23.おいてけぼりの、悪役令嬢
22話を朝7:00に更新しています。
読まれてない方はそちらを先にどうぞ。
消えた表情のまま、フェルバートが私に問う。どうって、と瞬く私から、フェルバートは目を逸らさなかった。
「……セファやトトリから少し聞きましたが、……王に命じられれば誰とでも婚姻を結ぶおつもりですか」
「……そうでない、貴族令嬢がいる?」
フェルバートの疑問がわからず、つい話にのぼったトトリの方にも視線を向ける。
「ハミルトン侯爵家にご厄介になる以上、ハミルトン侯爵のご意向に従うわ。誰とも婚約しない方がいいと言うのであれば、そうするし」
表情のないフェルバートに、困った顔で私を見るトトリ。あのね、と私は二人に向き直るために、一歩下がる。多分、この認識のずれは、単なる価値観、求められて来たこと、すなわち生まれの違いだろう。侯爵家令息のフェルバートにも、平民のトトリにも、想像もつかない世界かもしれない。
「それを望まない女性がいることも、権利を勝ち取ろうと活動する人がいることも知っているけれど、私は、それ以外の生き方を知らないわ」
「……第一王子とのご婚約についても、そのような認識だったんですか」
「ええと、婚約当初は幼かったし、それからはずっと屋敷と王城を行き来しての教育に費やされていたから……。目指す場所に向けて脇目も振らず進むばかりで、そう、そういうものだと思っていたわ。それが解消されたなら、あぁ、じゃぁ、次の相手は誰かしらね、って」
あれだけの時間と人員をつぎ込んでの教育だったのだ。なんの用意もなく放り出すわけがない、というのは、間違った考えだろうか。
「……アンセルム殿下のことは、信頼していたわ。あぁいった終わりを迎えたのは、残念だったと思ってる」
それ以上の感情をここで告げるつもりはなかった。同じように努力して、同じ場所を目指していた、同じ方向を見据えてお互いを尊敬しあえる伴侶になれると信じていた人。努力を悟られぬよう懸命に振る舞っていた方だから、余計なことは言わない。
「あの、差し出口ですが……。私たち平民は、結婚して子どもを持ち、家庭を守ることで幸せを感じますが、姫様の言うご令嬢の結婚は、そうでないように聞こえます……」
トトリが言葉を探しながら問いかける。
「姫様の幸せってなんです?」
まっすぐな問いかけに、少し怯んだ。
「……国益のために身を粉にすることですか」
フェルバートが重ねて問う。ずるいわ、と私は笑った。
そうやって、強がってみせることしかできなかった。幸せも、喜びも、そんなこと、王太子の婚約者だった時に考えたことなどない。
そう思った時に、ふと、笑い声の記憶がひらめいた。私自身の笑い声だ。
「まって」
思わずそう言って、二人を見る。
「ちょっとまって、思い出すわ」
つい最近、私、幸せねって思ったはずだ。嬉しいって、笑ったはず。つい最近よ、ええとなんだったかしら。そう。
「そう、セファだわ」
ぱっと心の内が華やぐ。嬉しくて嬉しくて、つい顔が綻んだ。そうだわ、と思い出して、まだフェルバートには言ってなかったかもしれない、と気づいて手を叩いた。
「私、セファの側にいられたら幸せだわ」
うわ、とトトリの悲鳴が聞こえた気がして、そちらを向く。トトリは口元を両手で覆ってフェルバートを見ていた。肩が震えている気がするのは気のせいだろうか。あら、これ、前にもあった気がするわ。
「……魔術師セファと、そういう関係に?」
フェルバートの目がまん丸になって、どこか気の抜けた表情で問いかけた。そういう関係というと、どういう関係かしら、と私は首を傾げる。
「私の幸せの話よね。私の幸せとは何か、トトリは聞いたわ。私の幸せは、これよ。と宣言できるほど、私、自分の幸せについて何かを考えたことはないけれど」
正しい答えはまだ出せない。トトリとフェルバートを納得させることもできない。けれど、今出せる答えをこれしか持っていなかった。
「旅の途中で、セファと色々な話をしたわ。それで、私の今までのことを聞いたセファがね、私の今までのことを怒ってくれたの。その時、私、嬉しかったのよ」
私の育ち方、生き方、そうさせた環境や周囲に、彼はきっと怒っていた。辛いことも、嫌なこともなかったけれど、私が思いもよらないことで、なぜか怒るセファの存在が、不思議だったけれど嬉しかったのだ。
「あとね、セファとは友人になったの。友人になってくれたら、嬉しいわと言ったら、なってくれたのよ。素敵でしょう」
初めてのお友達よ、と私が胸を張って自慢する。トトリが俯いて背中を向けた。やっぱり肩が震えている。フェルバートの顔はどこか遠くを見る目になっていた。
「私、どうやら友達が欲しかったみたいなの。魔術学院にも通ってみたかった。王太子の婚約者でなく、王太子妃にもならず、王妃も目指さなくていいなら、私、許される限り、やってみたいと思ったことを少しずつやってみようかと思って」
いいかしら。だめかしら、と私は問うた。
「セファはね、友達になってくれたわ。魔術学院は無理でも、魔術を教えてくれると約束してくれた」
あとね、これは、まだ誰にも言うつもりはないけれど、内緒だけれど。心の中でそっと呟く。
ただのローズになっていいと言ってくれたことも、どうやらとても、嬉しかったの。
「異界渡の巫女がしようとしたことを探すわ。何を求めてどうしたのか、そうしたことによってどうなったのか」
だからね、フェルバート様。と私は笑う、フェルバート様と言うと、変なふうに口元を曲げる騎士が面白くて、くすくすと笑った。
「手伝ってくださる? 私がどんな立場になろうと、私、あなたを信用するので。裏切られぬよう努力するので、あなたが私を裏切るまで」
フェルバートの瞳が冷たくなった気がした。
「……本当に、あなたはお人好しですね。知らなかったことを知った時には、もう何もかも手遅れになりますよ」
「それもまた、その時考えるわ。でも不思議ね。フェルバートがそばにいると思うと、怖いものはない気がするの」
何を言い出すんです、とフェルバートが眉をひそめる。この際だし、全部喋ってしまってもいいわね、と私は気にせず口を開いた。
「私は昔から、二の騎士フェルバート様の、騎士の名を体現しているところに密かに憧れていたわ。いと高き地位にあるあの方の隣に在るものとして、あんな風になれたら、怖いものなどないだろうと。あなたを見ていると、背筋が伸びたの」
だから見ていてね、と笑顔を崩さずお願いしてみせる。きっと、あなたが裏切る気持ちなど、無くしてみせるから。
「時間からも、状況からも、何もかもから置いてけぼりをくらってしまった私だけれど、落ち着くべきところに落ち着いてみせるわ」
ひとまずは、世界を救うために。
異界渡の巫女が残した、パン屑のような手がかりを、追いかけるところから。
《おいてけぼりの、悪役令嬢 おわり》
夕飯の席に呼ばれて、私たちは侯爵夫人の歓待を受けながら、食事をとった。トトリは私の給仕として後ろに控えてくれているけれど、セファとフェルバートがそれぞれ両脇に座っている。フェルバートに今後の宣言をした私は心が軽くて、浮かれていた。
そんな私に、侯爵夫人も楽しそうにニコニコとしている。こういった場での会話は、習ったことが生かせるので気が楽だった。平民に混じって旅していた頃の方が、勝手がわからず苦労したのだ。
「それにしても、本当に良かったわ。ローズ姫、フェルバートを頼りにしてくださって、本当に感謝しますわ」
いえそんな、と私は微笑む。フェルバートが頼りになるのは昔からだし、そもそもフェルバートが私を見知っていてくれて、辺境まで付いてきてくれるような優しい人だからこそ今があるだけだ。私自身がフェルバートを頼ったことは、実はないので。
「伯爵家と王家で大事に大事に守られ隠されていたあなたの存在を、私たち貴族は皆知っていたけれど、実際会ったことのある人は限られていて、色々な憶測が飛び交っていたのよ。王太子の婚約者として有名だけれど、魔術学院には通ってなかったでしょう。魔力のない人なのでは、という噂もあって」
実際はそうでないのだから、杞憂でしたけれどね。と、取り繕うように夫人は付け足す。
「王家主催の舞踏会に出席していても、王太子や両陛下のそばに座ったまま、席を離れないでしょう。個人的に繋がりを持ちたい者も大勢いたけれど、ああも一言一言名前を呼ばれ現況を言い当てられれば、皆何も言えなくなってしまって」
後ろめたい人は特にね、と肩をすくめる夫人に、私は首をひねる。なんだか、楽しかったはずの席の空気が変わってきた。気のせいかもしれない。
「私はね、子どもを四人産んだけれど、みんな男の子で。貴族社会はまだ、婚姻によって他家との繋がりを強くする風潮が強いから。じつは、娘がいないというのは、持ってる手札としてはちょっと弱いのよね。婿入り先を探すのは、嫁入り先を探すよりもずっと、選択肢が限られてくるの」
実の息子の前であけすけに言いながら、白くて細い指を数えるようにして折り込んでいく。
「長男は、領地経営のために他領に修行に出ていて、いいお話をいただいても進展しないでしょう。次男は、城に出仕していて歴史研究なんて部署で仕事に没頭しているわ。まああれはお祖父様の血ね。みんなで仲良くお仕事しているから、浮いた話も湧いて出ない。三男は辺境にふらっと遊びに行ったきり、何やら悪い友達とつるんで帰ってこなくなっちゃった。後継じゃないんだからいいでしょって、まぁ、勝手よね」
そして、そこにいるのが四番目なのよ、とそう言う夫人の頰が、どこか薔薇色に上気し、ツヤツヤ輝いているような気がした。
「侯爵家の一員としての地位があって、元王太子の二の騎士という経歴も申し分ない、我ながら素晴らしい愛息子よ。あなたを守る上では、これ以上ないでしょう。
とっても複雑な背景と、今後誰がどう動くかわからない状況の中で、当家があなたを守れるのは、あなたがフェルバートを頼りにしてくれていたからだし、フェルバートがあなたを守ると申し出たからだわ。二人の意思が決まっているなら、周りが口を出すことではないものね」
長男が言い出したことなら、私も侯爵もきっと悩んだけれど、フェルバートは四男ですからね。と簡単に言う。婚約者から直々に婚約破棄されて辺境に追放された私に付くのって、そんな簡単なことかしら、と私は思わず内心で苦笑いだ。
いくら返り咲いたとはいえ、婚約者の不正を糾弾したとはいえ、婚約者はその地位を追われたとはいえ、結局、王家からは謝罪も撤回もないのだから。
「そんな顔をしないで、ローズ様。お披露目はおいおいね。ひとまず内輪で、あなたたちの婚約を祝いましょう」
優雅な微笑を浮かべているはずの私に、夫人はころころと笑って、食後の果実水を勧めてきた。「ありがとうございます」と礼を述べて、受け取って、口に含んで、今しがた言われた言葉を反芻して。
「……こんやく……」
思わずフェルバートを振り向いた。こちらを見ない。屋敷に来た時から、妙に顔を背けていると思っていた。後ろめたそうな、何か企んでいるような、隠し事をしている態度。決して許すなとまで言った裏切りとは、もしかしてこれのこと? 腕を引いて問いかけたかったけれど、侯爵夫人の前でそんなことできるわけがなかった。
頼りにしていた騎士がとうとうこの場に至るまで明かさなかった出来事に、途方にくれる。言う気は無かったのね、この人、と怒るよりも呆れてしまった。
そろそろと、セファに助けを求める。セファも驚いた顔をして手を止めていた。こちらは取り繕う暇などなかったのだろう。夫人の言葉を聞いたまま驚いて、けれど問いたださないよう全身全霊をかけたのだ。
夫人は、こちらの様子に気づいているのかいないのか、手を頰に当てて物憂げに、楽しげに話し続けていた。
「ええ、流石にね、ただのローズ様をうちで保護して、かくまって、後ろ盾になるには、それくらいしておかないと。最低条件よね。侯爵家とはいえ、四男が当主に直接、適齢期のお嬢さんの後ろ盾になってほしいなんて、そんなわがままを言うくらいなのだから。それはもう未来の伴侶よね」
まぁ、まるで大衆小説のよう、劇的だわ。素敵。とうっとりしながら、夫人はグラスのお酒を掲げて見せた。
「当家は、四男であるフェルバートの婚約者、ローズ姫を何者からも守ります。一族に嫁ぐ者として教育しますし、もちろん、魔術についてもあなたが辺境で見出したそこの宮廷魔術師に師事することを認めましょう。魔術塔に出入りする際は、護衛にフェルバートを連れて行きなさいね。
未だ静観したままの伯爵家と王家が出てきても、あなたの意思に反していきなり旗幟を変えたりはしないので」
一緒に頑張りましょうね、とそう言う夫人の声が遠くで聞こえた。
《あの人がいなくなった世界で つづく》
つづきますが、一旦これでおしまいです。
まだ続きます。
お時間少々いただきます。
早ければGW明けに。遅くとも6/1には再開しようと思います。
タグにある通り、連作形式です。こういう意味です。こうじゃなきゃ書ききれない気がしたのでした。
こういうスタイルが合わない読者様もいらっしゃるかと思います。すみません。
また次話、開始しましたらよろしくお願いします。
あと、連載中にお気に入り100件達成できたらいいなと思っていましたが、力不足ながらできませんでした。準備中に達成しましたら、何か小話を書く予定です。リクエストがあれば感想欄まで。お話の展開に差し支えない内容でしたら応えます。
感想欄に厳しいお言葉は、ありがたいですが、メンタル豆腐ですのでそっと閉じてしまうかもしれません。好意的な応援をいただけるとやる気が出ます。よろしくお願いします。