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【五章開始】あの人がいなくなった世界で  作者: 真城 朱音
四章.異界へ渡る、救世の巫女
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22.『私』にとっての、たった一人

感想、いいね、お気に入り登録、評価、拍手コメントなどなど、いつもありがとうございます。


 暗闇の中で、サクラサマラが自嘲する。



「あれは、最初のわたし。何も知らない、愚かなわたしですよ」


 そう言って視線を逸らしたサクラサマラの冷たい手を、私は慌てて掴む。そうでもしなければ、気づかないうちに消えてしまいそうに思えた。

 なんですか、と視線で問われ、かといって正直に言う気にもなれず、ふいに疑問が口をついて出た。


「……イシルイリル様を兄と呼ぶのは、どうして?」

「今、そんなこと聞きます?」


 サクラサマラが怪訝な顔をしたけれど、すぐに諦めたように息を吐いた。血縁関係はありませんよ、と前置きする。


「夢の巫女だとわかって、将来が決まったのが五歳の時。実家の家格では巫女を保護し養育することはできないとみなされて、養子に出されたんです。私を引き取った養父母はイシルイリル兄様を族長候補に推し、後援していたので、その縁で」


 五歳の頃。それは、私がアンセルムの婚約者になって王太子妃教育が始まった頃と同じだ。


「十二で巫女として宮殿に上がるまで、養父母の元で良家の子女と変わらぬ教育を受け、屋敷を出入りしていたイシルイリル様のことを兄と呼び慕っていました。それだけですよ」


 もっと有力な族長候補はいくらでもいて、だから、本当に気安く接していたらしい。少しの沈黙の後、さぁ、とサクラサマラが私に声をかけた。


「さ、早く続きを。最初の泡は選べても、その中の場面までは選べません。見せたいところだけ飛ばすことはできないんですよ」


 サクラサマラが私の手を引くとともに、無数の小さな泡が溢れ出す。


「サクラ」


 繋いだ手を離さないようにしながら呼んだのに、返事はない。はっと気がついた時には泡はなく、繋いでいたはずの手は空っぽで、サクラサマラの姿はどこにもなかった。


 代わりに、精霊の民の宮殿内の光景が目の前に広がっていた。



「ロゼ」


 『サクラサマラ』が広い庭園をかけて行く。建物から離れた場所の東屋に、『私』はいた。


「サクラ」


 走るのには不向きな裳裾をからげて、端を踏んづけたりしたらどうするのだとヒヤヒヤしていた矢先、『サクラサマラ』がつまづいた。慌てて『私』が駆け寄って、受け止める。


「す、すみません」

「もう。気をつけて」


 いつかとは逆の光景だった。『私』が『サクラサマラ』を支え、きちんと立たせ、衣裳を整える。


「何を急いでいたの」


 東屋の長椅子に、二人で並んで腰掛けると、『サクラサマラ』がどこからか小さな箱を取り出した。『私』は目を丸くして、なあに? と問いかける。


「もうじき兄様との結婚式でしょう? お祝いの品を用意したんです」


 はい、と渡されてた『私』は、驚きのあまり声が出せない。押し付けられるようにして手のひらにのせた箱は、触ったら崩れてしまう砂細工のような緊張感を持っていて、『私』は息を飲んだ。


「お祝いの品、って……」

「結婚する二人でもつ、お揃いの品ですよ。定番は腕輪とか指輪なんですけど、そういうのは他の人からもらうと思って、わたしからは髪飾りにしました。二人とも、綺麗な長い髪ですし」

「あぁ、『巫女』から『族長の婚約者』に贈る品ね」

「……どう言う意味です?」


 どこか安堵したような『私』の様子を察知して、『サクラサマラ』が『私』の手を掴んで顔を覗き込む。


「わたしから、あなたに贈る品ですよ。ロゼ」


 髪飾りが入った箱を持つ『私』の手が震えた。


 あそこにいる『私』は、セファと出会わなかった私。婚約破棄を言い渡されて、フェルバートとたった二人で辺境を訪れて、イシルイリルとの縁談を受けることにした、『私』。


 自分に贈られたものを、何も持っていない、『私』だ。


 箱を開けるようにと促されて、手の中の箱へと視線を落とす。なかなか蓋に手がかからない。所在無く握って開いてを繰り返しているのは、きっと、震えそうになるのを堪えているのだ。

 『サクラサマラ』は急かすことはせず、ただじっと待っている。『私』は一つ深呼吸をして、箱の蓋を開けた。


 中に入っていたのは、銀に輝く大小の髪飾り。『私』のための品は、櫛状の大きな方だった。対して小さいのは、イシルイリルに向けたもの。棒状の髪飾りで、先端に細い鎖で共通する意匠の飾りが下がっている。

 そのあまりの美しさに、『私』の震える唇からため息は漏れる。『サクラサマラ』は誇らしげだった。

 イシルイリルの朱色の髪と、金髪の私。二人の髪色に合う揃いの品を考えるのは大変だったのだと、楽しそうに語る。『私』に似合うことだけを考えて、職人と手紙のやり取りを繰り返し、作ったのだと。


「……ありがとう」


 かき消えそうなほどの小さな声だった。それでも、『サクラサマラ』はその言葉を受け止めて、どういたしまして、と笑ったのだ。


 泡が溢れる。


 この世界。この『私』にとって、『サクラサマラ』がかけがえのない一人であることを、ゆっくりと理解していく。

 アンセルムに婚約破棄をされたあと、一年半の空白のなかった『私』。

 セファに出会わなかった『私』。フェルバートを拒絶しなかった『私』。メアリに出会わなかった『私』。

 髪飾りをもらわなかった『私』。学院外套をもらわなかった『私』。魔術学院でお揃いのブローチを作らなかった『私』。


 戸惑いと混乱と虚無を抱えたまま、辺境にたどり着いた『私』。


 そんな『私』が出会った、『サクラサマラ』。 



 この世界の『私』にとって、心を許すことのできた、かけがえのないたった一人の『サクラサマラ』。



 数の減った泡から垣間見える景色があった。

 親密な距離で寄り添う『私』とイシルイリルだ。


「近隣の集落の状況は芳しくない、といえるね」

「不思議ですね。青の王国も緑も、赤も、黒も、どの国も大気中の魔力の減少に頭を悩ませているのに。この地の魔力は増えていく一方で、魔力酔いに倒れるものがどんどん増えていく」

「最初に倒れた者たちも、そろそろ限界だろう。いつ最初の犠牲者が出てもおかしくない」

「犠牲者が出れば、そしてその数が増えれば、責任を取るのは族長であるイシルイリル様か……」


 実際の生活を成り立たせ、法を定め人を配置し運用している族長と、民の心の寄る辺として民心を導き安心させている巫女姫。誰かが悪手を放ち事態が混乱したわけではない今回の出来事、人柱のように責任を取らされるとすれば、それはどちらなのか。

 『私』は口を閉ざした。そんな『私』をみてイシルイリルは表情を曇らせる。


「……我が花。あなたは、もしや」

「精霊の民は魔力過多に苦しんで、他の大多数の地域では魔力不足に苦しんでいる。それを解決するのが救世だわ」


 イシルイリルの言葉を遮って、『私』は顔を上げる。


「以前頼んだことは、どうなっているかしら」

「……式の前には間に合いそうにない。どんなに急いでもその翌朝、昼前には」

「そう……。でも、感謝いたします。イシルイリル様。……その、式の後は」

「翌日にも儀式が控えている。君は忙しいだろう」

「そう、ですよね」

「人を遣わそう。あなたの望みは必ず果たす。安心してほしい」


 ありがとうございます。という言葉は、あふれた泡にかき消えた。




「———ロゼはどこですか!」


 泡が完全に消え去る前に、『サクラサマラ』の声が響きわたった。


 宮殿内を歩いていく彼女は、誰かの背中を追っている。おひいさま、姫様、と呼び止めるものたちの声を振り切って、『サクラサマラ』は追いついた背中を掴んだ。

 身に纏う豪華な衣装を掴まれたイシルイリルは、硬い表情で振り返る。その眼差しは冷たく、聞き分けない子どもを見るかのようだったけれど、『サクラサマラ』は怯むことなく詰め寄った。


「婚儀の夜、彼女に何を話したんです。あの子はどこに行ったんですか」

「巫女姫としての自覚に欠けた振る舞いはよしなさい。サクラサマラ」

「答えてください」

「醜態を晒すなと言っているんだよ、サクラ」

「お願い、お兄様」


 悲鳴に近い声での懇願に、イシルイリルは答えず首を振る。


「では、異界渡りの儀とはなんですか」

「お前の夢の巫女としての役割はもう果たし終えている。これ以上を知る権限がない」


 イシルイリルがすがりつくその手を振り払い、『サクラサマラ』を突き放す。すがる先を急に失った彼女はたたらを踏み、呆然とイシルイリルを見上げた。


「やく、わり……? いったいなんのはなしを……」


「夢の巫女の役目は、異界渡りの巫女を見つけだし、然るべき儀式を行うことで聖剣の巫女の元に差し出すこと。お前はもう、その役目を果たしている。……ローズ・フォルアリスのことは忘れなさい」

「何を言っているのですか」

「それができぬと言うのなら」


 言いかけて、イシルイリルは言葉を切った。『サクラサマラ』の胸元に視線を落とす。より正確に言うのならば、大切そうに抱きしめた髪飾りを。


「ローズがあなたのために誂えた、その髪飾り。形見の品として、花園へ捧げなさい」

「何を言っているのかって聞いているんですよ!!」


 今度こそ悲鳴が響きわたって、泡があふれた。






「アンセルムさま」


 そう囁く『私』の顔が見えた。アンセルムの顔に手を伸ばして、その髪に頬を寄せて、その頭を掻き抱くようにして、背中を丸める。

 けほりと咳き込む口から飛び出したのは、鮮烈な赤だった。

 胸元に押し付けられているかのような剣の柄を、アンセルムの震える手が握っている。背中にはスラリと長い刀身が血を滴らせて生えていた。


 こんな話は聞いていないわと、叫んでいるのはリリカだろうか。


「これで、せかい、すくわれるんですよね。さくらが、きゅうだんされずに、すむはず——」



 青い目から急速に光が失われる。私はそれをどんな表情で見ているのか、どんな感情を抱けばいいのか、自分でもよくわからなかった。深く考え始める前に、サクラサマラが私の視界を奪うようにして、抱きついてきたからだ。



「……これが正解じゃないんです」


 泣き出すのを堪えた、振り絞るような声だった。


「これが本来の、間違いない道だっただなんて思わないでください。絶対」

「でも、こうして世界は」

「救われなかったと言ったら?」


 泡が先ほどとは比べ物にならない速さで流れていく。寄せては返す波のように、一つ一つを吟味する間も無く。

 合間合間の映像は、混乱する世界の様子だった。

 足りなくなる魔力、動かなくなる魔術具、解けていく都市結界、押し寄せる魔物たち、逃げ惑う民、応戦する魔術師たち、犠牲者が積み上がった精霊の地で、磔にされる『サクラサマラ』。


 私は自身の体を抱きしめて首を振った。


「———どうして」

「それがわからないから、探し続けました」


 はっきり言います、とサクラサマラは私に告げる。


「儀式をしても、世界は救われません」


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