35.異界へ渡る、救世の巫女
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目覚めた時は、セファの腕の中だった。
まだ意識の戻らないセファに呼びかけるも反応はなく、ひとまずその腕の中から抜け出す。苦労して体を起こせた時には、膝の上にあった大きな手を握りしめた。
(……まだこんなにも高い熱がある。こんなところで倒れているのだって絶対良くないはずなのに)
看病の仕方なんて知らないわ。と情けない独白が唇から溢れそうだった。看病なんて、する経験はもちろんのこと、された経験だってあまりない。
ともかく、眠っているというのに険しい表情のセファには早く然るべき対処のできる場所に行って欲しいのに。
この場所がどんなふうに影響するかわからなかったため、気休めでもいいからと私とセファ二人を覆うように結界を展開する。今までで一番負担のない術式行使の感触に、少し戸惑った。ここは、あちらよりもずっと魔術が扱いやすい環境のようだ。
眠るセファの顔も、先ほどより険しさが薄れたように感じた。
その顔を見ていると、どうしてあの時一緒に飛び込んでしまったの、と言う腹立たしい気持ちと、そばにいることができて嬉しいと言う気持ち。よく無事で一緒にたどり着いたものだという安堵だとか、呆れだとか、あとはここから無事にもの場所に戻れるのかしらと言う不安など、いろいろな感情で胸がいっぱいになる。
ぎゅうっと目を閉じた。
一度それら全部に蓋をして、対処すべきことを考える。
目を開いて、まずは周囲の状況を確認した。
座り込んでいる地面に描かれているのは、移動陣だろうか。微量の魔力をまとった指先で触れても、起動する様子はない。あちらからこちらへの、一方通行のものだということがわかる。
術式は古語と見たこのない記号が入り混じっており、私の知識で読み解くことはできなかった。
上を見上げれば、薄い水色の空は高く、広く、ずっと遠くに見えるのは青い山々。地上には色とりどりの花が咲き乱れ、時折風が吹いては草花がシャラシャラと微かの音を立てる。生き物の音はない。遠くの方から聞こえるのはきっと、川のせせらぎだろうか。人界よりも高位層とされるここに、人のような営みはないという仮説の通り、人影や建造物は見当たらない。
(……まるで、天上の花園だわ)
生死をさまよった人々が目にすると言う、階の先。天上の花園。彼らもまた、層界を超えたのだろうか。
それとも、人々の思い描いた姿、その祈り、願いが、この地をこんなにも美しく具現せしめているのだろうか。
膝の上で、触れたままのセファの手を再度強く握りしめる。
「精霊王を、探さなくては」
ここは、精霊界。
世界を救う救世の法を授けてもらうために、ここまでやって来たのだ。
《異界へ渡る、救世の巫女 おわり》
資格のない身の上で層界を超え、疲弊した精神が眠りに落ちた中で、時間は少し遡る。
翡翠と紅玉、翠玉に輝く瞳が向けられる。独特の輝きを持つ、魔法使いたちの瞳を目の当たりにした、あの日。
ローズが世界に捧げられる供物だと言われ、我を忘れ暴走した魔力は、やがてローズ自身も知ってのことだと気付いた瞬間、こみ上げた魔力は自分でも信じられない速さで収束した。いずれ暴発する時に備えるかのように体の内側に渦巻き、凝縮され、さらにあとから湧き出る魔力を取り込んで強大で凶悪な術式に変換されていった。
「自分で、押さえ込んだのか……?」
「っ、馬鹿なことを。そのままではまだ不完全です。長く持ちはしない」
呆然と見上げてくる黒の魔法使いの視線は煩わしく、今ここで拘束すべきだと睨みつけてくる赤の魔法使いには嘲笑さえ漏れ出た。
ただ一人、緑の魔法使いだけは冷めた表情でこちらに視線を向けもせず、ふ、と思い出したかのように呟いた。
「なるほど。再演はこちらでも叶うわけか」
聞き返す暇はなかった。赤の魔法使いが何らかの術式を展開する予備動作を察知して、すぐさま即興の逆算式を放つ。組み上げた術がほどけて霧散したにも関わらず、老女は慌てることなく別の術式を走らせた。
流石に早い。
彼女はかつて、黒の王国四大貴族の一角。魔術を扱う貴族の頂点に立つ家門の出だ。
生まれた時から当たり前に魔術に関する知識の海を揺蕩い、王宮魔術師として長く勤め、魔法使いにまで上り詰めた彼女に比べれば、自分など青二才も同然だろう。
だから、攻め手は彼女が対処の遅れる、従来通りを無視した奇策を用いるしかない。
対処法を考えながら間に合わせの結界陣を編み上げる。実戦に耐えうるものではなかったけれど、結界系の魔力特性が僕にないことを、彼女は知らないようだった。それでなんとかはったりとして機能する。
たった一度弾いた拘束魔術から、目くらましを放つ。ここでこのまま応戦するばかりでは、いずれ拘束されるのは明らかだった。緑と黒が参戦して来たら、勝負がつくのはあっという間だろう。
逃げ道を探しつつ赤の魔法使いの術をさばきながら、いますぐ、ローズの元にいきたい、と願う。
僕が魔法使いになるのを、心待ちにしていた彼女の元へ。
世界に捧げられる供物だなんて、おくびにも出さず、秘めながら、真剣に未来の話をしてくれた彼女のところに。
こんな地位、こんな力、君のために使えなければ意味がない。
今まさに、ローズがその身を捧げようとしているのなら。
今すぐに。
——————飛んでいけたらいいのに。
術式はなかった。
その願いと心象が、膨大な魔力を飲み込んで具現する。明らかな熱量を持って誕生したソレに、自分でしでかしたこととはいえ驚愕を禁じ得ない。
「おいおいおい……」
黒の魔法使いの素の台詞を聞きながら、驚愕の最中、無我夢中で手を伸ばした。
「 銀鱗竜……。そんな、ばかな」
それは、かつて大災の魔女アーキフェネブとともに世界を焼いたと言われる、魔物の王の名だった。
聞いていた話よりもずいぶん小柄だった。僕と同じくらいの大きさで、きゅるるとなんだか可愛らしい声でなく。けれどわずかに開いた口から炎が溢れ、確かに竜なのだと確信する。
思考の一切を放棄してその背に飛び乗った。赤の王国王城の一角を破壊し、その夜空に大きな翼を広げ浮かび上がる。一度翼を羽ばたかせば、赤の王国王都の都市結界と王国結界を一気に突破した。
目指すは、青の王国。
君に、会わなければ。
ただその一心で人体へいくつもの保護術式を展開し、常人にはおよそ耐えられぬ速さを超え、流星のごとく天を駆けた。
その手を握りしめられた感触に、予告なく目覚めは訪れた。
反射的に握り返し、ガバリと体を起こす。思いの外近くにローズの顔があり、思わずそのまま体を寄せて、肩に額を落とした。
「セファ?」
あんなにも焦がれた声で名前を呼ばれる。その柔らかな手が僕の頭を撫でて、銀の髪をすく。
「よかった。目覚めてくれて。具合はどう? 私はこれから精霊王を探しに行かないといけないのだけれど、体が辛いのなら、ここで待っている?」
その提案を聞きながら、身じろぎをして、彼女に預けていた上体を立て直す。寄り添ったままで言うのは少し情けないことを言わなければならなかった。
「それなんだけどさ、ローズ様」
「? なあに」
「……使命を果たすべくここまでやって来た君の、ただの足手まといになることを許して欲しいんだけど」
「突然どうしたの?」
セファがそんなことを言うなんて、と驚いてくれるのは光栄だけれど、勝手について来た身の上で、おそらく人体保護のための結界まで展開させていて、本当に情けない話をしなければならない。
「……僕は君に触れていなければ、この精霊界からはじき出されてしまうみたいだ」
「それって、つまり……?」
「……すぐに命を落とすことはないと思う。ただ、少なくとも精霊界から魔界、人界にかけて、行方がわからなくなると思う」
ごめん、と付け足した。本当に格好が悪い。
それでもここまで無理矢理ついて来たのは、世界に捧げられることを良しとしていそうなローズを、何が何でも繋ぎ止めたいからだった。
世界を救うのだと望む彼女のすぐそばで手をのばせる距離にいて、彼女の望みを叶えながら、運命を断ち切るために。
「っふふ」
軽やかな笑い声に、ローズの顔を見る。彼女は何がおかしいのか肩を震わせて笑いをこらえていて、僕の視線に気づくと懸命に押さえ込んで深呼吸をした。
「ごめんなさい。もっと深刻にならないといけないことなのに」
それでもまだちょっとだけ笑いながら、ふー、と息を吐く。
「それなら私、セファの手を離さないようにするわね」
「……ぜったい?」
「えぇ、絶対に」
子どものようなおうむ返しをしてしまった。
ローズは微笑んで、頷いてくれる。
ぜったいだよ、と僕は繰り返した。
今更だけれど、何もかも後回しにせず、ちゃんと気持ちを伝えておけばよかった。
手を繋いだまま立ち上がって、もう一方の手にも指をからめる。どうしたの、と瞬くローズに向かい合って、祈るように目を伏せ握った両手を額に押し当てた。
もう二度と、この手を離さないために。
僕は必ず、世界を救う、君を救う。
《あの人がいなくなった世界で つづく》
これにて四章完結です!
ありがとうございました。
今後はぽつぽつと幕間、おさらいを更新ののち、春か夏頃5章を開始いたします。
掘り下げて欲しい登場人物がいれば考えてみますので、リクエストがあればぜひコメント欄や感想欄に添えてください。
引き続きよろしくお願いします。




