転移魔導師は国に、魔法使いは世界につなぎとめられる。
黒の王国の伝説級転移魔導師によって開発中の携行移動陣は、試用段階へ至った際その試用者が厳選された。開発者である赤の魔法使いの弟子の弟子であること、魔力量が規定値を超えていたということで僕は選ばれた。
赤の魔法使い自らの手による登録制で、事前の使用計画連絡が必須。そして、移動陣を使用すればどこの誰に渡した移動陣が起動したか、赤の魔法使いにわかるようになっているという代物だった。
その上、杖を含む魔石の一切の所持が許されないという、なんのために転移するかわからなくなりそうな制約付きだった。
その移動陣の最後の一枚を、ローズの元へ行くために使った。
当然、事前計画連絡など間に合わない。それでも飛んだ。本来一度行ったことのある土地に向けて使うものを、勝手に術式を組み込み、一度会ったきりの少女の微弱な魔力を追いかけた。
何故そこまでしたのだろう、と自分でも思う。出会った当初抱いてた感情は、もうあまり覚えていない。思い返しても出てくるのは最近の、くるくると表情を変えて嬉しそうに魔術の講義を聞いてくれるローズの顔だった。けれどそれも、彼女が倒れる直前の場面へと切り替わる。
僕が師匠として贈った標入りの黒の外套を、嬉しそうに身にまとって、くるりとまわって、浮かれたように勢い込んで詰め寄ってきた。
……僕のことを、考えていたと言った。
『私、きっと、セファのことをーーー』
僕のことを、なんだというのだろう。
調合室側からやってきた人影に、視線を向ける。室内着をまとった、ローズがそこに立っていた。
寝ぼけ眼をこすりながら、おぼつかない足取りでやってきて、書斎の入り口にぼんやり佇んでいる。ぼーっとした顔でセファを視線で捉えたかと思えば、まっすぐにこちらへやってきた。
見るからに眠そうで、きっとこのまま寝台へ戻せばすぐにでも寝入るのだろうな、と変な確信があった。ええと、とそばにあった椅子の上の本を避け、軽く払ってからすすめる。ローズは特に何も言わないまま、小さくうなずいてすとんと座った。
「ローズ様」
声をかけても、反応はない。
大変良い姿勢で座ったまま、両手は膝の上で、何か話しだす様子もない。僕は疑問符を大量に発生させながら、ひとまず席に戻った。
頬杖をついて、傍のローズを見つめる。あの、倒れる直前のことは覚えているのだろうか。思考と行動の術式が働いた時は綺麗さっぱり忘れていたようだけれど。
工房の結界装置に付与した半術式は正常に作動していれば、覚えているはずだった。けど、今の様子はそれ以前の問題で、検証のしようがない。
金の髪はゆるく波打って、背中に流したまま。髪はいつもきっちり成人女性らしくまとめ上げているローズだから、全部を下ろしている姿はひどく珍しい。旅の最初の頃は、幾度か僕が髪結い役だったので、全く見たことがないとは言わないけれど。そしてその事実は口外することなく、なかったこととして忘れる約束だった。忘れるまでは、覚えているつもりで。
「まだ眠いなら寝てなよ。まだ朝は遠い。お腹が空いたなら、お茶会室にトトリがいるからーーー」
上から下までローズを見渡しながら、ぼんやりとしままの彼女へ寝室に戻るように勧めてみる。ゆるく首を振ったので、言葉は聞こえているらしい。何か用があるのかと首をかしげる。体調不良ではなく、ただ寝ぼけているだけなら、驚かせれば目覚めるだろうか。
「……ローズ様。さっきのこと、覚えてる?」
今にも閉じられそうな瞳が、ゆるくこちらを向いて、瞬きする。
「言いかけてたこと。あの続きを聞いてもいいかい?」
ぎくり、と固まった気配がした。みるみるうちに青い目が見開かれ、顔が赤くなっていく。おぉ、目が覚めたな、とつい感心しながらその様子を見守った。意地が悪いと言われても仕方がない気がする。
「君、きっと僕のことを……何?」
はく、とその唇が喘ぐように動いて、息を吸った。
やっぱり予定通りに終わらない二章ということで、7/1より延長戦始めます。毎日更新じゃないかもしれませんが、気長にお付き合いください。
二章が終わったら8/1までお休み予定です。よろしくお願いします。




