24.リリカの恋の自覚・その行方
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イシルイリルとの婚姻を宣言してから、リリカとサクラサマラが私の両隣でうるさい。
「ほんとうに? いいの? ロゼ」
「はぐらかさないでちゃんと答えてください」
「二人とも、今はとりあえず食べましょうよ」
あれから、遅めの昼食を取り始めた私たちだった。食卓のそれぞれの辺の椅子に腰掛け、ヒナをはじめとした女官たちの給仕を受けながら空腹を満たしていく。
急に頼んだにしてはきちんとした食事がでてきて、あれもこれもと口に運ぶごとに舌鼓を打った。
精霊の民には食感を楽しむための調理法が多岐にわたり、食事を進めるごとに衝撃や発見とともに美味を饗してくれる。食べ方がわからないものについてはヒナがいるし、わからないはずのないサクラサマラも給仕任せなところを見ると、この地の貴人の食べ方としてこれでいいのだろう。
こちらの好みがわからなかった厨房は、何種類もの軽食を少量ずつ盛り付けた皿を用意することで私たちを最大限持てなしてくれている。
食後のお茶を飲み始めてようやく、それで、とリリカが声をあげた。
「ロゼ、ほんとにイシルイリル様と結婚しちゃうの?」
「だって、精霊の民に伝わる話を聞くには、族長の妻という身分が必要なのだもの。誓約魔術で戒められているのですって」
婚儀は救世の儀の大前提だ。欠かせない。私がゆらぐことなくリリカを見ていると、リリカはうぅ、と呻きながら視線を逸らした。
「……だって、結婚だよ? ほんとうにするの?」
「どうしてリリカがそこまで食い下がるのかがわからないわ。互いの目的が一致していて、実利を得るのだから、よっぽどましな部類だと思うけど」
「感覚の違い……!」
「リリカは身分差のほとんどない異世界出身ですから、もうすこしあなたの方から寄り添ってあげてくださいよ」
「……つまり、好き同士が結婚するのが普通だったと言うこと? そんなことを言ったらサクラとイシルイリル様だってどうなの」
「わたしとお兄様のことこそ今は関係ないでしょう。どちらかといえば、あなたとセファのことです」
「そうだよ! セファ先生のことは!? いいの!?」
「この話のどこにセファが関係あるの……」
「ないわけないじゃん!?」
「この婚姻は、救世のためにやるべきことの一つよ。イシルイリル様だってそう。救世に必要だから、王都まで迎えに来てくれたし、私と面会をしようとしてくれた」
あの時は意図が分からずフェルバートに任せるまま拒絶してしまったけれど、イシルイリル様から救世のため、私を必要としてくれている意思表示はされている。
「あとは私がそれに応えるだけよ」
手を伸ばされたのなら、掴まなければ。
リリカが思っているような次元の話ではないのだ。
「それ以上でも以下でもないの」
ちゃんと、必要とされている。ならば応えるまでだ。それが私自身の望みに繋がっているのなら、なおさら躊躇する理由がない。
幸い、サクラサマラに見せてもらった繰り返しのおかげで、イシルイリルがどう振る舞うかはわかっている。
「イシルイリル様もきっと同じよ。私の立場をわかって、思いやってくれるわ」
ふと、泡の向こう側に垣間見えた場面が脳裏に閃いて、そっと口をつぐむ。不審に思われないよう、目があったリリカには普段通りに微笑んだ。
サクラサマラの夢で見た数々の『私』の運命。その多くの『イシルイリル』は今言った通り親切で、優しくて、繰り返しのいくつかでは本当に恋人のように大切にしてくれることもあった。
ただ、一度。手酷く扱われた『私』がいたのを思い出してしまった。
実際にどんな扱いを受けたのか、詳しいことはわからなかったけれど。婚儀の翌朝、第二の儀式の後、『イシルイリル』の元に戻りたくなくて、逃げ出した『私』がいたのだ。
結局は戻ってきたものの、サクラサマラの追求にはしばらくセファと一緒に暮らしていたということしか答えなかった。そのセファも一緒にいて、彼とともに救世に向かいアンセルムの手によって命を落とす。数ある繰り返しの中で何もかもが異色だったのでよく覚えていた。
あの『イシルイリル』が豹変した理由がもっと詳しくわかれば、あの事態も対策が打てるのだけれど。
「わたしが結婚を美化しすぎなのかもしれないけどさぁ。好きな人がいるなら、やっぱりそれ以外の人と結婚なんてしてほしくないな」
「そういうリリカは?」
「はい?」
わかりやすくリリカの肩が跳ねた。
茶器以外の全ての食器は下げられて、広々とした机にサクラサマラが身を乗り出す。リリカと向かい合っている彼女は、真正面からリリカの顔を覗き込んだ。
「……もしや進展が? それは今までにない展開ですよ」
サクラサマラには、何か思い当たる節があるようだった。リリカが吠えるようにして言い返す。
「個別ルート突入済みとか言わないで!?」
「言ってません」「リリカまたなんか変なこと言っているわよ」
思わず口を出してしまったけれど、本題はそこではないのだ。もしかして、とサクラサマラを振り返る。
「……リリカ、前にそういうのは特にないって言っていたけれど」
「そうですよね、今まで見てきたどの世界よりも一年は長いのが今の現実ですから。その分、人との関わりも積み重なっていくわけで……」
「ちょ、ちょちょちょい待って二人とも」
サクラサマラがぶつぶつ呟きながら宙を見ている。リリカはその様子をなんとも言えない顔で見守っていて、だから私はその視線をこちらに向けてもらうために話しかけた。
「……好きな相手って、ホルミス?」
「わー!!!」
もともとうっすら染めていた頰が、私の問いかけによって首からおでこまで真っ赤に染まり上がった。目を見開いて叫んだ後は、両手で顔を覆って机に突っ伏した。あらまぁ、とその様子に思わず声が漏れる。
「神殿で過ごすリリカが不自由しないようにつけてもらった、お世話がかり兼護衛の神官よね?」
「知っている限りですが、『今まで』はそういうそぶりは一切なかったはずです。この一年でいったい何が……」
何回もの世界を繰り返し夢見た巫女がいるというのは、隠し事の際は不利過ぎる。少しだけリリカを気の毒に思いながら、リリカの返事を待った。
「なにも……。何もないけど……。特に何か劇的なイベントは起きてないけど!?」
「なんでリリカが怒ってるんですか」
「自覚したのがここ数日なんだもの。わたし自身まだ心の整理がついてないのに、勝手に盛り上がらないでよ!!」
「まああー」
誰かここにメアリを呼んで!
口元が緩む私と目が合うと、リリカはわかりやすく怯んだ。ともかく経緯を聞こうと口をひらけば手の平を突き出される。
ひとまずその意味するところに従って、黙ったままじーっと見つめた。リリカの眉間のシワが徐々に深くなり、あぁぁあもおおおおと言いながら突き出した手が引っ込められる。
「じつは、ここにくること、反対されたの。最初」
観念したリリカが言うには、聖剣顕現のために精霊の民に話を聞きに行く、と言うリリカの提案は、神殿にとっても悪くないもののはずだった。
だと言うのに、世話係兼護衛のホルミスが難色を示す。その意見は周囲の説得に応じる形で取り下げられ、あげくリリカとの別行動を勧められてしまったそうだ。
リリカはわずかな護衛と転移陣や馬でここまできて、宮殿に入ってからの供は女性神官一人。今も隣室に控えているが、あまり親しくない人なんだよねと小声で告げる。
ホルミスの反対意見は大部分が彼の私情によるところが大きいのだろう。神殿長の腹心であり私とも交流があったため、聖剣の巫女の役目の真実を大なり小なり知っていた彼は、リリカが傷つくのを恐れたのだ。
それを、当の本人が気づいている様子はない。
「この世界に来てからずーっと一緒だったから、こんなふうにいきなり距離ができて、それで、その。こんなの、今更すぎるってわかってるんだけど」
離れてみて、その存在の大きさに気づいたのだという。
顔を半分隠して、明後日の方を向いたままそう話すリリカの姿が、なんだかとても可愛らしく見える。
「なら、次に会った時は」
「だめだめ。ロゼ、それ以上はだめ。言わないで」
想いを告げるのね、と言いかけた言葉飲み込んだ。代わりに、「どうして?」と尋ねる。
「だって、わたし」
リリカの言葉は途切れた。視線を彷徨わせて、困ったように笑って見せる。
そこにいるのは、私と同い年の女の子だ。
なんの義務もなく、遠い世界で、無邪気に笑っていられたはずだった。
異世界からやってきた、ただの女の子。
どんな気持ちでこの世界にやってきて、今まで過ごしてきたのか。その胸の内を聞いたことはない。
ただ、はじめて声をかけた時のことを思い出す。こちらでの生活は、楽しいことばかりではなかったのだろうと想像できる。
これからリリカは、私を貫く聖剣を生み出さなければならない。私たちがそれを願った。この世界を救うために異世界から彼女を呼び寄せて、その願いを押し付けた。
それを、私達は忘れてはならなかった。
「あ……。リリカ、私。私たち……」
彼女に対して、かける言葉が見つからない。
「……この世界の都合で呼ばれたあなたに、何を言っても、こちらの勝手な言い分にしかならないのだけど」
「あっ、ちがうの。ロゼ、ごめん!」
ハッとしたリリカが両手を合わせて頭を下げてくる。私は驚いて、目を瞬かせた。
「わたし、この世界に喚ばれたことについてはもう、全部、わりきれてるんだよね。だから、そのことについては、ロゼがそんなふうに思いつめる必要はないんだ」
少し照れ臭そうに笑うリリカは、本心を言っているように見えた。
「ホルミスや、神殿長、神官のみんなやアンセルム様にだって、言いたい放題言ってきた。迷惑かけて、わざち傷つけるような言い方をしたことだってある。ちゃんと吐き出してぶつかって割り切ったことだから、大丈夫」
大丈夫だよ、とリリカは言って、お茶をひとくち口にした。もうとっくにぬるくなっているけれど、この地のお茶はそれで十分美味しい。
ふぅ、と息を吐いて、リリカは続ける。
「ただの女の子として笑って、高校生になれたはずのわたしと、この世界に呼ばれてちょっと誇らしいわたしだって、もう折り合いがついてる」
この二年、もう三年近くなるのだろうか。その中で、リリカはいろんな葛藤があって、それを親しくなったこの世界の人々と乗り越えたのだ。
「まだ納得できてないのは……、これからのことだったんだよね。救世、どーしてもわたしが作った聖剣で、誰かがロゼを貫かなきゃダメなのかなぁーって」
うわまじでいや、と冗談ごかしてリリカが笑う。ねぇ? と視線を向けられたサクラサマラも、困り顔で笑った。
リリカの道は二つあったのだ。私を貫く聖剣を生み出すか、聖剣を生み出せないまま、聖剣の巫女にならないまま出来損ないとして糾弾されるか。
聖剣の巫女として周知されているリリカは、聖剣を生み出せないと出来損ないとして後ろ指をさされてしまう。期待を裏切った背信者などと言われて、その世話役としてそばに控えていたホルミスはどうなるだろう。上位神官として今後の働きを期待されているならリリカとは引き離されるだろうし、二人揃って処分を受ける可能性だってある。
救世の全部が終わったらホルミスと幸せになればいい、なんて、簡単には言えない。
そんなことをサクラサマラが言うものだから、本当に嫌、とリリカが顔をしかめた。いろんな世界を見てきた夢の巫女の言い分は信憑性が高い分始末が悪い。
そして、話はそこで終わらない。
「んで、そこ悩んでたところにサクラサマラが、それで世界が救われるわけじゃない。とか言うもんだからさぁ……。あぁもう。イシルイリル様の話を聞くためにロゼが結婚しないきゃいけないって話に納得しそうじゃん」
「だからさっきからそう言っているじゃない」
「あなたは、婚姻を情報を得る手段の一つとして完全に割り切ってるんですね」
二人がぐるぐると同じ輪にはまっている様子を見て、呆れてしまう。だって、そう言うものでしょう? と、私は澄まし顔でお茶を飲む。
そんな私の横顔を見ながら、リリカが頬杖をついた。
「……ね、ロゼ。イシルイリル様に話聞いたら、いまよりも明るい未来が見つかるかな」
「もちろんよ」
不確かでも、その光明に縋るしかない。私は胸を張って答えた。
リリカはそんな私を少しの間見つめて、ふ、と息を吐く。
「……ん。わかった。色恋とかはひとまず置いて、ロゼの意思を尊重する」




