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【五章開始】あの人がいなくなった世界で  作者: 真城 朱音
四章.異界へ渡る、救世の巫女
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幕間:愚かなわたし

感想、いいね、お気に入り登録、評価、拍手コメントなどなど、いつもありがとうございます。



———最初のわたし。何も知らない、無知で愚かで、馬鹿なわたしの、あまりにも拙い打算的恋の話だ。


『待ってください!!』


 別れ際に耳にした言葉を聞き流せずに、追いすがって引き留めた。


『二度と会うこともないって、どういうことです?』

『……口を滑らせたか』

『あなたも、ロゼと同じってことですか』


 宵闇の魔女の話を聞いた時、サクラサマラはふと思った。物語になぞらえるなら、立ちはだかる配下はどうするのだろうと。魔女のさいごには、ともに倒れ臥す配下がいるのだから。それは誰になるのかと。

 あまりの恐ろしさに、それ以上は想像することさえも罪深く感じて目を背けた。

 今そのツケを払うように、彼女は彼の昏い笑みを目の当たりにする。続ける言葉を見失う。


『ご安心を、精霊の巫女殿。全て受け入れた上での護人であり、供人です』


 今までサクラサマラが見ていたフェルバートの姿が、ほんの一面に過ぎなかったのだと、その時やっと思い知ったのだった。




———最初のわたしは、未熟で、幼くて、傲慢だった。一度目のわたし。何も知らないわたし。それがわたしのどうしようもなさへの言い訳にはならないけれど。


 宮殿を抜け出して市井に降りるのは彼女にとっての日常だった。「イシルイリル兄様もやっているのだから、わたしがやってはいけない理由なんてないはずです」という勝手な言い分すら持っていた。ともかく、サクラサマラは不定期的に市井に降りることが多く、それはローズがやってきた後もかわらなかった。

 そこで、ローズの様子を問い合わせるため毎日宮殿へ足を運ぶフェルバートの姿を見たのだった。

 ローズの安否だけを気にかけ、宮中に入ることもできず待ち続けるその姿。

 それを、健気に思ったのだ。

 愚かにも傲慢に、『かわいそう』だと。

 だから近づいた。かわいそうな異国の騎士に、親切にしようと思って声をかけた。


 彼が一人の時を見計らって、『ローズが今どうしているか、知りたいですか』と。


 最初はあしらわれ、次は警戒されて、そのあとに待っていたのはお説教だった。


 貴人が護衛を巻いて一人で市井に降りるなど不用心がすぎる。御身は多くの人間が仕えているのだからもっと自身を大事にするべきだ。そういったフェルバートの言葉のほとんどをサクラサマラは聞き流していた。薄暗い茶屋の片隅で、息を潜めてこんこんとお説教をしてくる姿がなんだか滑稽だったのだ。

 だって茶屋の主人はサクラサマラが巫女姫だとわかっていて、フェルバートの方こそが警戒対象であったのだから。


 堪えた様子のないサクラサマラに呆れたのか、フェルバートは聞いているのか、とサクラサマラへ詰め寄った。サクラサマラの様子が変わったとしたら、そこからだろう。

 壁際だった。一方は壁で、一方にはフェルバートが腕があって、視線を上げればあの黒髪ごしに青い瞳が見つめていた。繰り返すけれど、サクラサマラは世間知らずな小娘なのだ。イシルイリル以外の男に至近距離で詰め寄られたことなど、まったく初めての経験だった。

 だから、それもう。その鼓動の異変を勘違いしてしまったのだ。


『そんなにわたしの身を案じてくださるなんて、優しいんですね』


 高鳴る胸の鼓動が心地よかった。なんの躊躇もなく、心を傾けた。

 最初のサクラサマラは、無知で愚かで馬鹿な娘だったけれど、年頃相応にそれなりの打算があった。恋への憧れと、相反する現実を理解していた。その上で、『騎士への恋』に躊躇なく一歩足を踏み入れた。

 だって、彼は憧れるのにちょうどよかったのだ。

 フェルバートはローズの護人。ローズが一番で、サクラサマラには見向きもしない。身近で安全な、約束をした日を指折り数えてときめくのにちょうどいい、ままごとのような恋ができる相手。


 そして、サクラサマラは繰り返した。

 異国の騎士にときめいた。会えない日は何をしているでしょうかなんて考えて、会えた時にはこっそり横顔を見つめてみたりして。

 繰り返し繰り返し胸を高鳴らせて、気付いた時には抜け出せないほどはまり込んでしまったのだ。

 愚かにも、こんなに好きになるつもりじゃなかった、などと悩み、それさえ浮かれた気持ちで楽しんでいた。


『この地に一緒にやってきた騎士様は、どんな人なんですか?』

『……? 突然どうしたの。変なことを聞くのね』


 よく知らない人なのだと、ローズは語った。そこで、辺境行きが決まったローズの護衛に抜擢されたのがフェルバートなのだと理解した。

 二人の関係性はまだ浅く、職務上の関係のみで、互いを深く知るには至っていないのだと。

 そう思うことで、友人の大事な護人に恋慕する罪悪感を軽くした。



 幾度も夢見て、失敗を繰り返して、最後の機会のように大切な友人の体に憑依した頃には、サクラサマラのささやかな恋心など粉々に砕け散って塵も残らず消え失せていた。


 ローズに憑依してから一年と少し。紆余曲折を経て居座ることに成功した王宮では、客室と小さな庭園を使わせてもらえている。そのガゼボでのお茶会、もとい作戦会議中、小休憩にお茶のお代わりを待っている時だった、

 閃くようにしてその黒歴史が思い出され、ほとんど無意識のうちに呻いていた。


「だから、あんなに早くバレるなんて思ってなかったんですよ……」

「突然どうしたんだ。あと、ローズ姫の姿でその物言いはよせと何度言わせる。肘をつくな背筋を伸ばせ、変な顔をするんじゃない」

「ほんっとーに小うるさいですよ! だいたいいっつもそれです。あなた他に言うことないんですか」


 サクラサマラとフェルバートが言い合いを始めると、同席していたトトリとセファがまた始まったと目配せし合う。彼らが言い合いの仲裁をしてくれることはなく、セファはいつでもかぶったままのフードをかぶり直して、読みかけの本を開くなり気配を消してしまうし、お茶の用意をしていたはずのトトリは音も立てずどこかに行ってしまう。

 それもなんだか許せなくて、んぐぐぐ、と唸る。


「納得いきません!」

「だから突然なんなんだ……」

「フェルバートとロゼ、二人の認識の差についてです」

「またその話か」


 途端にフェルバートが興味を失ったようにため息をつく。それでも、サクラサマラの癇癪の正体がわかるまでは一応様子を伺う。それは、ローズの行く末に関わるかもしれないからで、そうとわかっているのに最初のサクラサマラの記憶が胸のあたりで疼くのだった。


「辺境に着く前にバレて、馬車の中で剣を突きつけられるなんて思いませんでした」

「そもそも成りすます気もなかっただろう。バレないわけがない」

「だから、十年来の知り合いだなんて思わなかったんですよ」


 聞き飽きた、とフェルバートが肩をすくめる。


「……俺にとってはローズ様はたった一人だが、ローズ様にとっては何人かいる門番の一人だ。互いの認識に差があるのも当然だろう」

「その門番だって覚えきれる程度の人数でしょう。それに、あなたは婚約者からの連絡も請け負っていたんですよね。他の門番とは別の役割があった。なのに」

「その連絡は門番から執事、侍女と人の手が介される」

「でも門番のうちの誰が婚約者の連絡を受け取ってくるか、わかるだけの年月が——」

「あの人にとって、仕える人間の顔なんて覚える価値がないんだ」


 それに、と重ねるフェルバートの視線は冷たい。


「あの人はお前のようにお付きを巻かないし門番の目を盗んで市井に降りない」

「うっ……」

「衛兵の巡回頻度を把握していないし」

「あぅっ」

「侍女を口止めしたりもしない」

「そそそれとこれはまた別の話じゃないですか!?」

「自覚があるのに誤魔化そうとする。ほら、成りすまそうとしたとして、そもそも無理だ。お前は計画性もなければ嘘も下手だし」


 ガゼボの柱に背を預け、軽く笑うフェルバートから目をそらす。『お前は』なんて、サクラサマラ自身をよく理解しているかのような物言いに、ちょっと柔らかくなった気がする視線をまともに受けては致命傷となってしまう。


 勘違いしてはならない。


 フェルバートはサクラサマラのことをよく思っていないのだ、という大前提を忘れてはいけない。

 物言いは辛辣で思いやりなんてないし、視線は鋭くて早くローズの体から出て行けとことあるごとに全身で語ってくる。

 どこへなりとも消えてくれと繰り返し言われるのはさすがのサクラサマラもこたえたし、できることならこんなややこしい状況にするよりも早く元の体に戻って合流した方が協力も取り付けやすいと思えた。

 ただサクラサマラは今、本当に、どうすれば自分がローズの中から出られるのかわからないのだ。

 だから視線をそらして、問題解決を先送りにして、今を見ている。できるかどうかもわからないことを、ただ手探りで進んでいく。


 憑依した状態ですべきこと。知るべきこと。それは、ローズが死なずにすむ方法を見つけることだ。聖剣に貫かれず、リリカと会わず、精霊の地で儀式なんかしなくて、イシルイリルと結婚せずにすむ。そんな方法は、何か。


 視線を感じて顔を上げればセファの茶色い視線とかち合って、パッと顔を背ける。視界にちらつく銀髪は畏怖の対象で、やっぱり少しだけ怖いけれど。でも、状況を打開できるとすればやっぱり彼なのだろうか。

 ぎゅっと目を閉じる。


 夢見たうちの一人のローズはある時、王宮を飛び出してどうしてかセファが暮らす診療所へ逃げ込んだ。サクラサマラやイシルイリル、フェルバートが探し回る中でセファと数日を過ごし、心を通わせ、何も知らないセファはローズとともに王都行きを決めて『魔女の配下』となった。

 あの時のセファはただ強大な魔力を持つだけの子どもで、人の言葉の裏を読むことも知らず簡単に騙され翻弄され無力化された。魔術の基本は修めていたけれど、それだけだった。

 それが今は、魔術学院に出入りして宮廷魔術師の資格も手に入れて、暇さえあれば魔術書を読み込んでいる。このセファを倒すのは簡単ではないだろう。ということは、ローズも簡単には倒されない。聖剣の前に立つなんてすでに最悪の状況だけれど、そこからまだ手が打てる状況に持っていける。


「おい」


 呼びかけに目を開けば、フェルバートが片膝をついて覗き込んできていた。ぶわっと全身の産毛が逆立って、思わず席を立ちそうになる。


「顔色が悪いが」

「……ちょっとだけ考え事をしていました。なんでもありません」

「そうか。なら、今日はもう休んだほうがいい。俺たちに任せられないこともあるとはいえ、なんでも一人でやりすぎだ。どうしても今日必要なことがあるならセファに頼め。宮廷魔術師の地位をうまく使えばいい」


 フェルバートの言葉に、セファを見る。サクラサマラとセファは全く同じ表情で、二人してぱちぱちと瞬きを繰り返した。

 ぶは、と吹き出したのはフェルバートだ。なぜか、がしがしとフードの上からセファの頭を撫でて、セファがちょっと煩わしそうに払いのける。まだ肩を震わせているフェルバートを冷たい眼差しで見つめて、フードを深くかぶり直した。


「城の上級文官は全員杖持ちで、学院の伝手が使える。もし今後の立ち回りに根回しが必要なら、そちらは僕が受け持つよ」

「ありがとうございます、セファ」


 対人恐怖症、とまでは行かずとも、人との対話が得意ではないセファの印象が強すぎて、根回しにセファを使うという発想がなかった。結界装置の開発だとか、魔術の研究だとか、研鑽だとか、魔術師独自の考え方だとか、そういう内向きのことにはいくらでも助けてもらってきていたけれど。


「それじゃ、たまにはフェルバートの言うことを聞いて、今日は休みましょうか。お願い事をまとめるので、セファも一緒に来てくれますか」


 護衛を兼ねているフェルバートと侍女の役割をこなすトトリは一緒にいる時間が長いけれど、セファは意外と別行動が多い。サクラサマラは診療所に隠れ住んできたセファを知っているから、ついつい色々なものを見て知って楽しんでほしいと思ってむしろ別行動を多く頼んでしまうのだった。


 立ち上がろうとすればフェルバートが椅子を引いて、腕を差し出してくる。当たり前のような流れる動作に、戸惑っていいのもこのガゼボの中だけだ。ガゼボを一歩出れば結界装置の外となり、サクラサマラの一挙手一投足が監視され報告されるのだから。

 差し出された腕に手を添えて、滞在を許された客室を目指す。


 フェルバートに触れた手が震えた気がして、サクラサマラは自分自身が本当に嫌になる。


 愚かなサクラサマラの心は粉々になったはずだった。その後何度も何度も夢を見て、繰り返して、磨耗して、疲弊した。

 それでも投げ出さなかったのは、最初のローズとの出会いが大切だったから。そして、何度でも立ち上がれたのは、フェルバートがいたからだった。

 むきだしの心のどこかに、忘れられない感情の記憶がいつまでも残っている。


 何度夢見ても、フェルバートはローズと共にいた。

 そしてローズのそばにいつでも控えるフェルバートの望みを、いつだってサクラサマラだけが知っていた。

 ローズとの破滅を望むこの男を、サクラサマラだけが、止められる。——いや、サクラサマラにしか、止めることができないのだと。このままこの男はローズを破滅へと導くのだと、それを見過ごせなくて、どの夢でもただがむしゃらに走り続けた。

 ローズを守って目的を果たし、満足げに死んでいくフェルバートを、サクラサマラは何度となく見届けた。それを、負け続けたと思っている。でももう負けられない。ここはきっともう、もう一度がこない、現実なのだから。


「今度こそ、絶対に、……負けませんからね」

「……よくわからないが、これが最後の機会だと言っていたな。勝算はあるのか。状況はすでに詰んでいるんだろう」


 フェルバートに対する宣戦布告のつもりだったのに、共闘の姿勢で告げられて、サクラサマラの思考に空白ができる。


「なんだその顔は」


 あなたのせいですよ、そんな言葉を嗚咽と共に飲み込んだ。

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