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【五章開始】あの人がいなくなった世界で  作者: 真城 朱音
二章.運命を誓う、護衛騎士
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2.その手に口づけを




 ……そんな顔するくらいなら、


 言いかけて、苦笑する。仕方のない人ね。と、つい呟いてしまった。言葉尻に笑いが滲んだのを察知してか、すこし気まずげなフェルバートが顔を上げて、立ち上がる。

 身長はセファよりも少し低いけれど、私より背が高い人なんてみんな一緒よね、と思う。私自身は女性の中では平均的で、それよりも少し高いくらい。踵のある華奢な履物を履けば、トトリのようなちょっと背の低い人とほとんど同じ目線になるけれど。側に立ってフェルバートの腕を引いた私は、隙のないフェルバートの立ち姿を、腕から手を離し一歩下がって見上げて。騎士という立場であるから当然かもしれないけれど、がっしりとした体つきは、セファよりもよほど体を大きく見せるのね、と。

 そんなよそ事に気を取られているうち、一呼吸の間に手をとられて、突然目の前に片膝をつくフェルバートを、私はただ見つめる。

 草原の風が、吹き抜けた気がした。

 優しく握られた私の手は、恭しく掲げられ、額に押し付けられる。


 誰かの息を飲む声が聞こえた。トトリかしら、それとも、私だったのかしら。

 フェルバートがしているこの姿勢は、とても、大切なものだ。本当に大切なこと。

 これは、愛するたった一人に対して、愛を乞うためのもの。


「初めてお会いした時からずっと、お慕いしておりました」


 ぴん、と空気が張り詰めた。

 私も、トトリも、セファでさえも、物音ひとつ立てず、固唾を飲んでフェルバートを見ている。


「出会ったその時すでに、ローズ嬢は王太子殿下の婚約者でした。ならば、そばでお守りすることを誓い、護衛騎士の領分を守って一生を過ごそう思っていた。

 けれど、婚約を解消され、一度は辺境へと共に赴いたものの予定されていた氏族と婚姻を結ぶことはなく、王都に戻ることになりました。その身分を誰からも保障されないまま、また以前のように、心ない者によってあなたが損なわれていくというなら」


 言葉が一度切られる。いつもは涼やかな青い瞳が、熱を灯しているのが、伏せられているはずなのに感じられた。


「あなたを傷つける何者からも、俺が守ります。あなたの一番近くに、当然のようにいられる権利をいただきたい。


 俺と、結婚していただけますか」



 青い瞳が、真っ直ぐに見上げてくる。生真面目で、融通の効かない、黒衣の騎士。頑ななその騎士の目を見つめながら、私は、細く長く、息を吐いた。フェルバートの今の求婚の言葉、許さないで欲しいと言った言葉。それらを一つずつ振り返り、考えれば、彼の真意は明白で、なんのために、と途方に暮れる。

 ここまでする必要が、本当にあったのかしらと、困ってしまう。それでも、と取られていない方の手を伸ばした。


「わかったわ」


 一度言葉にすれば、迷いは消えた。何もかもを、抱えて生きていくしかないのだわ。と、私の手を取るフェルバートの手に、もう片方の手を添える。

 この騎士の責任感ごと、抱え込もうと思うのは、主人気取りが過ぎるのかしら。

 添えた手で感じるのは、剣を振るう、男の人の手だ。骨ばった手の甲は大きくて 、暖かい。


「行き場のない私を、路頭に迷わせないために侯爵へ申し出た後ろ盾の打診。お前のその願いを叶えるための対価が、私との婚約だったのでしょう。馬鹿な人。そんな風に、私なんかのためにこの先の人生を決めてしまって、後悔しても知らないわよ」


 フェルバートが目を丸くする。わからないとでも思ったのだろうか。第一王子の二の騎士だったフェルバートが、私に元々懸想なんてしていたわけはないのだ。

 思わず苦笑しながら、両手でフェルバートの手を握り直す。


「ハミルトン侯爵の意向を受け、私ローズは、ハミルトン侯爵家第四子、騎士フェルバート・ハミルトンとの婚約をお受けいたします」


 そこまでして、守ってもらうだけの価値など、もうないわ。と、心から思う。見合うだけの何かは、これから示さなくてはならなかった。


「でも、私は本当に、お前にふさわしい人間かしら」


 目をまん丸にしたまま、何か言おうと悩んでいる様子だったフェルバートはふぅ、と目を伏せ息を吐く。ゆっくりと立ち上がって、私を見下ろした。向かい合っているのに、しばらく無言でじっと見つめられるので、つい首を傾げてみせる。手は握ったままで、その手にフェルバートが視線を落とした。


「そう思いたいなら、お好きになさってください」


 少し持ち上げて、手の甲に口づけを落とされた。


「俺は、手段を選ばないと決めたので」


 あなたを、一人にしないために。そう言って、癖のある黒髪の隙間から青い瞳に射抜かれ、さすがにちょっと照れてしまう。素敵ね、と、つい褒めてしまった。


「物語の騎士様みたいよ」


 ありがとうございます、とフェルバートは小さく笑って、私の背中の向こうへと視線を投げかける。攻めあぐねてしまいますね。とは、頭上で聞こえたささやきだ。思わず顔を上げたけれど、ずっと私ではない別のどこかを見ている。その視線を追えば、その先にはセファがいた。椅子に座ったまま、姿勢も体の向きも変わらない。その横顔は、まっすぐ前を見ていた。もう一度フェルバートを見上げると、その目になんだか強い意志が込められていた。


 怒っているの? 違うわ。どういう感情かしら。わからない。


「……フェルバート? いつのまに喧嘩したというの。セファは私の友人になってくれたのよ。魔術の師匠にもなってもらうのだから、仲良くして」


 もう、と睨むように目に力を込めれば、反省するどころか嬉しそうな顔をされてしまう。


「今夜はこのくらいにしておきます。焦っても仕方がありませんから」


 そう言って、やっと手を解放される。胸の前で両手を抱きしめながらつい、何を焦るの、と口が滑って問いかけていた。いいえ、とフェルバートは柔らかい表情で、首を振る。

 半月前に会った時は、なんて怖い人だろうと思ったし、それより前の印象は堅物を絵に描いたような忠義の騎士。それが、なんだか全然違う人のようだわ。こんな顔もできたのねぇ、と呑気に思う。


「あなたが荒地へ飛ばされた時、セファが持っていた後見人のつてで、即座に後を追えることに感謝しました。しましたけど」


 俺が、迎えに行きたかった。と、いうだけの話ですよ。


 その言葉を聞きながら、心の中で思う。でも、フェルバートが迎えに来ていたら、セファは友達になっていなかったわね。だなんて、こんな風に言ってくれる優しい護衛騎士に対して、ひどい主人かしら。


 過ぎった思考に、ひっそりと自嘲した。


「だめね、私」


 脈絡のない言葉に、困るのはみんなだろう。それでも、構わずに続ける。


「フェルバートの……。いいえ、フェルバート様の婚約者として、ハミルトン家に嫁ぐのだから、いつまでも勝手に主人気取りでいてはダメね。騎士の妻として、相応の振る舞いを身につけなくては」


 それも四男なら、求められるのは領主の妻としての振る舞いでさえない。

 これは、思ったより大変かもしれなかった。フェルバートにはそれでも、見ていてね、と笑ってみせる。これからまた、花嫁修業のやり直しだ。国王陛下の代わりも務まる王者としての振る舞いは、もうこの先ずっと、金輪際、不要なのだから。

 第一王子の二の騎士や、異界渡の巫女の護衛騎士だった頃とはまた違って、妻帯者になるフェルバートの職務は大きく変わることが予想される。独身の護衛騎士と妻帯者の騎士では、割り振られる役割が大きく異なるのだ。本人と主人が望めば妻帯者も護衛騎士としての職務を続けることは多いけれど、私たちの場合には当てはまらない。

 フェルバートは、今後王城での内勤も増えるし、新人の教育指導や書類仕事に忙殺される。これからきっと引き継ぎの嵐だろうから、私は一人で侯爵夫人との花嫁修業に臨まなくてはならない。婚約期間がいつまでかはわからないけれど、婚姻までどれくらいかけるつもりだろうか。やはり長男でないフェルバートには、挙式や披露宴も必須ではないし、同じ理由で侯爵家が率先してやることでもない。意図しての大々的なお披露目が必要でなければ、本人たちがどうしたいかを優先するのが慣例だ。と、いうことは、もう少し落ち着いてからになるかしら。こういったことを、早々に話し合えるといいけれど。


「考えなくてはいけないことは、明日から、ゆっくり考えましょう。セファも、魔術指導について特に何かある?」


「特別なことは、何も。好きな日に魔術塔へおいで。午後ならいつでも。どうせ護衛にフェルバート、側仕えにトトリが来るんだから、僕が迎えに来る必要はないだろうし」


 やっとこちらを向いたセファは、そう言って立ち上がる。そろそろ寝ようか、と歩き出した。


「ふかふかの寝台が僕を呼んでいる。ぎりぎりまで堪能したいから、朝はゆっくりさせてくれ」


「朝食はどうするの?」


「僕がいなくても食べれるでしょ」


 含むように笑われて、もう、と拳を作る。旅の間、食事ひとつまともに注文できなかったことをからかっているのだ。

 少しは成長したもの、と言い返す。


「もう手伝ってもらわなくて結構よ。食事も着替えも、今は一人でこなせるのだから」


 とはいえ、今日から侯爵家でお世話になる以上、朝から晩まで人に世話を焼いてもらう生活に逆戻りだ。侯爵家は、実家ほどがんじがらめではないといいのだけれど。肌着だって寝間着だって、自分で身につけられるようになったのだし。


 くつくつと笑いながら食事の部屋を出て行くセファに、もう! もう! 失礼な人! と怒りながら続いたので、私はその後ろをギクシャクとついて来るフェルバートを見なかったし、さらに最後の片付けのために率先して残ったトトリの、呆然としたつぶやきは聞こえなかった。


「……えっと、今、なんかすごいこと言いませんでした? え、結局どこまで手伝ってもらって……?」



 トトリの言葉は、誰もいなくなった部屋に響いて消えた。





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