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【五章開始】あの人がいなくなった世界で  作者: 真城 朱音
一章.おいてけぼりの、悪役令嬢
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3.異界渡の巫女

 時間はあまりないですよ、と告げてくる。戻ってくるように視線で言われた気がして、私は立ち上がってセファの手から離れる。一瞬惜しまれたような気がしたけれど、気のせいだったかもしれない。フェルバートが椅子を引いて、トトリが冷めたお茶を入れ替える。


「先ほどあなたの言った言葉を覆すようで恐縮ですが」


 セファと私の間に立って、フェルバートは紙の束を提示した。


「ローズ嬢。あなたには、その異界渡の巫女に、成り代わってもらいます」

「……はい?」

「……まさか」


 嘘でしょう? と私とセファがフェルバートを見上げる。青い瞳は一切の冗談を許さず、ただ事実を述べる。


「こちら、異界渡の巫女が残した計画書です。今までやってきたことの意図、影響、今後の課題。これからするべきこと。『問題山積みすぎて詰んでて笑う』は、彼女の口癖でした。彼女があなたに乗り移った一年半で得た伝手と、信頼がなければなし得ない。ローズ嬢には、『婚約を破棄して辺境に行った途端、目立った実績を作り始めたローズ』という、異界渡の巫女がつくった印象のまま振る舞ってもらわなければなりません」


 セファと私が顔を見合わせる。できるの、という視線に、無理無理無理、と首を振る。再びフェルバートへ視線を戻すと、先ほどに比べてより一層凶悪さの増した表情になっていた。


「……そこのローズ嬢が、あの巫女みたいな振る舞いができないことは、俺が一番よく知っています」

 

 漏れた低い声に、またたく。今のは、このフェルバートが口にしたのかしら。


「十二年だぞ……。ローズ嬢はどうか知らないけれど、一方的であってもほとんど昔馴染みです。王太子との婚約が決まってから月に数度必ず会いにいって、王太子の指示でご機嫌伺いの贈り物や手紙は全て運んで、侍女を介して指示してる姿を眺めてきたのです。

 異世界から召喚されたリリカ様へ、親切心から城での振る舞いをあれやこれやと伝えに言ったのが人の目を介して捻じ曲がって伝わって、ことごとく裏目に出た挙句にこの人の言ったことなんだか想像できますか。きっと言い方が悪かったのね。ってそこでまたわざわざ弁解するためにのこのこリリカ様の元へ行って、さらに悪意が膨れ上がった結果のあの婚約破棄の顛末」


 突然長々と呪詛のように低い声で話し出したフェルバートに、私は困ってしまった。ええとどうしようかしら。侍女から受け取っていたから知らなかったけど、王太子からの贈り物を届けてくれてたのって全部この人だったのね。王太子も当初は真面目に私を婚約者扱いする気があったみたいで、五歳と十歳の子ども同士でそれなりにお手紙を送りあったり贈り物をしあったりしていたけれど、もう随分という昔の話のよう。婚約破棄される頃には、きっともう、心は離れていただろうから。

 セファはセファで、なるほど、と言いたげに、残念なものを見る目で私を見ていた。


「貴族として不適格? 落ちこぼれ? あんなに真面目に学び、詩歌も刺繍もダンスも、王妃としての教養も、王を補うための知識も、女主人としての振る舞いも、全て身につけて、あとは成人を待つばかりだった王太子の婚約者。そんな方を、誰がそんな風に貶めるかといえば、本人なのだから始末に負えません」


 そんな風に手放しに褒められたことなどなかった。父からも、母からも、長兄からも、次兄からも、教師からも、妹からでさえ、哀れみを込めて数々の欠点を指摘されていたのに。


「強いていうなら、この人は馬鹿なのです。聞いてくれますかセファ」


 手放しに褒められていたわけではなかった。ぬか喜びでした。愕然とした思いでフェルバートを見る私に対し、名を呼ばれたセファは「はい」と居住まいを正した。何を聞かされるというのか。


「あなたも先ほど思い知ったでしょうが、底抜けのお人好しなのです。ええ、そう言った意味では確かに貴族として不適格でしょう。落ちこぼれでしょう。そんなことでどうやってこの社会を生きていこうというのか。寛容が過ぎるのです。自分への不敬に鈍感で、鷹揚に何もかもを受け入れてしまう。さらにそこへお節介を焼くため動くので、相手も調子に乗って罠を張る。そこへまんまと引っかかったものの、綺麗にハマりすぎて露見しやすく、また馬鹿正直で生真面目で、規則を守り道理を尊ぶこの人を陥れると、結局陥れた側もろとも結局は破滅するという星の人です。運がいいのか悪いのか、いいえきっといいのでしょうね。けれどその運も振る舞いから不運に転じさせるほどの人なのです」


 そして、とさらに付け加える。え、まだ続くのこれ。


「ローズ嬢が身につけている貴族として十分過ぎる知識や振る舞い、技術、能力を遺憾なく発揮させる。そしてその、人の良さを発動させず、異界渡の巫女が作り上げた印象をそのままに振舞わせる。その上で、巫女がやり残した諸問題を解決するのが我々四人に課せられた使命なのです」


 四人? と一瞬疑問符が浮かんだが、傍らで頷くトトリを見て、あぁ、彼女も協力者かと察した。

 わぁ、素敵ですね、と当のトトリが両手を合わせた。


「では、今まで通り、私たち三人が親衛隊、専属の騎士として、紅一点の姫様の補佐ですね。腕がなります!」


 うん? と首を傾げて、トトリを見つめる。目が合うと、最初と同じようににっこりとしてくれた。かわいい。かわいいけれど、今なんて?


「私は姫様が辺境に行った時からの侍女ですが、ローズ姫のことはよく聞いていたんですよ。くれぐれも、と、巫女様から直々に頼まれました。巫女様への執着が強いセファや、立場を守ることに一生懸命のフェルバートが嫌になったらいつでも言ってくださいね」


 両手をキュ、っと握り締められ、笑顔が迫る。



「他にもいろいろ心配事はありますが、私が一番にローズ姫を助けてあげますから。頼ってください」



 色々気になることはあったけれど、うなずかされてしまった。異界渡の巫女は、どういう基準で人員を選んでそばに置いていたのだろう。成り代わり終わったなんの取り柄もない私に対しても親切で、優しくて、有能なのはわかるけれど……。


「え、ほんとのほんとに、異界渡の巫女様がやってきたまま、私が引き継ぐんですか」


 間の抜けた声で思わず確認してしまった。フェルバート、セファ、トトリが、それぞれに私をじっと見つめて、


「……無理でしょうね」

「無理だよね」

「無理ですねぇ」


 ため息をついて、諦めながら、苦笑とともに、満場一致で異口同音だった。

 異界渡の巫女って……巫女って……。

 半泣きで遠い目になるけれど、自失している暇はなかった。ぽん、とトトリの手が叩かれて、「ひとまず朝食、食べちゃってくださいね」と笑う。冷めたお茶がまた入れ替えられ、温かいお茶を勧められる。落ち着くために一口飲んだ。美味しい。


「かといって、一年半の間のことをなかったことにもできない。……巫女はずっと、必ずローズ嬢を返す、と言っていましたが、俺たちはそれを信じきれていませんでした。だから巫女は、たったひとりで帰ってくるあなたのために備えていた」


 それがこれです、と置いたままだった紙の束を示す。そっとめくると、手書きの文字と不思議な図形で埋められていた。


「俺も目を通しましたが、文字情報をなぞることしかできません。けれど、ローズ嬢になら扱えると言っていました」


 えぇえ、と思う。その異界の巫女と私は、なんの接点もないのに。何ですかその謎の信頼感。


「あと、これを」


 フェルバートはそう言いながら、懐から取り出した封筒を、書類の上に置いた。これは? と尋ねながら手に取る。なんの変哲も無い封筒で、少し分厚いだろうか。


「異界渡の巫女から、あなたへの手紙です。らぶれたぁだから、誰もいないところで読んでほしい。と言っていました。セファにもトトリにも、俺には特に、知られたく無いと言ってましたから、読んだら内容を教えてください」


「……内容次第かしら…」


 フェルバートの顔が真剣なので、冗談か本気かちっともわからない。らぶれたぁとは、と首を傾げながら、封筒の表面をそっとなぞる。

 私の体を使って、異界渡の巫女は、私よりもずっと上手に社交界を泳いで見せた。私はそれを、なぞらなければならないという。


「私、異界渡の巫女から随分、……買いかぶられているのね」


 何一つ取り柄がなくて、元王太子に笑顔ひとつもたらせなかった、不適格の婚約者。そんな私のために、これだけの情報を書類にまとめ、今後の道しるべとして残してくれた。


「これを読んでから、考えてもいいかしら」


 手紙と、書類の束を見て、フェルバートに問う。トトリは心配げに見ていたし、セファも落ち着かなげに頭にかぶった外套を引っ張っているけれど、黒服の騎士フェルバートの目はまっすぐだった。


「選択の余地がないことは分かっているわ。今日一日。明日の朝には、覚悟を決める…。だから」


「すべては、あなた次第です。お心のままに」


 フェルバートは、そう言って一礼した。主人を思う騎士の鑑のようなセリフ。けれどなんだろう。どこか投げやりで、突き放されたようにも感じてしまう。紙の束を撫でながら、ため息を飲み込んで俯く。震えそうになる肩を必死で制して、背筋を伸ばした。

 その背に、温かい手が触れる。


「姫様」


 優しい声で、そっと肩を支えられる。侍女の姿のトトリが、フェルバートの間に割り込むようにして顔を覗き込んできた。


「姫様の答えを、待っています。明日の朝も、ここでこうして、食事をしましょう。一日ゆっくり考えて、姫様なりの答えを出してください」




 朝食が終わり、少し一人の時間ができた。騎士フェルバートは部屋の前に控えていると言って、宮廷魔術師セファは仕事に戻り、侍女トトリは午後のお茶会に備えて雑務をこなしてくるという。

 本当にたった一人部屋に残された。用を言いつけるための侍女は数人残っているが、何をどう口にできるというのだろう。きっと、彼女たちは異界渡の巫女なんて知らない。ローズのことは、変わらずローズだと思っているだろう。


「令嬢方とのお茶会なんて、無難にこなせるのかしら」


 不安に苛まれながらも、ひとまず封筒の封を切る。数枚の便箋に、記されている筆記は紛れもなく自分自身のもので、息を飲んだ。精神だけ乗り移るとは、こういうことかとひやりとする。

 書かれた文章を指先でなぞって、ゆっくりと口に出して見た。


「……まずは、はじめまして」



 ローズ。あなたの一年半という時間を奪ってしまったことを、まず謝罪します。あなたは真面目で、優しく、公平で、勤勉で、歳若い貴族令嬢たちの頂点に立つにふさわしい、素晴らしい女の子です。

 そんなあなたの、貴重な十六歳から十七歳という、もっとも華やかな思い出を作るべき一年半を奪ったこと。ほんとうに、本当にごめんなさい。

 けして、わたし自身があなたを選んだわけでは無いし、いじわるで一年半もの期間を奪ってしまったわけではありません。ですが、結果は結果です。直接言えないのが心苦しいけれど、どうか悲嘆にくれたり、憎むくらいなら、異界渡の巫女などという存在は綺麗さっぱり忘れてください。あなたのこの先に待つ素晴らしい人生にはきっと不要な感情です。

 わたしという存在が、あなたの姿を借りてやってきたこと、その理由、意味、今後につなげるための布石などについては、書類を騎士フェルバートに託しました。あなたなら理解できるでしょうし、うまく使ってくれるでしょう。余計なお世話かもしれませんが、騎士フェルバートの話を聞くに、あなたは計画を立てるにとどまり、交渉役は別の人を立てた方が円滑にことが進むと思います。


 でも、これからはあなたの思う通りに進めば、すべてうまくいくはずです。そうなるように、問題はすべて排除しました。


 わたしという存在からローズを知った人はそんなに多くはありませんし、今後はあなたが会いに行かない限り会うこともないと思うので、心配しないでください。手紙のやり取りなんてものは、文官に任せればいいのです。

 元婚約者である元王太子とは、不正を暴くときに派手にやりあってしまったので、近づくときは騎士フェルバートのそばから離れないこと。

 かといって、騎士フェルバートはもともと王太子の二の騎士でしたから、きっと前主人の言葉には弱いでしょう。あなた自身の目で見極めてくださいね。

 侍女トトリは、間違いなく側仕えですが、間違いなく異性なので気を許しすぎないように。

 セファは、わたしが辺境で見つけた、とても優しく優秀な魔法使いの男の子です。かわいそうなことをしました。とてもとても慕ってくれて、嫌われ、憎まれるほど突き放すべきだったのに。わたしがいなくなったことで、動揺しているでしょう。意地悪を言われたら、きっちり叱ってあげてください。


 異界の少女リリカと、第二王子である王太子とは接触していません。王太子は、わたしが乗り移る以前は、兄の婚約者として慕ってくれていたそうですね。故意に寄せ付けなかったので、優しくしてあげてください。リリカの考えていることはわかりませんが、傍目から見ると立場に振り回されているようでした。神殿の秘蔵っ子ではありますが、王太子派閥の令嬢方による情報共有のお茶会に参加するはずです。


 やり残したことも、途中で放り投げてしまったことも山ほどある中で、あなたを連れ戻してしまって、本当にごめんなさい。

 もっと信頼の置ける側近を用意できればよかったけれど、それもできませんでした。あなたには関係のないことですが、戻る時期もわたしには選ぶことができないのです。知ったときにはとても時間が足りなくて、こうして文章にまとめて託すしかありませんでした。


 あなたの世界は、あなたの力で救ってください。ズルかもしれませんが、わたしの知る全てをまとめました。記された数値、各地で得た情報、各部署で共有されないまま死蔵されている資料から、導き出されるものを読み解いて、世界を救って。

 これはきっと、あなたにしかできないことです。騎士フェルバートにも、侍女トトリにも、セファにも、王子たちにも、リリカにも、他の誰にも。


 長くいたせいか、今までになくあなたの世界に情が残っています。どうか、幸せに。


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