20.王都
トトリが合流してから王都までは、華が増えたように和気藹々とした楽しい旅路だった。セファと二人きりだった時とは違って、すれ違う人との会話も増え、時には旅の道連れができ、めまぐるしく変わる景色に私はめまいを起こしそうなほど楽しんだ。
よく見ていると、セファもトトリが合流してからの方が肩の力を抜いている気がする。私もだいぶ慣れてきて、余計なことや不用意な発言が減ったこともあるだろう。旅をしているなら知っていて当然の知識が欠けたまま、あれこれ問う私を、不審に思う人が今までいくらかいたのだ。
今は、説明役を全てトトリが担っていて、私が不思議に思ったことは視線で察して説明してくれる。私がふんふんと興味深く聞いていると、おやおや知らないのかい、と同行人も説明に加わってくれた。
どうも、若すぎる不思議な取り合わせの三人の関係を聞かれると、ご令嬢の見聞の旅、その帰途である。と答えているようだった。お嬢様お気に入りの側仕えと、護衛のお抱え魔術師という体である。世間知らずのお嬢様に、付き合わされている気の毒な二人、という受け止められ方をする。
トトリと合流してからは、セファの赤い羽飾りは鞄にしまってあった。ただのご令嬢が宮廷魔術師を連れ歩くには分不相応になるからだ。
……いえ、私自身も宮廷魔術師を連れ歩くに値しない立場の人間なのだけれど。
「そう言えば二人きりで旅してた数日、お二人の関係を聞かれた時、なんて答えてたんです?」
いつかのように、乗合馬車に揺られながら、トトリが問う。本当に残念ながら、この中の誰一人として馬に乗れる人物がいなかった。私はそもそも王都から出たこともなければ馬に乗る必要性もなく、トトリとセファの住んでいた辺境でも、馬と言えば騎士の馬なので、生活上必要に迫られたものでない限り乗れるものは少ないらしい。
「……辺境で名を馳せたさるお方の愛娘に、魔術の素質があることがわかったので、魔術学院を目指し移動中、と」
「なにそれ。あやしいー」
セファの返事に、トトリがくつくつと笑った。馬車の中、三人で固まって、私が二人に挟まれる形に座り、時折喋りながら、王都を目指す。この馬車の行き先は王都で、つまりはこれが、王都までの最後の時間でもあった。
王都に着いたら、私はまずどこで何をしたらいいのかしら、とふと思う。実家からは勘当されているので実家は頼れないし、王太子の婚約者はもう婚約破棄をされているし、婚約者だったあの人ももう王太子ではない。城にも私の居場所はないだろう。
いっそ城に住み込みで働ける下女にでもなろうかしら……。
城を拠点にすればセファのいる魔術塔にも行けるし……いえ、だめだわ、下女が近づける立場ではないし、そもそもフェルバートをどうするのか。
……フェルバートの考えを聞いてみましょう。
どこかの貴族と婚姻するなら、それで構わないけれど、せっかくセファを師匠にして魔術についての基礎を学べる機会を奪われたくはないと思う。
「トトリ、王都に着いたらすぐ、フェルバートに会えるのかしら」
「鳥を使って連絡はしてあるので、多分、馬車の降り場まで迎えに来ると思いますよ。本来姫様の傍を片時も離れたくない生き物なので」
それはどういう生き物だろうと苦笑して、やがて馬車の振動が変わる。トトトト、という一定の律動に、私は思わずセファとトトリを交互に見た。
二人とも小さく頷く。
「王都に着いた。ローズ様、僕らから離れないで、不審な人には近づかないように」
「フェルバートが待っていたらいいですけど、合流するまでは気を抜いてはいけませんよ。セファは宮廷魔術師とは言え、どちらかというと分析や研究が専門ですし、私はか弱いですからね」
口々に言われる言葉を、私は頭に入れながら何度も頷く。二人が何を警戒しているのか、いまいちわからないけれど、ともかくセファとトトリから離れなければいいのだ。大丈夫。
そう、思ったものの。
気づけば足は地面に触れておらず、ひざ下からガッチリと抱え上げられた私は、誰よりも高い視点で見知らぬ人からの抱擁を受けていた。
「ローズ姫! あぁお会いしとうございました。あなたのいない日々というのは水を失った花の如く、心はカラカラに乾いてひび割れ、粉々になってしまうところでした」
真下から繰り出される詩的な愛の言葉に、私は目を白黒させながら周囲に助けを求める。殺気立ったセファを引き止めるトトリの姿が見えて、あぁまさか、と相手が誰かのあたりをつける。
私を抱き上げているその人は、燃えるような赤毛に輝く翠の目をしていて、どちらもただでさえ珍しい色彩にも関わらずそれが揃っているとなると、眩しくて仕方ない。目が合いそうになるのをつい避けてしまい、おや? という声と共に、所在無く浮いていた私の手が取られる。
「あぁ、我が花よ。何を憂いているのです。まずは再会に喜んでくださいませんか。あなたのいない日々にたまらず故郷を飛び出し、勇んでやってきた王都ではあなたが不慮の事故に巻き込まれ行方知れずという、悲しい知らせを受けた私がどれほど心を痛めたことか。こうしてあなたに再び出会え、抱きしめられる幸福は、あなたの声を聞くことで完全なものとなるのです」
黙って聞いていると、何やら不思議な理屈を展開している。私がぽかんと聞いていると、左手に軽く彼のくちびるが触れた。
「あぁ、我が花。我が婚約者よ。一度は断られた身の上ですが、私は諦めてはいませんよ。私の愛に応えてくださるまで、この手を離しはしない……」
セファの怒りがトトリの引き止める腕を振り払ったその時、私は思わず口を開いてしまった。
「お前、誰の許可を得て私に触れているの」
見上げる翠の目が見開かれる。睥睨したまま私は一度閉じようとした唇を、やはり思い直してそのまま開いた。
「一度断られた身の上で、よくもこのような愚かなこと。私の名を口にすることさえ無恥と知るべきだわ」
怒っていた。そう、私はもともと堪え性のない、沸点の低い、怒りっぽい人間なのだ。セファの隣もトトリの側も、楽しくて嬉しくて忘れてしまっていたけれど、私、今までにない理不尽で軽率な常識はずれの扱いを受けると、とてもとてもイライラしてしまう。
相手の身分を思えば、今の私など吹けば飛ぶような立場でしかないはずなのに。一度口から出た言葉は止められなかった。立場をわきまえていないのは私の方だ。けれど、
そんなの、相手を呑めばこちらのものだと、私に言い聞かせたのは次兄かしら、クライドかしら。もしかすると、長兄だったかも知れない。
「美しい」
だというのに、この男は私の思いもよらない反応をしてきた。翠の目をキラキラと輝かせて、より抱きしめる腕に力を込める。このっといつになく私の口から悪態が漏れ、思わず拳を握ると、
「おや、拳を振り下ろしてくださるのは、本当に久しぶりですね」
輝かしい笑顔で何かよくわからないことを言い、ひえ、と私の身が竦んだところへ、突然移動が開始された。高い位置で抱き上げられたままの移動に、均衡を乱した私の体は、思わず手近な物を掴む。つまり、私の手は男の肩へと固定された。
「場所を変えましょう。愛しい人。ここは辺境のように馴染みの店が少ないので隠れる場所がありませんが、話は移動しながらでもできますからね。人手を多く連れてきていて正解でした」
「私に話すことなどないので、今すぐ下ろしなさい」
「我が花からの嬉しいご命令ですが、お断りします」
あなたの言葉に、なんの強制力もないのは心得ておりますので。そう言って男は歩き出す。慌ててセファとトトリの方を見たけれど、どこからか現れた異民族の服を着た男たちに分断されてしまう。
まさかこんな白昼堂々と誘拐される私はなんなのだろう。ここが騎士の配置もない平民のための区画だったことが災いしたのだ。乗合馬車など貴族は使わない。見るからに身分がありそうかつお忍びといった風の私たちと、明らかにきらびやかな衣服をまとい貴人のそれで振舞う男、そしてその配下らしき何人もの異民族の服を着た男たち。平民からしたら関わるべきでない出来事だとすぐにわかるだろう。そそくさと人々はその場を離れて行き、だれか騎士を呼んできてくれる気配もない。
「セファっ」
思わずセファの名を呼んでいた。声が届いたのか、セファがはっと私の方を注視する。名前を呼んでくれるのかしらと思ったけれど、残念ながら呼んではもらえなかった。何を言えばいいのかと迷うように、口を開いたのに閉じてしまう。不用意に声をかけられない相手なのだろう。なにせ、きっと、この人は。
「イシルイリル!!!!!」
怒号と共に、金属音と衝撃があった。私は思わず両手で頭をかばい、一瞬の浮遊感の後、また誰かの腕によって抱きとめられる。両手で頭を抱え込んだまま、足が地面に着く。誰だろうと顔を上げる前に響いた声で、誰かすぐにわかる。
「ローズ嬢には、金輪際、二度と、声も、姿も見せることなく、同じ町に足を踏み入れることすら禁じたはずですが、ーーなぜ辺境氏族の長である貴様がここにいる」
込められる力に抱き寄せられ、黒い騎士服にしがみつく。数日ぶりに会うフェルバートは、なんだかとてつもなく怒っていて怖い。けれど、あの男から庇ってもらっているのはよくわかったので、遠慮はなかった。顔を見ると安心して、ついほっと肩の力を抜く。
「あなたも気を抜かずしっかり立っていてください。怪我をしますよ」
途端に短い叱責が飛び、はい、と背すじを伸ばす。怪我? とふと瞬くと、フェルバートも相手の男イシルイリルも、帯剣していたことに気がついた。しかも二人して抜き身の剣を構えている。もしや先ほどの金属音は剣戟の音だったのでは、と思い当たった途端ぞっとした。待ってこの人私がいたのに剣を抜いて切りかかったの。
「まだいたんですかフェルバート! 我が花の周囲をチョロチョロとやかましい。正真正銘の王宮騎士に出て来られれば、我が花を攫ってここを離れることは不可能ではありませんか!」
イシルイリルの笑い声が響く。剣をしまう音がして、降参するように両手を上げる。けれどその顔は追い詰められている者ではなかった。余裕たっぷりの笑みを浮かべて、フェルバートの腕の中で身を縮こまらせる私をまっすぐに見つめてくる。
「では、我が花よ。また迎えに参りますゆえ、しばしその騎士の元でお待ちください」
優雅に一礼をして、赤毛の男イシルイリルは取り巻きと共に去っていく。あまりにも潔く素早い退場に、私はあっけに取られて見送るしかなかった。
思わず物言いたげな視線をフェルバートに向けてしまう。視線を受けたフェルバートは私の方を見ないまま眉を寄せ、一度眼を閉じ、ため息をついて、目と口を開いた。
「……辺境に行ったあなたの嫁ぎ先であっただろう、いずれ異民族の長となる予定の男。イシルイリルです。……異界渡の巫女が言い寄られ、素っ気なくあしらった結果、その」
「フェルバート」
駆けつけたセファが、フェルバートの言葉を遮った。それ以上は私の耳に入れたくないということらしい。ええと、どうも、察するに、素っ気なくされ、罵られて、ときめいていたように見えたけれど。
私もセファに倣って、それ以上考えることをやめた。なんだか疲れる人だったので、できれば二度と会いたくない。というかそもそも突然子どものように抱き上げて愛を詠い上げるのは何事だろう。理解しうる範疇にない人物だった。
ひとまず、フェルバートの腕から一歩出る。きちんと前に立って、顔を上げて、笑って見せた。
やって見たいことがあるのだ。
「ただいまもどったわ。フェルバート」
私のやりたいことを察してか、フェルバートが眼を細めた。息を吐いて、その場に膝をつく。まさかここでそこまでするなんてと動揺したけれど、止めることはできなかった。フェルバートが、本当に本当に優しい顔で嬉しげに笑みを浮かべるので。
「おかえりをお待ちしておりました。ローズ嬢」
はい。と頷いて、片足を引いて、膝を曲げ、貴族令嬢としての返礼をする。跪く騎士には、こう返すしかないだろう。
旅装なので格好はつかないけれど、フェルバートは満足そうに見上げてくれた。