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【五章開始】あの人がいなくなった世界で  作者: 真城 朱音
二章.運命を誓う、護衛騎士
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14.白銀に誓う


 世界から、魔力が消える。


 それは、非常に正しい問いだった。文箱をテーブルに置いてもらって、中の紙束を取り出してもらう。準備が整ってから、紙の束の中から目的の記述内容を探し始めた。


「セファが言うには、そんなことあり得ない、らしいけれど」


 各部署で死蔵されているという調査結果を並べる。それらを総合して考えると、ここ数年単位で、大気中の魔力が減少傾向にある、という事実がわかるのだ。


 けれど、先ほどセファが言ったように、魔力濃度が上がっている地域もあり、いままで成果も何もなかった、惰性で続く定期調査の報告書である。誰かが目にして気づき、行動に起こすだけのきっかけにはなり得ない。


 加えて何よりも、これが大きかった。


「でも、変なの」


 世界を救ってと、異界渡の巫女が残してくれた資料。王太子妃教育を受けた私なら、読み解けるはずだと揃えられたものを読み解いて、考察して、たどり着いた仮説。

 けれど、それと同時に見えて来たものに、困惑する。


「国は、もうすでに、ずっと前から手を打ってるみたいなの。例年よりも多く結界魔術師を動員して、結界の維持に割り当てが進んでる。

 魔物の大移動が多く見られて、街道護衛騎士の被害が例年より多いけれど、その交代要員や治療のための神官の派遣など、仕組みが見直された矢先よ。要衝への備えも、書類を見る限りとっくの昔から進められていたみたい」


 世界を救ってと、巫女は言った。

 けれど、すでに手は打たれていて、私が何かしなくても、世界は問題ないのだとわかる。

 異界渡りの巫女の早とちりだったのだ。どういった手段でか、世界から魔力が減ることを知った彼女は、すでに国が手を打っていることも知らず慌てふためき奔走したのだろう。気の毒な、取り越し苦労だったのだ。

 私の言葉を頭から信じるわけでもなく、セファが隣から手を伸ばし、広げた資料を拾い読みする。


「……備えがしてあるのはわかった、解決策は? その用意もある、と?」


 ある。と私はうなずく。


「装置が、既に開発中みたいなの。魔力を魔石に溜めて、砕いて、世界に満たす、と言う」

「聴いただけでも、大規模な魔術具になる。実現可能なの、それ」

「開発するだけの根拠ならあるみたいだけど、……大掛かりな魔術具開発について、宮廷魔術師としてのセファは、何か聞いてない?」


「残念だけど、魔術師団と魔術具技師組合とで組織が違う。僕はあちらに伝がないし、彼らは内に篭りがちだから、接点も作りにくい。彼らの情報は手に入りにくいんだ。

 魔力を用いない道具を専門に扱う、組合のはみ出し者くらいしかやりとりがないけど……。次の用事のついでに、探ってみよう。何もないよりマシだろう」


 それより先に、クライド・フェロウに当たった方が有益な情報が手に入りそうだな、とため息。


 そんなセファを見ながら、なんだ、と思う。本当に、心配することなどなにもなかったのだ。

 世界なんて救わなくていい、ただ、今とこれからをどんな風に過ごしていくかを考えるだけでいい。張りつめた緊張の糸が緩んでいくようだった。世界なんて、救わなくていい。繰り返し思う。


 こんな世界、私が、救わなくったって。


「なら、魔力減少時に凶暴化しそうな魔獣討伐に、有用な術式と魔術具の開発を急いだ方がいいな。広範囲で、かつ魔力効率のいいーー」


 力の抜けた私の横で、セファがふうん、と顎に手をやる。バラバラになりかけた思考を引き寄せて、今私何を考えたかしらとぼんやり思いながら、セファの横顔を見る。銀の髪は書類を見るのに邪魔そうで、視線は書類に落とされたまま、その指は器用に自分の髪を手櫛で整えている。白くて長い指が銀の髪に絡まって、髪を雑にまとめていく。低い位置で紐で結わえられた。首に纏うようにして、私がいる方の肩、セファの左肩に垂れる。

 細い縁の眼鏡の位置を、そっと直した。


「セファも、討伐に行くの?」

「いや、いかない」


 答えは素早かった。セファの横顔は書類に向けられたまま、視線だけが私を見る。私、どんな声で今、討伐に行くかどうかを聞いたのかしら。

 薄茶の目はしばし私を見ていたけれど、やがて、また書類へと戻って行った。

「クライド・フェロウに忠告を受けて、いろいろ調べてみたんだ。魔術学院の教師として、研究室を開いて担当生徒を受け持てば、そちらの業務が優先されるらしい」


 その代わり、後方支援として調合などの準備に駆り出されているのだけれど。まぁ、それは片手間でできることだから、となんでもないことのように付け加えられる。手間の片割れにされているのってもしかして私かしらと思い当たった。それであれだけの調合をこなしていることを思えば、やっぱりこの人は魔獣討伐に非常に有用な戦力なのではと、討伐に行かないことを聞いてほっとした私自身を、貴族令嬢としての自分が嘆いている。

 唯一の友人に、危険へ赴いて欲しくないと思うことの何が悪いのと、ただのローズとしての私が開き直ってもいる。


「手始めに生徒を三人、僕の研究室にいれてみたんだ。人格に問題なさそうなら、今度ローズ様にも紹介するよ。まだ人となりはわからないけど、三者三様優秀で、君とも話は合うんじゃないかな。下級貴族と、平民の兄妹なんだけど」


 三人のうち一人が女の子だと知って、どきりとする。身近な同年代の女子といえば、妹の他には誰もいない。トトリだって忘れそうだけれど、一応男の子なのだ。どんな風に接すればいいのだろう。うまく話せるだろうかと、まだ予定もないのに今から緊張してしまう。


「……セファ先生、って呼ばれてるの? 私、研究室の人たちには、セファとどういう関係だと思ってもらえばいいのかしら」


 一瞬ギョッとされたような気がするけれど、続く問いには真面目な顔で思案してくれた。友人なのだと紹介するのは簡単だけれど、魔術学院の研究室といえば、卒業単位を取るために必須の実習だ。卒業資格を求めて研究室を選び、入室した彼らはそれだけ真剣で、ほとんど遊びに来ているような私を目障りに思ったりしないだろうか。それこそ、私は魔力の少ない、貴族の道楽とも思われかねない様子でセファに師事しているのだから。


「主な活動場所は魔術学院の研究室で、午前中だけだし、なんの前触れもなくこの工房で出会うことはないから大丈夫だよ。それでも不安なら、君は僕の弟子として彼らに扱ってもらおう。研究室の学生よりも、僕の教えをより近くで受けることができるのは弟子である君だと。

 序列は君の方が上で、それを軽んじるようなら僕の研究室にいる資格はないのだと」


 わー。と思う。それは、とてもとても、特別待遇というやつでは、と喜ぶべきか恐縮するべきか困ってしまう。両手で頰を抑えて、緩みそうな表情がばれないようにぐにぐにと揉んだ。ぎゃー何してるんですか、とはトトリの悲鳴だ。隣のセファはぽかんと口を開けて私を見ている。

 ひりひりと痛むまで揉み込んで、やっと手を離す。眉間にも力を込めすぎた。


「うう……。顔が変になりそうだわ」


 指先で眉間をなでていると、トトリが今晩は存分にほぐしましょうねえと嬉しい予告をしてくれた。セファは相変わらず奇妙な生き物を眺める視線で、小さく笑っている。


「セファ、だめよ。もう」


 思わず悪態が口をついて出た。


「嬉しいことをあんまりいうと、私、大変なのよ」


 もう。まったくもう。と憤慨しているのに、セファの目が優しい。眼鏡越しに笑っているのがわかる。反論があるなら口にしてくれればいいのに、と睨めば、躱すようにして肩をすくめられた。


「君も大概だから、お互い様じゃないか」


 相殺できて、ちょうどいいよ。と、しれっとしている。なんのことかわからないわ。もう! と怒ったのに、セファは変わらずすまし顔だった。


「ともかく、今後、世界の大気に魔力がのらなくなるというなら、魔術師本来の地力が物を言う時代が来るかもしれない。国家間の争いに発展するとは考えたくないけど、しばらくは魔力を求めて惑う魔獣や、魔物との戦いになるだろうね」


 強い魔物が出て来たら厄介だな、とひとりごちるセファ。王国結界の外縁部位置する辺境は、きっと、私が思うよりもずっと魔物が身近だったのかもしれない。


 セファが手を伸ばし、テーブルの上に広げられた資料をまとめ始める。突然始まった片付けに、そろそろフェルバートが迎えに来る時間だと気づいた。


「ローズ様」


 呼ばれたので、はい。と返事をした。椅子に座った状態で、セファと二人向かい合う。セファが長身をかがめて、私の顔を覗き込んだ。薬草の香りがするわ、と思った途端、セファの長い指が伸ばされて、顔に添えられる。右、左、と検診のように顔を振らされ、上を見て、また真正面に戻る。


「もう、大丈夫そうだね」


 お医者様のようなセファの真剣な表情に、あれ、これってやっぱり検診というか、診察か何かかしらと内心で首をひねる。私の困惑は放置され、セファの指先が、私の頰から離れていった。


「フェルバートが、君を嫌うことはないよ。大丈夫」


 魔法使いの、優しさに触れる。なんだか胸を打たれて、泣きそうになった。考えることがたくさんありすぎて、埋もれてしまった最初の不安を、セファがなんどもなんども拾い上げて拭ってくれる。


「君は、婚約者として正しく配慮され、いずれ、幸せな花嫁になる。必ずだよ」


 それを僕は、友人として、側で見届ける。

 誰かに言い聞かせるかのような、ゆっくりとした言葉だった。それはまるでおまじないのようで。胸が熱い。


「ありがとう、セファ」


 お礼を言った。心からだ。こんな風に、幸せを祈ってもらうことがこれまであっただろうか。


「私、がんばるわ」


 フェルバートの婚約者として、貴族として、信じた役割を全うできるように。振り向いた先で、トトリが複雑そうな顔をしていた。トトリも、フェルバートと同じく、頑張るようなことじゃないのだと思っているのだろうか。

 それだけしか知らない私には、頑張らないということが途方もなく難しいことなのだと、わかってほしい。







 やがて迎えに来たフェルバートと、セファの工房を後にする。トトリは色々後片付けが残っているから、先に帰ってほしいと早々に工房の奥へと引っ込んでしまった。

 工房入り口で、セファとフェルバートが相対する。私はなぜだか緊張してしまった。


「そういえば、もしかして今フェルバートが忙しいのは、魔獣討伐関係で?」

「ん? あぁ、その話をしたのか。そうだよ。あてにしていた宮廷魔術師が、魔術学院の講師になって研究室を持ったので、配置の見直しだ。……いい顔で笑うようになったなお前も」


 悪びれることなく笑って見せたセファを、フェルバートが苦々しい顔で見た。出会った頃は線の細い子どもだと思ったのになぁと付け加えるので、その当時のセファの話を、今度是非とも聞き出そうと私は心に書き留めた。


「ところで明日だが、母がローズ嬢の午後の予定を入れてしまったんだ。悪いが、明日はローズ嬢は工房に連れていけない」

「悪いも何も、ローズ様が毎日工房に来る理由はないから、侯爵夫人の予定を優先するのは当たり前だろ。あとで追加の護符をトトリに持たすから、明日は必ず身につけてね、ローズ様」


 フェルバートと話しながら私にも言い聞かせるようにして、私は目があったセファにコクリと頷いた。今もそれなりに身につけているけれど、まだ増えるのかと驚いた。


「あぁ、いや。明日の予定が、その、衣裳の注文で、針子を呼んでの採寸になるから」


 つまりは、身に付けるものが最小限になるということだ。新しく衣裳を誂えると聞いて、なぜそんなことに? と首をかしげる。そりゃ、王太子の婚約者だった頃にもそれなりに経験したけれど、あれは結局王家所有のもので、私のものにはならないし。侯爵家でもそういうものかしら。いえ、どうなのかしら。

 考えることが散らばっていると、セファが非常に嫌そうな顔をした。


「……許容しかねる。危険過ぎないか」

「信用のある商会だし、侯爵家の護衛もいる。明日一日については、最も懸念している相手の行動予定も把握できている。問題ない」

「……フェルバートがそこまでいうなら」


 セファがしぶしぶというように納得した。私にもう一度視線を合わせて、何か言おうとしたようだけれど、結局、何もいうことなく口は閉ざされる。


「では、また明後日」


 フェルバートが、セファへと別れの挨拶を口にして身を翻した。




■□■□■□■□■□■□■□■



 工房に戻って、お茶会室を覗く。袋に分けた魔術花を、思案顔で覗き込んでいるトトリの姿を見て、呆れた声が出た。


「片付けなんて、大杖ですぐなんだから残る必要なんてないだろ。トトリ、なんのために」

「いいえ、ちょっと」


 僕の姿を見つけて、トトリが笑って立ち上がり、簡易台所の流し台に背中を預けた。曖昧に笑ってみせる化粧師は、そうしてこちらを探るようにして見つめて来た。


「ちょっと意外で、真意を聞いておこうかと」


 トトリの言いたいことがなんとなくわかって、僕はため息をつく。


「セファ、姫様とフェルバートのことに、やけに協力的でしょう? なんで?」

「そういう君は、あんまり仲を取り持つ気はなさそうだな」


 そりゃぁ、だって、とトトリが言いかけて、口を噤む。余計なことを言わないのが、侍女の心得というものでした、なんて、侍女でもないくせに。


「あの人はさ、自分で走っていって、ほしいものを掴み取って、周りにも配って、でも自分が一番配分大きくて。自分が幸せでいて、かつ、周りも幸せにするような、そんな人だっただろ」


 あの人、と今でもそうとしか呼べない人思い浮かべる。家に閉じこもって隠れ住んでいた僕を、外に引っ張り出した人。その姿形は、ローズそのものなのに、全く違うんだと、今ではもうすっかり受け入れた、もうどこにもいないあの人。


「それに比べて、ローズ様は、なんか、もう、見てられなくて」


 見当違いの方に歩いて言っているようにしか見えなくて、それも、彼女なりの理由があってのことだけれど、その理由に自分の幸せとか身の安全が含まれていないのだ。


「ちょっとの手助けで、笑ってくれて、幸せになるなら、その少しくらい僕はいくらでも力を貸すよ」

「……セファ、姫様のこと、ちょっとだいぶ大事でしょ」


 馬鹿だな、と思わず笑ってしまう。


「辺境の孤児の僕が、由緒正しき伯爵家の血を継ぐ、貴族のご令嬢に? 一度は国母に至ると認められた姫君を?」


 恐れ多いでしょ、とトトリの野次馬的な邪推を一蹴する。



「ローズ様みたいな言葉を選ぶなら、そうだね。そもそも、最初から僕を見る目は優しくて、初対面でも触れることも厭わず、その時からすでにこの先得難い人物だと思った。迷うことなく友人という立場も手に入れた。けどね」


 今日の出来事は特別過ぎて、これからきっと繰り返し思い出して、忘れることはないだろう。


「この、煩わしいばかりの銀の髪に、別の意味をくれた。その恩に報いたいんだ」



 彼女の未来に(さいわい)を。


 彼女が、王と、民と、世界のために生きると決めているのなら。



「僕はね、トトリ。その道を作る、ローズ様の魔法使いになってもいいなって、思うよ」



 魔術師が魔法使いに至る。その意味を、ローズはきっと、知らないだろうけれど。




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