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【五章開始】あの人がいなくなった世界で  作者: 真城 朱音
四章.異界へ渡る、救世の巫女
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26.秘密の逢瀬

感想、いいね、お気に入り登録、評価、拍手コメントなどなど、いつもありがとうございます。

 それから婚儀までのわずかな日々は、何をするにも三人で、だった。不思議と気詰まりすることなく、まるでそんな毎日が当たり前だったかのような感覚を抱く。

 奥の院と呼ばれる場所は、族長であるイシルイリルが暮らす棟よりもさらに奥。天然の城壁として役目を果たす岩山に、いくつもの小さな屋敷が張り付くようにして建っていた。イシルイリルの寝所にも執務室にも通じているけれど、それらの扉はそれぞれ固く閉じられていて見張りも立ち、気軽に外に行くことは難しそうだった。

 ふ、と茶器を持つ手が止まる。


「……」

「ロゼ? 難しい顔してどしたの?」

「……いえ、なんだか今、ふと、違和感を」


 以前にも抱いたもののような気がした。端をつかみ取って手繰り寄せる前に、リリカが居間にやってきたのであっさりと手放す。


「ごめん、もしかして大事なことだった? 声かけるタイミングミスったよね、わたし」

「いいえ。大したことではないわ」


 日々の活動はほとんど三人一緒だったけれど、朝のお祈りの時間は別だった。サクラサマラは精霊の地に住まう全ての民のため、精霊の巫女としての務めがある。

 特に今日は十日に一度の、外から見える斎場でお祈りを行う日だった。広場を挟んだ柵の向こうに、祈りを捧げる平民の姿がある。奥の院でのお祈りはリリカと私も参加することがあったけれど、この日はさすがに控えていた。巫女の振る舞いは威信に関わることだし、朝早くから昼過ぎまでと、この地に不慣れな私たちにとっては長丁場だということもある。

 そのため、今はリリカと二人で、奥の院のサクラサマラの居室でくつろいでいるのだった。


「大したことではないけど、サクラに直接聞くべきことかしら」

「サクラの話ってこと?」

「たぶんね」


 奥の院について考えていた時の引っ掛かりなのだから、きっとそうだろう。私は頷きながら、止まっていた手を動かして、茶器を口元に運ぶ。ぬるめの緑茶は、えもいわれぬ甘みがあって美味しい。

 未だかつてなくのんびりとした時間を過ごしながら、サクラサマラが戻ってきたら今日は何をしようかとリリカに問いかけようとした時だった。表の女官が奥の院の武官を伴って部屋を訪ね、私を呼んだのだった。


「ローズ様。婚儀のお衣装についてご足労願いたきことが」


 そうやって呼び出されることも珍しくは無くない。私の誕生日まではもうあと数日で、婚儀はその前日に執り行われるのだから当然だ。

 さらにその前日は日暮れごろから禊のための沐浴を行うのだという。身に付けていたもの一切を手放し、そのためだけにしつらえた床につき、翌朝は夜も明け切らぬ頃から始まる婚儀の身支度に取り掛かる。

 婚儀に向けての日々過ごす上での禁止事項や決まりごとは多岐にわたり、食事の内容も細かく決められているそうだけれど、特にこだわりもなく出されたものを食べる私には不自由に感じるところはなかった。あとは男性と二人きりにならないだとか、触れてはならないだとか。そういうことも、普通に過ごしていればまず問題にならない。

 不思議なのは、二人きりになってはいけない男性のうちに、結婚相手であるイシルイリルも含まれていることだった。二人きりどころかただ単に会うことさえも禁じられているようで、移動中かち合いそうになったら私が道を譲るため一時的に空き部屋に隠れるほどの念の入れようなのだった。


 だというのに。


「……イシルイリル様?」

「やぁ。我が花よ。息災だっただろうか」


 どこか覚えのある手頃な狭さの空き部屋に案内され、手違いかと振り返れば引き戸を閉める音ともに出口を塞ぐ形でイシルイリルが立っていた。


 ええと、と行き場なくあたりをみまわす。壁に手をふれてみるも、抜け道があるような様子はない。そんなものがないことは、サクラサマラの記憶を思い返せばわかることだった。

 ここは、サクラサマラがフェルバートと隠れて会っていたあの小部屋だ。


「私、イシルイリル様に会うのを禁じられているのでは?」

「あのしきたりは、無理に結婚させられそうな花嫁が族長を殺さぬように。という配慮のためだから、救世を目指す我が花には当てはまらない」


 そういうことか、と納得する。


「でも、不用心です。私が何を考えているかなんて、誰にもわからないでしょう。必要あって定められた取り決めを、簡単に破っては———」

「そう。誰が何を考えているかなど、わからない」


 故意に避けていた視線を、ゆっくりとイシルイリルへと向ける。


「だから、会いにきました」


 目が会うと、やっとこちらを見ましたね、と鮮やかな翠の瞳が笑った。


「婚儀の後、異界渡の儀までのわずかな時間では足りないでしょう。話がしたいのです」


 話なんて。私の戸惑いをイシルイリルは見抜いていて、その笑みは優しいままだった。


「聞きたいことがある、ということでしょうか」

「私との婚儀までに、想い人への未練は断ち切れそうですか」


 前置きのない問いかけだった。笑っているけれど、真剣なまなざしで、本気の問いかけだった。彼が発する熱量がちりちりと肌を刺激して、はぐらかすことは許されない。視線を反らせないまま、ゆるりと首を振る。


「救世のための私だもの」


 断ち切る未練がそもそもない。

 そうですか、とイシルイリルは呟く。そして視線を逸らした。

 ピンとくる。では、これから続く問いが本題なのだ。


「……もし知っているなら、教えて欲しいのですが」


 口にしておきながら言い澱み、翠の瞳が再び私を捉える。


「サクラの想い人について、思い当たる人物はいますか」


 ———。


「いいえ、なにも」


 考えるよりも先に口にしていた。彼はじっと見つめてくるけれど、表情は取り繕えていたと思う。

 その時私が思い描いていたのはフェルバートだったけれど、今回、私に成り代わっていた時以外はほとんど接点はないはずだった。巫女サクラサマラとしては徹底して避けていたと思う。イシルイリルが手繰り寄せられる手がかりはないはずだった。


「我が花も知らぬなら、いったいどこの誰にいれこんでいるのか」


 イシルイリルのため息は深かった。嫉妬というよりは苦悩が濃く、何か言葉をかけようと口を開いた時、続く彼の言葉にびっくりして言葉を飲み込んだ。


「先日もここで密会をしていたようなので、てっきり我が花の手引きかと」

「……密会?」

「えぇ。ちょうど我が花が最初に宮殿へきた日です」


 かちり、と何かずれていた歯車がはまったかのような音がした。

 ずっと、ずっと、ずっと気になっていたことがあるのだ。


 サクラサマラの居室のある奥の院は宮殿の奥の奥。見張りのいる扉に隔てられた向こう側で、行き来は滅多にかなわない。だというのに、初めて会ったあの日、本来はイシルイリルの執務室よりも奥にいるはずのサクラサマラは、どうしてあの廊下にいたのか。

 なんの騒ぎかと出てきたあの部屋で、一体何をしていたのか。


 誰と、会っていたのか。


 宮殿を掌握するイシルイリルが知らないということは、巫女の権力によって人払いと口止めがなされていたということだ。


「以前から秘密の相手がいることは把握していたのです。ことここにきて、いまだ正体がつかめない」


 本当に知りませんか、と追及の言葉が繰り返された。


「イシルイリル様が心配するのはもっともですね。巫女であり族長の婚約者でありながら、そのような軽率な行動。真実であれば、大きな問題となるのでは」


 素知らぬ顔で、眉をひそめてみせる。サクラサマラのその行動を醜聞と捉えるのなら、このあと彼がどう出るのかが知りたい。うまく立ち振舞って、サクラサマラを助けなければ。

 なんであれ、彼女が無茶をするのは私が理由なのだから。穏便にことをすませたかった。


「問題にはしません」

「へ」

「巫女だからといって私との婚姻に縛られる必要はありませんから」


 予想と大きく違った答えに、瞬きを繰り返す。イシルイリルの表情はしごく大真面目だった。


「その相手にサクラサマラを養えるだけの地位や経済力がないなら、氏族の養子に連なってもらい役職を与えるか……。二人で生きていく覚悟があるのなら、支援にとどめて見守るだけの選択もありますが」

「サクラは、あなたの婚約者では……?」

「我が花よ。サクラサマラと私が互いに恋い焦がれあっているとでも?」


 それはそうだけど。と本人を前に正直に言っていいものだろうか。

 サクラサマラはイシルイリルに恋しているわけではない。ただ、救世の三巫女のひとり。夢の巫女で、精霊の巫女であるから、精霊の民の族長の妻になることが決まっていると言っていた。

 そしてそれは、イシルイリルも同様なのか。サクラサマラを慈しんでいるように思えるけれど、恋し焦がれているわけではない?


「あなたはいずれ、サクラを妻として愛するのではないの?」

「私にとってのサクラサマラは、どこまでいっても小さな妹のままなのです。我が花。妹に子を産んで欲しいとは願いませぬ」


 ふと、その目の色が深い色を帯び、宙を見る。


「私との婚姻を果たしたなら、あの子は本当に逃れられなくなる。民の心の支えという役割に甘んじ、いずれ朽ち果てるまで、巫女という人形に徹するでしょう」


 そうなるくらいなら、と思ったのですが。


 そうため息をつくイシルイリルは、族長の顔ではなく昔馴染みを心配するような、その行く末を案じるかのような、そんなもどかしげな表情をしていたのだった。


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