22.護衛騎士 フェルバート
フェルバートが私に望むのは、『婚約を破棄して辺境に行った途端、目立った実績を作り始めたローズ』という、異界渡の巫女が作った印象のまま振る舞ってもらうこと。
そうして、彼女がやり残した使命を全うすること。
そうする覚悟を決めなさいと、あの時言われた。その直後に荒地へ転移して、いろいろあって、やっと、この人の前に戻って来られたけれど。
考えるまでもなく、最初から答えは出ているのだ。
最後の仕上げの化粧が終わり、たった一人残ったトトリが私から離れる。その手はわずかに震えていて、どこか不安そうだった。心配そうにしながらも、私たちの間に割り入ろうとはしないトトリに感謝する。
そうして、私はフェルバートに向き直る。立ったままのフェルバートを椅子に座って見上げながらも、胸を張って宣言した。
「フェルバート、私、異界渡りの巫女に成り代わることはできないわ」
荒地に飛ばされて、王都までなんとか戻ってくる間に色々考えたけれど、やはり会ったこともない人の振る舞いを真似るだなんて、到底できるとは思えないし、やるなんて口が裂けても言えない。
そして、たぶん、それは異界渡りの巫女も同じ。だから彼女は、私になりすますだなんてことはせず、身の回りの人にはその秘密を明かし、協力者とし、思うままに振る舞った。その代わり、見ず知らずの私に対して、彼女はどこまでも誠実だった。
それなら私も、彼女に倣おう。
「でも、異界渡の巫女の意志を、継ぎたいとは思ってる」
あなたの世界は、あなたが救って。
私の筆跡で残された、彼女からの手紙を思い出す。
少しだけ聞いた、異界渡の巫女の足跡。興味を持ったこと、警戒していたこと。その中に出てきた魔王も、魔女も、私が太刀打ちできる相手とは思えないけれど。
貴族として、魔力を持つ娘として、避けられぬ婚姻もあるかもしれない。
けれど、異界渡の巫女が残したものを使って、世界を救う。
世界に襲い来る危機と、その影響、対処方法を、知らなければならないけれど。
……何もかもを一から調べなければいけないから、世界を救うために召喚される勇者や聖女より、よっぽど大変かもしれないわ。
リリカ様や神殿の神官なら、何か知っているかしら。
そんなことを考えながら、逸れた思考に終止符を打つ。
「私に答えられることはそれだけだわ。さぁ、あなたの返事をどうぞ聞かせて」
力を貸してくれるあなたは、何を望みにしているの。
「私、あなたのお家の侯爵家に後ろ盾になってもらったとは言え、やっぱり変わらず、ただのローズのままなの。侯爵家出身の映えある騎士様に護衛されるには、いろいろと物足りないのではなくて? もう、あなたが慕った第一王子の婚約者でもなんでもない。それどころか、一年半も前に第一王子その人に切り捨てられた私。
異界渡の巫女が乗り移って、彼女に手を貸すことにしたのでしょうけれど、でもその人ももういない。残ったのは、使命感もなく、望みもなく、何も持たない、異界渡の巫女の残した功績だけを寄る辺になんとか立場を守る、何もない十七歳の小娘。それでも、……お前は私を守ると言うの?」
疑念の全てをぶつけて、フェルバートの返事を待つ。フェルバートは、そんな私を困った風に見つめて、ちょっと笑った。
「なんだか、ローズ嬢、少し変わりましたか」
「……少しね。変わったとしたなら、少しだけ」
荒地に飛ばされる前と後で変わったのはたった一つ。セファという友人ができたかどうか。その一点だけれど。
そう思って頷く私を、フェルバートは優しく見る。最初はあんなに怖くて嫌な人だと思ったのに、フェルバートは今までずっと、こんな目で見守っていてくれたのだろうか。
「……あなたが、第一王子殿下に婚約破棄を言い渡されたあの日。全てが終わった後でそれを知らされた俺は、その場であなたについて行くことを決めました」
フェルバートの青い目が、少し伏せられる。
「翌朝、早々に何も持たされることなく旅立つあなたに合わせて、その夜のうちにこの屋敷で準備をしました。母は俺について回り、怒って、泣いて、懇願しましたが、それでも最後には、いつでも帰ってきなさいと言った」
夫人を大切にする侯爵。その両親の元で育った、生真面目で堅物で真っ直ぐなフェルバートは、やはり、両親に随分愛され、その自覚があったのだろう。
ますますわからない。そんな彼が、なぜ。
「母は、父が許さないことは言いません。父もまた、母が願うことを禁じない。俺は、辺境であなたに何かあれば、家を頼ると決めていました」
「……そんな風にされる覚えはないわよ。トトリにも言ったけれど、トトリは異界渡の巫女の眩しさに憧れて、そんな彼女に頼まれたことを全うするため、私に仕えると言ったわ」
私には何もない。人が私へ捧げるものの全ては、私の身分や、肩書きに付随するのだとずっと知っていた。わかっていた。これから私が行うことに、皆敬意を払ってくれていたのだと。そのように言って聞かされ生きてきた。
「フェルバート。お前は、第一王子の婚約者であった私に、二の騎士として接するうち特別な思いを抱いたと言うの? いずれ王太子妃となり、王妃となる私に、憧れや期待を抱いていたと言うの? 今も昔も、お前が心から仕えるのは第一王子殿下でありながら?」
「……第一王子殿下に大恩ある俺は、信用に値しませんか」
「信用できない人間を側に置かないと言うなら、私はクライドお兄様とも距離を置かなくてはならないわ。だから、それだけであなたを護衛騎士から外すことはしない」
クライドの名前を出した時、フェルバートの目が少し細められた。凄みを感じて、何か読み取れはしないかじっと見つめるけれど、視線を受けてフェルバートはまた困った顔をする。はぐらかされているように感じて、思わずむっと口を曲げた。
「……何か企んでいるでしょう」
「そんな風に疑って、それを人に突きつけるようになったのは、とてもいいことだと思いますよ」
けど、上手に取繕われれば、素直に信じてしまうでしょう。それだと意味ないですよと、失礼なことを付け加える。
「何の旨味もない私にここまで疑われて、それでも家ごと巻き込んで仕えるというの」
「……運命を共にすると、すでに一度決めましたので」
手を差し出された。その手を取るかどうか、逡巡する。
そんな風に、わかってもらえなくとも、好きにする、と宣言されては困ってしまう。わかりたいからこうして聞いているのに。諦めたように、フェルバートは出した手を引っ込めた。降ろされる手を、私は黙って見送る。
「お前、まだ何か隠しているでしょう」
「あなたを主人として、そう呼ばれるのは嫌いじゃありませんが」
先ほどから、問いかけたことに対して、少しずらした返事しかもらっていない気がする。今度もそうだ。またそうやって、とむっと顔をしかめるのに、フェルバートは顔を逸らしてこちらを見ない。
「両親の前では、お前呼ばわりは控えてくださいね」
言われて、瞬く。一拍おいて、顔がみるみる真っ赤になった。すっかり気を許して、フェルバートは自分の護衛騎士だと思い込んでいたけれど、よくよく考えれば私は何も持たない身で、フェルバートの意思で側にいてくれているだけなのだ。
私が、お前、などと呼びつけて横柄に接することのできる身分でないことはわかっていたはずなのに。
頭が真っ白になって、視線がさまよった。両手で顔を覆いたかったけれど、せっかくトトリが化粧師としての腕を存分に発揮してくれた後なのに。両手のひらを見つめて動かない私の手にトトリがそっと扇子を置いた。慌ててそれを開いて顔を隠す。
だってフェルバートは第一王子の二の騎士で、第一王子の護衛騎士は私の護衛で好きに使っていて、護衛騎士というなら護衛される私はその主人であるのが当然で、主人であるならそれ相応の振る舞いが求められるのは当たり前なのだ。護衛騎士にへり下る主人など、主人としての自覚が足りない。
頭の中でめぐる言い訳を、口に出さないことにはなんとか成功していた。
「では、」
頭の中での言い訳が一通り終わって、頭を冷やした私はそろそろと扇子をたたむ。膝の上でぎゅっと握って、フェルバートを見上げた。
「……フェルバート様、ですか?」
「……」
意を決して問いかけたのに、フェルバートは真顔のまま返事をしてくれない。首を傾げて見上げるけれど、それでも反応がないので、思わず立ち上がって一歩近づいた。
フェルバートが、そっと一歩下がる。動いたので、意識はあるらしい。
「……どうしたの?」
「いいえ、衝撃がちょっと。ローズ嬢にそう呼ばれるとその、少し新鮮で」
「なあに、それ」
ふふ、と笑った。そんな、真顔で固まるほど驚いたの? と。くすくす笑う私に、フェルバートが優しく微笑む。いつも生真面目な顔のフェルバートの驚いた顔など、それこそ新鮮でおかしかった。
そして、わかったわ、と頷いた。フェルバートの前で、美しい立ち姿を意識する。
「フェルバートが企んでいることも、隠していることも、今は聞かないことにする。私に行くあてがないのは事実だし、やりたいことがあるもの。利害の一致と思うことにします」
疑いがあるのも本当だけれど、助けが必要なのもそう。自分の中で落とし所を見つけて、納得して、全て抱え込んで行くしかない。フェルバートに裏切られた時は、もうその時だ。
でもね、気が向いたら教えてほしいわ。そう言って笑いかければ、フェルバートはいつかのように目元を片手で覆ってうなだれてしまった。
「疑念を疑念のまま放置せず、きちんと追求してください……。何か隠し事をしてなお側にいようとする相手には、条件をつけて行動を制限する。秘密裏にその背景を洗い出す、いくらでも手段はあるでしょう……」
「でも、私、あなたに裏切られたらもうあとがないわ。あなたは騎士で、機動力もあるし、権力もあるし、武力も持ってる。それこそ、セファと手を取り合って裸足で逃げ出すくらいしか。でも、私のそばにいると宣言して、辺境からこんなところまで来てくれたトトリを置いていけないから、やっぱりダメね」
もし、フェルバートが敵にまわる事態になった時、それはもう全てが終わったに等しい。そうなると、情報を制すればと思うけれど、きっとクライドの助力は望めない。彼は大きな権力の側につく人なので。いよいよ私が利用するに値しないと判断すれば、切り捨てる判断は早いだろう。
「フェルバート、信頼しているから、裏切るというならその前に事情を話してね」
真剣にそう言うのに、フェルバートは顔を覆ったままだ。
「……では、裏切られた時は、俺のことは決して許さないでください」
くぐもった声でそう言うフェルバートの口調は、冗談には聞こえなかった。……裏切る予定でもあるのかしら。と私はフェルバートに手を伸ばす。袖を少し摘んで、フェルバートの目元を覆うその手をそっとずらす。
「……ローズ嬢、近いですよ」
「自分が裏切った時は、決して許すな。だなんて。そんなことをわざわざ言う顔は、どんな顔かしらと思って」
その目元を見て苦笑する。
「そんな顔するくらいなら、裏切らなければいいじゃないの」
年上の男の人に、全く仕方のない人ね、と笑ってしまう。
「では、裏切る気が無くなるくらい、あなたにふさわしい振る舞いをするわ。私はそう遠くないうちに、どこかにお嫁に行くでしょう? そうなれば、あなたを護衛騎士にすることはできなくなるわ」
侯爵家の騎士を護衛に嫁ぐ、勘当された元伯爵家令嬢など聞いたことはない。第一王子の二の騎士が、その婚約者を護衛していた。その延長上の関係でしかないので。
「そうしたら、どこかの貴族の夫人として、私はあなたを信頼の置ける騎士として尊敬するわ」
その立場がどうであれ、騎士フェルバートの立場を後押しできるようになると良いな、と思った。一心にフェルバートを見つめていたはずなのに、話しているうち意識から外れていたらしい、ふと見たフェルバートの顔から、表情が消えていた。
「……ローズ嬢は、ご自分の婚姻についてどうお考えなんです」
予定なら、4/30に終わってるはずだったのですがうまくまとまらず、急遽予定変更の延長戦です。5/1は本来更新するつもりがなく時間が作れなかったので、遅くなりました。
平日更新土日祝休みのスケジュールで更新してました。(宣言するとできなくなりそうだったので自分の中のルールでした)
あと1話で、《おいてけぼりの悪役令嬢》終わりです。
時間差でお昼12時に最終話更新します。よろしくお願いします。