15.衣裳合わせ
目が回りそう。
そろそろ座り込みそうな気持ちで、それでも私はなんとか笑顔を保って、その場に立ち続けていた。たくさんの女性に囲まれて、口々に褒め称えられながらの衣装替え。
新しい衣装を誂えるための採寸、と聞いていたはずなのだけれど、予想と異なり、簡単に終わる時間ではなかった。そのことに、私は遅ればせながら思い知ることとなる。
今朝もいつも通りに侯爵家の客室で目覚め、侯爵家の二人の侍女と、すっかり私付きの侍女となったエマの手を借りて朝の支度をする。終わる頃にはトトリが顔を出して、化粧を仕上げて朝食へ。
今朝はフェルバートがまだ家にいて、朝の挨拶と、少しの会話ができた。彼はいつも同じ言葉から話し始めるので、気づいてしまえば毎日笑いをこらえるのが大変なのだ。
行ってくる、と侯爵夫人と私に声をかけたかと思えば、私の元へと歩み寄った。お見送りをと立ち上がりかけた私を制して、手を取り、くるくると甲と平を見比べる。よく見れば、袖に隠れた手首を見聞しているのだった。手と、首元をそれぞれ確認し、セファの護符の起動状態に満足すると、ようやく解放された。
「何かあれば飛んで戻る」
「気をつけて、お前を……こほん。フェルバート様は何があっても大丈夫な気がしますけど、ええと、怪我せず帰って来てくださいませ」
侯爵夫人の前だったということと、そろそろ本当にフェルバートへの態度を改めなければいけないな、と思い始めて、私は言葉に気をつけた。フェルバートは真顔で頷き、しばし目を閉じる。すぐに目を開いて、「いってくる」と、耳元へ囁いた。
颯爽と出て行ったフェルバートの後ろ姿を座ったまま見送って、私はこれでいいのかしらと不安でいっぱいだ。『侯爵家四男の、騎士フェルバートの婚約者』として正しい振る舞いを誰か教えて欲しい。
「ローズ姫」
侯爵夫人の声に、ぴ、と背筋を伸ばす。食事が終われば、食後のお茶の後は花嫁修行の続きだ。
すでに今日までの滞在で刺繍や詩歌、手紙の書き方や贈り物選び、舞踏など、一通りのことはやって見せた。その全てに侯爵夫人の合格をもらえたけれど、求められる水準が今までと違うことが大きい。
呆れたようなため息をついていたので、やっぱり夫人の目から見ても、私には足りないところが多いのだろう。
「今日の花嫁教育はお休みにしましょう。お茶を飲んで休憩しながら、商会の方々がくるのを待ちましょうか。
今日の予定は昨夜話した通りよ。あなたの衣装を数点誂えます。どんな雰囲気のものがいいかは考えましたか? やはり今流行りの型がいいかしら。でも、少し首元と肩が出過ぎよねぇ」
お披露目されたばかりの少女が着る分には、踊り子のようで可愛いのだけれど。悩ましげなため息を聴きながら、私たちは朝食を終え、談話室へと移動した。以前フェルバートと話をしたのとは別の、女主人のための談話室だ。華やかな内装に、趣味のいい家具。可愛らしい少女趣味が詰まった、侯爵夫人お気に入りの一室は、私自身も胸がときめく素敵な空間だった。
「このお部屋、何度見ても入る前につい緊張してしまいます」
胸を押さえながらそういえば、あら、どうして? と侯爵夫人がくすくすと笑う。だって本当に可愛いのだ。長椅子に並べられた正方形の腰当ても、円筒型の枕も、共布で同じレース飾りがついている。
サテンのツヤっとした飾りも房も。白と薔薇色の配色が調和して、全てがあるべき場所に正しく収まり一つの世界を形作っていた。
「好きな場所にかけて、お茶の用意を」
侯爵夫人に促されるまま、その素敵な空間に腰を下ろす。長椅子の座面をそっと撫でながら、ほう、とため息をついた。
目の前で侯爵家の侍女が指示の通りお茶の用意を整えていく。お茶菓子だけでなく、軽食も用意されるのを見て首を傾げた。
「つまめるうちに口にしておきなさいね。今日は体力勝負ですよ」
そう言う侯爵夫人は真剣そのもので、私は頰に手を当てて首をかしげる。ええと。今日は、新しい衣裳のための採寸と、衣裳合わせですよね?
正直にいえば、軽く考えていたのだ。新しい衣装を誂えると言っても、採寸だけ。寸法の見合った既製品に手を加えて、それらしく調えるだけだと。
だってそうでしょう。侯爵子息の婚約者とはいえ、四男で、王による婚姻の許可はまだ降りておらず、満足な地位も宙に浮いた曰く付きの嫁なのだ。侯爵家が本腰をいれてお抱えの商会を呼びつけて、特注品を一つどころかいくつも、それも何もかも一式を揃えようとしてたなど、想像もしなかった。
足の先から頭のてっぺんまで、これ以上どこを測るのかと言うほど事細かに調べ上げられ、いろいろな型の衣裳を着せかけられる。
あぁでもないこうでもないと、商会の見立師が思案を口にして、お針子たちがそれに応えるようにして私を中心に集まっては引いていき、また見立師の一声で集まっていく。その間、私はその場に立っているだけだ。時折身じろぎをして、着心地を確かめたり、ふとした仕草との馴染み方を見られる。
それだけならまだしも。
「好みはどちらです?」
「お好きな色は?」
「型は?」
「御髪に映えるのはこちらですが、瞳に合うのはこちらですね、いかがでしょう?」
だなどと、私の意見を聞いてくるのだ。うまく答えられず目を回しそうな私の表情を見かねて、侯爵夫人がぱん、と手を叩いた。
「一度休憩にいたしましょう。あぁ、ローズ姫、衣裳はそのままで。素敵ですよ。トトリを呼びましょうか。こちらに座って、肩をほぐしてもらいなさいな。エマ、トトリを呼んできなさい」
長椅子に座ることを許された私は、腰当ての位置をエマに調節してもらって、見苦しくない程度に人心地つく。息を長く吐き出して、侯爵夫人と目が合った。
「……もちろん、こう言った衣装合わせは初めてではないでしょう? 王太子の婚約者だったのですから、夜会のたびに誂えたはずでは。それにしては、色々と気疲れしているようですが……」
第一王子と、いつも衣裳を合わせていらしたでしょう。と、侯爵夫人が振り返る。
一等素敵だったと夫人が語るのは、深い青と金の飾りで統一した、揃いの衣装だ。私が十四歳、第一王子が十九の時の春の宴だっただろうか。襟の詰まった衣裳は清楚だと評判が良く、第一王子の少し時代がかった、それでいて現代風に洗練させた衣装も話題をさらい、どちらも新しい型の衣装として、いっとき流行となったのだ。
エマがトトリを連れて戻ってくる。トトリは侯爵夫人の前で最大限礼儀をわきまえつつ私の背後に立っていたわるように肩に触れた。
あの深い青で揃えた衣裳を素敵だと振り返り語る侯爵夫人のために、あの時の、いや、私の衣装合わせの真相は語らないほうがいいだろうか。けれど、じっと見つめてくる侯爵夫人の視線から、別の方向へと話をすり替えるだけの気力の持ち合わせはなかった。
「あれらの衣裳は、全て、あらかじめ決められていたのです、……お義母様」
「……あらかじめ、決められていた? というと?」
ピクリと、侯爵夫人のまゆが跳ね上がった。
「第一王子殿下と私の持っている色彩、その時の夜会や主となる行事としての背景、主要客、時勢、それらを合わせて、催し事の演出として、私たちの衣裳はある程度の方向性が決まっていました」
「……あなたの意見は、反映されていなかったと言うこと? 少しも?」
思いの他夫人の怒りに触れたらしく、私はそれ以上明言できないまま、曖昧に笑ってみせる。それで全てを察したのか、侯爵夫人はすっかり黙り込んでしまった。
「衣裳のための布などは、顔映りもありますから、間違いがないよう見立てていただきました。私と第一王子殿下とでは肌の色味が違うので、全く同じ布ではなく、それぞれの肌に引き立つ染めでいて並んで調和が取れるよう、あらゆる角度に気を配って揃えていたのです」
けれど、好みを聞かれたことはなかったので、考えたこともなかった。普段着から夜会着に至るまで、第一王子アンセルムの婚約者にふさわしい衣裳を城に用意されていたのだ。エマをはじめとする物言わぬ侍女たちに言われるがまま、用意されたものに毎日疑問も抱かず袖をとおしていた。
「日々の王太子妃教育に必死で、衣裳を選ぶ自由があることも考えつかなかったくらいなので」
今も、こうしてろくに答えることもできず、情けない。そんな泣き言は、かろうじて飲み込んだ。フェルバートの婚約者にふさわしく、気後れすることなく堂々と振る舞いたいのに、侯爵夫人に違和感を指摘されれば虚勢は瞬く間に剥がされてしまった。
「選択の自由を与えなかったか……」
開いた扇の陰で、侯爵夫人が何かを囁いた。瞬きを返し、なんと言ったか視線で問うけれど、扇から覗く目は優しく細められ、それ以上の追求を許さない。
「王太子の婚約者でなければ得られたはずの、伯爵令嬢としての境遇」
侯爵夫人は、本当に馬鹿な子、と虚空に向かって悪態をついた。
「あの子はね、ローズ姫。フェルバートは、あなたに、本来の伯爵令嬢としてあり得たはずの出来事を、体験させようとしているみたい」
本当に、まったく馬鹿でしょう、と笑うその顔は、優しい。これは、母親の顔というものなのだろうか。
「迷惑だったり、疲れていたり、大きなお世話なら、そう言っていいですからね。あの子の独りよがりな贈り物でしかないもの」
「そんなこと」
フェルバートの意図がやっとわかって、首を振る。侯爵夫人が言っているだけかもしれないけれど、それでも、言動を振り返ると合点がいく部分もあった。
セファのところへ魔術の勉強に行かせてもらっているのも、もしかして魔術学院の代わりと考えて許してくれたのだろうか。安全面であの工房が間違い無いという向きも強いかもしれないけれど。
フェルバートが、私にして欲しいと思っていること、させようと心を砕くもの。それらに、ようやく気づいた。
それに気づけば、どうやって衣裳について考えればいいかもわかってくる。
「あの、みなさん」
商会の見立師とお針子に向けて、私は背筋を伸ばす。
「予定はまだ先だけれど、近いうち、はじめての観劇の予定があるの。そちらへ着て行く衣裳を誂えてもらえるかしら」
フェルバートの隣に立つのにふさわしい衣裳がいいな、と思う。生真面目で頑なな黒衣の騎士の隣であれば、同じように隙のない装いがいいだろうか。それとも、引き立たせるような妖艶さ? 相反するような柔らかな色合いと雰囲気の衣裳ならお互いを強調し合うだろうか。
フェルバートの隣で、彼を意識して、同じような装いは素敵かもしれない。その隣で肩を並べて、胸を張れるだろうか。
望む衣裳の方向性に迷いがなくなり、それからは早かった。フェルバートの隣、という明確な基準があるので、それに沿って質問に答えて行く。徐々に意欲を刺激された見立師が衣裳の案を即興で描いて行った。
宙を舞う衣裳図案を一枚一枚侍女と拾い集め、目を通して選り分けた。ありなしの二択だ。
持ち帰って形にします! と見立師の身が輝いている。働く女性は綺麗な目をするのね、となんだか嬉しくなってしまう。一生懸命に寄り添ってくれるのだと思えば、好感が持てた。
「それでは、ローズ姫」
やっと衣裳合わせが終わったわ、と肩の力を抜いていた私へ、侯爵夫人が声をかけた。
「装飾品を選びましょうか」
わー、と思う。用意されるまま身に付けることのなんと楽だったことだろう。普通の貴族令嬢はあれでもないこれでもない。と、楽しく選ぶのかもしれなかったけれど。
先ほどまでいた見立師とお針子は気がつけば消え失せていて、続いて宝飾品を手に数人の商人が部屋へ入ってきて卓の上に並べていった。
「綺麗」
思わず見入って、居住まいを正す。見苦しくならないように姿勢を保ちながら、並べられた宝飾品を順に見た。金細工、銀細工、宝石がはめ込まれた数々の一点もの。触れるのも憚られて、両手を胸元で握りしめながら、食い入るようにして見つめた。
「さっき話していた衣裳に合わせるなら、銀細工がいいかしら。宝石は何色? 私もフェルバート様も瞳は青いから、やっぱり青が間違いないかしら。他に使う場面も多いだろうし……」
吸い寄せられるようにして、一つの髪飾りに手がのびた。
金の台座に、小さな青い石がいくつかはめ込まれた髪飾りだ。髪飾りというよりは、髪留めだろうか。輪になった本体が半分に折れ、挟み込んでバネで抑える型のもので、手の中に収まるほどの小ささだ。
透かし彫りが繊細で、けれど派手すぎず品が良い。
ーーお礼を考えなければ。
よぎった思考は、侯爵夫人の言葉でかき消された。
「気に入りましたか? ではまずはこれを一つ」
瞬く間に、侯爵夫人が購入を決めてしまった。えっ! と慌てて振り返るけれど、あれよあれよと髪留めは取り上げられ下げられてしまう。今更、ただ物思いにふけっていただけなどと言える空気ではなかった。
「先ほどのでは少し地味なので、もう少し大振りのものを見て見ましょう。普段使いにしなさいね。あちらの銀細工はどう? ローズ姫の金髪に映えると思うのですよ、あぁ、細鎖が綺麗ですね。耳飾りも揃えてあるですって? それをこちらへ。奥の首飾りも」
侯爵夫人が、先ほどよりも一層生き生きと指示していて、この方に任せれば宝飾品も問題ないのではなどと思ってしまう。衣裳に比べると見て楽しい宝飾品は、私も興味が尽きなかったけれど、今は本当に疲れていた。もう少し元気な時に選びたかったわ、と言っても仕方のないことを口にする。
「ローズ姫」
宝飾品から目を離さないまま、伯爵夫人が言った。
「この後は、小物を選びましょうね」
なんとか保ち続けた笑みの端が、引きつった。




