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【五章開始】あの人がいなくなった世界で  作者: 真城 朱音
二章.運命を誓う、護衛騎士
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7.旅の最中、十日前の出来事

 


 馬車からふらりと降りたローズを、僕は慌てて引き止めた。けれど、進むその力が思いの外強く、腕を引いたはずなのに、引っ張られるようにして街道の真ん中に立って、遠くからやってくるシヴァの群れを見据える。


「ローズ様?」


 声をかけるのに、返事はない。怒っているのだろうか、と気分が落ち込んだ。流石に、無神経が過ぎたかもしれない。

 けれど、簡単な気持ちで言ったわけではなかった。「ただのローズになることの、何がダメなの」なんて。

 貴族令嬢として王太子妃になるための日々を、否定したわけでも、バカにしたわけでもない。ただ、少し話をするだけで違和感が(つの)ったのだ。無自覚か意識してのことかはわからないけれど、貴族令嬢としての体面を保つべき時とそうでない時、このお姫様はその二つの場面で性格が切り替わる。


 貴族令嬢として振舞う時は、尊大な命令口調で、断定的に物を言う。感情論は置き去りで、貴族としてあるべき正しい姿を語る。聞きたいのはそんなことじゃないのに。

 そうでない時、無意識の素の状態なのだろうその性質は、ひどく無邪気で、目が離せないほど危なっかしい。呑気に笑って、思ったことをうっかり口に出しがちだった。

 食べ物に好き嫌いはなく、果物や甘いものを好み、食後のお茶を欠かさない。行儀作法は完璧で、平民に混じって食事すると所作が綺麗すぎるので、貴族ではないなどと嘘はつけなかった。お忍びのお嬢様とその付き添い。と言う説明で、これまでの宿は泊まってきたけれど。

 どんな指示にもおとなしく従ってくれていたローズが、ここにきて僕の言葉に答えない。よりにもよって、こんな、狩りの最中だと言うことが明らかなシヴァの大群を前に。

 怒鳴りつけて馬車におしこもうかと思ったけれど、その横顔を見て違和感に踏み出そうとした足が止まった。


「鳥型の魔物、シヴァの大群を視認。でも、狩りにしては変だわ。周囲に小型の魔物がいないもの」


 感情の乗らない声で、ローズが言う。小首を傾げながらも、その目はシヴァから離れない。だから隠れるんでしょ、と周囲からはやくはやくと手招きされる。


「やってきた方角と群の個体数、その大きさから考えて、どこの群れかは割り出せた。予想よりも早いけれどおそらく、あれは住処を変えるための移動だわ」


 周囲の言葉を無視して、独り言のように囁く。辺りを見回して、隠れる場所がない、と眉をひそめた。上空から小型の魔物を探すシヴァの目から逃れるだけでいいのだから、馬車に隠れてじっとしてればいいのに、何を言っているんだ。

 それに、今一体何と言った? 住処を変えるための?



「……住処を変えるための移動だって?」


 ローズの言葉を繰り返して、僕はなにか引っかかり記憶を探る。魔物を専門に研究する師匠が、そんなことを言っていた気がした。魔物の多くは人を襲うことが目的ではなく、魔力につられて寄ってくるのだと。


「なら、狩りでないならなおさら、大人しくしていればいいだけなんじゃないのか」


「他の魔物の大移動なら、そうだけれど」


 ローズが僕の顔をじっと見つめる。


「あれは、シヴァだから」


 困ったことにね。と、辺りを見回して街道の結界調整用の魔石へと視線を向けた。街道の結界はそれぞれ始まりとなる町々から展開されるが、魔物による損耗が激しいため、行き合った騎士や魔術師が、転々と設置されている結界調整用の魔石に魔力を込めることで修復できるようになっている。

 何に使うつもりだ、と眉をひそめるのに、ローズは気にした様子がない。


「続いて、地上をスルアト(牛の魔物)がくるわ」


「何を根拠に」


 思わず声をひそめるよう距離を詰めた。周囲の平民が不安がっている様子が手に取るようにわかって、恐慌状態に陥らせぬようこれ以上の発言をやめさせるべきかも考える。


「騎士団の記録を見ればわかるわ。シヴァの大群に行きあって戦闘行為に及んだ際、甚大な被害が出たのはいつだってスルアトの横やりによるものだと」


 僕の意図を組んだのか、ローズも声を落とした。


「スルアトの大群にあってからシヴァに挟撃されるのもそう。ただの狩りなら連れ立っていることはないし、他の魔物の大群の場合はまた違うから見落とされているようだけれど、シヴァとスルアトとの戦闘にのみ絞って記録を見れば、違って見えてくるものがあるのよ」


 根拠のある分析だと言うことはわかった。けれど、それをこのお姫様が口にするのは、ひどく奇妙なことだった。森も歩けない、服も着れない、自分の食べたい食事も選べない、自分の現在地がどこで、どうすれば王都に戻れるかもわからない。そういうお姫様が、なぜそんな風に魔物について詳しいのか。

 口からでまかせで言えるようなことじゃないとはわかるけれど。


「今自分がいる場所もわからないのに、魔物の群れの位置についてなんでわかる」


「町の名前と街道の名前がわかれば、その近くの群れの把握には十分だわ。どういう道を辿れば王都に帰れるかわからなくても」


 僕の胸の内を呼んだかのような回答だった。思わず閉口する。疑いの眼差しが消えないのを、ローズは不満そうだ。淡々としていて無表情なのに、あれこれと言葉を並べ立てている。


「騎士団の戦闘記録は目を通したわ。魔術師団のものも。合同討伐記録も。いずれ王妃として国王代理を務めるなら、触れておくべき情報だと言われて、意味がわからなくても読まなければならないのだと。だから、積み上げられた書類を、意味がわかるまで読み込んだわ」


 その情報は、本当にそれは必要な王太子妃教育の一環なのかと募る違和感に上乗せされた。そんな、意味がわからなくても言い切っておきながら、まるでローズを引きとどめておくためだけのように。

 セファ、と言う呼びかけに、思考が中断される。


「体調がよくないの。だけど、このまま魔物に襲われるわけにもいかない。一番の方法を考えて、この場を切り抜けるには、今こんな風に話をしている暇はないのよ」


 体調が良くないだって? 聞いて初めて、その首筋に汗が伝っていることに気づいた。


「王家に付与された術式で、無理やり思考して動いているの。思考と行動の補助魔法。不調は軽減はされないし、後の反動が大きくて記憶が曖昧になるから、明日、忘れていても驚かないでね」


 なんだそれは、と何度目になるかわからない憤りを飲み込んだ。王太子妃になると言うことは、こう言うことなのだろうか。けれどもう違うのに。婚約が破棄されて一年以上経つ今でも発動するその術式は、なぜ取り除かれていない。


「……君はどこまで」


 言葉を飲み込んだ。その先を、なんといっていいかわからなかった。


「貴族令嬢ですもの」


 艶やかに、貴族としての振る舞いの顔で、彼女は笑う。こめかみから、玉の汗が伝っていた。

 貴族だからと口にするローズは、そう言って笑う。けれど、違うだろうと僕は思う。本当なら、泣いて、泣いて、泣き崩れて、世界を呪ったっていいはずだ。


 第一王子アンセルムに恋をしていたというなら。


 あの、荒地の裂け目で見つけ出した時、泣きはらした顔を見た。

 当たり前だ。ローズの体感ではあの時、ほんの数時間前に第一王子アンセルムから拒絶を受けたのだから。誰もいない場所でならと、泣いていても不思議はない。それでも僕が見つけると、目元を赤くしてもなお笑顔で、見つけてくれたことに感謝を述べ、気丈に振る舞う。口元が歪んで語尾が震えるのも、隠し通せているとでも、と意地悪く思ったものだ。

 思ったけれど、わざわざ指摘して、その双眸から再び雫を落とさせるのは許されないと、自分自身に禁じたのだ。



「今の君に何を言っても、明日のローズは覚えてないと言ったね。前にもこういうことが? 今まで何回くらいあったんだ」


「記憶が曖昧で覚えていないと言ったでしょう」


  そんなに多くはないはずだけれど。と、ローズは言う。以前のことを覚えていないと聞いて、少し安心した。ローズの記憶にない人格が、ローズの体を借りている間、記憶の継続があると言うなら、それは疑似人格・憑依といった禁術の類の可能性あったので。

 王家はそこまで非人道的ではなかったと言うべきか。今でも十分、忠誠を撤回すべきか悩みどころだった。

 それにしても、と思う。


「……なんで、そんな術式」


 異常すぎないか。まるで、そんな、倒れることさえ許さないと言うような。


「セファ、どうしたの? なんだか変よ」


「……あとで、また聞くよ。それより、どうする。馬車に隠れもせずここまで出て来て、何か考えでもあるの」


 遠くに、スルアトの群れを確認する。あぁ、本当だった、となんだか諦めた気持ちになった。杖さえあれば、こんなこと、ローズに聞くまでもなく全滅させられるのに。

 後見人が開発中の携行転移陣は、所持品の条件が厳しく、大きな魔石の類が所持ができなかった。


「手伝ってくれる?」


 返事の代わりに、かぶっていた外套を脱いで、腕に結んでいた赤い羽飾りを見える位置にくくりつける。それだけで、騎士の見る目が変わった。


「宮廷魔術師の方でしたか」


 街道護衛隊のまとめ役が駆け寄ってくる。大柄な、四、五十代の男だったが一瞥すると一瞬怯んだのが見て取れた。話がまともにできる相手ならいいんだけれど、とため息が出る。

 銀の長い髪を見てそういった反応をされることには慣れている。困るのは、話ができなくなること襲いかかってくることだ。そうでなければなんでもよかった。


「僕の仕事は、この人の護衛だ。他の人たちには君たちが対応を。あとは」


 ローズの方を見る。ローズは小さくうなずいて、「けして、私たちには触れないように。でも、離れないで」と自分で彼らに伝えた。騎士はうなずいて指示を飛ばし、僕はローズに手を引かれて、結界調整用の魔石に歩み寄る。


「何を」


「私にできることって、本当に少なくて」


 ローズは少し、悲しそうな顔でセファの手を取った。手を繋いで、魔石に触れる。ローズは躊躇することなく、ぐっ、と押し込んだ。


「結界術式、展開」


 独学で結界を展開するようになったという、ローズの呪文を口にする。結界系ということはわかっていたけれど、その力を目の当たりにするのは初めてだった。


「本当に大したことのない、結界しか作れないのだけれど。でも、こういう、かくれんぼだったら、役に立てることもあるの」


 魔石を起点にして、街道結界へとローズの力が逆流する。術式によって固定されていた結界が、ローズの心象によって上書きされていく。その場の人間だけを抱え込むように球状へと形を変えた。

 虹色に輝く、半球状の結界。

 けれどそれは、ローズの魔力特性、心象、があって初めて実現するもので、けれどその微量の魔力量だけでは到底成し得ないはずの規模だった。


「セファが、宮廷魔術師でよかった」


 結界を展開し、維持のみに集中すればよくなったローズは、ほっと肩の力を抜く。


「こんなことは内緒なの。本当は、こう言う風に使ってはダメなのだと言われているわ。でも、危険な時にだけ許されているの」


 だから内緒よ、とローズは言う。真剣な顔、貴族の顔でだ。そのまま、頭上を見上げた。このまま行ってね、と硬い声で囁く。

 上空を過ぎるシヴァを見送り、迫るスルアトに備える。怯える平民たちは騎士が寄り添い、ローズが振り返って強く笑ってみせる。民の上に立つものとしての表情と、立ち姿だった。その場所がふさわしい人なのだと、迷いなく思えた。

 間違っている、なんて、思うべきではないのに。


 すぐ脇を、スルアトの大群が走り去っていく。振動も感じるほどの距離感に、平民からは悲鳴も漏れたが、スルアトは見向きもしなかった。変だ、と思う。ただの防御結界なら、魔力の気配に数頭が何かしらの反応を示すのに。


 この、ローズの結界はなんだと言うのだろう。ただの結界とは違う。それに、表面に浮かぶこの虹の波紋は。


 魔物との距離が十分に離れるまで、ローズはその場を動かなかった。僕が声をかけてようやく、小さく笑って魔石から手を離す。

 ぴき、と結界のてっぺんにヒビが入った。


「維持をやめると、すぐに壊れるぽんこつだけど」


 ぱん、と砕け散る音。

 虹の粒子があたり一面に降り注いで、あたりから感嘆の声が出る。その声に少しだけ、ローズが誇らしげに笑っているようだった。






 ローズがより強い心象で上書きした街道の結界を戻している間に、僕はその場にいた数人の平民たちへ、騎士団と協力して事情を説明する。こういう時は、宮廷魔術師の身分が本当に役に立つなと実感した。人の力では敵わない魔物について、人は頼る相手がいれば思考を放棄する。それは辺境でも同じだ。


 あれだけの魔物に遭遇して、被害もなく、負傷者もない。なんて報告すればいいのかと途方にくれる街道護衛騎士は放置して、僕はローズの手を引いた。手が熱い。体調が悪い、と言っていたけれど、どの程度の調子の悪さか、術式が働いているらしい振る舞いからは伺い知ることができない。


「座って、ローズ様」


 荷馬車の後ろで抱き上げて、荷台に座らせる。抱き上げるたびに思うけれど、なんでこんなに軽いのだろう。貴族で食事は真っ当に食べているはずなのに。腰も腕も細くて、頭も小さい。なのに女性らしい部分はしっかりと柔らかそうで、時折胸元に手を押し付ける癖を見るけれど、あれは良くない。目のやり場に困るのだ。


 荷台に座らせたローズはぐったりとしていて、木箱に寄りかからせるのは諦めた。外套を脱いで、ローズの体を包む。僕自身もその傍らに座って、脚を枕がわりに差し出した。


「……指先ひとつ動かせなくなって、なんで、そこまで」


 杖がなくても、僕だけで対処ができたかもしれない。と、終わったことを考える。けれど数が数だった。被害なく納めれたかどうかは自信がない。


「民を守るのは、義務だわ」


 身を起こそうとするのを、片手で抑え込む。なんでこんなになってまで、体面だとか倒れた姿を見せるわけでは、だとか、呟いているのだ。どこの戦場の戦士だ。花に囲まれてお茶を飲んでニコニコしているのが似合うお姫様だと言うのに。


「ローズ様は、それで幸せなの」


 膝の上で、ローズは閉じていた目を開く。ぱちぱちと瞬きをして、僕の方を向こうとするのをまた止める。こっちを見なくても会話はできるだろうに。


「伯爵家の長女で、未来の王太子妃に、そんなこと聞いてくる人はいなかったわよ。勘当されて、婚約破棄されて、辺境に飛ばされた私にも、わざわざ聞く人はいないでしょうね」


「君は、何をすれば喜ぶ」


 立て続けに、本当に今まで誰からも聞かれなかったことを聞いて来るのね、とローズはくすくすと笑った。


「私を喜ばすなんて、簡単よ。笑ってそばにいてくれれば、私、それだけで嬉しいわ」


 囁くほどの小さな声で、本当にささやかな喜びを、ローズは伝えてきた。


「私のせいで、みんないつも怖い顔ばかりなの。だから、笑っていてくれると、嬉しいわ」


 何を言われてどんな風に過ごしてくれば、満身創痍で今にも意識を失ってしまうような体調の、十七歳の娘の口から出るのか。人にわざわざ願うほどの願い事だろうか。








 あらかたを話し終えて、僕はため息をつく。黙って話を聞いていたクライドは、今話した内容のどこまで、疑問を抱かずにいられたのだろう。


 ローズのことを、知らなければいけない。焦るような気持ちで思う。結界の性質、その魔力特性。なんでこんなただの女の子が、こんな目に合う謂れがあるのか。


 僕と違って、普通の色彩を持って、生まれも確かで、その力でむやみに人を傷つけることもない。


 真っ当な幸せを手に入れるにふさわしい、まっすぐな心根の持ち主なのに。



 護衛騎士フェルバートは、どこまで知っているのだろうか。何を、どこまで知った上で、婚約を決めたのだろう。


 第一王子アンセルムは、どこまで知っていたのだろうか。ローズがどれほどの時間を、人生を、たった一つの道のためにと犠牲にして、その隣に立とうとしていたのか。

 全部、何もかも知っていた上で、婚約破棄の上の辺境追放を決めたと言うのなら。


 胸の奥底で膨れ上がった黒い淀みに、はっと我に帰る。息を吸って、波打つ淀みをなだめにかかる。それを知って、どうなる。と自分自身に問いかけた。

 第一王子と侯爵家。辺境から出てきたばかりの宮廷魔術師に、何ができるのだ、と。




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