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【五章開始】あの人がいなくなった世界で  作者: 真城 朱音
二章.運命を誓う、護衛騎士
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19.夜の庭と問いかけ


 優しい声とともに、腕を掴まれ、引っ張り立たせてもらう。その場にうずくまらないようにするのが精一杯で、ただ必死に二本足で立った。そうしている間にもアンセルム殿下は私の砂まみれになった服や膝、手のひらを払ってくれる。


『痛いです。殿下』

『うん。そうだろう。私の騎士は強いのだ』


 十歳の王太子と、五歳のその婚約者。

 しれっと木剣を片付け何食わぬ顔をした問題の張本人はさておき、その場に揃った人々は、その会話を固唾を飲んで聞いていた。


 言いたいことは? と問うた王太子は、この場の処断を五歳の婚約者に任せた形になったのだ。あの時の周囲の気持ちはどうだっただろう。今自分がその場にいたらと思うと、生きた心地がしなかったに違いない。





「アンセルム殿下に問われたローズ嬢は、まず「痛い」と言いましたね。俺の周りの多くの大人が、俺が騎士になるのはもう絶望的だと思った」

「私もそう思うわ」

「ところが、ローズ様は続いて、『ありがとう』と仰ったのです。『痛いのはよく分かったし、守られなければあっという間に痛い思いをするということもわかった』と」


 そうだったかしら。そんなことを言ったの? と笑ってしまう。きっと、その時間の前に教えてくれた教師が、上手に誘導していたのだ。だって五歳で難しいことを考えていたわけがない。きっと、痛くても怒ってはいけないだとか、それは知る必要があることだ、とか。


「そうして、ローズ嬢は最後に、『痛いのは嫌なので、これからも皆様、どうぞよろしくお願いします』と、そう言って、丁寧に貴族令嬢のお辞儀をして、次の予定があるから、と訓練場をアンセルム殿下に付き添われ、去って行きました」


 もう覚えてなくて、肩をすくめる。あの日、フェルバートを罰しなさいと癇癪を起こしていたら、今頃どうなっていたのかしら。今ここには、フェルバートじゃない別の誰かがいたのかもしれない。


「数拍置いてようやく、お咎めがなかったことがわかって、その場は騒然としました。俺に何か処罰を、と望む者。このあとやっぱり追って沙汰があるのでは、と巻き込まれていないか不安がる者。いろいろでしたが、結局は何もなかった」


 そうだろうと思う。あの頃の私は、過ぎ去ったことを思い出してあれはやっぱりこうしてほしい、なんて頼む暇も発想もなかっただろうから。婚約者になったばかりの頃なら尚更、きっと新しいことが楽しくて嬉しくて夢中だったのだ。

 それでも体を動かすことは苦手だったから、続けなくていいと言われてホッとして、それっきり忘れていたはずだった。


「フェルバートが何も罰を受けなくてよかったわね。ちょっとやりすぎだったかもしれないけれど、革鎧の上から一度くらいなら……」


 話しながら、いややっぱり二連撃はどうかしているわね、と言葉がしぼむ。無理にかばわなくていいですよ、とフェルバートが苦笑した。


「そして、やっぱりそのありがたみわからない馬鹿な俺は、怒っていました」

「……怒ったの? どうして?」

「さぁ。『礼など言わないからな』というように、侮られたと思ったのかもしれません」


 なにせ馬鹿でしたので。と、フェルバート。

 昔の自分にたいしてとはいえ、ひどく辛辣な物言いだった。まあ。と相槌を打つしかできない。


「そうして、何か欠点をあげつらって恥をかかせてやろうと、伝令役の立場を利用して、あなたの様子をよく見るようになりました」


 あの頃は、まだあの人からの贈り物も頻繁で、その分フェルバートが私とあの人の間を行き来する回数も多かったのだろう。幼いフェルバートが、しかめっ面で贈り物を運んでいる様子を思い浮かべては、なんだか可愛らしい気がして笑ってしまう。


「そこでやっと、俺は、あなたの生活環境を知りました」


 そう言って、フェルバートは言葉を切る。香草茶を口に運んで、その青い目が私を見た。視線を受けて、私は小首を傾げる。そんな特別なことをしていなかったと思うけど、とあの頃に想いを馳せた。ただただ、王太子妃教育を受ける日々だったはずだ。

 王城に出向くこともあれば、屋敷に教師を呼び自室や談話室で行うこともあった。私はただ指示された通り、全てを取り仕切る家令と、その指示の通り導いてくれる侍女にただ従うだけでよかった。


「五歳のあなたが、朝から晩まで人の監視のもと、一挙手一投足に至るまでを定められて、生活していることを知った」

「大げさよ」


 そんな、言うほどのことじゃなかったわ。と私は首を横に振る。


「いいえ」


 けれど、フェルバートは断言する。


「異様でしたよ」


 どうして今更そんなことを言うの。そう思わず詰ってしまいそうで、口を引き結ぶ。聞きたがったのは私だ。そう感じたフェルバートだから、王家に切り捨てられた私を、拾い上げてくれたのだ。


「私、あの頃の日々を辛いと感じたことはなかったの」


 ただ、楽しかった。王太子妃としてこなさなくてはならない課題を、予定通りにできない焦りはあったけれど。あの王太子妃教育から逃げ出したいと思ったことはなかった。


「そう感じさせないように、していたのでしょう」


 それさえも調整されていたと言うの? 私が逃げ出さないように?


「俺は、いやでしたよ。ずっと。アンセルム殿下のために、異様な努力を言われるまま続けるあなたが」


 だから。と続けるフェルバートの目に、異様な光が見えた気がした。


「あのお方があなたの手を離した時、手段を選ばないと決めた。俺は、あなたと自分の運命を、自分で選びました」


 運命を。思わず口の中で繰り返した。それは、どんな運命? 幸せな、未来だと思っていいのかしら。

 そんな、思いつめた顔で口にする言葉の先が、幸福なものだと信じてもいい?


「ずっと見てきました。これ以上、あなたを損なわれたくない。俺はただ、あなたを守りたい。これが問いの答えになりましたか」


 頰を両手で覆って、頷く。なんだか、昔から色々な想いを秘められていたことはよくわかった。私のことを知った風に話すのも、私よりも私のことをよくわかっている風なのも、納得だ。

 卓を挟んだ距離を、少し遠く感じる。とても心に寄り添ってもらっていると思うのに、現実はそうじゃないことに違和感があった。


「ところで、最近家に留まろうとしたり、屋敷に誰が訪ねてきたか家令に問いかけたりしているようですが、ローズ嬢は気にしなくていいですからね。侯爵家が、あなたを守ります。不用意に外部の者と接触しないようにだけ、気をつけてください」


 う、と思う。母が来たことを目撃したことは、まだ誰にも伝えていなかった。知っているのはあの日ついてくれていたトトリとエマだけだ。

 次兄への手紙は、外部との接触に当たるだろうか。当たるのだろう。勝手をしてしまったかしらとついため息が出そうなのを(こら)えた。


「あなたは、セファの工房にいてください」


 懇願のような響きだった。


「あそこなら安全です。魔術塔そのものが滅多な人を寄せ付けませんし、セファの工房は結界装置も万全で、何よりセファ自身にかなうものがいない。俺は今、どうしても仕事であなたのそばにいられませんから」

「随分セファを信用しているのね」

「あいつのことは、混じり気のない頃から面倒見ていますから」


 混じり気のない、ってどう言う表現なの? と心底不思議だった。


「出会った頃の彼はそうですね、異界渡の巫女の言葉ですが、とても『透明』な少年だったので」


 透明な。

 ものも言わず、ただ立っている姿は、確かにそうかもしれない。話し出すと少し意地悪で、やさしい、優秀な魔術師だとわかるけれど。

 セファはとても、本当にとても綺麗な顔立ちをしているのだ。それが銀髪なものだから、余計に際立って見えて、本当につい見惚れてしまう。目の前にいなくてもこうして思いふけってしまうのだから、目の前にいたらずっと見てしまうかもしれない。いえ、本人を前にそんなことはできないから、絵姿かしら。


 つい間の抜けたことを考えふけってしまって、ハッとする。「百面相ですか」とフェルバートが向かいで笑っていた。


「セファの絵姿があったら、きっとずっと眺めてしまうわね、と思って」

「確かに、俺でも否定できません。……あの工房に出入りするようになったあなたは、とても楽しそうですよ」

「楽しいわ。新しいことを学ぶのは、本当に楽しいの」


 なによりです。とフェルバートが笑ってくれる。


「でも、今日は本当に貴重な話を聞くことができたわ。昔のフェルバートは、今よりもずっと怒りっぽかったのね」

「あの頃に比べれば、だいぶ、大人になりましたから。とはいえ、まだまだ若輩ですけれど」


 そろそろ片付けましょうか、とフェルバートがエマと、もう一人の侍女に目配せをする。二人がその視線を受け片付けを始め、その間にと夜の庭へと誘われた。







「もう夜も遅いですし、降りずにここで眺めるだけにしましょうか」


 開放された窓辺から、二人で夜の庭を眺める。侯爵家のには見事で、もう少し奥へと足を伸ばせば、小さな川や池があった。抱えている庭師も通常より多く、侯爵自身か、夫人のどちらかの趣味なのだとわかる。


 今度、トトリとエマを連れて散策してもいいかもしれないわ、と考える。午後は出かけるから、午前中、侯爵夫人も誘って、お茶なんてどうかしら。

 楽しそうな想像に、近いうちにやってみよう、と決めた。早速、あとでエマに相談しておこう。


 フェルバートがすぐ後ろに立っていて、ねえ、提案なのだけど、と声をかけようとすると、それよりも先にフェルバートの声が降って来た。


「ローズ嬢。セファのこと、どう思っていますか」


 背後に寄り添ったフェルバートが、突然そんなことを言う。驚いて振り返ろうとしたのに、気づけば肩を押さえられていた。


「フェルバート?」

「……口が滑りました。忘れてください」


 背後の気配が離れていく。振り返れなかったのは、問いの答えがわからなかったからだ。


 セファを?


 どう思っているか、ですって?



 セファはセファだ。意地悪で、優しくて、すごく優秀な魔術師。おとぎ話の魔法使いみたいな、男の子。

 困った時に助けに来てくれて、私が食べたいものを選んでくれて、髪飾りや飴なんかを突然お詫びだと言って渡して来たりして。

 平気で抱きしめたり、手を繋いだり、貴族の私に何の躊躇も遠慮も配慮もしない。

 ただのローズでいい、なんて、簡単に言ってしまう、しがらみも何にも知らない、ただの辺境出身の魔術師。


 それだけだ。

 それだけなのに。


 どう思っているか、の答えがどうしても、思考が上滑りして見つからない。


 私がセファをどう思っているかよりも、何よりも。



「セファこそ、私のこと、どう思っているのかしら」



 フェルバートがとっくに退室してしまった談話室で、控えた侍女が片付けと出入りを繰り返す。

 ぽつりと呟いた私の声は、夜の庭だけが聞いていた。


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