32.人魔石
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しばらく黙っていたクライドだったけれど、ふと、宙を見る。立ち上がって、私を岩壁の奥へと手招きしてきた。先へ進もうとの意思表示に、一瞬面食らって思考が止まったけれど、ぼぅっとしていたら置いていかれそうになったので慌てて歩き出した。
手を差し伸べてくれるわけでもなく、足元の悪い中、黙々と歩く。沈黙を破りたくて顔を上げれば、灰色の瞳がこちらを見ていた。
クライドはやがて余裕のある表情を浮かべて、首を傾げてみせる。
「俺とサクラが繋がってるって、その確信はどのへんから?」
おもむろに放たれたのは、ほとんど肯定ととれる言葉選びだった。
「……違和感は、ずっとあったの。サクラに初めて出会った場所。彼女の居室から遠く離れた、外に近い廊下。本来ならイシルイリル様のお部屋よりもずっと奥で暮らしている彼女が、どうしてあの時あそこにいたのか、ずっと不思議に思っていたわ」
あの廊下には、いつかの繰り返しの世界でサクラサマラとフェルバートが密会に使っていた小部屋があった。私も、つい先日イシルイリルとそこで言葉を交わしたばかりだ。
「あの日サクラと会っていたのは、クライドお兄様だったのでしょう?」
宮殿を辞した後も、すぐ近くでクライドと出会って一緒に道を引き返した。どこに行っても自由に徘徊する人なのだとその時は気にも留めなかったけれど、ずっと離れて連絡を取り合っていたサクラサマラに、直接会いに行っていたのだとしたら。
「サクラも俺も、お前を生かそうとしてる。べつに、なにも矛盾はしないだろう? 俺の言葉をどうして疑う」
それが答えだった。
やはり、クライドはずっと知っていたのだ。サクラサマラが私の身体を使っていた間も。ずっと。
ならどうして、私がサクラサマラだった時は一切接触していなかったふうを装ったのだ。
「たしかに矛盾はしないわ。けど、どうして秘密にしていたの。全部知っていたということでしょう? 救世についてもっと早く知れていたら、みんなでもっと」
「お前はハミルトン侯爵家に説き伏せられて、救世のその瞬間まで拘束されていたかもしれない」
は、と言葉が途切れた。わかるか? と、クライドが言い聞かせるようにゆっくりという。
「お前がどれだけ信用していようとな。フェルバート・ハミルトン、あいつはきっぱり俺たちの敵だった。
王と、民と、世界のため。ハミルトン侯爵家は貴族家らしくそれを掲げて、王都に舞い戻ったお前の身元を引き受けていたんだぞ」
遠回しな言い方に、うまく意味を汲み取れず困惑顔を浮かべる。
「フェルバートはお前と死ぬつもりでいた。あぁいや、それは今もか。そしてそれを、侯爵も侯爵夫人も受け入れていた。『運命を定めた騎士の前に立ちふさがること勿れ』それは魔王でもなければ、許されない蛮行だと」
その言い回しに覚えがあった。なんだろうと記憶を辿って、思考が止まる。
『とっくに運命を定めた騎士の前に、立ち塞がる魔王の役は真っ平よ』
ハミルトン侯爵夫人の言葉だ。訪れたフォルア伯爵夫人———私の実母と口論となった末に、言い放った言葉。母はその言葉を聞いてはっきり不快な表情を浮かべ、侯爵夫人を蔑んでいた。
今まで伝え聞くばかりだった母の想いを、初めて実感する。
———母は私を、あきらめることができていない。それがわたくしたちだと。母はあの時、子のために魔王の役をかって出てでもその命を惜しむものだと言ったのだ。
「王城が何を思ってお前を教育していたかわかるか。自我を持ち、救世を拒み、世界を滅ぼすことを何よりも恐れた。つまり、カフィネの再来をだ」
だから、親密になりそうな侍女や家庭教師はことごとく遠ざけられた。
だから、魔力量を増やさないため魔術に関する知識は何もかもが伏せられた。
だから、その身を犠牲にする森の魔女に憧れるよう、唯一の娯楽としてあの絵本を贈った。贈り主がアンセルムの名前だったのは、そうすればお前が大切にするとわかってのことだ。
「そこに、俺やサクラの目的が漏れ伝わっていたらどうなったと思う」
「……でも」
「俺とサクラが恐れたのは、サクラの予知していない未来を突き進み、俺たちの手を離れたところにお前が行ってしまうことだった。
だから、言えなかった。なんせお前は、聞かれたら誰が相手でも何を聞かれても素直に答えるし」
「……私が悪いみたいに聞こえるわ」
少しだけ、拗ねた気持ちで言う。
「———嘘をついていた理由はわかったけど。ことここに至るまで黙っていたのはどうしてなの。最後の最後まで言うつもりはなかったということ?」
「……セファに魔術を教わるお前を見て、何も知らないなら、いっそ世界が救われるその時まで知らないままでいればいいと思ったんだよ」
それは、———どう考えても無理だったと思うけれど。
私の視線に言いたいことを察してか、言いそびれたってことだとクライドがこともなげに言う。
なんだか気が抜けてしまった。その場に佇んだまま、ほぅ、と息を吐く。学院外套をまとって花のブローチを指先で撫でると、落ち着く気がした。自分は一人ではないのだと、温かな気持ちが胸に火を灯す。
もう一歩、クライドに踏み込む勇気が湧いた。
「でも、お兄様がどうして私にそこまで? だって私、ずっと、あなたに憎まれているのだと思って———なに」
長い溜息に遮られる。背けられた横顔をうかがうけれど、クライドは相変わらずいつも通りの佇まいだった。
「馬鹿だな。本当に」
「またそういう。だって私のせいでお兄様はなにもかもを———」
「逆だよ」
また、遮られた。今度は強く。その視線は落とされ、表情が見えなくなる。
「俺が、お前たちに関わったから。だから、お前はあんな」
その先の言葉を飲み込むようにして、言葉が不自然に途切れる。
「……俺がドミニクと知り合わなければ、フォルア伯爵家に行かなければ。———お前の家庭教師はもっと別の人間がなって、魔力特性についてはもっと穏便に診断され、結界系の基礎を学びながらフォルア伯爵夫妻の元で育って、学院に行って卒業して……そして、いつか誰かと……」
「お兄様」
「とにかく、お前にはそういう人生が待っていたはずだったんだ」
「クライドお兄様」
何度呼びかけても止まらない。
今からでも遅くない。こんな儀式から逃げ出してしまえ。世界なんて放り出せ。とクライドはいう。
けれど、そんなことをすればどうなるのか。
クライドが今までやってきたことが、無駄になってしまう。
「———ワルワド伯爵の地位はどうするの?」
一族の罪を背負って、贖って、かつての地位を取り戻そうとしていたのではなかったのだろうか。こんなことをして、ただで済むとは思えない。
「私、世界を救った暁に、その慶事の恩赦としてワルワド伯爵家の罪をなくそうと思っていたのよ。先代伯爵夫妻のことについては過去のこととして、水に流して、また新たにこれから青の王国の貴族として民をよろしくね、と」
そうだ、だって領地には、クライドの一族が謹慎しているはずだった。クライドが王家に従うことで、いつかその身の上を解放できるという話ではなかったのだろうか。
いるかそんなもの、とクライドが手を振った。
「あれだけのことをしでかして、その罪が帳消しになるわけないだろ。それに、俺が伯爵の地位欲しさに王妃に付き従っていたと思っているなら、その前提が間違っている。
今更伯爵の地位なんて求めちゃいないし、領地に留め置かれた親族連中のことだって、心底どうでもいい」
「どうでもいい、って」
「……」
昏い眼差しだった。何を口にしようか決めかねて、ただ先へ先へと進むクライドをただ必死に追いかける。
少し歩調を緩めて欲しくて、何を考えているのか教えて欲しくて、名前を呼んだ。
「クライドお兄様?」
「……王族に連なるものに手を出せば、普通は極刑。死罪だ」
やっと口を開いたかと思えば飛び出してくるのは物騒な言葉で、それは、そうだけれどと相槌を打つのが精一杯だ。私は王族に連なるものではなかったから領地謹慎で済んだのだろう。
だというのに、相槌を打った私をクライドが笑う。
「なに?」
私の不安を読み取ったようにクライドは言った。乾いた笑い混じりに、吐き捨てるように。
「世界を救う要である魔女の育成は、王家の事業としては急務だった。当時は、夢の巫女と同時期に誕生したはずのその行方を必死に探していたところだ。ワルワド伯爵夫人たちのしたことで、救世の法がまた数十年失われるところだった。
だから、ワルワド伯爵家には、なお重い罰が必要だった」
死罪よりも重い罰が。
足を止めた私に気づいて、クライドも足を止めた。
懐から取り出した魔石はそれなりに大きなもので、頭上に掲げて覗き込めば、魔術灯の光を美しく反射した。
その魔石が、クライドの胸の上に押し当てられる。
「ワルワド伯爵夫人は、領地の結界の研究・改良を行っていた」
クライドの術式に関する知識は、母親からの受け売りだったのだろうか。そんなことを考えなら、どうしてクライドはこんな話をするのかしらと思う。
「嫁いだ直後から始めた結界術式の改良は、十数年を経て成功。膨大な魔力を込めた魔石を設置することで、人の手が極力必要ない結界装置となった。……今では各地の都市結界が、同じように魔石に込めた魔力で動いているよな。
で、今ワルワド伯爵領の都市結界を動かしているのは、お前を攫う悪事に加担した伯爵家の一族郎党」
「……まさか」
その手に持っている魔石は、なんの術式も刻まれていない小さなものだった。だから、たまたま手持ちにあった、なんの力もないただの魔石なのだろう。
だと言うのに、それがクライドの胸の上に押し当てられただけで吐き気を催すほどの怖気が走った。
「覚えているか? いつだったか話したな。人魔石のこと」
覚えていた。セファの工房で、マグアルフのタルトを食べながら聞いたその話は内容が不十分であったために不可解で、その話題を口にしたクライドが、セファに睨まれていたことも色濃く記憶に刻まれていた。
「高名な魔術師は、魔術具となって王国の糧となり、その名を残す。重罪を犯した魔術師は、名前を残すことさえも許されないまま、天上の楽園に行くこともなく、魔石になってその魔力が尽きるまで使い潰される」
わかったか? とクライドは肩をすくめる。押し当てた魔石は握り込まれて、拳は力なく下に。前を向き直って再び歩き始めたために、その背中を見つめることしかできない。
「最初から、『家族のために取り戻す爵位』なんてものは、ないんだ」




