21.滞在
フェルバートと合流した私たちは、手配されていた馬車に乗り込み、夕刻には一軒の屋敷にたどり着いた。王都にあって立派な門構えのお屋敷は、馬車回しまで立派だった。
出迎えに立ち並ぶ何人もの使用人、執事が一歩前に出て、フェルバートに対し礼を尽くす。その背後で、私は背筋を伸ばしたまま、歓待に恥じぬ振る舞いを心がけた。
「こちらでお待ちください」
応接間に通された私たちは、それぞれ座り、屋敷の主人を待つ。王宮魔術師の赤い羽飾りをつけたセファは、私と長椅子に腰掛け、トトリはその背後に控えた。フェルバートは扉脇に立ち、壁に背を預けて腕を組んだ。
ここはどこだろう、と私はゆっくりと視線をめぐらし、応接間の調度を眺めた。飾られているものはどれも非常に無骨で、下手をすれば質素に見える品が絶妙な配置で品の良い部屋を演出している。おそらく、この家はどちらかというと華やかさを好まない、武寄りの家柄なのだろう。厳格な主人の意向に沿うよう、けれどもてなす客人に失礼にならぬよう、計算し尽くされた部屋だった。
ここがどこか知っていそうなフェルバートは、私と目が合うと目を伏せた。護衛騎士であるフェルバートが何も言わないということは、間も無くわかるということだろうか。今まで通りの私で問題ないという信頼だろうか。……主人として、説明なさいと命ずるべきかもしれない。
むう、と澄まし顔のまま、心の中で口を尖らせる。情報がない場所に、誰かと相対するとわかっていながらなんの備えもできないのは精神的に苦痛だった。落ち着かなくて、膝の上の手が、もう片方の指を握り込む。震えぬよう、深呼吸を繰り返していると、隣に座る真正面を向いたままのセファが、私の手にそっと触れた。
手を重ねる、などといった親密さはなく、私の手の甲にセファの手の甲が軽く触れる程度の。けれどそれにはっとして、指を握りこんでいた手を開く。セファの手が、すぐに離れた。
ぐっぱ、ぐっぱ、と手を開いて閉じてを繰り返し、体がこわばらないよう気を配る。体が固まると、思考も固まる。これからやってくる相手とどう渡り合うにせよ、柔軟に対応しなければ。
応接間の扉が叩かれ、中の使用人が扉に手をかける。身なりのいい、壮年の黒髪男性がやってきた。その表情は厳格で、想像通りのこの屋敷の主人といった風だ。帯剣をしていることから、やはり軍部関係者だろうか。
続いて入ってきた栗毛の女性に、面食らう。線の細い、儚げな雰囲気を身にまとう、少女めいた女性だった。男性と並んで座るところから細君だと思われるけれど、それにしても私より少ししか変わらない若さに見えた。
美女と魔物、と対照的な単語が脳裏に並んだ。
「ローズ姫」
向かいの長椅子に二人は並んで腰掛け、少しの間の後、最初に栗毛のご婦人が私の名を呼んだ。はい、と居住まいを正しながら返事をする。灰色がちの青い目が、私を優しい表情で見つめる。
「大変な目に遭われたと伺いました。また、ご実家の伯爵家には頼れぬ身とも。ぜひ、我が家でごゆるりとおくつろぎなさい。身の安全は保証しますし、不安でしたら、変わらず愚息を護衛につけましょう。ふふ。フォルアリス家の深窓の姫君、王家によって隠されていたご令嬢が当家に滞在いただけるなんて、本当に嬉しいわ」
そう言って、ご婦人はフェルバートを示す。狼狽を悟られぬよう自制しつつ、フェルバートへ視線を向けた。フェルバートはこちらを見ない。かわらず壁に背を預けて、腕を組んだまま。あまりにもこちらを見ないので、ひょっとして目を閉じているのだろうか。
「ここは、もしや騎士フェルバートの」
まぁ、とご婦人が瞬いた。仕方のない子ね、とフェルバートに姉のような視線を向け、眉を下げる。いいえちょっと待ってほしい。ここがフェルバートの実家。フェルバートの実家というなら。
私は血の気が引くほど狼狽えていることを自覚しながら、表出させることをなんとか食い止めていた。フェルバート。元王太子であった第一王子アンセルム殿下の二の騎士という身分にあった人。第一王子の二の騎士が務まるということは、それは、相応の身分にいたということだ。
伯爵家の第三子である私など足元にも及ばない人。だから、護衛騎士を名乗りながらもあの人は私のことを「ローズ嬢」と呼ぶ。私自身の身分は消え失せているからだ。本来の彼は、高い身分でありながらも真っ当に手にした騎士という地位へ、強い自負と矜持を持つ。そのため、自ら認めた相手にしか仕えることはない。その頑迷さが彼を一の騎士ではなく二の騎士たらしめたのだと口さがない者たちは言うけれど、ともかく、異界渡の巫女だって、トトリだって、第一王子を今でも慕っているのではと匂わせていた。
「もしかして、愚息から当家についても何も聞いていませんか。これは失礼いたしました。わたくしはフェルバートの母、ハミルトン侯爵夫人、ヘイゼル・ハミルトンです。当家は全面的に、ローズ様の後ろ盾としての用意があります。旅の疲れもあるでしょうけれど、まずはそのあたりの情報共有を行いましょうね」
侯爵夫人はそうにっこりとして、隣のハミルトン侯爵へと視線を向ける。侯爵はフェルバートによく似た面差しで、私をじっと見つめていた。一度壁際のフェルバートへと視線を向け、ため息とともに私を見る。
「ローズ・フォルアリス姫」
その口が静かに開かれ、私の名を呼んだ。はい。とまた、私は背筋をピンと伸ばしたまま返事をする。
「根拠のない言いがかりにより辺境へと追放された君は、その優れた才覚を発揮し、この王都へと舞い戻った。その功績を、私は高く評価している」
はい、と目を伏せる。謙遜しているように見えますようにと願いながら、その実際はうなだれていた。それは私じゃないのよ、と言えない悲鳴が、心の片隅で響く。
「フォルア伯爵家は君を勘当したまま、今に至るまでなんの動きも見せていない。このままでは君が路頭に迷うだろうと判断し、我々は君を当家で保護することを決めた」
「……感謝申し上げます」
形式に則ったやりとりだ。私に拒否権はない。異界渡の巫女ならどうしただろう。自ら考え判断し、なすべきことのための最善手を考え、必要とあらばこの侯爵が差し伸べた手さえ振り払うのだろうか。
私は、彼女ではない。使命もなすべきこともない。何もわからない現状に振り回されるしかなかった。
「もともと当家は、王家と対立派閥でね。それも役割の一つという自負があるが、同腹である第一王子と第二王子が表立った対立構造にない以上、第一王子を糾弾し追い詰めた君への扱いを皆測りかねていた。真に王家に仇なす組織に取り込まれる前に、君を確保したいという思惑もあってのことだ。君に二心ないのであれば、心おだやかにここで過ごすといい」
はい、と頷く。思ったよりもずっと言葉を尽くしてくれる優しい人だった。ほっと息を吐く。侯爵は一人立ち上がり、仕事があるので、と退室していった。侯爵夫人はにこにことそれを見送り、私へと向き直る。
「一応、当家であなたを取り込むにあたって、対外的にはあなたへいくつかの条件を出したことになっているけれど、詳しいことはフェルバートに聞いてちょうだい」
取り込む、とはきはきと口にする侯爵夫人は無邪気で、このお方はおいくつなのかしらと聞けもしない疑問がよぎる。上の空になりそうなので、慌てて思考を振り払って、侯爵夫人へと微笑んだ。
「本当に感謝申し上げます」
「いいえぇ。珍しい愛息子のお願いですもの。たまのわがままを聞くのも親の務めです。……あらいやだ、これ内緒だった?」
気づけば侯爵夫人のすぐ背後にフェルバートが立っていた。苦虫を噛んだような、昏い眼差しで夫人を見下ろしている。ちょっと、またお父様に似てきたんじゃないの? とぼやく侯爵夫人は、ちっとも怖くない様子だ。すっと切り替えて、私へと向き直った。
「間も無く夕食の時間ですので、それまではしばしの間旅の疲れを癒しなさいね。ローズ姫にはお湯の用意があるので、うちの侍女を好きに使って。そこの変わり種も、支度の手伝いはするのでしょう。あぁ、化粧師でしたか。差し障りある作業が終われば呼ぶよう言っておくので、部屋で休んでいなさいね」
若いからって、無理はいけませんよ、あなたたち。と侯爵夫人は小言のように言って聞かせて、最後にパッと笑った。
「……そう言えば、ローズ姫はそこの宮廷魔術師をお付きにするの? 辺境から取り立てたという」
「……セファは、その。……私、魔術を学びたいのです。侯爵夫人。ここに滞在する間、魔術塔への出入りをお許しいただけますでしょうか」
祈るように手を組んで、侯爵夫人へお願いする。後ろ盾として、私の使い方を考えている彼らからすると、自由な外出を認めることはないかもしれない。城の敷地内にある魔術塔は、望ましくない人物との接触もありうるだろうし、不確定要素は排除したいはずだ。
もしダメだと言われるなら、この屋敷でのセファの出入りを許してもらえないだろうか。王都にあって、このハミルトン家の屋敷にセファ共々滞在することはあり得ないのだから、せめて。
「……フォルアリス家のローズ姫に、魔術の素養があるという噂は真実だったのね」
侯爵夫人が小さく呟いた。ハッとして顔を上げる。一瞬、能面のような夫人の顔に息を飲んだ。幻だったかのように次の瞬間には柔らかな表情で笑っていて、ホッと力を抜く。けれど、先ほど見たものの衝撃に、まだ心臓が脈打っていた。
「師事すると言うのなら、魔術塔の出入りは許可します。魔力を持つ者として、魔術の研鑽は当然のことですものね。それに、あなたがお茶会前に巻き込まれた騒動について、まだ調査が続いているの。魔術塔の人間へも調査依頼が入っているので、赴いた先での協力は惜しまないように」
他に、何かあったら使用人を介していつでも相談なさいね、と言い残して、夫人は私たちに退室を促した。セファにも部屋は用意されていて、今夜はここで厄介になるらしい。
トトリも一度使用人と共に姿を消したかと思えばすぐに戻ってきた。ハミルトン家の使用人と同じ制服を身にまとっているのを見ると、簡単に身綺麗にしてきたのだろう。なぜ女物を着ているのかは置いておくとして、お湯の用意が整うまでの間、私はトトリに甲斐甲斐しく世話を焼いてもらうこととなった。
フェルバートも一度席を外し、騎士服から着替えて戻ってきた。それでもなお帯剣しているところを見ると、護衛としてそばにいるようだ。
「フェルバート、ありがとう」
私は与えられた客室で、夕食までの時間を遠慮なくくつろいでいた。
お湯も使い終わって、招かれた夕食の席のために用意されていた衣装を身につける。さらに支度を整えている時に、私は口を開いた。
「ご実家の侯爵家に、私の後ろ盾になるよう働きかけてくださったのでしょう。王都に戻ってからの居場所をどうするか困っていたの。とても助かったわ」
いえ、と口にするフェルバートは、やはり私の方を見ない。屋敷についてからずっとこうだ。何かやましいことでもあるのだと言わんばかりで、生真面目な性格は損だなぁなどと自分を棚に上げて苦笑する。
「でも、一体どういう風の吹き回しなの。侯爵家は、私を確保して何をしようとしているの」
駒には駒なりの振る舞い方がある。指し手の意図を知る権利はないかもしれなくとも、問いかけるくらいはいいだろう。これで教えてもらえるならいい。教えてもらえなくとも、構わない。知る意思を示すことで、指し手の選択肢を限定したかった。
こちらを見なかったフェルバートの顔が、ゆっくりと向けられる。青い瞳が私を射抜く。
「父の思惑は、俺にも。母は、完全に楽しんでいますね。男ばかり四人産んでいるので、若い女性の滞在に浮かれています」
今あの侯爵夫人が四人産んでると言った? あの方もしかして後妻でもなんでもない??? と全く別の方に気が散ってしまい、慌てて思考の軌道を戻す。ハミルトン侯爵の考えは私にも読み取れなかった。一度だけ、困惑気味にフェルバートの方を見ていた気がするけれど。
「では、私の後ろ盾になってほしいというわがままを通したフェルバートの思惑は?」
彼らの話を総合すると、多分そう言うことだろう。フェルバートはご両親に、私の保護を依頼してくれたはずだ。それも、侯爵夫人の言葉を信じるなら、滅多に実家に頼らない彼が。
「……それよりも、こちらの約束が先です」
そう言って、フェルバートは背後に控えていた使用人の手から何かを受け取る。室内にいた使用人が、トトリを残して全員退室していった。
差し出されたものを受け取って、あぁ、と息を吐く。異界渡の巫女の残した、書類の束だった。
「あなたが、異界渡の巫女のやり残したことを、受け継ぐのかどうか。その答えを聞こう」
書こうと思ったところまでたどり着けませんでした。