20.白い標と黒の贈り物
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今日もセファの工房の調合室で、以前と同様に護符の作成をする。液体に魔力を注ぎ、ゆっくり魔石に変えていく。
魔石にそのまま魔力を込めることもできるけれど、難易度が変わって来る。より難しくなるし、慣れていないと危険が増す。そのため、私が魔力をこめるときは、必ずセファがついている時にするように、と約束した。
くるくるとガラス器具を回しながら、魔力を注ぐ。何度も何度も繰り返したおかげか、慣れたものだった。最近は、こうして使い切りの護符を作りながら魔力の流れを身に付けつつ、セファの講義を聞くことが増えた。時々脱線しては、他愛無い雑談になることもあるけれど。
今日の薬品は青い。日によって違うこの色は、どうも私がどんな魔力特性と相性がいいか試しているのだそうだ。結界系以外にも適性があれば、術式の組み方に幅が出るのだとかで。
くるくると、ガラス器具を回して青をかき混ぜる。その色を見ていると、フェルバートの瞳を思い出した。
魔術塔へ向かう馬車の中。窓の外を眺める騎士の横顔を見ていたら、何の前触れもなく自分の口から言葉が飛び出した。
「セファのことだけど」
次の瞬間、フェルバートが呻く。驚いて口を閉じると、片手で額を抑えうなだれたフェルバートが私を見た。続けて話そうとする私の口を、手の平でそっと塞ぐ。
「忘れてくださいと言いました。いえ、出された問いに意地でも答えを出そうとするあなたを知っていて、口が滑った俺が悪いですが。……あぁ、すみません」
言いながら、今気づいたように手を離す。とっさにだったらしいけれど、と言うことは、本当にずいぶん焦ったのね。
フェルバートは感情を隠すのが上手なので、顔を見ただけではわからない。優しい表情だとか、微笑む表情はだいぶ読み取れるけれど。
そんなことを考えながらじっと見つめていると、フェルバートがため息をついた。続きを促すようにして、視線が向けられる。
「考えれば、考えるほど、わからなくなるわ」
問いに対する答えとしては、不十分であることが明確だった。不足を補うために色々考えたけれど、やはり何も浮かばないのだ。数日、夜が開けるまで考えたけれど、答えは思い浮かばずじまいで。
そうですか、と返すフェルバートの声は穏やかだった。
「考えれば考えるだけ、わからなくなって、それで」
その眼差しに甘える形で、私は続けた。
「セファは、私のことをどう思っているのかしら、なんて」
「ローズ嬢は、本当に変わりましたね」
そう? と問う。そうですよ、と首肯するフェルバート。
「他人が自分をどう思っているかなんて、気にすることはなかったでしょう」
そうかもね、と苦笑する。そんな暇なかったのが本当かもしれないけれど。今までずっと、自分の不足ばかりを気にして、嫌われないことばかりを考えて、どのようにして、貴族令嬢としてのこの身を役立たせるか悩むばかりで。
けれど、それだけじゃない気がする。
「セファは、友人なの」
「嬉しそうに、おっしゃってましたね」
「そう、貴族のしがらみも何もない、辺境からやって来たばかりの、宮廷魔術師という地位を持つ同年代の男の子。立場が違いすぎて、見ているものや、価値観がわからないから、だからそんな風に気になるのね」
今まで出会って来た人たちと違いすぎて、だから、特別で、眩しく見える。そう言うことなのだろう。
「ずっと、お友達でいたいと思うわ。フェルバート。これからもずっと、みんなで、時々お茶ができたら素敵よね」
これで答えになっただろうか。自分でもうまくまとまったと思う。そうですね。とフェルバートは優しく頷く。その瞳は青くて、いつか夢見た草原地帯の空のようで、いつだってまっすぐだ。
いつだって真剣に話を聞いてくれるフェルバートだけれどでも、なんだか最近……。
カラン。響いた硬質な音に、ハッと手元を見る。からからと透き通った水色の魔石が、丸底のガラス器具の中で転がっていた。
つい先ほどの出来事を思い返すのに夢中で、一種の瞑想状態だったかもしれない。直前に何を考えていたか忘れてしまったけれど、手元で完成した魔石の出来栄えに、満足感が押し寄せる。
できた。と頭上に持ち上げて、洋燈の光にかざした。それを、横から奪う手があった。指の先が触れて、熱さにひるんだ矢先、ガラス器具がさらわれる。
「ーーーうん。キレイにできてるね。少しくすみがあるけど、十分実用範囲だ。ここにたどり着くのが早いな。ローズ様、やっぱり才能はあるよ」
不意に褒められて、ひゃっとなる。教師役の立場の人から、その内容を褒められることに慣れなくて、どぎまぎしてしまう。
「けど」
そう続けたセファの声が、どこか厳しい気がしてあれ、と顔を上げる。ずいぶん静かな動作でガラス器具を台に置いたあと、セファが隣に腰を下ろした。
カタン、と椅子が音を立てる。
「ローズ様、今度は何に悩んでるの」
「えっ」
「また何か考え事をしながら調合していただろう。ダメだと言っているのに」
ごめんなさい、と小さくなる。よく見ているわね、この人、と呆れたのは決まりが悪いからだ。
セファが話し合う姿勢を見せているけれど、私がおろおろと視線を泳がせ逃げ道を探す。往生際が悪いな、と言われてしまった。
二人並んで座ると、どうしたって体が大きいのはセファなので、声は頭上がら降って来る。
「無理には聞かないけど。じゃあ、ひとまず考えごとは置いといて、僕に意識をくれるかな」
よく見れば、セファは手に何か袋を持っていた。示すように軽く持ち上げて見せてから、中身を机の上に取り出す。出て来たのは平たい箱で、それを私の方へと押しやって来る。
「なあに?」
「ずっと渡そうと思ってたんだけどね。魔術講義を始めた頃から用意は進めてたけど、渡せるようになるのに時間がかかって」
開けて良いよ、と言われたので、手を伸ばして箱の蓋を持つ。思わず傍に控えるエマを見た。今日は、工房にエマも入れてもらったのだ。私の視線に気づいたエマは、優しい顔で頷いてくれる。応援してもらえた気がして、箱に向き直った。
なにせ私は、人からの手渡されたものの蓋を自分の手で開けることなど生まれて初めてなので、戸惑ってしまう。セファはまさかそんなこと、知る由も無いだろうけれど。
本来、人から贈られたものを見るときは、椅子に座って両手は膝の上。側仕えがくるくると動き回って、贈り物を受け取り中を検め、捧げ持って見せてもらう。そうでない手順など知らないし、初めてだ。
高鳴る胸に耳を傾けながら、箱を開ける。中身は真っ黒い何かだった。これは、布かしら。
「エマ」
これ以上はどうして良いかわからず、思わず助けを呼ぶ。きょとんとしているセファに変に思われて無いか気になりつつ、エマへと箱を示した。エマは訳知り顔で失礼します、と一礼して、箱の中の黒い布を検分する。
まぁ、これは。とエマの表情が華やいだ。私を見てにっこりして、箱から取り出したそれを、セファに差し出す。
「セファ様。ぜひ、今」
「ええと、うん。わかった」
エマが何か、言外に押し込んだ気配だけはわかって、はらはらとセファの反応を見守る。セファは戸惑いながらも立ち上がって、エマから受け取り、私にも立つように促した。
「ローズ姫、後ろを向いてください。片腕を伸ばして。そうです」
何が何だかわからないまま、指示通りに動く。セファも同じで、ぎこちないながらも私のそばに立ったことはわかった。
セファの、嗅ぎ慣れた薬草の香りがしたかと思えば、突然腕に袖を通された。えっ? と振り返りざま、「そのまま回ってください、姫様」と嬉しそうなエマの声に、気がつけば上着を着せかけられていた。
黒い外套だった。ぽかんと自分の着姿を上から見下ろす。
驚いたなんてものじゃない。だってこれは、魔術師の外套だった。
「……セファ、これは」
「持ってないんじゃ無いかな、と思って。君のだよ」
言葉が出ない。普段用の外出着の上から羽織った黒の外套は、ちぐはぐで良い着こなしとは言えないけれど、それでも、考えたこともない贈り物に、頭が真っ白になっている。
「普通、貴族は多かれ少なかれ魔力を持ってて、その強さにかかわらず、みんなが魔術学院に通うだろう。でも、ローズ様は王太子妃教育を優先して行かなかったって話だから、持ってないかと」
私の反応がないことに気まずそうな顔をしながら、セファが言い訳のように話し出す。
「一応、君は僕に師事していて、僕は君の師匠ということになる。それなら、師匠としては君に何か、弟子とわかるものを贈るべきだし、持っていないなら外套が一番だと思って。それを着れば、魔術塔の中をうろついても悪目立ちしないし、ほら、頭からかぶれるから、顔を隠したいときだとか、雨の中歩くときに便利だーーー」
いや、ローズ様がそんなことする必要はないか、とセファが一度口を閉ざす。私はその声を聴きながらも、まだなんといって良いかわからず固まっていた。
「胸のとこ」
そういって、セファが自分の左胸を指し示す。
「僕の、宮廷魔術師としての標が、その白い花なんだ。僕の研究室に所属する杖持ちは白い外套になるけど、あぁほら、こないだ三人入ったっていっただろ。でも、君は見習いで、弟子だから黒なの。あぁと、前の合わせをめくった裾に、君の名前があるから、無くしても帰ってくるよ。旅先で紛失した魔術師の外套は、だいたいこの魔術塔に送られてくるから」
ええとそれから、と、こんなにもしどろもどろで立て続けに話すセファに、つい吹き出してしまった。
「ありがとう、セファ」
左胸の、白い花の標を撫でる。先日頭上に降らせてくれたあの多弁の白い花だった。続いて、手繰り寄せた内側の裾を見る。 確かに自分の名前の刺繍があって、びりびりと頭の後ろがしびれる不思議な感触を味わった。
「私の、外套」
嬉しすぎると、うまく感情が現れないものだなんて、初めて知った。胸もお腹もあったかくて、くらくらする。よく回らない頭で、思うまま言葉が口を突いて出る。
「私、セファのことを考えていたの」
「……うん?」
何を言いだしているのかしら、私と。一方で思うのに、一方では早く言ってしまおうと気が急いてくる。
「私、私、あなたことを考えていたの。護符を作りながら、私、あなたのことを、どう思っているのかしらって」
「ローズ様? 急に何を言い出して」
「私、きっと、セファのことをーーー」
熱に浮かされたように口走って。
その先は、言えないままだった。
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突然均衡を崩した体を、ほとんど反射で抱きとめる。外套を着せかけるために二人で向かい合って立っていてよかったとホッとしながら、突然意識を失ったらしいローズを、僕は困惑とともにかかえ直した。
「……眠ってる、だけでしょうか」
エマという、もともとフォルア伯爵家の侍女だったらしい娘が、ローズの顔を覗き込む。同じように視線を落とすと、目を閉じたその面差しは青白くて、よく見れば無理を重ねているのがよくわかる状態だった。
いや疲れている顔はわかるけど、なんでローズがこんなことになっているのかは全くわからない。侯爵家で何をさせられてるんだ。護符を作っていた時の悩み事と根っこは一緒なんだろうか。
「……なんでこんな。なにこれ。過労? いや熱くない? ローズ様、熱くない?」
「多分、これ、寝不足です」
寝室はこちらですか? と問いながら、エマがきっぱりという。はぁ? と思わず声が出た。
「連日朝が来るまでうんうん悩みこんでいれば、こうなります。そのくせ、侯爵夫人やフェルバート様、セファ様の前ではいつも通りに振舞おうとするのですもの。いずれ限界が来るのも自明でしょう」
倒れるならセファの前だね、とトトリも言ってました。と付け足される言葉に、今は外出しているトトリをちょっと問い詰めたい。
調合室は一方が窓辺で、三方が本棚やついたてなどで仕切ってあり、それぞれ書斎とお茶会室と寝室につながっている。その寝室は部屋というよりはもはや小上がりのような寝台があるだけの場所だった。調合に疲れてそのまま転がり込んで眠れるのは便利がいいけれど、こんな風に侍女に見られるとひどく都合が悪い。
勝手に寝台が整えられ、姫様をこちらへ、と促される。えぇ、ここに寝かせるの。本当に? 談話室の長椅子っていう発想はなさそうだなと思いながら、片手でローズを抱え、どうにかして大杖を引き寄せる。ここん、と床を小突いて、寝台周りの汚れだとかそのほかいろいろを取り除いてから、ローズを横たえた。
エマが無言で歓声をあげ、拍手をするのがちょっと目に煩わしい。
自分の寝台に横たわるローズから、意識して視線をそらす。
大杖で苛立ちまぎれに床を小突きながら、散らかった調合室を片付け始めた。普段そんなに気にならないのに、なんで今こんなことを始めるのか。いや調合器具や、薬液、鍋なんかはまめに片付けるけれど、広机や積み上がった本なんかは足の踏み場がなくなってようやく気になるのにってことで。
「エマだっけ」
知っていたけど、呼んだことはなかったのでつい、まずそう聞いた。
「ちょっと、ローズ様のそばにいて。フェルバートに連絡を取ってくる」
ため息をつきながら、フェルバートが執務室にいることを祈った。この際、洗いざらい聞きたいことを聞き出してしまおうと、質問項目を頭に浮かべ、書斎へと向かった。
ローズさん、多分人生で最大級の失態に数えられる事態なので、目覚めた時が心配ですね。
今週もありがとうございました。良い週末をお過ごしください。




